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43. 修復

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「うおー、週末の部活きちー」
「まあまあ、明日はオフなんだから頑張ろうぜ?佐野」
 隣のやつ、須山は、卓球ラケットで風を仰ぐというかなり非効率なことをしながら俺にそう言った。
「なんか気のせいならごめんなんだが…。須山最近元気じゃないか?何かあったのか?」
 妙に笑顔が多く見える須山に、俺はそう尋ねた。まあ、その理由は俺は知っている。それは、最近のここ2週間、茜と須山の距離がまた回復してきてるってとこなんだろうな。
「んーいや?別に何も?」
 わざとらしく須山は惚ける。この分かりやすさ、なんとかならないのか、と俺は心の中でツッコんだ。
 佐伯姉妹と星本姉妹の過去を茜から聞いて、今日まで約2週間。須山は茜に話しかけることが増え、茜からの会話も無視することなく楽しそうな笑顔で接していた。野活で一度崩れた2人の関係は徐々に回復していってるようだ。
 だからこそ、その花火大会に誘ったのだろうか。そこで須山はどのような行動を起こすのか、気になっていた。
「まあ、それは後々に須山に聞きゃーいいか。さぁ、部活するかねぇ」
 俺はボソッとそう呟き、須山とともにコートへと移動するのだった。
 約2週間前に聞いた茜の過去。そこで俺は、彼女たち自身の関係について、つっかかるところがあった。      
 それは、関係が途絶えてしまった後、先輩と佐伯姉妹はきっと、連絡を取れていないということだ。茜は俺の家に来てくれた時に言ってた。以前は雫には茜のような笑顔が多い女の子だったと。その笑顔を見せる機会が減ったのは多分、結衣さんの死が関わっているのだろう。そして、雨が降る公園で彼女は言った。前の雫の方が自分的には好きだと。佑なら、それが可能なんだと。本当に俺に可能なのだろうか…?
 そこでだ。雨が上がった後、彼女と下校しながら俺は思ったのだ。本当にこのまま、野放しでいいのか。俺は、きちんと星本先輩と佐伯姉妹の再会の場を作って、以前のように喋る関係になってほしいと勝手に思ってるのだが…。
「はーい、始めるよ」
 頭に響くそんな声で、俺はハッと我に返る。そこには、ヘアバンドをしながら呼びかける星本先輩の姿があった。…先輩と茜、雫の関係、過去も分かったことだし…。ここは俺が動いてみてもいいんじゃないかな。いつも世話になってる分、恩返しがしたいな。
「おし、佐野。始めようぜ」
「あぁ…。悪い、ちょっとだけ待っててくれないか須山」
 俺は対面に立つ須山にそう言うと、自然と足はある人の元へと動いていた。今までは忙しそうだから無理だ、とか。やっぱりやめておこう、とか…。さまざまな言い訳まがいなことで避けてきたが、おそらく彼女たちに恩返しをしたいという気持ちが強く芽生えて、今の俺の行動になっているんだろう。
 そんなことを考えながら、俺はその人の前で足を止めた。
「あの…。すいません、先輩」
「…ん?あ、佐野くん。どーしたの?」
 いつも部員みんなに見せているような笑顔で俺にそう尋ねる先輩。俺は一度拳を強く握って、先輩に告げた。
「ほ、放課後…。時間ありますかね…?ちょっと、話したいことがあって…」
「え?」
「あ、ああいや。その、先輩3年生ですし、受験生だし、忙しかったら断ってもらっても全然構わないんですけど…」
 不思議そうに首を傾げる先輩を前に言葉が詰まってしまう。だめだ、やっぱり生粋のコミュ症は辛いよ…。
「ふふっ、佐野くんからそんなこと言うんだ?」
「え?」
 すると、先輩は途端に顔を崩し、右手でお腹を抱えながら笑った。え、俺なんか変なこと言いました…?
「いいよ、放課後だね。佐野くんの転校初日とは逆のシチュエーション…。私は嫌いじゃないよ!じゃ放課後、ここに残っててね!」
 飛び交うピンポン玉の音のおかげで、どうやら俺たちのその会話は誰にも聞かれてはいなかったようだ。何か勘違いされても嫌だしな…。
 まあでも勇気を出してよかったな。後悔してる自分がいないことに気づいた俺はラケットでピンポンリフティングをしてる須山の元へと足を早めるのだった。今日の部活は早く終わりそうだ──。



「ん?なんだ佐野。お前残るのか?」
「うん、ちょっと用事があって」
「自主練か?偉いなぁ。ま、俺は帰るから。戸締まりよろしくな!」
「うん、じゃあな須山」
 あれ、この会話いつかした覚えが?と心中思いながら俺は卓球状を後にする須山を見送った。そして、卓球場は静まり返る。6時半だというのに未だ明るい日が差す、この場に俺は1人取り残された。
「……はい、行きましたよ」
「いやー、暑い暑い。この中は死ぬほど暑い…」
 俺の声とともに奥のドアから先輩がそう愚痴りながら出てくる。暑いならずっとここにいればよかったのに…。
「なんか、前俺が先輩に呼び出された時もそこにいませんでした?別に普通にここにいればいいのに…」
「い、いいんだよ。変に思われるでしょ?」
 髪を保つヘアバンドを外しながら、先輩は俺にそう言う。今見てみると、本当に大事そうにそのヘアバンドを扱ってるな…。
「…まあ、前と似たような状況だけど、1つ違うところがあるよねぇ」
 すると先輩はこっちに歩み寄りながらそう話し始める。
「それは、君が私を呼び出したことだ」
「まあはい、そうですね…」
 今回呼び出したのは俺の方なのに、まるで自分が再び呼び出したみたいに振る舞う先輩。彼女のポテンシャルを見習いたいものだ…。
「で、何…?私と話したいことって」
「…はい。前、先輩俺に茜の存在を知ってるか尋ねましたよね?」
「そうだね。結果的に付き合ってるかどうか聞いて、君がはぐらかしたんだっけ。あ、今日はもしかして付き合いました報告!?おめでとう!」
「違いますよ!勝手に1人で話作らないでください!」
 勘違いして拍手する先輩に、俺は苦笑いをしながらツッコむ。
「じゃあなーに?」
「…約2週間前、俺は茜に先輩と雫、そして先輩の妹である結衣さんのことについて、いわばあなたたちの過去について、おおよそ全部聞きました」
 すると、先輩の眉が少し動いた。
「うんうん…。茜ちゃんがそんな話を…」
「…で、聞くところによると…。結衣さんが亡くなってから、あいつらと先輩は口を聞いてない、とか…」
 俺は多少申し訳なさげに先輩にそう話すと、先輩はうーんと少し難しい顔をして言う。
「そうなんだよね…。茜ちゃんと雫ちゃんの過去を聞いたってことは、あの子たちの両親が亡くなってるのも知ってるってことだよね?」
「…はい」
「そこから、私たちは茜ちゃんたちに関わるようになって、そこで妹である結衣を失ってしまった…。そうだね、話さなくなっちゃったのはその時からだね」
 手を後ろに回して下を向きながらどこか寂しそうにそう言う先輩。
「…1つ、気になることというか、聞いておきたいことがあるんですけど…」
「…うん。どーしたの?」
 俺は一呼吸置いて尋ねた。
「茜の話から聞くに、結衣さんが車に轢かれちゃったのは雫が転んでしまったからって聞いたんですけど…。先輩はその、雫を恨んだりとか、そういう気持ちがあったから喋らなくなったってことですかね…?」
「……うーん。どっちかと言うと逆かな」
「逆?」
「うん、確かに結衣は雫ちゃんを庇って死んじゃったけど、私は決して雫ちゃんが悪いとか、彼女のせいで家族を失ったとかは思ってない。悪いのはあそこに車が来たり、雨が強くなっていたり…。そういう運命の方だったんだよ…」
 今度は対照的に窓から差し込むオレンジ色を見る先輩。まるで、天国にいる結衣さんに話しかけるように…。
「だからそんな彼女を慰めるって意味合いでも結衣が天国に行ってもなお、茜ちゃんと雫ちゃんと関わろうとしてたんだけど…。急に音沙汰が無くなっちゃって…、やっぱり結衣のことで気負ってるのかなって気になってたんだ」
「そうなんですか…」
「実はね」
 すると先輩は、俺との距離をさらに縮ませ、俺の顔を少し見上げながら言う。
「前、佐野くんと初対面だった時、私君を呼び出したでしょ?あの時は、茜ちゃんと付き合ってるかってそんなことを聞いたけど、本当は茜ちゃんと雫ちゃんに早くもう一度会いたいなって事で佐野くんに頼もうとしたんだ」
「えっ」
 俺が驚くまもなく、先輩は話を続ける。
「でもあの時は…。佐野くんは私たちについて何も知らない状態だったから。急に色々話されても混乱するだけだったと思うんだ。だからごまかすためにあんなことを言ったんだけど…。バレてた?あはは…」
「…まあ、それを聞くためだけに呼び出したわけじゃなくて、他に聞きたいことがあったのかなーとは少し思いましたかね」
 先輩の笑顔に釣られるかのように俺の口元も緩んだ。それで、と俺は続けて言う。
「先輩に頼みたいことがあるんです。まあ、俺のこの頼みたいことって言うのは、前の先輩が俺に頼もうとしてたことと同じことなんですけど…」
「あれ?ふふっ、そうだったの?なーんだ、てっきり」
 先輩はどこかあいつに似た、にやけた顔をして、俺との距離をまたさらに詰める。そして、口に手を添え、耳元で囁いた。
「私に告るのかと思ったけどね…」
「ばっ…!」
 刹那、俺は瞬間的に先輩から距離をとり、
「バカなこと言わないでくださいよ!告るには出会ってからまだ2ヶ月ちょいしか経ってないし、まずそもそもとしてそういう…!」
「はははっ、冗談だって!何本気にしてるの佐野くん!面白いなぁ!私こういう演技ものはちょっと得意だからつい…、あはは!」
 今度は両手でお腹を押さえながら笑う先輩。俺、からかわれてたのか…。さすが須山曰く、女王の存在だぜ…。あれ、これいつ言ってたっけ?
「もう、からかわないでください…。そんなにからかうなら頼みませんよ?」
「ごめんごめん、私が悪かったよー」
 全く反省していないような表情でそう言う先輩。ヘラーっとした先輩のこんな表情は初めて見た…。
「とりあえず、じゃあ頼まれてくれますか?」
「うん!当たり前だよ。なんにしても、私がもともと君に頼もうとしてたことだし、私自身もそうしたかったしね!」
「ありがとうございます!いつかの休みとかに都合合わせられたらいいんですが…。あーでも、先輩忙しいですよね、今日帰ってから茜や雫に空いてる日聞いてみるので、明日のオフが明けてから、その次の日の部活に先輩に言いに行きます」
 俺が事を説明しながら先輩にそう言うと、先輩は少しめんどくさそうな顔をして、
「んー、それちょっと回りくどくない?今スマホ持ってる?連絡先交換しとこうよ」
「え?まあ…、はい」
 先輩の突然なその発言に驚きつつも、俺は自分のスマホを取りに行った。帰ってくると、先輩はすでにスマホを手にし、待っていた。
「はい、じゃあこれが私の連絡先ねー」
「は、はい。ありがとうございます…」
 こ、これがさりげなく男子を誘う高等テク…!このテクニックでおそらく沢山の男子を落とし、沢山の男子の連絡先を手に入れてきたんだろうな。俺なんて異性の連絡先は茜と雫しか持ってないと言うのに…。てことは、須山も交換したのかな?はて、分からぬ。
「とりあえず、私も早くあの子たちと話がしたいから、出来るだけ早く予定が合うといいね!」
「そうですね、茜たちにも伝えておこうかな?」
「…いや、」
 すると先輩は、そこで抑止をかけた。
「このことはあの2人には秘密にしておこう。当日サプライズみたいな感じで!」
「…うーんでも、あいつらが笑顔になるとは限りませんよ?」
「どうして?」
「だって、あいつら、特に雫は重すぎる責任を先輩の家族に対して感じてるわけであって…。急に出てきて、サプライズだったら逆に遠慮して最悪泣いちゃうかなって思います…」
 雫の言動、顔を思い浮かべながら俺はそう言う。
「なるほど…。じゃあ伝えてからの方がよさそうだね、じゃあその方面は佐野くん、君に任せるよ」
「はい、分かりました」
 俺はスマホの電源を落とし、ポケットにしまう。
「じゃあ、今日は忙しいところ本当にありがとうございました!色々確かめたいこととか、話したいこととかしっかり話せてよかったです。俺はもう支度して帰るので、先輩鍵閉め任せてもいいですかね…?」
「君は先輩、かつ部長の私にそんな事をさせるのかい…?」
「あー嘘嘘!冗談です、やっておきます…」
「ふふっ、冗談だよ。さっき言ったでしょ?演技得意って。まあこの場合は嘘になるのかな…」
 優しい笑顔を浮かべながら先輩は俺にそう言うと、入り口のフックにかかっていた鍵を取ると、
「じゃあ、戸締まりしておくね」
「はい、本当にありがとうございます…。では、失礼します!」
 俺はそう言うと、先輩のいる卓球状を後にした。いやー、本当に勇気を出してよかった。でも先輩も同じような事を俺に尋ねようとしてたなんて少しびっくりだったな。まあ確かにあの時に全部を喋られると、何が何だかよく分かってなかったかもしれないな…。
 俺は少しだけ暮れかかった夕焼けを見て、そんなことをふと考えながら、駐輪場へと足を運ぶのだった。



「さ、私も帰るか」
 誰もいなくなった卓球場で私は1人、ポツリとそう呟いた。
「…演技、嘘が得意、か。何言ってんだろ、私」
 佐野くんに言ったことを反芻して、私は軽く笑う。
「連絡先…。思わず聞いちゃったけど…。今まで私にそう言うの聞いた男子ってこんな気持ちだったんだな…。初めて自分から誘ったけど、自分から誘うのって勇気がいるものだ…」
 今になって、自分のあの行動を少しおかしく思った。
「告る、冗談、ねぇ…。ふふっ、分かんないや」
 自分でも言葉の整理がつかなくなった私は再び込み上げてくる小さな笑いと共に、帰り支度を始めた。そして、
「よし、帰りますか。…ま、それにしても」
 一呼吸置いて私は、
「佐野くん、か。ちょっと今日の出来事も踏まえ、印象に残る子だったな。明後日からの部活、楽しめる理由が増えてよかった。今度はいつ、そうなるかも分かんないし──」
 そんな誰にも聞こえない、小さな独り言を言いながら、私は卓球場のドアを閉めるのだった。外は綺麗な、オレンジ色で染まる世界に包まれている最中だった──。
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