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1巻

1-3

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「何者だ」

 胸がぎゅっとちぢむような恐ろしい声が掛けられた。声の調子から、男だとわかる。男は、私の両手首をうしろ手にひとまとめにし、逃げないようがっしりと捕まえる。そして、乱暴な手つきで私の身を起こした。
 その拍子ひょうしに、ズキンと腰のあたりに痛みが走った。こんな怪我けがをするのは久し振りで痛くて涙が出そうになるけど、そんな弱い姿を見せたくない。自尊心を必死にかき集めて背筋を伸ばし、男に視線を合わせる。
 ぐ、と目に力を込めてにらみ返そうと思ったのに……あれ?
 目の前にいる精悍せいかんな顔つきの男は、まさかとでも言うように目を見開いていた。
 思っていたのと反応が違うなと思いつつ、こちらも男の姿を観察する。
 年齢は、私より五歳ほど年上に思える。ル・ボランより南に位置するリグロ王国の人々は、私たちより若干じゃっかん肌の色が濃い。目の前の人物も、そのような肌の色をしている。瞳はんだ群青色ぐんじょういろで、じっと見ていたら吸い込まれてしまいそうだ。彼はなにかに動揺しているらしく、一瞬ではあるが瞳が揺らめいた。
 亜麻色あまいろの短い髪を、おでこの真ん中で左右二つに分け、横は無造作にうしろに流している。
 衛兵にしてはやたらに身なりがよく、しかし貴族にしては体が締まっているし、いったい何者だろうか。さっき私はこの男から何者だと問われたけれど、私のほうこそ聞いてみたい。
 でもこの人……なんとなく、だけど……悪い人ではなさそうだわ。
 モングリート侯爵と対峙たいじした時のような嫌悪感はない。

「今……モングリート侯爵に追われています」

 いちばちか端的に伝えると、男は「そうか」と短く答えるなり、私をすっぽりふところへと包み込んだ。

「え、ちょっと待って、どういうこ――ぎゃっ!」
「いいから黙っておけ」

 ぎゅっと体を男の胸に押し付けられてしまったうえ、もがいて背中にまわされた手にがっちりと抱え込まれて動けなくなる。
 ――とその時、混乱する私の背後から、複数人の足音が聞こえた。

「失礼します! このあたりで不審ふしんな人物を見かけませんでしたか?」

 不審ふしんな人物と聞いて、無意識にビクリと肩が揺れる。やはり私を追ってきた人々だった。

「ここにはいない。よそを探せ」

 男は私を抱きしめたまま、そう答える。緊張から身を硬くしていたところに、彼があまりにもあっさり私をかくまう嘘を吐いたことに驚いた。
 衛兵に突き出されないのは、ありがたいけれど……
 男の意図が読めない。私は大きな失敗をしたのではないかと後悔した。モングリート侯爵より、よっぽど悪い人物に捕らえられてしまったのかもしれない。
 でも、やけにこの温もりが気持ちいいのだ。
 男の体温と匂いがじんわりと緊張を緩め、そして頼っても大丈夫だという心強さを感じていた。
 すると職務に忠実な衛兵は、躊躇ためらいながらもさらに突っ込んだ質問をする。

「あの、そちらの方は……?」

 しかし、男は動じることなく応じた。

野暮やぼなことを聞くな」
「は……はっ! 失礼いたしました!」
「侵入者が見つかった経緯をまとめたら、あとで報告するように」
「かしこまりました、殿下」

 ――でんか? ………………えっ?
 私の思考が停止している間に、衛兵はその場を立ち去ってしまう。この場には私と男が残った。

「さて」

 すっと、冷たい空気が入り込み、いつの間にか温もりに慣れた体がぞくりとふるえる。

「事情を聞かせてもらおうか。……と、その前に」

 私の頬に手を当て、親指でそっとでられる。頬をすっぽりおおう大きなてのひらと、そのゴツゴツとした男の指の感触に、心臓がどきりとした。

「すまん、傷付けた。先に治療をするとしよう」

 傷、と言われてようやく自分のこめかみあたりがズキンと痛むのに気付く。
 やだ、怪我けがをしていたの? 
 捕らえられた時の腰の痛みに気を取られて、ほかに怪我けがをしているなど気付きもしなかった。とっさに触ろうと手を上げたら、「待て、傷口に触れるな」と手をつかまれた。捕らえられた時とは違い、力加減がやけに優しい。
 男は私の外套がいとうを綺麗に整え、フードを目深まぶかかぶせた。

「俺と一緒なら追っ手に捕まることはない。ついてこい」

 そう言うなり、男は歩き出した。
 ……今のうちに逃げるという手もあるわよね。でもこの人相手に、無事逃げ切れるとは思えない。
 さっき捕まった時の、あの速度と力には到底かなわないだろうから、素直に従ったほうがよさそうだ。
 せめて置いていかれないよう、急ぎ足で男の背中を追った。
 でんか……といったら、やはり殿下よね……
 男の大きな背中を、歩きながらじっくりとながめる。かっちりした服は軍服のようだけど、生地は明らかに一級品で、細部に至るまで、った刺繍ししゅうが入っている。
 茂みで抱き寄せられた時、がっしりとした筋肉の感触に、この男は騎士だろうかと見当を付けていた。身のこなしからして、かなり上役の者だと。
 でも、でも、まさか――殿下って呼ばれるということは――まさか。
 中庭から回廊をぐるりとまわり、渡り廊下をずんずんと突き進む。男は城の中央部を、誰にもとがめられずに歩いていく。しかも、すれ違う衛兵や侍女は腰を折って廊下の端に寄るなど、うやうやしい態度だ。
 私はいよいよ確信を持つ。リグロ王国には王子が一人しかいなかったはずだし、やっぱりこの人は……

「着いたぞ、入れ」

 ようやく目的の場所に辿たどり着いたらしく、男は扉を開けて中に入るよううながした。

「――殿下」

 私は立ち止まって言う。反応をうかがうと、彼はなんでもないような顔で「なんだ」と返した。
 本当に、殿下……この国の、王子だったのね……
 一時は危機的状況におちいったが、運よくお目当ての人物に出会えたまではよかった。しかし、私室らしき場所に連れてこられてしまい、思った以上の接近に私は不安を隠せないでいる。
 まさか、これからろうに連れていかれて拷問ごうもんとか……!
 あんまりいい想像ができないし、考えるのはやめよう。
 考えていたことが表情に出ていたのか、男は口をへの字に曲げた。

「どうした、早く中に入れ。……お前が考えているようなことはしないぞ?」
「え、でも……」
「あ、向こうから追っ手が――」
「きゃっ! はははは入りますっ!」

 思わず部屋の中へ飛び込んだ。すると、背後で扉が閉まる音と、鍵がかかる音がした。
 も、もしかして私ってば、自分から危険な状態作り出してない?
 自分の阿呆あほさ加減に絶望する。この男だって親切に見せかけて、なにをするつもりかわからないのに。
 ここは、平和でのどかなル・ボラン大公国ではない。潜入してからの期間で、身をもって知ったはずなのに。
 ――私はこれから、どうなってしまうの?
 国が恋しい……ひと目、ひと目でいいから、もう一度家族に会いたかったな……
 鼻の奥がつんとする。でも、泣いちゃダメだ。弱みを見せちゃ、ダメだ。

「おい、そんなところに突っ立ってないでこっちに来い」

 悪い想像しかできず、歯を食いしばって涙をこらえる私に、のんきな声で男が言った。どうやら傷薬などを用意してくれたらしい。
 ……治療と言いつつ、毒を塗られたりして。……いや、まさかね?
 不安を抱えつつ、じりじりと男の傍に歩み寄ると、手を引かれてソファに座るよううながされる。さすが王子の私室というだけあって、このソファを一脚売ればしばらく遊んで暮らせそうなほどの豪華さだ。座って汚してしまわないかと変な心配をしつつ、ゆっくり腰を下ろす。

「痛っ!」

 お尻が付いた途端、まるでごつごつとした岩場で尻餅をついたかのような痛みが走った。思わずぴょんと立ち上がり、悲鳴ひめいを上げる。

「どうした、どこが痛むんだ」
「ええっと……腰のあたりが……」

 正確にはお尻のあたりだ。こめかみの傷と同じく中庭で捕らえられた時に痛めたらしい。でもそんなこと言える訳ないじゃない! 初対面の、しかもこの国の王子様相手に「お尻が痛いです」なんて恥ずかしいことを!

「腰?」
「あ、いえ、大丈夫です。その、なんともないですから」
「平気だったらあんな声出さないだろう」
「……いえ、ほら、殿下のお部屋のソファに座るだなんておこがましいですよね、すみませんっ! 立ったままか床に座りますから、どうぞお気遣いなく!」

 逃げることに夢中で、ずっと興奮状態だった私は、痛みに対して鈍感になっていたらしい。ふと気を抜くと、お尻はもちろん、気付かなかった全身のあちこちが悲鳴ひめいを上げた。

「どこが痛むんだ。見せてみろ」
「やっ、あの、ほんとに、大丈夫ですからっ!」
怪我けがさせたのは俺だ。だから責任を取ると言っている」
「殿下!」

 たまらず制止の声を上げると、彼はムッとした。気を悪くさせてしまった、と背筋が凍る。
 しかし彼は、私の想像とはまったく違うことを言い出した。

「ウィベルと呼んでくれ」
「……へっ?」

 いきなり名前呼びを強要してきた。どうやら私の呼び方が気に入らなかっただけらしい。

「と、とんでもありません! 名前などおそれ多くて……」
「なにを言うか。身分なら似たようなもんだ」
「え……」
「そうだろう? エリクセラ。それともお前は偽者か?」

 心臓に、石をぶつけられたような衝撃を受けた。
 なにを……なにを言っているのかわからない。なんで、私の名前を知っているの?

「ル・ボラン大公国のエリクセラ姫。どうしてここにいるのか、聞かせてもらおうか」

 この国に来た目的は、父様から預かった書簡を王子に渡すことだったが、こんな形で出会いたくなかった。尋問されるような状況ではなく、もっときちんと準備を整えて、我が国の窮状きゅうじょうを訴えたかったのに……。これでは怪しさ満点で、叶うものも叶わなくなってしまうのではないだろうか。

「う……。わ、私は、その……」

 じり、と一歩あとずさる。どうする――どうする?
 そこで私は覚悟を決めた。今からでも、とにかく誠心誠意話をしよう。腹をえ、靴底の奥に隠しておいた父様からのふみを取り出す。

「なんだ」

 突然靴を脱いだ私を不審ふしんに思ってか、王子は私が持つそれを怪しげに見る。

「私の父……ル・ボラン大公国君主からリグロ王国のウィベルダッド王子ての書状を届けにまいりました!」

 ル・ボランはリグロとは比べものにならないくらい小さな国だ。使節団を受け入れ、物流のやり取りはあるけれど、その程度しかない。そんな小国の者が突然現れて、王様か王子様に書状を手渡したいです――と言ったところで、こころよく招き入れてはもらえないだろう。
 そこで考え付いたのが、商人として城内に入り込み、隙をついて王子と接触するという方法だ。まさかこうなるとは思ってもみなかったけれど。
 王子は「手紙?」と首をひねりながら受け取ると、封蝋ふうろうを開き、中にしたためられた文字を追う。
 私が王子の様子を静かにうかがっていると、視線が手紙の下方に進むほど、みるみる表情が険しくなっていった。
 そして読み終えたあと、細く、長い溜息を吐く。

「……そういうことか」

 静寂せいじゃくを破り、ようやくそうらした。
 ウィベルダッド王子は、今読んだばかりの手紙を、壊れ物を扱うように丁寧に折りたたみ、ふところに差し入れる。

「ル・ボラン大公国の現状は把握はあくできた。この件については、リグロ王国王太子の名において了承しよう」

 覇気はきのある声で、王子ははっきりと宣言する。リグロを背負って立つ責任感が、その瞳の奥からあふれて見えた。それを見て、私は無意識にごくりと唾を呑み込み、背中をまっすぐに伸ばす。
 この人なら大丈夫だ――

「だから安心しろ。俺に任せておけ」

 ウィベルダッド王子は覇王はおうであると改めて尊敬の念を抱いたが、ちょっと待てよ。さすがに互いの距離が近すぎるのでは? おののきあとずさると、王子は同じ歩幅の分踏み込み、私の膝裏ひざうらを片手ですくって抱き上げる。

「ひゃっ! な、なにをするんですか!」
「傷の具合を見て、処置する。……その、怪我けがをさせて悪かったな」

 悪かった、と言った……?
 一国の、しかも大国の王子が、姫……とはいえ辺鄙へんぴで小さな国の小娘に謝罪するなんて。
 王子は私の重みなど少しも感じていない様子で部屋の奥へと進んでいく。そのまま部屋の先にある扉を目指しているようだ。
 私を抱えたまま器用に扉を開け、長い足でずんずん進み――
 ばふっ、と真綿のようにやわらかな感触が私を包み込む。

「ひぇっ……! 殿下、あのっ! 待ってください!」

 連れてこられたのは、まさかのベッドだった。
 誘惑下着売りという立場上、この国に来てからいろんな寝室に通されたけれど、それと今とは状況が違う。だってここ……王太子殿下の寝室だもの!
 うつぶせに寝かされ、外套がいとうを脱がされ、次に腰布に手が掛けられた。

「なにをするんですか!」

 次いで王子は、じたばたとあばれまわる私の足の上にまたがり動きを封じる。それから手早く私の腰に巻かれた布をはぎ取っていく。

怪我けがの具合を確かめる。大人しくしていろ」
怪我けがなんてしていません!」

 抗議しても一向に手を止めてくれない。しかし、布を取った瞬間、彼はぴたりと動きを止めた。

「……これは」

 抑揚よくようのない声でつぶやかれた意味がわからず、無理矢理首をうしろにひねって自分の腰あたりを見る。すると、そこには誘惑下着が……!
 一般的な下着は、腰まわりからひざまですっぽりおおっているけど、今、私が身に着けているのは、大事なところだけがぎりぎり隠れる、思いっきり布の面積が小さいものだ。お尻の割れ目だけを隠すように細い紐状の布があるのと、秘部を申し訳程度に隠す小さな布があるのみの……つまり下着は着けているけれど、お尻が丸出し状態なのだ。

「まさか、本当は体を売りに来ていたのか?」
「ち、ち、違います!! これは、あの――」
「それとも、ル・ボラン大公国はこういう下着の文化なのか」
「やっ、見ないでください……っ!」

 必死に願うけれど、王子は私の尾骶骨びていこつあたりにてのひらを当てた。

「ひゃっ!」

 ただ触られただけ。なのに、びくんと背筋が伸び、なにかわからないぞくぞくとしたふるえが込み上げてきた。

「ここが赤くこすれて傷になっている。二、三日は痛みが続くかもしれんな」

 つ、と指の腹で怪我けがの箇所を丸くなぞられる。すると、「は、っ……」と、なぜか熱っぽい溜息が出てしまう。なんだろうこの感じは……怖い……怖い――けど。
 得体のしれない熱に襲われ、すがるようにシーツを手繰たぐり寄せる。
 彼は、どういうつもりでこんなことをするのかな。大国の王子であり、これだけ顔が整っているのだから、女には困っていないだろう。だから私の体目当てなわけがないのに。

「手を……どかして、ください」
「いや、治療をするから、まあ待て」
「放っておけば治りま――ん、あっ!」

 傷口にき棒を当てられたような衝撃。こらえ切れずに上げたのは、今まで出したことのないような甘ったるい声だった。

「やっ……ん、ん……なに、を……!」
「消毒。染みるか?」

 王子は、かすり傷ができたところをめている。傷口が染みるというよりも、舌の感触がどうにも落ち着かなくて困る。彼の舌が肌の上をすべるたび、その部分が熱くなる。そして直後に唾液で濡れたところがスッと冷たくなり、その温度の落差に体の奥がじんじんとしてきた。
 王子は、ちろちろとくすぐるように小刻みにめたり、舌全体を使ってぺろんとしたりしてくる。
 その妙な刺激に耐えられず、私は声を上げ、体をビクビクと震わせる。だんだん頭が、ぼうっとしてきた。

「……ん。このくらいにしておこうか」

 仕上げとばかりに、ちゅ、とやわらかいものが肌に押し付けられた。
 私は熱っぽい呼吸を繰り返しつつも、平静を取り戻そうと必死になる。けれど、この訳のわからない気持ちの高ぶりはまったく収まってくれない。
 くったりとベッドに身を預けていたら、やわらかな掛布団を掛けられた。やたらと肌触りのいい布地と優しい重みが私を温かく包んで……これは……気持ちよすぎる……
 父様から預かってきた書状をウィベルダッド王子に渡すという役目を果たした安心感からか、疲れが押し寄せる。そうして、あらがい切れない誘惑が、私を夢の世界へといざなう。
 ――いやいや、いくらなんでもここで眠るなんて私、神経太すぎよね? でも、なんだか……いい匂いがするし、温かいし、ねむ……

「眠いなら寝ておけ。ここには誰も来ない、安心しろ」

 度重なる緊張が、ゆるゆるとほどけていく。眠気に抵抗できず、私はゆっくりとまぶたを閉じた。


   * * *


 ぎしっと音がして、寝台が沈む。
 水底に沈んだような思考が、泡となって浮上する。

「ん……」

 身じろぎしながら出した声は、思った以上にカサカサしていた。
 水……飲みたい……
 うつらうつらと、夢と現実の境界線を行ったり来たりする。体が妙にだるくて仕方がないけど、まぶたをうっすら開けた。

「起きたか」

 ……あれ? まだ夢を見ているのかな?
 目の前には眉目秀麗びもくしゅうれいな男性が……いた。
 ……あれ?

「おはよう」

 その男は、まっすぐに私を見ている。
 やみを思わせるけれど、とてもんだ群青色ぐんじょういろの瞳。意志の強そうな凛々りりしい眉に筋の通った鼻、優しげに端が上がった口。コシの強そうな亜麻色あまいろの髪が一房ひとふさ精悍せいかんな顔に落ちかかっている。
 こんな顔の人を、どこかで見たことあるな……
 一つ一つ、時間をかけて観察した結果、ようやく気付き、じわああっと一気に顔が熱を持った。

「――え、ウィベルダッド殿下!?」
「殿下、は不要だ」
「なにをしているんですか!」
「お前を見ていた」
「そ、それはそうですけど、いやそうじゃなくて、なんで私の隣に寝ているんですか!」
「これは俺の寝台」

 そ……そうだった! 思い出した!
 図々しくも、リグロ王国の王子の寝室で、ぐっすりと寝入ってしまったらしい。どれくらいの時間ここで寝ていたのかわからないほどだ。

「大変失礼いたしました! ……きゃあっ!」

 飛び起きて寝台から下りようと思ったのに、腹のあたりを押さえられていて、ジタバタともがくことしかできない。王子の腕が、私の腰を引き寄せて離さないのだ。

「ちょ……、あの、手を離していただけますか?」
「どうして?」
「そりゃ……私が動きにくいからです」
「却下」
「いやいや却下ってなによ! ……って、わわわ!」

 立場も忘れ、思わずいつもの調子で答えてしまう。『王子相手にやらかしてしまった……!』と、慌てて口をふさぐが、もう遅い。
 自分の家族と遠慮えんりょなく話すのとはわけが違う。相手はリグロ王国の王子だ。大国の世継ぎに対して不敬すぎる。ざあっと血の気が引いていく音が聞こえたような気がした。
 しかし、なぜか彼はハハハッと肩を震わせて笑う。

「構わない。エリクセラ、俺には気を遣うな」
「お、お、俺にはって! あなた以上に気を遣わなければいけない人なんてほとんどいないですよね!?」
「敬語禁止」

 無茶を言うなと、またしても失礼なことを言いかけたけれど、今度こそなんとか口を閉じる。
 どうも調子が狂う。
 そもそも、なぜ正体がバレたのだろう。それに王子様にかくまわれ私室に連れ込まれ、一緒の寝台に寝かされているのはなぜ……
 って、その前! ちょっと待って! 眠る前、腰のあたりをめられたよね、私!?
 誘惑下着を身に着けたあられもない姿はもちろん、肌をすべる彼の舌の感触を思い出し――
 一旦いったんは引いたはずの血の気が、一気に全身をけ巡る。

「ええと……目的を果たしたので、とりあえず失礼します」

 色々考えた結果、速やかに退散することに決めた。
 父様からの書状は渡せたので、これで一番の目的は果たせた。本当ならば、私からもきちんと話をして、ル・ボランの窮状きゅうじょうを正確に知ってもらい、支援に関する確実な約束をこの場で取りつけるべきだと思う。でも、昨日からいろいろとやらかしてしまった身で、どんな顔をして話せばいいのかわからない。悠長ゆうちょうなことを言っている場合じゃないのは百も承知だが、一旦いったんこの街の常宿じょうやどに戻り、態勢を――特に気持ちを立て直したい。
 しかし王子は、口元ににっこりと弧を描き、こう言った。

「それも却下」
「無茶を言うなー!」

 せっかく呑み込んだ暴言が、やっぱり飛び出してしまった。目の前の彼がこの調子だと、かしこまった口調で話すのは無理そうだ。こうなったら素の自分でなんとか対抗しよう!

「だいたい、だいたいですよ? 私なんて怪しさ満点の侵入者だったんですよ? 追われている時点でおかしいでしょ! どうして捕らえて衛兵に差し出さなかったんですか!」
「すぐに正体はわかったからな」
「……っ、だから、それもどうして」
「俺にはわかる」
「だから理由は!?」

 王子は私が誰なのか確信を持っていたようだけど、理由を教えてくれなきゃ話が見えない。この話の通じなさ加減、どうしたらいいのだろうと天を仰いだ。


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