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46. 風邪

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「そ、その子は…」
「うん、この子はね…」
 西日が傾く海辺で俺は2人の少女のシルエットを見ていた。俺と同じくらいの身長の子と、やや小さい子のシルエットを…。
「…私の家族だよ!」
「家族?」
「ほら、挨拶しなさい?」
 その少女がそう言うと、隠れるように立っていた女の子がひょこっと出てきた。
「この子、恥ずかしがり屋で…。私みたいに笑顔だったらいいんだけどね、あはは」
 そう言って、目の前の少女はニコッと笑った。この子は俺と初めて会った時こそ泣いてはいたが、それからはずっと笑顔で、それ以外の顔を見たことがないという感じにも見受けられた。あとは、どこか活発なんだよな…?
「………あの」
「ほら、しっかり?大丈夫よ。嫌な人ではないわ?」
 軽く肩を叩いて、励ますようにそういう少女。西日越しに光る太陽も加わって、ダイヤモンドのような笑顔に感じる。やがて、その子は意を決したのか俺の目をじっと見て口を開く。
「えっと、な、名前は──」



「…あつっ!?」
 おでこにささる日光と共に俺は目を覚ました。最近、本当に暑くなってきている中、おでこの集中攻撃は酷くないですかね太陽さん。夏休み初日にこの仕打ちはきついです…。まあそれにしても、
「あの夢…、久しぶりに見たけど…」
 おでこを抑えながら俺は体を起こす。そして、確信する。
「やっぱり、俺の過去だ…。あれは、前みた夢の続きか…?」
 けどなんで、また急に。このような夢を見たんだろう。不思議でならないな、そして過去とは言えどいつ頃の過去なんだか…。
「まあいいや…。部活も午後からだし、午前中はゆっくりしておこうかな…」
 8時半を指す時計を横目に俺はスマホの電源を入れる。すると、メールの欄に通知がきているのが分かった。なんだろう、広告か?
「ん?…茜?」
 新規メールボックスの欄には、茜の名前があった。確か、あいつの部活が始まるのは9時半ごろだったはず…。何か用なのだろうか。俺は不思議に思いながらそのメールを開いた。
『おはよう佑、起きてるか?ちょっといきなりなんだけど家の前に出てきてくれないかな、軽い用事があるんだ』
 受信した時間を見てみると、15分前とあるので現時点では茜のことをあまり待たせてないみたいだ。俺は、"すぐいく"と、4文字を着替えながら送ったのち、一応寝癖を直して、玄関のドアを勢いよく開けた。
「あ、佑。おはよう!」
「お、おお。おはよう」
 鋭い夏日の太陽にも負けない笑顔を浮かべながら、見た感じ涼しそうな服を着る茜は俺に元気よく挨拶をした。逆に、俺は少し弱目の挨拶になってしまった。
 理由としては…、やっぱり昨日行ったジェラート屋で起こったあの…。間接キスのことについてだ。あのことから、俺はより一層、茜のことを意識してしまっている。だから、個人的にはちょっとだけ気まずくあるんだが…。
「ん?どーした?」
 どうやら茜はそんなこと気にしていないみたいだ。おかしいな、茜自身も結構照れてた気がしたが…。自分の勘違いか、うわぁ恥ずかしい。
「い、いやなんでも…。それよりも、何かあったのか?」
 玄関前の階段を降りながら俺は茜に尋ねた。すると、茜はやや心配そうな表情をしてチラッと家を見る。
「実は…。お姉ちゃん、風邪引いちゃったんだ」
「風邪…?」
「うん、昨日の夜らへんから急に体調悪いって言ってきて、熱測ったら39度。こりゃ完全に夏風邪だ…」
「さ、39度か…」
 確かに、夏風邪だろう。39度は流石に心配するレベルまで達するしな…。
「うん、それでな。佑はとりあえず僕の家に来てくれ」
「うん…。うん?え、今何て?」
 あれ、聞き間違いだろうか。いとも普通の会話のように茜が言ったので、俺は流れで頷いたが…?
「え、だから。僕の家に来てって、ほら」
「え、は?な、なんで?」
 どうやら聞き間違いではなかったらしい。茜は既に彼女の家へと歩を進めていた。行動が早すぎる…、もう断ろうにも断れないし…。
 動揺している俺に茜はドアに手をかけくるりと振り返り言った。
「ちょっと、風邪の時のお姉ちゃん…。面倒なんだよ…」
 と、言葉通りめんどくさそうな表情をしながら──。



「お邪魔します…」
 佐伯家の家に入るのはこれで2度目だ。前は確か、野活のダンスの練習の時に雫に招待されて入ったわけだが…。その雫は風邪で寝込んでる、と。やれやれ、あいつは本当に大丈夫なのか…?
 それにしても、と俺は思う。前雫に家に上がらせてもらった時は知らなかったが、茜と雫の両親はもうすでに他界してしまっている。あの時もこんな感じで家は静かだったのだ。あの時は外出中かと思ったが、今考えていると、よく女子高校生が2人で生活できているよな…。尊敬しなければならない。
「さあ、上がってくれ。前も来たと思うけど、今回もお姉ちゃんの部屋だ」
 先陣を切るように茜は階段を上がり始める。さっき、茜は雫のことをめんどくさい状態と言ってたが…、どんな風になってるんだ?というか、
「な、なあ茜」
「ん?どったん佑」
「そのー、雫にもプライベートな空間ってあるんじゃないのか?そこら辺って大丈夫なのか?」
「あぁ…」
 俺がそう尋ねると、茜は一拍置いて言った。
「まあ、"今の"お姉ちゃんなら多分大丈夫…」
 と、謎な苦笑いを浮かべて…。
「…とまあ、そこら辺はいいとして、はい、お姉ちゃんの部屋に着いたな。…ま、一応ノックはしとくか」
 茜は独り言のようにそう呟くと、コンコンと出来るだけ小さな音で雫の部屋のドアを叩いた。すると、中から聞こえる声が1つ。
「ひゃ~い」
「!?」
 その気の抜けた返事に、俺の眉が一気にしまった。え、これ中に誰がいるの?ここは雫の部屋のはずで、この家には茜と雫しかいなくて…、茜はここにいて…。
「あはは…。これが、僕が開口一番に言った"めんどくさい"の理由だよ…」
 理由の分かった苦笑いをしながら、茜はドアをゆっくりと開ける。すると、ベットで横になっている1人の少女の姿があった。
「え、えと。お姉ちゃん、佑が来たぞ」
「よ、ようー。雫」
「おぉーたすくぅー」
「…………」
 えっと、とりあえず状況を整理だ。今俺は、茜に家に上がらせてもらって、雫の部屋に案内された。だから今いるのは雫…。
「というか、あかね!なんで1人ぼっちにしたの!私寂しかったのよ~?」
「あ、うん…。ごめんお姉ちゃん…」
 明らかに俺の知る雫じゃない…。そりゃ、最近は少し丸くなった様子の雫を見ていたが、ここまでこう、なんて言うか…。無防備というか…、そんな状態の雫を見たのは初めてで、少し意外に見受けられた。
「ま、まあ…。見ての通り、お姉ちゃんは風邪を引くとなんかこう…、ゆるーくなっちゃうんだ。あえて言葉にするとしたら…、甘えん坊?」
 頭を軽くかきながら茜は俺にそう言った。な、なるほど…、これが茜がめんどくさいと言った理由か…。た、確かに…。面倒くさそうだ…。
「で、僕が佑を呼んだのは…。僕が部活から帰ってくるまでの間、お姉ちゃんの世話をしててほしいんだ」
「は、はぁ!?」
 時計を見ると、時刻はあと10分ほどで9時になろうとしていた。茜の部活は9時半ごろから始まるから…。確かにいい時間ではある。
「な、なんで俺が…」
「頼むよ、頼めるのは佑しかいないんだ。12時過ぎには帰ってくるから。僕は用意をちゃちゃっとしてあと5分したら出なきゃいけないし…」
 顔の前で手を合わせ、俺に懇願する茜。まあ、12時過ぎに帰ってくるなら俺とて部活に行くのは十分間に合うが…。だ、大丈夫なのか…?いろいろ不安だ…。
「ま、まあ…。じゃあいいよ…、そのかわり本当に部活終わったらすぐ帰ってこいよ?」
 雫のベットの横にドカッと腰を下ろして俺はそう言った。
「ありがとう佑!本当に助かるぞ!そういうところが僕は好き!」
「え?」
「え、ああえっといやいやさっきのは本当になんでもない本当にあはははは…」
 尋常じゃない動揺を見せる茜。胸を打つ、太鼓のリズムが速くなったように感じた。無自覚が1番恐ろしい…。
「と、とりあえず。僕は行ってくるから、な!お姉ちゃんをよろしく佑ー」
 茜はそう言うと雫の部屋を飛び出していった。さて、茜が行ってしまい、この部屋には俺と雫の2人だけだ。この空白の3時間をどう潰すか…。
「ねぇ、たすく」
「ん?」
 すると、不意に俺の名を呼んだ雫はゆっくりと身体を起こす。おいおい、冷えピタ剥がれかけてるぞ…。
「私、プリン食べたい」
「え?」
「プリン食べたい、プーリーンー!」
 自分にかかったタオルケットをバンバンしながら駄々をこねる雫。これ、甘えん坊と言うよりかは幼児化してる…?
「プ、プリンって言われてもな…」
「下の冷蔵庫にあるから、とってきてよ~」
 熱のこもった赤い顔で俺にそう訴えかける雫。まあでも、今のこいつは病人って立場だし、言うこと聞いてあげた方がいいか…。
「分かったよ。ちょっと待ってろ」
 ため息混じりに俺はそう言って、部屋を一時期後にした。階段を降りながら俺は考えることがあった。
「…?デジャヴ?」
 何かデジャヴ感がする。じゃあ何と…?それは分からないが、明らかに一度どこかで見たような、感じたような…。
「お、あった」
 人の家の冷蔵庫を漁ることに多少の抵抗をしながらも、俺はプリンを見つけた。プチッと落とすタイプだけど…、まあ大丈夫か。
「ほらよー、持ってきたぞ雫」
「おおー、ありがとうたすく!」
 俺の持ってきたプリンを見て屈託の笑顔を浮かべる雫。あれ、この笑顔。この笑顔は…。
「はい、プチッと落とすタイプだけど、そのままでも行けるだろ?スプーンも持ってきたから食べろよ」
 身体を起こした雫に俺はプリンとスプーンを差し出した。だが、雫はそれを受け取らず頬を膨らませて言う。
「えー。たすく食べさせてよー」
「え?」
「だーかーらー、私に食べさせてよープリンー」
 再び駄々をこねる雫。でも、プリンくらいは自分で食べられるだろ…。
「…自分で食えないのか?」
「食べられない!」
 プイッとそっぽを向きながら拗ねる(?)雫。なんなんだよこいつ…。こんなにわがままだったか…?
 でも39度の熱だし…。身体が思うように動かないのかもしれない。雫の身体状況は分かるはずもないからなぁ…。
「…今回だけだぞ」
 俺はそう呟くと、自分の右手に持っていたスプーンで左手のプリンを掬い、雫の前に持っていく。雫は餌に食い入る子犬のようにそのスプーンを咥えた。
「…ん、んー!甘ーいおいし!」
「…………っ」
 昨日茜にもしたことだが、やっぱり恥ずかしい。胸の奥の何かが熱くなっていくのが分かった。目の前の少女はプリンの甘さに悶えているのか、ニコニコと言う言葉が似合うほどの可愛らしい笑顔を浮かべていた。
「たすく、もう一口もう一口!」
「あ、ああ。ほらよ」
 なんか、赤ん坊の世話をしてるみたいだな…。こっちが恥ずかしくなってくる…。今の雫には恥じらいという概念がないのだろうか…?
「…ごちそうさま!」
「ほーい…」
 プリンを綺麗に平らげた雫は元気よくそう言い、ボフッとベットに寝転がった。
「じゃあとりあえずはゆっくりしてろよ…」
 ため息混じりに俺はそう言った。
「ねぇねぇ、たすくってさ。好きな人いるのー?」
「は、はぁ?」
 ベットで横になりながらこちらに身体を向けてそう尋ねてくる雫。と、突然なんなんだ…。
「だからー、好きな人だよ好きな人ー!」
「好きな人って言うのは…。恋愛的に、異性として好き、みたいな感じの好きな人か?」 
「うんうん!そーゆーことー。いないの?たすく」
 いつもは聞かない少し甘い声で聞いてくる雫。
「いるもいないも…。俺はその好きな人の感覚が分からないんだ。恋の意味を知らなくて…」
「ふーん。たすくは恋、知らないんだ?…私が教えてあげよっか?」
 すると、そんな雫はベッドからスッと手を出して、ニッとニヤけながらそう言った。俺は思わず顔をそらす。
 なんだあれ、なんだあれなんだあれ。絶対にいつもの雫じゃ言わないであろうセリフ。そのこともあってか、言葉にできない気持ちが俺を襲う。
「…い、いいよ。そんなに言うなら雫はいるのかよ…」
「…私?……ふふっ、いるよ?」
「えっ」
 頬に人差し指をくっつけながら俺にそうゆっくりと告げた雫。え、雫…、いるのか!?
「うん…。いるよ、私。好きな人」
「マジか…」
 とろんとした瞳で俺をじっと直視する雫。吸い込まれそうになるその目に俺はそんな言葉を返した。
 …というか、少し冷静になってみろ。今のこの風邪を引いた雫というのは、甘えん坊というか、俺は幼児化したかのようにずっと感じていた。まるで、小学生くらいの子をあやしているような…。小学生、そう、小学生なのだ。目の前にいる雫は…。思い出せ、つい最近にもそんな姿のこいつに会った覚えが…。
「ふふん、誰か気になる?」
「…別に」
「うそつけ!気になってるでしょ?まあ、あれは少しだけ昔の、約2週間だけしか喋っていない子なんだけどね…。たすくはきっと知らないよ」
「約2週間だけの、子…。今の雫は小学生…」
 刹那、頭の中でさざなみの音が流れた。砂浜に波が打ち上げられている音が周期的に繰り返される。そうだ、これは…。あの夢の内容、状況だ。でもなんで今?…え、ちょっと待て、まさか、あの時の女の子って…?
「……えっ?」
 気がつくと、雫の人差し指が目の前にあった。すると、雫はその人差し指で俺のおでこをツンツン、として、
「たすくかと思った?にひひっ、ざーんねん!」
 風邪のせいか、もしくは照れてるせいか分からないが、桃色の頬でそうからかってきた。その瞬間、夢の中で見た少女の笑顔と、目の前にある雫の笑顔がフッと合致した。あ、ああぁ…、この表情は…。
「あの子は…。雫、雫だ…」
 今やっと思い出した。あの夢の子は雫。そして俺の過去にいた、あの子は今よりももう少し小さい、彼女だったんだ。そうだ、海辺で俺たちは喋った。それは約5年前…。でもなんで、なんで。今頃、そんな夢を見出したのだろうか。佐伯姉妹と関わり出したからなのだろうか…?
「…たすく?どーしたの?」
「あ、ああいや。な、なんでもない…」
 思わぬ夢の正体に動揺している状態の俺に、雫は差し出した手をゆっくりと引きながらそう尋ねた。いけないいけない、感動している場合ではないのだ。今はちゃんと雫の看病をしないと…。
 ほんの一瞬だけ、その2週間会った子が俺だと思ったが、今雫が話しているその子と言うのはきっと、また違う場所で出会った子だろう。雫自身も俺だはないと言ってるしな…。でも、記憶の中のものが掘り起こされた感じがして、俺自身といてはかなりスッキリしていた。雫の好きな人とはまた異なるが、あの時の少女は完全に雫だ。俺たちは実際に過去に会っていたのだ。
「…でも、たすくにもその子と会わせてあげたいな!優しい子だしね!」
 今喋っているのはきっと、小学生の時の記憶にある雫なんだろう。口調も随分と幼く感じる。でも、俺の名前は知ってるんだよな。まあ、風邪を引いてると言っても、完全に過去の記憶になるわけじゃないか。
「そ、そうか…。そうだな」
 俺はそう雫に言ったのち、不意に尿意を感じた。いろいろなことを考えていたため、アドレナリンが分泌しまくっていたのかな…。
「ご、ごめん雫。俺、ちょっとトイレ行ってくる」
 俺は雫にそう告げ、その場をたって、歩こうと──。
「え?」
 俺の足は動かなかった。誰かが、俺の手をぎゅっと握って離さなかった。その存在を俺は知っていた。突然すぎて唖然としながら俺はゆっくりと首を動かす。その先にいる少女は、目を潤せながら懇願のように言う。

「…行かないで」

「………っ」
「お願い、1人にしないで。さっきたすくがプリン取りに行った時も実は寂しくて寂しくて仕方なかった…。だから、私を、孤独にしないで…」
 そんな目で見られてしまったらもう承諾する以外の選択肢がなくなってしまうじゃないか…。
「…分かったよ」
 ため息混じりに俺はそう言うと、上げた腰を再び下ろした。正直に言おう、今の俺は信じられないほど心臓が跳ねている。それはもう、本来の動き方を忘れたくらいに。口から出てきそうだ…。そんな俺に雫は口元を緩ませ、風邪の状態とは思えない声で嬉しそうに言った。
「……ふふっ、ありがとっ。たすく!」



 それから俺は雫と駄弁った。それはいつも通りに感じる会話で、楽しさをも感じさせるような話だった。やがて、茜が部活から帰ってきたことに気づいた俺は、時計の時間を見て、目を見開く。
「うおっ、マジか。もうこんな時間か…」
「そうだぞー?僕が帰る時間伝えておいただろ?」
「すまんすまん…。じゃあ俺は帰るな」
 何気に膀胱もやばいしな…。
「うん、本当にありがとな、佑」
「ああ」
 茜に俺はそう返して、腰を上げ、踵を返そうとした背中に1つの言葉が飛んできた。
「ばいばーい、たすく!今日は本当にありがと!」
「お、おう。じゃあな、お大事に、雫」
 やっぱり慣れないな。そう心の中で軽く愚痴りながら俺は、いろいろ考えるのことのあった3時間を過ごした雫の部屋を後にするのだった。その後の部活で、俺がいつもより謎にミスが続いたのはまた別のお話である──。
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