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59. 想い

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「あれ?」
 10円玉2枚片手にコンビニの自動ドアをくぐった俺だったが、茜の姿はなかった。まあ、決して快適とは言えない、真夏の夜の中外にいるとは思えなかったけど…。じゃあ中か?
「…あ、いた」
「…あれ?なんで佑外から来たんだ?」
 コンビニの自動ドア付近の雑誌コーナーにいた茜。そんな彼女は俺が外から入ってきたことに疑問を感じているようだ。
「いや、さっき茜外に向かっているように感じたから、外に出たんだけど…。やっぱり中にいたか」
「当たり前だろ?こんな蒸し暑い中、わざわざ外で待ってるわけないだろー?」
「まあ、そうだよな。と言うか、その手に持ってるのなんだ?買うのか?」
 茜が何か本のような物を手に持っているのに気づいた俺は、茜に尋ねた。
「ああ、これは…」
 すると、茜は少し恥ずかしそうにその本を元の場所であろうところに戻した。俺の頭の上には疑問符が浮かぶ。
「…と、とりあえず!ノート買ってくれたなら、帰るとしよう、な?」
「お、おう…。そうだな」
 何をそんなに恥ずかしがる必要があるのだろうか。先ほど、茜が見ていたであろうものは、思春期男子が一度は目を奪われるあっち系の雑誌などでは無い。普通に一般的な小説本みたいなものだ。別に、俺を待っている時間に、そういう本をチラッと見ているのはおかしいことではないと個人的には思うのだが…。
「…うええ、やっぱり外はあっちいなぁ」
「そうだな。…あ、ほら。ノートだぞ」
「ああ、ありがとう!あ、そういえば、残りの100円で何買ったんだ?」
 俺の右手を覗き込みながら、茜は俺に尋ねた。
「ん?ああ。…個人的にはアイスが食べたくてさ。なんかちょうど半額だったんだよな」
 そう言いながら、俺は右手を茜の前に出す。
「あ、それは。某アイス会社が発売している2つに分けられるアイスじゃないですかー!」
 思わず顔を輝かせながら、茜は嬉しそうにそう言う。
「…でも贅沢だな。1人で2つ分食べるとか」
「…いやいや。流石に奢ってもらって2つを両方食べるとか頭おかしいだろ」
 苦笑しながら俺はそのアイスを2つに分け、片っぽを茜に渡した。
「え、いいのか?」
「当たり前だろ?ほんじゃ、食べようぜ」
「…………」
「…な、なんだよ…?」
「…あ、い、いや。なんでも無い…」
 変にじっと凝視してくる茜に、俺は思わず少したじろいだ。そんな彼女は頬を少し染まらせて、そっぽを向く。
「(なんでそこで、気が効くかなぁ…。全く…)」
「…え、なんか言いました?」
「…別に何も?…ま、じゃあ食べよう!」
 さらに暑くなるんじゃないかと思うほど、激しい動きで俺の渡したアイスを空に掲げる茜。夜空と対比されたバニラの白いアイスが、目立って輝いて見えた。
「そ、そうだな。じゃあ」
 彼女の掲げたアイスに、俺はカツン、と持ってたアイスを当てて、2人で言うのだった。
「「いただきます!」」
 …と。ここで、デジャヴを感じたのは、きっと俺だけだろう…。



「…そういえば」
「うん?どうしたんだ?」
「いやお前いい加減食い終わったアイス捨てろよ…」
「いいじゃーん。それで、どうしたんだよ」
 中身の無くなったアイスを口で遊ぶ茜。まあ、それしたい気持ちは分かるよ?実際に少しクセになるからね…。
「…俺がコンビニに入った時、茜何か本見てたよな?あれ、なんだったんだ?」
「えっ…」
 すると、茜はあの時と同じような照れ臭そうな表情をして、そんな素っ頓狂な声を出した。
「…ああいや、別に言いたくなかったらいいんだ」
 その様子の茜を見て、言いたくなさそうな雰囲気を感じた俺は、手を胸の前で動かしながらそう言う。すると彼女は、
「……佑はさ」
「…うん」
「将来の夢って…。あるか?」
 茜は、手を後ろに組んで、首を小さく傾げながら俺にそう尋ねた。そのようなことを聞かれると思っていなかった俺は、少し驚きつつも、
「…将来の夢?」
「うん、自分が今なりたいものとか。憧れているものとか…。ないか?」
 そんなことを尋ねられて、俺は一度頭の中で思考を巡らせた。が、
「…俺は、うーん。今はないかな」
「…そっか」
 すると茜は一度空を見上げて、
「僕は、あるんだ。将来の夢ってやつが」
「…そうなんだ。あ、それが」
 そう言いながら茜の方を見ると、茜は小さく首肯して、照れ臭そうに話し始める。
「…うん。僕の夢は、小説家。あの時は不意に佑が来たからびっくりしちゃってさ…。僕があの時読んでた本は感動する話の書き方みたいな本でして…。へ、変だよな…。あはは…」
「…いやいや、何も恥ずかしがる必要ないと思うけどなぁ。すごいことじゃないか。小説を読むんじゃなくて、書く方になりたいんだって。てっきりただ単に小説を読むのが好きっていうと思ってたからさ、普通にびっくりしてるぞ?今」
「そ、そうかな…?」
 どこか照れ臭そうに頭を触る茜。でも、茜にそんな夢があるなんて全く知らなかった。今を楽しそうに生きて、将来の事は成り行きで考えてそうな茜が、ちゃんと未来のしっかりとした目標を立てているなんて。
 隣で歩く少女に、俺は何か協力をしたくなった。
「…じゃあ茜ってさ、今なんか物語とか書いてたりするのか?」
「う、うん。実は、ちょっとだけだけどな…」
「ええ、すごいじゃん。今度見せてくれよ!」
「だ、ダメだ!ぜーったいダメ!」
 途端、ムキになって反応する茜。そんなに恥ずかしいかな…?あ、でも。自分の作品を他人に見られるのは確かに恥ずかしいか。協力したいと思ったのに、何か酷なこと聞いちゃったな…。
「ご、ごめんごめん」
「…まあ、完成したら見せてあげなくもないっていうか…」
「え、いいの?」
「で、でも!高校生の書く物語だからあまり期待はするなよ!」
「お、おう…」
 謝ったら許可を貰えた。やっぱり謝罪ってのは大切なんだな、と。夜の住宅街を歩く今にとっては割とどうでもいいことを考える。
「そ、そういえばさ」
 すると、自分の夢がバレたのが恥ずかしかったのか、もしくは単純に噛んでしまったのか。いずれにせよ、やや食い気味に茜は俺に尋ねた。
「…なんだ?」
「え、えっと、2週間くらい前かな。見間違えならごめんなんだけど、佑あおちゃんと一緒に下校してなかったか?」
「えっ…、っと」
「その反応は…。やっぱり、あおちゃんと一緒に下校したんだな」
 小さくため息をつきながら茜はそう言った。さっき、心臓が思いっきり跳ねたぞ。まるで自我を持って、体の中でジャンプしたみたいな…。別に、先輩と下校したことは隠さなければならないことでは決してないはずなのに。
「お、おう」
「…楽しかったか?」
「…んーまあ、うん。普通に楽しかった」
 すると茜は微笑を浮かべて、
「そっかー。…でもすごいな、学校のマドンナって言われてるあおちゃんに下校誘ってOK貰うだなんて。佑も出世したなー」
「え?」
「ん?僕なんか間違ったこと言ったか?」
 頭の上に疑問符を浮かべながら茜はそう俺に尋ねる。俺は首を一度縦に振って、
「…勘違いしてるとこ悪いけど、俺に先輩を誘えるほどの度胸はないぞ…。あれは先輩からだよ、茜からも信じられないかもしれないけどさ」
「ええっ!?あれ、あおちゃんからだったのか!?すごいな佑、そこら辺の会社員よりも出世してるじゃないか!大出世だぞ大出世!」
「いや、そこら辺の会社員の人軽く見るなよ…」
「あはは…。ごめんごめん……」
 お父さんがいつも夜遅く家のドアを開けるのを頭に思い浮かべながら俺は思わず苦笑してそうツッコんだ。
 でも、そうやって茜がびっくりするのも無理ないのかもしれないな…。夏休みに入る直前に一度俺と星本先輩について、デキでるんじゃないか疑惑が出ていた。その疑惑の逆効果のようなもので、茜にも何やら影響が及んでしまったってのがあったっけな…。
 しかし、そこからは先輩とはあまり深く関わっていないのだ。一度一緒にお昼ご飯を食べには行ったりはしたが…。最初ほど、先輩は俺とは話さなくなった気がする。つい昨日まで喋っていなかった茜からすれば、俺と先輩のことを知らないのも無理ないよな。
 だからきっと、彼女からすれば俺は出世したと言いたいんだろう。なんせ女性っていう彼女の目線から見ても、つい惚れてしまいそうな人らしいんだから。
「…お、そろそろ家だな」
 1人でそんなことを考えていると、電気のついた茜の家が左手側に見えてきた。きっと今は雫がリビングでくつろいでいるのだろう。あいつは、夏休みの宿題が終わっているのだろうか?
「…そうだな」
 茜は歩き疲れたのか、少しテンション低めな声を出した。俺はそんな彼女に、1つ言葉をかける。
「なあ茜、今日はありがとうな」
「え?」
「実はさ、茜と喋らなかった約1ヶ月間、何か物足りないなって感じがしててさ。1学期の間はいつも一緒に登校とかしてたからちょっと…。寂しかったな、って思ってた。だから今日久しぶりに喋れて、ちょっと心が落ち着いたよ」
「そ、そうか…」
 先ほどと同じような反応を示す茜。この様子じゃよっぽど疲れてたっぽいな。とりあえず、自分の伝えたいことも伝えることができたし、今日のところは家に戻って宿題の続きをすることにしよう。
「…またな、茜」
 茜の家の前を通り過ぎた時に、彼女が足を止めた様子を見ると、俺も帰っていいのだろう。俺は最後にそう言葉をかけて、自分の家へと足を進める。
「──なぁ、佑」
「…ん?」
 刹那、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。俺は頭に疑問符を浮かべながら身体を反転させる──。



「どうした?」
 目の前の彼が、優しそうな笑顔を浮かべながらそう尋ねてくる。正直、呼び止めた理由なんてない。思わず、口走って彼の名を呼んでしまったのだ。
 でも、好きな人と久しぶりに喋ったから、すぐに離れるのは寂しくて。もっと彼と話していたくて。そのような想いが口から溢れたんだと思う。
「…た、佑は。あおちゃんと、最近どんな感じなんだ?」
「え?星本先輩と?…どうって言われてもな。帰ってくる途中で茜が話してた一緒に俺の家に帰ったこと以来はそこまで関わってないかな」
「そ、そうか…」
 …あれ。僕なんで今、あおちゃんのことについて佑に尋ねたんだろう。なんか頭で話そうとしていることよりも先に口が動いてたような、そんな感じが…。
「…!」
 ここで僕は、ある1つの気持ちに気づいた。目の前で佇んでいる彼は、そんな僕の様子に気づいたらしく…。
「え、どうした?」
「あ、いやいや。なんでも…」
 なんとなく悟られたくなかった僕は手を胸の前で振りながら否定の気持ちを述べた。そして僕は1人心の中でその気持ちについて考えていく。
 …そっか、僕。あおちゃんに…嫉妬してるんだ。佑とよく関わっているあおちゃんに、妬いちゃってるんだ。…じゃああおちゃんは佑のこと、好きなのかな。うーん…どうなんだろ、でも。一緒に下校を誘うくらいだし…。
 一瞬で僕の頭の中はそのような考えでいっぱいになった。…今はまだ、あおちゃんは佑のことが好きじゃないのかもしれない。でもいずれ、あおちゃんは自分のその気持ちに気づくはずだ。なんせあんなにスペックの高い人だ。自分の恋の気持ちも、相手に向けられた恋の気持ちも。どちらも体験はしているだろう。
「…どうした?固まって。…もう何もないなら帰るぞ?」
 ならきっと。あおちゃんはその気持ちを叶えるために、どう行動すればよいかの最良手段を知っているはずだ。あの可愛い顔を使って、頑張って佑を落としにいくのだろうか…?なら、花火大会の時にしっかりと自分の気持ちを伝えるべきだったとちょっぴり後悔してしまう。だけど、もしも。もしもあおちゃんがその恋って気持ちにもう気付いていたとしても、僕はあおちゃんよりスペックが高くないって自分で分かっていたとしても──。
「…佑」
 いつか誰かに。目の前の好きな人を取られるってことが、自分にとって一番の後悔になると思うから。あおちゃんのような絶対王者の存在がいたとしても、今日だけは──、僕に…。
「…どうしたんだよ。改まって」
「…あのさ、佑」
「…っ」
 刹那、向かいあった僕の表情を見て、佑はわずかにたじろいだように見えた。僕のこの気持ち、佑にも伝わっているのかな…?周囲の雑音が耳をろ過していないのを感じると、まるで僕の耳は機能を停止したかのように思えた。
「…な、なんだ…?」
 目の前の彼の頬が微かに染まっていく。かつてこんな空気になったことなどなかったから彼自身も緊張しているのだろうか。…とんでもない、緊張しているのは僕だ。でも僕はもう、決断したんだ。彼に、この気持ちを──。

「…佑、僕──」

「あー、茜お帰り!なんか外から音するなーって思ってたら佑と会話してたのねー」
「「えっ」」 
 瞬間、何かが開く音と共に僕と佑の視線はこの暗い道路を照らす、玄関の電気に向けられた。そこには、逆光でやや見にくいが、お姉ちゃんの姿があるように見える。
「…ありがと、佑!お陰で助かったわー」
「…え、ああいやいや。それは全然…」
「……………」
 僕は言葉が出せずにいた。さっきまでどこか心地よく感じていた心臓の鼓動が今は同じ鼓動のはずなのにとてつもなく気味悪く感じる。
「…じゃ、暑いし。今日はお開きにしましょうか。佑、ありがとね。それと、宿題とかはちゃんと終わらせるのよー?」
「お、おう…。ありがとう、じゃあな」
 佑は僕にも可視化できるような、頭の上にそんな疑問符を浮かべながらドアを開けていった。そして、彼の姿が完全になくなったあと、
「…だはぁーっ。お姉ちゃんんんんん…!」
「──!?あ、茜?どうしたの急に!」
 僕は、お姉ちゃんの胸元に思い切り飛び込んだ。理由?それは正直分からないが、なぜか今はお姉ちゃんにくっついていたいと感じた。
 お姉ちゃんはそんな僕の気持ちが分かったのか、ゆっくりと僕の頭を撫でてくれた。お姉ちゃんの問いに返答できるほど今の僕は落ち着いてはいなかった。それを察したのか、お姉ちゃんは、
「…で、どうだったの?」
 と、落ち着いた口調で尋ねてきた。僕は、お姉ちゃんの胸にさらに顔を埋めながら、
「…な、なんていうか。一言で言うなら…」
「うん…」
「…すっごいドキドキして、正直どんな会話したかちゃんと覚えてない…」
 そうなのだ。最後は佑を呼び止めたが、ここからコンビニに行って帰ってくるまでの往復した時間、正直話の内容というものは覚えていない。それは、佑を意識しすぎてしまっているのが理由なんだろうか。
「…そう。というか茜」
「…ん、どうしたんだ?」
 頭の上から声が聞こえてきたお姉ちゃんの声に、僕は埋めていた顔を起こしお姉ちゃんの顔を見つめた。すると、お姉ちゃんは少し申し訳なさそうな顔をして、
「なんか、佑に言おうとしてなかった?…あれよ?別に邪魔しようとしてあのタイミングでドア開けたわけじゃないのよ?でも、ドア開けた後に急に閉めるのもおかしいって思って、そのまま茜のこと呼んじゃったんだけど…」
 そんなやや早口になってる姉ちゃんの言葉に。僕は一瞬頬を膨らませて、
「…まあ確かに、一瞬はタイミング悪いって思ったけど…。今考えてみたらあれはあれでよかったのかもなって…うん…」
 僕はあの時、佑に。自分の気持ちを伝えようと決意していた。でも、言うほんの直前で脳裏によぎったのだ。この気持ちを伝えて、佑がそれに答えてくれたらそれ以上のことはないけど、もし自分の気持ちが届かなかったとしたら…。佑自身が僕の気持ちにバツサインを出したのだとしたら…。
 きっと。僕たちの関係はそれで終わってしまうんだって。あの刹那の刻に僕の中にあった感情の名は恐怖、その2文字だった。
 だって…、そうじゃないか。好きな人がいるって以前佑に伝えて、別に佑自身に告白したわけじゃないのに…。現に1ヶ月、喋ることができなかったんだ。告白でもして振られてみれば、きっと僕たちは少なくとも高校を卒業するまでは口を合わせられないだろう。
「…………」
 静かな微笑を浮かべながら僕を見るお姉ちゃんに僕自身が気づいたのは、1人さっきの感情について考えていたことにピリオドが打たれた時だった。やがてお姉ちゃんはゆっくりと口を開いて、
「…ま、とりあえず家の中入りましょうか。外は夜でもあっついし…ね?」
「…うん、そうする」
 僕はそうポツリと呟いてお姉ちゃんからそっと離れた。お姉ちゃんはくるっと踵を返し、玄関へと歩を進めていく。
 …まさかお姉ちゃんがここまで優しいとは思わなかった。いつも僕に色々言われているお姉ちゃんに、恋のことについて相談するのには多少なりとも勇気が必要だった。何か笑われるかもしれない、そんな覚悟さえしていた。でも蓋を開けてみれば、僕の目の前には恋という感情に理由をつけることができる、ありがたい姉の存在があった。お姉ちゃんは優しく、僕のこの気持ちを汲み取ってくれた。
「…ありがとう、お姉ちゃん」
 いつもは言わないこの言葉。でも、今日はこの言葉を自分の姉に贈りたくなった。どこか照れ臭くて、お姉ちゃんが先に入った玄関を見ながら、僕は小さくそう溢すのだった。
 今日は本当に、あいつと喋ることができて。よかった──
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