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51. 決断

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「ここか。うわぁ、人がやっぱり多いなぁ」
「確かに…。随分と賑やかねぇ」
 あのアナウンスを聞いた俺と雫、その他この祭りに参加していた人々は、指定された場所へと足を運んでいた。ここは屋台から少し離れたやや開けた場所。照明などの光が届ききっていないところだ。
 この場所の雰囲気に俺が少し覚えがあった。それは、野活のキャンプファイヤーの後の自由時間。あの時も確かこんな風に灯りが届ききってなくて、薄暗い感じだったのだ。それは、隣にいる少女も同じように感じたらしく…。
「ねぇ佑。この感じ、なんか野活を思い出すわね」
「そうだな、あの時もこんな感じで薄暗かったっけ」
 そう話しながら、俺たちは空いているスペースを見つけ、腰を下ろす他の人に釣られるようにゆっくりと座る。
「そういえば雫は浴衣だけど…。座っても大丈夫なのか?」
「ふふん、佑。私を舐めないでよ?」
 今日いつかどこかで見たようなドヤ顔でそういう雫。すると、どこからか小さな座布団のようなものを取り出した。
「そ、それは…?」
「これは単純にお尻に敷くためのレジャーシートのようなものよ!さすが私、用意がいいー」
「…………」
「何引いてんのよ殴るわよ」
「まさかの逆ギレ!?」
 あと、怒ったら殴るというコマンドに至るのはやめていただけたい…。
「…まあ、流石に冗談だけど。あ、ほら。なんかもう花火はじまりそうよ?」
「ん、そうか…」
 雫のその言葉とともに俺は目線を空に移した。俺たちが今から見る花火というのは、昼間のような青い空では美しさが感じられないもので、それは今のような真っ黒な空のキャンパスだからこそ花火という作品が描かれるものだ。
 俺がそんなことを1人考えていると、少し遠くの場から、ヒュルルルル~という、ついに始まる合図のように見受けられる花火特有の音が聞こえてきて、
 ドン!と、弾けるような音とともに綺麗な赤色の花火が1発上がった。そして、それに続くように色々な種類の花火が次々と上がっていく。
「おお、すげぇ…」
「きれーい…」
 見とれるような目で空を見上げる雫。正直この大音量のせいで何を言ってるのかは分かりずらいが、まあ1人で言ってるっぽいので無理に反応する必要はないだろう。
「…すげぇなぁ」
 俺は目の前で描かれる花火の光にそんな感想が口からこぼれた。大きく広がるように弾ける花火やヒュンヒュンヒュンと連続で上がって、あららこちらで弾ける花火もあったりした。周りの人たちもその花火の完成度に思わず唸っているように感じた。
 やがて最後と思われる盛大なる花火がドーンとこれまでと比にならない大きさの音とともに空に弾け、会場は拍手に包まれた。
「いやー、すごかったなあ。花火」
「…そうね」
 まだ余韻に浸りたいんだろうか、その場を動こうとする人は少なかった。俺ももう少し余韻に浸っていたいと思うので、腰を上げるのはまだいいかな…。
「ねぇ、あのさ」
 すると、グッと伸びをする俺に雫は静かで落ち着いたような声で俺に話しかけてきた。
「うん?どうした?」
「…む」
 その瞬間、そんな俺の言葉に頬を少し膨らませながら急に距離をつめる雫。突然な出来事に思わず動揺してしまう俺の目を雫はじっと見透かしている。
「えっ…?」
「その、一回しか言わないよ?…あのさ──」
 刹那、周りに大きな音が。思わず一瞬その方角を見ると、再び花火が舞い上がっていた。え?あれで終わりじゃなかったのか?周りもかなり驚いているらしく、少しざわついているのが耳に入った。だけど…、
 目の前の少女が放つ言葉は爆音の花火のせいで耳に入らなかった。ミュートしたかのような俺の耳は、目の前で口パクのように動く彼女の口元をただじっと眺めることしか出来ず…。
 きっとフィナーレを飾る、先ほどの花火は余程の出来だったのか、終わった途端、先ほどよりも感度の高い拍手が響いていた。でも俺は、目の前の少女から目を離すことができなかった。淡い桜色に染まったその頬に、俺は小さな罪悪感が残る。
「…な、なんて言ったんだ?も、もう一回…!」
 花火の感想よりもすぐに、俺はそんなことを雫に尋ねた。すると彼女は、目元を緩ませ、
「…ふふっ。今日は、楽しかったね、佑!」
 と、微笑とともにそんなことを言った。
「…あっ」
 するとどうしたことか。まるで魔法にかかったかのように、俺の口元は開こうとはしなかった。さっき何を言ったのか聞きたいのに、その真理を知りたいのに。口元が詰まって何も言葉が出ない…。
「…じゃあ、そろそろみんなも移動しているだろうし、私たちも移動しよっか」
 今の俺には少し悲しそうにも見受けられるそんな笑顔を雫は向け、ゆっくりと立ち上がった。募り募る罪悪感。なんだ、この気持ちは…。
 そんな気持ちの中、絞り出すように、俺は声を出そうとする。
「…し、雫」
「…ん?どーしたの?」
 腕を後ろに組んで優しく尋ね返してくる雫。出た、今だ。聞くんだ俺、さっき雫が言ったことを…!
「…えと、その…」
「…今度は」
 動かしたくても動かないそんな俺に雫はそう切り出して、
「今度は。音がない時に…」
「え?」
「さ!別に私がさっき言ったことは言ってもそんな重要なことじゃないからさー!いいじゃんいいじゃん!ほら、みんなもう帰り始めてるし、私たちも帰るわよー」
「…………」
 分かる。今の雫のこのテンションは頑張って作っている感じだ。本当に、本当に何を言ったのか、そして雫は何を伝えたかったのか。他の人にはこの盛大な花火が脳裏に残ったことだろう。でも俺に残ったのは、言葉にして言い表すことのできない中途半端な心境だったのだ。これ、"先輩プレゼンツ:サプライズ大作戦(仮)"を実行するまでに気持ちを色々と落ち着かせておかないとな──。



「いやー、すごかったな!花火」
「うん、実くん、ずーっと見入ってたもんな!あはは」
 最後の盛大な花火はすごかったなと。そう感慨にふけりながら僕たちは屋台のあった方へと足を進めた。
「うーん、人が多いなぁ…。なぁ茜、ちょっと遠回りにはなるけど、こっちの道から行かないか?」
 実くんは人混みが苦手なのかな。まあ、僕も好きなほどではないけど。
「うん、いいぞ。そっちからも戻れるのか?」
「ああ、こっちは多分人がほとんどいないと思うから、逆に早く着く可能性もあるかもな」
 実くんはそう言うと、先陣を切るように僕にその道を案内する。なるほど、確かに提灯の灯りは届きづらいけど人が少なくて早く行けそうだな。
「…なあ、茜はさ」
「ん?」
「…今日の花火大会、楽しかったか?」
 僕が見上げるように彼の顔を見ると、首を傾げてそう尋ねる実くんの姿があった。僕はその問いに即答する。
「もちろん!去年行ったことなかったから、余計に楽しく感じた!」
「そうかそうか…」
「実くんは、楽しかったか?」
「俺か…?あははっ」
 するとどうしたことか、実くんは急に笑い出した。なんだ、僕なんか変なこと言ったかな?
「な、なんだよー」
「…いやいや、ごめん。俺から誘ったのに楽しくないって言わないわけないだろって考えてたら急に笑いが…」
「わ、分からないだろ?僕が実くんの想像とは違った奇天烈な行動をしてたかもしれないじゃないか!」
「でも、してなかっただろ?だから普通に楽しめたんだよ。ありがとうな」
「…ど、どういたいまして…?」
 彼の浮かべるその笑顔に、僕は思わずそう言った。この実くんは、一言で言うと本当に"優しい"人だ。僕が何をしても何も言っても笑顔で何かしら行動を起こしてくれる。僕にとって、実くんはそういう印象だ。
 そんなことを考えていると、実くんは、
「…お、座るとこがあるな。ちょっと座ろうぜ」
「大丈夫だぞ実くん?僕は疲れてないぞ?」
「俺が疲れちゃったよ。ほら」
 先に座ってその横を軽く叩く実くん。僕はお言葉に甘えて隣に座らせてもらった。すると実くんはそんな僕の目をじっと見て話し始める。
「…今日はさ」
「……うん」
「ちょっと、まあなんていうか…」
 いきなり言葉に詰まる実くん。だけど、頭を軽くかいた後、続けて言う。
「…その、前の野活のさ。ちょっとうやむやになっていたことをはっきりさせようって、俺自身で思っててさ」
「…うん」
「前、キャンプファイヤーの後の自由時間の時に。俺は中途半端に切ってしまったんだよな。自分の気持ちをちゃんと茜に伝えきれずに」
 自分の胸をぎゅっと抑えてまっすぐな瞳でそう話し続ける実くん。それに釣られて僕の胸の奥の心臓の鼓動が少しずつ速度を上げる。
「…だから、そもそもとして茜をこの花火大会に誘ったのは、もちろん2人で来たかったのってもあるし、自分自身のこの気持ちにもケリをつけるためってのもあって…」
「うん…」
「まあだからなんで言うか。ごめん、長々と喋ったけどっ!」
 そう自分に言い聞かせるように実くんは言った後、スッと椅子から腰を上げ、座っている僕の前に立つ。それにさっきから心臓の音が…。音が、大きくなっちゃってるぞ…。
「…茜。俺は…」
 提灯の灯りで僅かに見える彼の顔。だけど、今の僕にはそのまっすぐな表情がしっかりと目に映っていた。そして、彼は告げる──。
「…俺は、茜のことが好きだ。友達としてじゃない。恋愛的に、1人の女性として、茜のことが大好きだ」
「──っ」
 伝えられたその想い。前の野活の時からその気持ちには薄々気がついていたところもあったが、やっぱり面と向き合って言われると、心がドキッとする。
「だから、茜。俺と──」
「…えっ?」

「──付き合ってください。お願いします…」

 その言葉とともに手を差し出す実くん。え?…え、っと…。僕、今なんて言われた…?その、聞き間違いじゃなければ…、付き合ってほしいって…?
「え、えと…」
 やばい、心臓がドキドキ言ってる…。まさか付き合ってくれ、なんて言われると思わないもん…。
「…………」
 実くんは、そんな僕の返事をずっと待つかのように僕の方をじっと見ながらずっと手を差し伸べてくれている。彼は僕に…。恋、してくれてるってことだよな…。だから彼は僕に"付き合ってほしい"って言ったんだよな…。あとは僕が実くんに対してどのように感じてるか。彼に対する恋心とやらを探し当てるだけだ。
「…?」
 すると突然、脳裏に1人の人物が現れた。それは、僕といつも一緒に学校へと登校している人物で、出席番号は一つ違いで。笑顔がどこか馬鹿馬鹿しく感じる彼の姿が。
 なんで、どうして。今僕は実くんから告白を受けているのに。なんであいつのことを──。
「…!」
 その瞬間、ある言葉がフラッシュバックし、僕の頭の中に飛び込んできた。それは野活の時、実くんに聞かれた、問いのようなもので…。
『茜は、佐野のことが好きなのか?』
 好きなのか、好き、なのか…。なんなんだろう、あいつは僕にとってどんな存在なんだろう…。確かあの時実くんは、鼓動の速なる方はどっちかと尋ねてきたはず…。今鳴る鼓動はもちろん、速い。そりゃ、めちゃくちゃ速い。
 …でも。でも、本当に。喋ってて鼓動が速くなっちゃって、僕はまだ恋ってものを知らないけど…。そのドキドキがもし、万が一恋なのだとしたら…。僕は──、
「…ごめん、なさい」
 そんな考えのいく末に、僕はそんな回答を出した。小さく頭を下げながら、ゆっくりと…。
「…そっか」
 次に聞こえてきたのは実くんのそんな言葉だった。思わず僕が頭を上げると、実くんは少し微笑していた。
「…茜はやっぱり、佐野の方が好きだよな、ははっ」
 その笑顔は、どこか感情を抑えるための静止剤のように感じられ、直後に僕は取り止めのない罪悪感に苛まれた。
「…え、えっと。違…」
「違くないだろ?現に今、結構焦ってるじゃん」
 にひひっ、と白い歯を見せながら僕にそう言う実くん。小さく息をついた彼は、そんな笑顔のまま続けた。
「…告った後にこんなこと言うのは本当にダサいけど、なんとなく。どこかなんとなく断られるかなって予め覚悟はしてたんだよ」
「えっ」
「前さ、野活の時に俺は茜に質問をした。"俺と佐野、どっちの方が好きなんだ"って。それに茜は、"恋愛感情というものの理由が分からないから、どっちか分からない"って確か答えたはずだ」
「う、うん…」
「でもその後、少しの間の後に茜は"今は佑の方がその気持ちは大きいかも"って言ったんだ。そこで1つ思った。あの時は逃げるようにその場から退いたけど、俺はもうあいつを越えられないんだって、希望はもう、持てないんだって…」
 彼が紡ぐ言葉の一つ一つに重なる、数多なる背徳感とともに僕は彼の声を拾うように聞く。
「…ごめんな、長々と。でも、俺の茜が好きって気持ちはちゃんと伝えられたしさ。俺としては満足してる、ほんと勝手だけど…」
「いやいや…。本当に、ごめんなさい…」
「そんなに謝るなよ。勝手に好きになって、勝手に告白したのはこの俺だ」
 実くんは崩れかけた笑顔で僕にそう言うと、1つさ、と。切り出して再び話し始めた。
「1つ、俺気になってたことがあったんだけど…。聞いてもいいか?」
「…うん」
「茜は佐野に、恋してるのか?」
「…え、恋?」
 彼の質問に僕はそんな素っ頓狂な声を出した。
「うん、やっぱりさ、佐野の方がいいなら。もう、恋してるのかなって。前はそんな気持ちが分からないって言ってたけど、そろそろ…さ?」
「…………」
 さっき、実くんに告白を受けた時も、頭の奥底であいつの顔や声が浮かんできた。そういえばいつかお姉ちゃんも言ってた気がする。
『胸が高鳴って、ずっとその人のことを考えてしまうっていう、そんな状態のことよ』
「…胸が高鳴って」
 自分の胸に手を当てる。次にあいつのことを考えてみる…。声や姿や表情を、細かく…。
「その人のことをずっと考えてしまう…」
 今日の花火大会、実くんと回って楽しい、という気持ちはそりゃ十二分にあったが、それと引き換えにどこか物足りなさを感じていた。それがあの時、フラッシュバックしてきた、ってことなのか…?
「なぁ、実くん」
 幾多なる考えの末、僕は目の前にいる少年の名をそっと呼んだ。
「うん、どうした?」
「…僕。恋、しちゃってるのかな…」
 胸に添えた手をもう片方の手で、覆うように包み込んだ。止まらない背徳感の裏側には、もうあいつでいっぱいになってしまっている頭があって…。
「…茜」
 すると、そんな僕の名を実くんはゆっくりと呼んだ。その実くんの表情は、僕の顔を見守るような優しさが詰まっていて、彼は僕の目をまっすぐ見て言った。
「…気づいて芽生えたその感情。大切にしろよ」
「えっ」
「…じゃあ俺は帰るな。告白を受けてくれて本当にありがとう、今日は本当に楽しかったぞ、じゃあな──!」
 そして実くんは右手を大きく上げながら、この場を離れるのだった。
「…実くん」
 僕は今一度、胸に添えた手に小さく力を込める。言葉にできない気持ちが、僕の背中にのしかかっている。思わず空を見上げると、綺麗な三日月が辺りを照らしていた。
 今日僕は。彼に、須山実くんに告白を受けた。僕自身、そんな経験はないので動揺してしまい、同時に彼の心を傷つけてしまった。だけど…、だけど。彼は僕に。そんな傷と引き換えに1つの芽生えた感情を、悩む僕に優しく教えてくれた。
 その感情の名は"恋"。お姉ちゃんは既に経験しているもので、どこか嫉妬する自分がいた。でも今、その存在に僕は触れた。だけど、まだしっかりと自覚はしていない。これから、あいつと一緒に過ごしていってその気持ちは本当に恋と呼べるのか。認めてないだけかもしれない、認めたくないだけなのかもしれない。けど、僕は…。
 あいつと一緒にいて、本当に楽しくて…。あいつのそばから離れたくない。そんな気持ちだけは…。しっかりと心の中から認めるのだった。自分に、ウソをつくのは…、もう嫌だしさ──。
「…ありがとう、実くん」
 小さく拙く。僕は彼の帰った道をふと見ながら1人ポツリと呟くのだった。
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