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1巻
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幼い頃から、私、蒔山恵は整った顔立ちをしていた――らしい。
両親も、きょうだいも、祖父母も……みんな、割と派手めの美形の部類に入るようで、親類の間では珍しくもなんともない。
だけど、はっきりした眉、クリッとした大きな目、筋の通った鼻、肉厚の唇――は、周りの子達と比べるとやはり浮く。
……もっと薄い顔に生まれたかった。
そのうえ髪色は茶系で、緩いパーマがかかったような髪質。学校をあがるたびに、髪を染めていないという証明書を提出するのが、面倒くさくて仕方なかった。
第二次性徴期になると、体は驚くほど変化した。胸は鬱陶しいほど膨らみ、腰は折れそうなほど細くなり、お尻はコンパクトにまとまり、足はにょきにょきと伸びた。
大都市でもないのに、芸能関係の人からスカウトされるようになったのもこの頃。芸能界なんて全く興味がなかったから、ひどく煩わしかった。
「恵ー、芸能事務所の人から電話よー」
「学業優先、って言っておいて!」
自宅にも芸能関係の人が電話をしてくることがある。断ると、「じゃあお姉さんは?」となり、「お兄さんは?」「弟さんは?」とすりかえられ、最終的にはこちらから父をモデルに推薦して諦めてもらうなど、断るにも一苦労だった。
そもそも私は、手芸や料理などが趣味で、家の中で過ごすのが大好きな地味な性格なのだ。
ちなみに趣味の手芸といっても、穴の開いた靴下を繕ったり、古くなってボロボロになったタオルを雑巾にしたり、激安衣料品店で買った服に刺繍をしてリメイクするなど、趣味と実益を兼ねたものである。
母親は、私を含めて四人の子供をもうけたけれど、私が中学一年生になったとき、他界した。
父親の給料だけでは家計がかなり苦しかったので、兄と姉は高校生になると、それぞれ無理のない程度にバイトをするようになった。
当時中学生だった私は、亡くなった母の代わりに家事を担当した。暇を見つけては家庭菜園にいそしみ、縫い物をし、編み物もする。
手ずから作り上げた野菜や小物は、なによりも愛おしかった。誕生日にミシンをプレゼントされたときには、飛び上がって喜んだものだ。
家族は外出が苦手な私を最初は心配していたけれど、家事や趣味の手芸をして生き生きと家の中で過ごしている姿を見て安心したのか、好きにさせてくれた。
時は流れ、私は二十七歳になった。現在は、通勤の関係で一人暮らし。昔の生活が身に染みついているせいか、充分なお給料をもらっているにもかかわらず、いまでもギリギリの節約生活をしている。毎月確実に増えていく通帳の残高を見るのが唯一の楽しみ……かも。
友人いわく、糠床を日々手入れしていたり、裁縫に精を出したりしている私は『昭和のオカン』なのだそう。なるほど、上手いことを言う。……と感心している場合ではない。二十七歳のアラサーとしては、老後を視野に入れた生活設計を立てなければいけない。
男性遊びが激しく、派手な生活をしていそうな見てくれだけど、キスすら経験したことのない干からびた女である。結婚など想像もできない。だから『おひとりさま』の人生を歩むため、常日頃から節約を心がけているのだ。
ケバい外見と相反する性格の私は、色々とストレスを感じることも多い。しかし、愚痴は家族以外には零せなかった。なぜなら、私に対する周りの視線は好意的なものではないことの方が多かったから――
* * *
「ねえねえ、蒔山さんって知ってる!?」
……聞こえているんですけどねー。
弁当を食べ終わったあと、噂話が背後から聞こえてきて、私はこの場から立ち去るタイミングを完全に逃した。
ここはオフィスビルの十八階にある社員食堂。美味しくて割安な食事が取れるということで、いつも大混雑している。
この食堂のコンセプトは『田舎のおふくろの味』。そのため、店員さんの制服は白い三角巾に白の割烹着だ。マスクをしているので、少し表情は見えづらいけれど、みんな毎日楽しそうに仕事をしているから、ここに来ると仕事の疲れが取れる気がするのだ。
更に嬉しいのが、味噌汁とお茶がサービスでもらえることだ。弁当の持ちこみも認められているので、熱々の味噌汁を飲みながら、お弁当を食べられるのがありがたい。最上階なので見晴らしも最高だ。
暗黙の了解で、弁当持ちこみ組は食堂の端に固まるのだけれど、今日は食堂に来るのが遅かったせいか混んでいて、中心の賑やかな席に座ることになってしまった。
「あの人? 見るからに『私って綺麗でしょ?』って自信満々そうな」
「そうそう! 超美人で一度見たら忘れられない強烈な人!」
「蒔山さんって、私も聞いたことある。あの――結構遊んでいる感じの?」
「実際モテモテだからね。振られた男は星の数、蒔山さんは選び放題って……羨ましい限りだわ」
……その、蒔山、ですけど……私。
笑えない状況に、ぬるくなったお茶をひたすら時間をかけてちびちび飲む。噂話には慣れっこだけど、このタイミングで席を立つなんてお互いのためによろしくない。
「蒔山恵、えーと確か二十七歳。地元大学卒で一人暮らし、だったかな。現在彼氏はいない……と自分では言っているけど、実際のところはどうかしらね」
「彼氏はいないけど、都合のいい男はいるとか?」
「あー、いそう! だって、すっごい派手だもんね」
「スタイル維持のためにお金かけてそうだし」
……ますます出て行きにくいんですけど。
小さくなりながら、なるべく気配を消し、唇を湿らす程度に、残り少ないお茶を口元に運ぶ。
背後にいるうちの一人の声に、聞き覚えがある。後輩の城之内さゆり……かな。だとすると、一緒にいるのは彼女の取り巻きと、いつかの合コンで一緒になった子かもしれない。二つ三つ年下の彼女たちは、私に気づくことなく噂話に夢中だ。
「じゃあ結構、修羅場とか多くない? 蒔山さんを巡って、とか」
「プライベートってあんまり知らないのよね。でもさ、合コンするとき、スペックの高い男を呼ぶにはいい餌になるみたい」
「あー……まあそうだろうね。彼女みたいな女を連れてたら、男にとってはステータスになるだろうし、そりゃ可能性があったら参加したいもんね」
「ま、そのおこぼれって言っちゃ身も蓋もないんだけど、おかげで私達にも、いい男をゲットするチャンスがあるわけよ」
ここで、彼女達が声を潜めて周囲に聞こえないようにする気配を感じた。……まあ、私にはバッチリ聞こえちゃっているんだけど。
「えー、でもさ、その蒔山さんの一人勝ちってことになるんじゃないの?」
「大丈夫。そこは蒔山さんとの約束があるから」
「約束って?」
「もうちょっと近寄って。それは――」
いよいよ声が小さくなり、そこから先はさすがに聞こえなくなった。なにを言っているかは、大体察しがつくけれど。
湯呑みはとうとう空っぽになってしまい、弁当箱を包んだ布を綺麗に結び直したり、メールの着信を確かめたりして居心地の悪い時間を過ごす。
「――というわけ。じゃあまたメールするね」
「りょーかい。楽しみだわ」
私の後ろにいた女子社員達は、ガタガタと音を立てて椅子から立ち上がると、ようやく食堂から出て行った。
な、長かった……わ……
強張らせていた背中はガチガチに凝り固まっていた。ふーっと深呼吸をして肩をほぐす。
念には念を入れて、たっぷり百を数えたあと椅子から立ち上がった。弁当箱を小さなバッグに入れて肘から提げ、味噌汁の椀と湯呑みを載せたトレイを返却口に持っていく。
「お願いしまーす」
洗い場にいる従業員に声をかけ、出口に向かう。調理場の前を通るときにも「ごちそうさまでした」と声をかけてにっこり笑った。すると、マスクをしたおばちゃんが私に向かって手を振る。
「次の月曜日は蒔山さんの好きなワカメと筍の味噌汁だよ! 楽しみにしてな~」
「わ、嬉しい! ありがとうございます」
自分の父親と同じくらいの年齢のおばちゃんとは、入社当初から料理のレシピを教えてもらったりして仲よくしている。いまではメニューの味見までさせてもらう関係だ。
さて、と……
食堂を出た私は、このビルの六階にある自分の会社へ戻るため、階段へと足を向けた。このビルの中にいる間は、必ず階段を使うことにしている。会社勤めだと、なかなか運動する機会が得られない。運動をしてスタイルをキープする理由は単純で、太ったから服を新調するなんて不経済だからだ。
六階フロアに着き、廊下を歩いていると、自動販売機コーナーのベンチに座っていた一人の男性がパッと立ち上がり、駆け寄ってきた。
「ま、ま、蒔山さん!」
「はい? ええと……」
……この人、誰……?
戸惑っていると、目の前に立った男性は頬を紅潮させて、私をまっすぐに見つめた。
「俺と、付き合ってください!」
「えっ」
「先月の合コン以来、蒔山さんのことが忘れられないんです。どうか、お願いします!」
「え、えー……」
そうだ、確かにこの人いたわ。でも私は始まって三十分ほどで帰ったので、あまりしゃべらなかったのに。
私はある理由があって合コンに参加するだけで、別に彼氏が欲しいわけではない。
こんな容姿をしているから、軽そうな女に見られることが多く、いつからか男の人が苦手になってしまったのだ。
けれど、参加すれば、当然こういう事態に陥ることもある。
「あの……ごめんなさい」
「すみません、突然過ぎましたよね。でも付き合っていくうちに、だんだんわかり合えると思うんです。だから――」
ああ、この人は押しの強い人だ。
このような場合、どう逃げるかというと、とにかくごめんなさいと頭を下げるか、急いでいる感を出すか……なんだけど。
「お願いします、蒔山さん。俺は――」
「あっ、蒔山! 部長が呼んでたよー!」
どう躱すか迷っていたら、救世主が現れた。
「ありがとう、いま行きます! ……あの、すみません。お付き合いはできません」
救世主に礼を言い、ふたたび男に向き直って軽くお辞儀をし、足早にその場を立ち去った。後方からは「俺、諦めませんからね!」などという声が追いかけてきたが、聞かなかったことにする。
会社のエントランスに入ると、ようやく肩の力が抜けた。ふぅ……と息をついていたら、救世主に後ろから背中をポンと叩かれた。
「お疲れ、蒔山。なに? またなの?」
「んー……そう。ありがとう、助かっちゃった」
彼女の名前は、小長井京子。同期入社の数少ない友達だ。京子は面倒見がよくて頼りがいもあって、そしてなにより決断力がある。
大学在学中に一目惚れした相手と即結婚。即出産。次いで年子を出産。そして二年間休学したものの優秀な成績を残して卒業し、就職も難なくクリアしたという強者だ。
私を外見で判断せず、普通に接してくれる京子は、私にとって本当に貴重なお友達。最初は同期とはいえ、年上なので敬語で話していたけど、徐々に打ち解け、いまでは下の名前で呼ぶほど仲がいい。京子は私のことを『蒔山』と呼ぶけれど、それは単に私の苗字が好きだから、だそうだ。
会社の廊下を歩き、ロッカールームへ入る。持っていた弁当箱を自分のロッカーにしまいながら、京子にさっきの男について話した。
「私ね、押しの強い男性ってどうも苦手だわ。近づかれるだけで、トリハダが立つもの」
「蒔山はいかにも遊んでいそうな派手な顔立ちをしてるから、押せばなんとかなるって思われるのかもしれないね」
京子は実際のあんたは地味なのにね、とクスクス笑いながらロッカーの扉についた鏡で化粧直しをする。私はそんな彼女を横目で軽く睨む。
「化粧直しができるなんて羨ましいわ。私なんてマスカラ一つ塗っただけで、舞台メイクレベルだもの」
「ケバい顔立ちって難儀ね~」
口紅を塗っただけで『今日は化粧濃いね』なんて言われてしまうこの顔立ち。弓なりにカーブを描いた濃いめの眉と、マスカラ要らずのクリッとカールしたまつ毛、赤みがかっている唇がその原因かと思われる。だから私基本的に会社以外ではすっぴんだ。
仕事中はアイシャドウやチークを使わず、薄づきのファンデーションにグロスを乗せるだけの最低限のメイクにとどめているのに、それでもまだ派手だと言われる。
仕方ないことだと思いつつ、「あーあ、平安顔に生まれたかった」というぼやきの言葉は止まらない。
「でもさ、蒔山ってば今夜も合コンなんでしょ? 大丈夫なの?」
「うん、幹事さんがしっかりしてるから大丈夫よ。知ってるでしょ、同じビルに勤めてる高橋悟さんだよ」
そうそう、どうして私が合コンに呼ばれるのかと言うと……
――客寄せパンダ。
この一言に尽きる。
私が参加すると、男性のレベルが上がるのだそうだ。それだけの理由だったら断固お断りするんだけれど。
「ああ、高橋さんの会ね。選ばれし者しか参加できないという伝説の合コン。いいなあ、私もそれ行ってみたい」
「なに言ってんの。ダンナさんとラッブラブのくせに」
「ふふっ、まあねー」
共働きの京子は、一時間早く終わる残業なしの時間短縮勤務。放課後児童クラブに子供を迎えに行かなければならないからだ。二人とも小学生になったし、楽になって来たんだけどね、と母親らしい顔をのぞかせながらも、「でもダンナってば――」とたびたびノロける。
「蒔山にも、外見だけじゃなくて蒔山の中身が好きな人、ぜったい現れるよ」
「……どうだか」
出会えるわけない、と半ば諦めている私に、京子は「私は私にぴったりな人と出会えたわよ!」と満面の笑みを浮かべた。
「蒔山、人生なにがあるかわからないから。……そう、この人! と思ったら、突っ走ってみなさいよ。私のようにね! そうそう、この間――」
ダンナ様と出会ってから、結婚・妊娠・出産・就職、と瞬く間に人生のイベントをこなした京子が言うと、説得力がある。
そこからはいつものように京子のノロケ話に付き合って、昼の休憩時間が終わった。
* * *
私の合コンへの出席率は高い。というか、残業がなければなにがあっても参加している。派手な見た目から、男漁りだと揶揄されることも多々あるけれど、本当の目的は違うのだ。
「今月は靴を買ってしまったから……これ以上財布の紐は緩められないわ」
財布の中身を思い出し、より一層の節約に努める決意をする。
――そう、私は食費の節約のために合コンへ参加しているのだ。
しかし、派手な見た目のせいで軽い女だと判断され、気軽に体の関係を求められる。もちろん私はきっぱりと断る。そうすると、誰にでも股を開く女のくせに生意気だとか……罵詈雑言を浴びせられることになるのだ。
だから、男は嫌なのよ。
幼い頃から派手系の大人びた顔立ちをしていた私は、色々な年齢の男性から褒め言葉や――ときには卑猥な言葉をかけられ続け……私は、男に触れられるだけでトリハダが立つほど、男というものが嫌いになった。
嫌いよ。どうせ私の体目当てでしょ。
嫌いよ。どうせ私はアクセサリーでしょ。
私の外見にしか興味のない男なんて――大嫌い。
それは今になっても変わらない。
今夜の合コン相手は、同じビル内の会社に勤める将来有望な粒ぞろいのエリートらしい。こちらの女性陣は数日前から、今日のために着る服の話できゃあきゃあ盛り上がっていた。人数は確か、五対五、だったかしら?
私はなるべく目立たないよう、普段通り地味な服を着ていくけれど。
終業間際から浮き足立った空気が漂い、時間になった途端、女性陣はそそくさと席を離れてロッカールームへ向かう。うーん、仕事もそのくらいキッチリやればいいのに。モヤモヤしながら、私はなんとか仕事を終わらせ、ロッカールームへと向かった。
彼女たちはお互いの服を褒め合いながら、メイクと髪を整えていた。みんないわゆるイマドキのファッションで身を固めている。
いいなあ。ちょっとだけ……ちょっとだけ、憧れはあるんだよね。でも、私がああいう系の服を着ると、どうしても夜のお仕事をしているように見えるらしく、街中を歩くとその手のスカウトがしつこくてすごく嫌な思いをする。
しかし、私だってたまにはオシャレをしたい。だから、今日はこの間奮発して買った七センチのハイヒールを履いてきた。アーモンドトゥのカーブに一目惚れして、二ヶ月悩んだ末に手に入れたものだ。
さらに、とっておきのイヤリングもつけてきた。初任給で買った、雫の形をした菫色のイヤリング。私の好きな色で、耳元で揺れるととても綺麗なのだ。安価とは言えない値段だったけど、長く使うから! と、思い切って買った宝物。
普段、就業後は髪を解くのだけど、今日はふたたびキッチリと一本に縛り直して、カーディガンを羽織る。
雨が降りそうだから折りたたみ傘を持って行こうかと迷っていたら、後ろから声をかけられた。
「蒔山先輩」
「なあに?」
振り返ると、今日参加する城之内さんを始め、四人の女の子たちが私の傍に集まっていた。視線が私に集中している。
「くれぐれも、よろしくお願いします」
「わかってるわ。そんなに警戒しなくても大丈夫よ」
「ええ、大丈夫だと思いますけど、一応」
いかにも守ってあげたい女子、といった見た目の城之内さんは、私に対して敵意むき出しだ。そんなに心配しなくても、私は彼氏を作る気はないし、そもそも彼女は可愛いんだから堂々としていれば、合コンに参加しなくても彼氏くらいすぐにできると思うけど。
直前に念押しされるのもいつものことだけれど、そんなに信用されていないのかと思うと、少しだけ悲しくなる。
* * *
金曜の夜ともなれば、繁華街は人で賑わう。その間を縫って城之内さんたちとお店へ入ると、すでに先方は全員揃っていた。個室風に区切られたテーブルは、なかなか雰囲気がよい。お店の選び方一つでも幹事の腕がわかるというもの。本当に高橋さんは上手いなあ、と感心してしまう。
簡単な自己紹介から始まった合コンは、最初はやはり私へのアプローチが多かった。でもつれない態度を貫いていると、次第に他の女の子に狙いを定め始め、席は賑やかな雰囲気に包まれた。しかし、その賑やかな中でとり残されたように静かな一角がある。――言わずもがな、私と、そして私の向かいに座っている男性の一角だ。
彼は人数合わせなのかわからないけれど、男性陣の中で一人だけ毛色が違う。
どう見ても場違いよね……と、隣に座っていた城之内さんが、他の女の子にこっそり囁いているのが聞こえた。
他の男性は、ピシッとスーツを着こなし、顔も平均以上で話し上手だ。
しかし、その人物は、どこか人を寄せつけない雰囲気を醸し出している。しかも、時折じろりと相手を値踏みするような視線を向けてくるから、どうもうす気味悪い。
「夏賀陽平、三十二歳」
自己紹介のときも名前と年齢を言っただけ。そのあとは並べられた料理に黙々と手を伸ばす。まさに取りつく島もない、といった態度。そんな彼の態度に男性陣は苦笑いを浮かべるだけで、特にそれを咎める様子は見られない。やはり彼は人数合わせで呼ばれたのだろう。
後輩女子たちは、そんな得体のしれない男は御免だとばかりに、他の四人の男性と楽しげに会話を始めた。向かい合って五対五――の中、テーブルの端に座る私と夏賀さんは、ひたすら食事に専念した。
時間が経つうちに、自分の悪いくせが徐々に出てくる。店員が片付けやすいよう、テーブルの真ん中の空いた皿を端に寄せたり、空のグラスをまとめてみたり、こそこそと動いてしまう。
酔いがまわってくる時間だから、私の行動を見ている人などいないと思うけれど。
『見た目は思いっきり夜の女なのに、中身はただの世話焼きオカンよね』と京子に言われたことがあるけれど、確かに自分でもそう思う。頭の中で居酒屋の豆腐の値段と、スーパーの豆腐の値段を比較してしまうのは、完全に家計を預かっている主婦の目線だ。
あらかた料理を食べ終え、お酒もいい感じでまわり始めた頃、ようやく夏賀という人物が気になってきた。いったいこの人はどんな人なんだろう?
正面に座っているのに、チラリともこちらへ視線をよこさない。いままで異性同性関係なく、無遠慮にじろじろ見られることはあったが、ここまで完璧に無視されたことはない。だから、彼に少しだけ興味を持ったのだ。
髪はボサボサ、顔はそこそこ……かな? 顔の造形は、冷たく光る銀縁眼鏡の印象が強すぎてあまり記憶に残らない。しいて言えば、クラスに一人はいそうな学級委員長タイプ。くたびれた感のある安物のスーツは、肩幅が合っていないのか、どこか野暮ったく見えるし……
だけど、箸の使い方が綺麗なのよね。彼のちょっとした所作に違和感を覚える。
そんな彼の行動を観察しているうちに、店を出る時間になった。みんなが入口に向かったあと、私は「いまだ!」とばかりにササッとテーブルの上を見苦しくない程度に片付け、満足して一歩踏み出した。すると……ウッカリ足を滑らせてしまった。
「い……たっ!」
いつの間にか降り出していた雨を、外からやってきた客が運んできたらしい。そのせいで、足を取られてしまった。慣れていないハイヒールを履いてきたのが敗因か。とっさにテーブルに手をついたものの、左足を捻ったらしく、痛みがずぐんと響く。
こ、個室でよかった。
誰にも気づかれずにホッとした。けれど、い、痛すぎる……。どうしよう……
ぽすん、と椅子に腰を下ろして途方に暮れる。早く外に出ないと不審に思われるわよね。かといって、いま無理して出て行ったとしても、楽しい雰囲気を壊してしまいそうだし――
さて、どうやってこの場面を切り抜けようか。
じくじくと痛む足首を恨めしく見下ろしながら考えていると、「蒔山さん、あの……」と控えめな声をかけられた。痛みを堪えて、なるべく普通の顔をして振り返ると、そこには夏賀さんがあたりをキョロキョロ見回しながら立っていた。
「トイレ行ってたんですけど、もうみんな外に出たんですか?」
あ、なんだ。一応名前は覚えていたんだ。
「はい。これから二次会に行くみたいですよ」
「あなたも行かれますか?」
「いいえ、私はこれから用事があるので、すぐに帰ります」
用事なんてないんだけどね。一応そう言っておかないと、送り狼と化する人が多かったので、次の予定があると匂わせておくに限る。しかし夏賀さんは、ぼそっと呟いた。
「その方がよろしいかと」
「え……」
ハッと夏賀さんの顔を見ると、私の『左足』に鋭い視線が向けられている。
「あの……さっき、見てしまったんです。足、大丈夫ですか?」
「や、やだ! 見てたの!?」
おっちょこちょいな場面を見られてしまったかと思うと、恥ずかしくて顔が火照った。
頬を両手で押さえて思わず俯くと、夏賀さんはまるで悪戯を思いついたような口調で私に囁く。
「今日は我慢して、治療に専念した方がいいですよ」
それはどういう意味? 顔を上げると、眼鏡越しの目が細くなった。
「二次会断るなら、口実を作るの手伝いますよ。俺なら安全パイだと思われていますからね」
夏賀さんは、にや、と口角を歪めて、皮肉な笑みを浮かべた。
両親も、きょうだいも、祖父母も……みんな、割と派手めの美形の部類に入るようで、親類の間では珍しくもなんともない。
だけど、はっきりした眉、クリッとした大きな目、筋の通った鼻、肉厚の唇――は、周りの子達と比べるとやはり浮く。
……もっと薄い顔に生まれたかった。
そのうえ髪色は茶系で、緩いパーマがかかったような髪質。学校をあがるたびに、髪を染めていないという証明書を提出するのが、面倒くさくて仕方なかった。
第二次性徴期になると、体は驚くほど変化した。胸は鬱陶しいほど膨らみ、腰は折れそうなほど細くなり、お尻はコンパクトにまとまり、足はにょきにょきと伸びた。
大都市でもないのに、芸能関係の人からスカウトされるようになったのもこの頃。芸能界なんて全く興味がなかったから、ひどく煩わしかった。
「恵ー、芸能事務所の人から電話よー」
「学業優先、って言っておいて!」
自宅にも芸能関係の人が電話をしてくることがある。断ると、「じゃあお姉さんは?」となり、「お兄さんは?」「弟さんは?」とすりかえられ、最終的にはこちらから父をモデルに推薦して諦めてもらうなど、断るにも一苦労だった。
そもそも私は、手芸や料理などが趣味で、家の中で過ごすのが大好きな地味な性格なのだ。
ちなみに趣味の手芸といっても、穴の開いた靴下を繕ったり、古くなってボロボロになったタオルを雑巾にしたり、激安衣料品店で買った服に刺繍をしてリメイクするなど、趣味と実益を兼ねたものである。
母親は、私を含めて四人の子供をもうけたけれど、私が中学一年生になったとき、他界した。
父親の給料だけでは家計がかなり苦しかったので、兄と姉は高校生になると、それぞれ無理のない程度にバイトをするようになった。
当時中学生だった私は、亡くなった母の代わりに家事を担当した。暇を見つけては家庭菜園にいそしみ、縫い物をし、編み物もする。
手ずから作り上げた野菜や小物は、なによりも愛おしかった。誕生日にミシンをプレゼントされたときには、飛び上がって喜んだものだ。
家族は外出が苦手な私を最初は心配していたけれど、家事や趣味の手芸をして生き生きと家の中で過ごしている姿を見て安心したのか、好きにさせてくれた。
時は流れ、私は二十七歳になった。現在は、通勤の関係で一人暮らし。昔の生活が身に染みついているせいか、充分なお給料をもらっているにもかかわらず、いまでもギリギリの節約生活をしている。毎月確実に増えていく通帳の残高を見るのが唯一の楽しみ……かも。
友人いわく、糠床を日々手入れしていたり、裁縫に精を出したりしている私は『昭和のオカン』なのだそう。なるほど、上手いことを言う。……と感心している場合ではない。二十七歳のアラサーとしては、老後を視野に入れた生活設計を立てなければいけない。
男性遊びが激しく、派手な生活をしていそうな見てくれだけど、キスすら経験したことのない干からびた女である。結婚など想像もできない。だから『おひとりさま』の人生を歩むため、常日頃から節約を心がけているのだ。
ケバい外見と相反する性格の私は、色々とストレスを感じることも多い。しかし、愚痴は家族以外には零せなかった。なぜなら、私に対する周りの視線は好意的なものではないことの方が多かったから――
* * *
「ねえねえ、蒔山さんって知ってる!?」
……聞こえているんですけどねー。
弁当を食べ終わったあと、噂話が背後から聞こえてきて、私はこの場から立ち去るタイミングを完全に逃した。
ここはオフィスビルの十八階にある社員食堂。美味しくて割安な食事が取れるということで、いつも大混雑している。
この食堂のコンセプトは『田舎のおふくろの味』。そのため、店員さんの制服は白い三角巾に白の割烹着だ。マスクをしているので、少し表情は見えづらいけれど、みんな毎日楽しそうに仕事をしているから、ここに来ると仕事の疲れが取れる気がするのだ。
更に嬉しいのが、味噌汁とお茶がサービスでもらえることだ。弁当の持ちこみも認められているので、熱々の味噌汁を飲みながら、お弁当を食べられるのがありがたい。最上階なので見晴らしも最高だ。
暗黙の了解で、弁当持ちこみ組は食堂の端に固まるのだけれど、今日は食堂に来るのが遅かったせいか混んでいて、中心の賑やかな席に座ることになってしまった。
「あの人? 見るからに『私って綺麗でしょ?』って自信満々そうな」
「そうそう! 超美人で一度見たら忘れられない強烈な人!」
「蒔山さんって、私も聞いたことある。あの――結構遊んでいる感じの?」
「実際モテモテだからね。振られた男は星の数、蒔山さんは選び放題って……羨ましい限りだわ」
……その、蒔山、ですけど……私。
笑えない状況に、ぬるくなったお茶をひたすら時間をかけてちびちび飲む。噂話には慣れっこだけど、このタイミングで席を立つなんてお互いのためによろしくない。
「蒔山恵、えーと確か二十七歳。地元大学卒で一人暮らし、だったかな。現在彼氏はいない……と自分では言っているけど、実際のところはどうかしらね」
「彼氏はいないけど、都合のいい男はいるとか?」
「あー、いそう! だって、すっごい派手だもんね」
「スタイル維持のためにお金かけてそうだし」
……ますます出て行きにくいんですけど。
小さくなりながら、なるべく気配を消し、唇を湿らす程度に、残り少ないお茶を口元に運ぶ。
背後にいるうちの一人の声に、聞き覚えがある。後輩の城之内さゆり……かな。だとすると、一緒にいるのは彼女の取り巻きと、いつかの合コンで一緒になった子かもしれない。二つ三つ年下の彼女たちは、私に気づくことなく噂話に夢中だ。
「じゃあ結構、修羅場とか多くない? 蒔山さんを巡って、とか」
「プライベートってあんまり知らないのよね。でもさ、合コンするとき、スペックの高い男を呼ぶにはいい餌になるみたい」
「あー……まあそうだろうね。彼女みたいな女を連れてたら、男にとってはステータスになるだろうし、そりゃ可能性があったら参加したいもんね」
「ま、そのおこぼれって言っちゃ身も蓋もないんだけど、おかげで私達にも、いい男をゲットするチャンスがあるわけよ」
ここで、彼女達が声を潜めて周囲に聞こえないようにする気配を感じた。……まあ、私にはバッチリ聞こえちゃっているんだけど。
「えー、でもさ、その蒔山さんの一人勝ちってことになるんじゃないの?」
「大丈夫。そこは蒔山さんとの約束があるから」
「約束って?」
「もうちょっと近寄って。それは――」
いよいよ声が小さくなり、そこから先はさすがに聞こえなくなった。なにを言っているかは、大体察しがつくけれど。
湯呑みはとうとう空っぽになってしまい、弁当箱を包んだ布を綺麗に結び直したり、メールの着信を確かめたりして居心地の悪い時間を過ごす。
「――というわけ。じゃあまたメールするね」
「りょーかい。楽しみだわ」
私の後ろにいた女子社員達は、ガタガタと音を立てて椅子から立ち上がると、ようやく食堂から出て行った。
な、長かった……わ……
強張らせていた背中はガチガチに凝り固まっていた。ふーっと深呼吸をして肩をほぐす。
念には念を入れて、たっぷり百を数えたあと椅子から立ち上がった。弁当箱を小さなバッグに入れて肘から提げ、味噌汁の椀と湯呑みを載せたトレイを返却口に持っていく。
「お願いしまーす」
洗い場にいる従業員に声をかけ、出口に向かう。調理場の前を通るときにも「ごちそうさまでした」と声をかけてにっこり笑った。すると、マスクをしたおばちゃんが私に向かって手を振る。
「次の月曜日は蒔山さんの好きなワカメと筍の味噌汁だよ! 楽しみにしてな~」
「わ、嬉しい! ありがとうございます」
自分の父親と同じくらいの年齢のおばちゃんとは、入社当初から料理のレシピを教えてもらったりして仲よくしている。いまではメニューの味見までさせてもらう関係だ。
さて、と……
食堂を出た私は、このビルの六階にある自分の会社へ戻るため、階段へと足を向けた。このビルの中にいる間は、必ず階段を使うことにしている。会社勤めだと、なかなか運動する機会が得られない。運動をしてスタイルをキープする理由は単純で、太ったから服を新調するなんて不経済だからだ。
六階フロアに着き、廊下を歩いていると、自動販売機コーナーのベンチに座っていた一人の男性がパッと立ち上がり、駆け寄ってきた。
「ま、ま、蒔山さん!」
「はい? ええと……」
……この人、誰……?
戸惑っていると、目の前に立った男性は頬を紅潮させて、私をまっすぐに見つめた。
「俺と、付き合ってください!」
「えっ」
「先月の合コン以来、蒔山さんのことが忘れられないんです。どうか、お願いします!」
「え、えー……」
そうだ、確かにこの人いたわ。でも私は始まって三十分ほどで帰ったので、あまりしゃべらなかったのに。
私はある理由があって合コンに参加するだけで、別に彼氏が欲しいわけではない。
こんな容姿をしているから、軽そうな女に見られることが多く、いつからか男の人が苦手になってしまったのだ。
けれど、参加すれば、当然こういう事態に陥ることもある。
「あの……ごめんなさい」
「すみません、突然過ぎましたよね。でも付き合っていくうちに、だんだんわかり合えると思うんです。だから――」
ああ、この人は押しの強い人だ。
このような場合、どう逃げるかというと、とにかくごめんなさいと頭を下げるか、急いでいる感を出すか……なんだけど。
「お願いします、蒔山さん。俺は――」
「あっ、蒔山! 部長が呼んでたよー!」
どう躱すか迷っていたら、救世主が現れた。
「ありがとう、いま行きます! ……あの、すみません。お付き合いはできません」
救世主に礼を言い、ふたたび男に向き直って軽くお辞儀をし、足早にその場を立ち去った。後方からは「俺、諦めませんからね!」などという声が追いかけてきたが、聞かなかったことにする。
会社のエントランスに入ると、ようやく肩の力が抜けた。ふぅ……と息をついていたら、救世主に後ろから背中をポンと叩かれた。
「お疲れ、蒔山。なに? またなの?」
「んー……そう。ありがとう、助かっちゃった」
彼女の名前は、小長井京子。同期入社の数少ない友達だ。京子は面倒見がよくて頼りがいもあって、そしてなにより決断力がある。
大学在学中に一目惚れした相手と即結婚。即出産。次いで年子を出産。そして二年間休学したものの優秀な成績を残して卒業し、就職も難なくクリアしたという強者だ。
私を外見で判断せず、普通に接してくれる京子は、私にとって本当に貴重なお友達。最初は同期とはいえ、年上なので敬語で話していたけど、徐々に打ち解け、いまでは下の名前で呼ぶほど仲がいい。京子は私のことを『蒔山』と呼ぶけれど、それは単に私の苗字が好きだから、だそうだ。
会社の廊下を歩き、ロッカールームへ入る。持っていた弁当箱を自分のロッカーにしまいながら、京子にさっきの男について話した。
「私ね、押しの強い男性ってどうも苦手だわ。近づかれるだけで、トリハダが立つもの」
「蒔山はいかにも遊んでいそうな派手な顔立ちをしてるから、押せばなんとかなるって思われるのかもしれないね」
京子は実際のあんたは地味なのにね、とクスクス笑いながらロッカーの扉についた鏡で化粧直しをする。私はそんな彼女を横目で軽く睨む。
「化粧直しができるなんて羨ましいわ。私なんてマスカラ一つ塗っただけで、舞台メイクレベルだもの」
「ケバい顔立ちって難儀ね~」
口紅を塗っただけで『今日は化粧濃いね』なんて言われてしまうこの顔立ち。弓なりにカーブを描いた濃いめの眉と、マスカラ要らずのクリッとカールしたまつ毛、赤みがかっている唇がその原因かと思われる。だから私基本的に会社以外ではすっぴんだ。
仕事中はアイシャドウやチークを使わず、薄づきのファンデーションにグロスを乗せるだけの最低限のメイクにとどめているのに、それでもまだ派手だと言われる。
仕方ないことだと思いつつ、「あーあ、平安顔に生まれたかった」というぼやきの言葉は止まらない。
「でもさ、蒔山ってば今夜も合コンなんでしょ? 大丈夫なの?」
「うん、幹事さんがしっかりしてるから大丈夫よ。知ってるでしょ、同じビルに勤めてる高橋悟さんだよ」
そうそう、どうして私が合コンに呼ばれるのかと言うと……
――客寄せパンダ。
この一言に尽きる。
私が参加すると、男性のレベルが上がるのだそうだ。それだけの理由だったら断固お断りするんだけれど。
「ああ、高橋さんの会ね。選ばれし者しか参加できないという伝説の合コン。いいなあ、私もそれ行ってみたい」
「なに言ってんの。ダンナさんとラッブラブのくせに」
「ふふっ、まあねー」
共働きの京子は、一時間早く終わる残業なしの時間短縮勤務。放課後児童クラブに子供を迎えに行かなければならないからだ。二人とも小学生になったし、楽になって来たんだけどね、と母親らしい顔をのぞかせながらも、「でもダンナってば――」とたびたびノロける。
「蒔山にも、外見だけじゃなくて蒔山の中身が好きな人、ぜったい現れるよ」
「……どうだか」
出会えるわけない、と半ば諦めている私に、京子は「私は私にぴったりな人と出会えたわよ!」と満面の笑みを浮かべた。
「蒔山、人生なにがあるかわからないから。……そう、この人! と思ったら、突っ走ってみなさいよ。私のようにね! そうそう、この間――」
ダンナ様と出会ってから、結婚・妊娠・出産・就職、と瞬く間に人生のイベントをこなした京子が言うと、説得力がある。
そこからはいつものように京子のノロケ話に付き合って、昼の休憩時間が終わった。
* * *
私の合コンへの出席率は高い。というか、残業がなければなにがあっても参加している。派手な見た目から、男漁りだと揶揄されることも多々あるけれど、本当の目的は違うのだ。
「今月は靴を買ってしまったから……これ以上財布の紐は緩められないわ」
財布の中身を思い出し、より一層の節約に努める決意をする。
――そう、私は食費の節約のために合コンへ参加しているのだ。
しかし、派手な見た目のせいで軽い女だと判断され、気軽に体の関係を求められる。もちろん私はきっぱりと断る。そうすると、誰にでも股を開く女のくせに生意気だとか……罵詈雑言を浴びせられることになるのだ。
だから、男は嫌なのよ。
幼い頃から派手系の大人びた顔立ちをしていた私は、色々な年齢の男性から褒め言葉や――ときには卑猥な言葉をかけられ続け……私は、男に触れられるだけでトリハダが立つほど、男というものが嫌いになった。
嫌いよ。どうせ私の体目当てでしょ。
嫌いよ。どうせ私はアクセサリーでしょ。
私の外見にしか興味のない男なんて――大嫌い。
それは今になっても変わらない。
今夜の合コン相手は、同じビル内の会社に勤める将来有望な粒ぞろいのエリートらしい。こちらの女性陣は数日前から、今日のために着る服の話できゃあきゃあ盛り上がっていた。人数は確か、五対五、だったかしら?
私はなるべく目立たないよう、普段通り地味な服を着ていくけれど。
終業間際から浮き足立った空気が漂い、時間になった途端、女性陣はそそくさと席を離れてロッカールームへ向かう。うーん、仕事もそのくらいキッチリやればいいのに。モヤモヤしながら、私はなんとか仕事を終わらせ、ロッカールームへと向かった。
彼女たちはお互いの服を褒め合いながら、メイクと髪を整えていた。みんないわゆるイマドキのファッションで身を固めている。
いいなあ。ちょっとだけ……ちょっとだけ、憧れはあるんだよね。でも、私がああいう系の服を着ると、どうしても夜のお仕事をしているように見えるらしく、街中を歩くとその手のスカウトがしつこくてすごく嫌な思いをする。
しかし、私だってたまにはオシャレをしたい。だから、今日はこの間奮発して買った七センチのハイヒールを履いてきた。アーモンドトゥのカーブに一目惚れして、二ヶ月悩んだ末に手に入れたものだ。
さらに、とっておきのイヤリングもつけてきた。初任給で買った、雫の形をした菫色のイヤリング。私の好きな色で、耳元で揺れるととても綺麗なのだ。安価とは言えない値段だったけど、長く使うから! と、思い切って買った宝物。
普段、就業後は髪を解くのだけど、今日はふたたびキッチリと一本に縛り直して、カーディガンを羽織る。
雨が降りそうだから折りたたみ傘を持って行こうかと迷っていたら、後ろから声をかけられた。
「蒔山先輩」
「なあに?」
振り返ると、今日参加する城之内さんを始め、四人の女の子たちが私の傍に集まっていた。視線が私に集中している。
「くれぐれも、よろしくお願いします」
「わかってるわ。そんなに警戒しなくても大丈夫よ」
「ええ、大丈夫だと思いますけど、一応」
いかにも守ってあげたい女子、といった見た目の城之内さんは、私に対して敵意むき出しだ。そんなに心配しなくても、私は彼氏を作る気はないし、そもそも彼女は可愛いんだから堂々としていれば、合コンに参加しなくても彼氏くらいすぐにできると思うけど。
直前に念押しされるのもいつものことだけれど、そんなに信用されていないのかと思うと、少しだけ悲しくなる。
* * *
金曜の夜ともなれば、繁華街は人で賑わう。その間を縫って城之内さんたちとお店へ入ると、すでに先方は全員揃っていた。個室風に区切られたテーブルは、なかなか雰囲気がよい。お店の選び方一つでも幹事の腕がわかるというもの。本当に高橋さんは上手いなあ、と感心してしまう。
簡単な自己紹介から始まった合コンは、最初はやはり私へのアプローチが多かった。でもつれない態度を貫いていると、次第に他の女の子に狙いを定め始め、席は賑やかな雰囲気に包まれた。しかし、その賑やかな中でとり残されたように静かな一角がある。――言わずもがな、私と、そして私の向かいに座っている男性の一角だ。
彼は人数合わせなのかわからないけれど、男性陣の中で一人だけ毛色が違う。
どう見ても場違いよね……と、隣に座っていた城之内さんが、他の女の子にこっそり囁いているのが聞こえた。
他の男性は、ピシッとスーツを着こなし、顔も平均以上で話し上手だ。
しかし、その人物は、どこか人を寄せつけない雰囲気を醸し出している。しかも、時折じろりと相手を値踏みするような視線を向けてくるから、どうもうす気味悪い。
「夏賀陽平、三十二歳」
自己紹介のときも名前と年齢を言っただけ。そのあとは並べられた料理に黙々と手を伸ばす。まさに取りつく島もない、といった態度。そんな彼の態度に男性陣は苦笑いを浮かべるだけで、特にそれを咎める様子は見られない。やはり彼は人数合わせで呼ばれたのだろう。
後輩女子たちは、そんな得体のしれない男は御免だとばかりに、他の四人の男性と楽しげに会話を始めた。向かい合って五対五――の中、テーブルの端に座る私と夏賀さんは、ひたすら食事に専念した。
時間が経つうちに、自分の悪いくせが徐々に出てくる。店員が片付けやすいよう、テーブルの真ん中の空いた皿を端に寄せたり、空のグラスをまとめてみたり、こそこそと動いてしまう。
酔いがまわってくる時間だから、私の行動を見ている人などいないと思うけれど。
『見た目は思いっきり夜の女なのに、中身はただの世話焼きオカンよね』と京子に言われたことがあるけれど、確かに自分でもそう思う。頭の中で居酒屋の豆腐の値段と、スーパーの豆腐の値段を比較してしまうのは、完全に家計を預かっている主婦の目線だ。
あらかた料理を食べ終え、お酒もいい感じでまわり始めた頃、ようやく夏賀という人物が気になってきた。いったいこの人はどんな人なんだろう?
正面に座っているのに、チラリともこちらへ視線をよこさない。いままで異性同性関係なく、無遠慮にじろじろ見られることはあったが、ここまで完璧に無視されたことはない。だから、彼に少しだけ興味を持ったのだ。
髪はボサボサ、顔はそこそこ……かな? 顔の造形は、冷たく光る銀縁眼鏡の印象が強すぎてあまり記憶に残らない。しいて言えば、クラスに一人はいそうな学級委員長タイプ。くたびれた感のある安物のスーツは、肩幅が合っていないのか、どこか野暮ったく見えるし……
だけど、箸の使い方が綺麗なのよね。彼のちょっとした所作に違和感を覚える。
そんな彼の行動を観察しているうちに、店を出る時間になった。みんなが入口に向かったあと、私は「いまだ!」とばかりにササッとテーブルの上を見苦しくない程度に片付け、満足して一歩踏み出した。すると……ウッカリ足を滑らせてしまった。
「い……たっ!」
いつの間にか降り出していた雨を、外からやってきた客が運んできたらしい。そのせいで、足を取られてしまった。慣れていないハイヒールを履いてきたのが敗因か。とっさにテーブルに手をついたものの、左足を捻ったらしく、痛みがずぐんと響く。
こ、個室でよかった。
誰にも気づかれずにホッとした。けれど、い、痛すぎる……。どうしよう……
ぽすん、と椅子に腰を下ろして途方に暮れる。早く外に出ないと不審に思われるわよね。かといって、いま無理して出て行ったとしても、楽しい雰囲気を壊してしまいそうだし――
さて、どうやってこの場面を切り抜けようか。
じくじくと痛む足首を恨めしく見下ろしながら考えていると、「蒔山さん、あの……」と控えめな声をかけられた。痛みを堪えて、なるべく普通の顔をして振り返ると、そこには夏賀さんがあたりをキョロキョロ見回しながら立っていた。
「トイレ行ってたんですけど、もうみんな外に出たんですか?」
あ、なんだ。一応名前は覚えていたんだ。
「はい。これから二次会に行くみたいですよ」
「あなたも行かれますか?」
「いいえ、私はこれから用事があるので、すぐに帰ります」
用事なんてないんだけどね。一応そう言っておかないと、送り狼と化する人が多かったので、次の予定があると匂わせておくに限る。しかし夏賀さんは、ぼそっと呟いた。
「その方がよろしいかと」
「え……」
ハッと夏賀さんの顔を見ると、私の『左足』に鋭い視線が向けられている。
「あの……さっき、見てしまったんです。足、大丈夫ですか?」
「や、やだ! 見てたの!?」
おっちょこちょいな場面を見られてしまったかと思うと、恥ずかしくて顔が火照った。
頬を両手で押さえて思わず俯くと、夏賀さんはまるで悪戯を思いついたような口調で私に囁く。
「今日は我慢して、治療に専念した方がいいですよ」
それはどういう意味? 顔を上げると、眼鏡越しの目が細くなった。
「二次会断るなら、口実を作るの手伝いますよ。俺なら安全パイだと思われていますからね」
夏賀さんは、にや、と口角を歪めて、皮肉な笑みを浮かべた。
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