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芒種【partⅥ】
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海斗は父と会う約束を取り付けた。
近所のラーメン屋で待ち合わせた。よく家族で行ってた店でどうしても父はそのラーメンを食べたかったようだ。夕方、店の前で待つ海斗の目の前に父が現れた。少し白髪が増えた程度で体型も歩き方も変わらない。あの頃のままだった。
海斗が父に声をかける。
「父さん。俺だよ。海斗だよ」
父は海斗を見るなり「海斗なのか…」
父は目を潤ませながら海斗の肩を叩き「久しぶりだな。電話してくれてありがとう。嬉しかったぞ」と真っ直ぐに海斗を見つめていた。
中学二年で思春期真っ只中の海斗であったが、父に会えたことがよほど嬉しかったのだろう。
「俺も父さんに会いたかった。久しぶりだね。ありがとう」
海斗が口にする。
「さぁ、早く中に入ろう」
父は海斗の肩を抱きながらラーメン屋に入った。
カウンター席しかないラーメン屋。端の席に二人の若者が座っていた。海斗と父は真反対の席に座る。店員にチャーシューメンを二つ頼んだ。
「あれ?夏木さんじゃないか。久しぶりだね」と中年で小太りだが、ガタイの良い男が驚いたように声をかける。
「あれ?店長さん。久しぶりに来ちゃったよ。ごめんな。最近は忙しくてなかなか来れなかったんだ。今日は海斗もいるからたくさん食べさせてもらうよ」
父が流暢に返した。ラーメン屋の店主は海斗に目をやると「あれ?三男の海斗くん?全然気づかなかったよ。見ないうちにいい男になったじゃないか。俺も若い頃はちょっとしゃれ込んでたもんさ」と答えた。
海斗は当時、金色に染めた髪を短く刈り込んで両耳にピアスをし眉毛を細く整えていた。
海斗は「そうですか。どうも」と無愛想に答えた。
父は「すみません」と軽く頭を下げると、店主は笑顔で「いいってもんよ」と答えた。
海斗が店内を見回すとあの頃と変わらない景色が広がっていた。店の入り口の正面にはカウンター席があり、後ろの棚には漫画が積み上げられている。厨房は丸見えで店主が飲んでいるであろう、グラスにはビールが注がれていた。両脇には扇風機が置かれ、床は油で少しベタつく。店内には小麦の香りと、餃子を焼く胡麻油の香り、客が吸うタバコの匂いが混ざり嗅覚をくすぐる。今どきは少ない昔ながらのラーメン屋だ。
まだ二人の弟が生まれる前、よく五人で来ていた。男連中はみんなチャーシューメンを頼んでいた。母は普通のラーメンを頼み早く食べ終えると、あったかい眼差しで僕らの食事を見守っていたのを海斗は思い出した。
店長が湯気の中からテボを取り出し力強く振る。熱湯は床に散らばり、湯気は高く湧き上がるとすぐ換気扇に吸われていった。ラーメンが届くまでの間、海斗も父も何も言葉を交わさなかった。きっと交わせなかったのだろう。
父のいない間、海斗は全く別人のような姿に成り果て、母は子どもを顧みず遊んでばかりの現状を伝えれば父はきっと心配する。きっと家族の元に戻ってこようとするが、母親に追い返されるのが関の山だと海斗は察していた。
海斗は自分が今、できることは何もないのだと感じていた。父に相談したところで家庭崩壊を自分が解決できるわけでもないし、父は海斗たちを助けることもできない。自分のことを話してもただ粗暴な毎日を送る俺のことをきっと父は恥じるだろう。
海斗は父に会い自分の無力さを強く感じた。
「はい。お待ち」
店長が二人の前にチャーシューメンを置いた。
「いただきます」
父の微かな声が聞こえた。父はどこでご飯を食べるにしても絶対に「いただきます」と「ごちそうさま」を欠かさない。海斗は父と離れてからそんなことも忘れていた。
「いただきます」
海斗も小さな声で口にするとゆっくりとラーメンを口へ運んだ。二人は何も話さずラーメンを食べ終えると一緒に
「ごちそうさま」と口にした。
海斗が水を一口飲むと父が口を開く。
「みんな元気か?」
「嗚呼、元気だよ」
「そうか。ならよかった」
父はこの一言を告げると店長に勘定を頼んだ。海斗は立ち上がり父の後ろで会計を見守る。
「また来なよ。次は家族連れてさ」
店長が朗らかな笑みを見せた。
「そうさせてもらうよ。今日はごちそうさま。おいしかったよ」
父も笑顔で答えた。
「ごちそうさん」
海斗も店長に挨拶をすると店長はまた、笑顔を見せて見送った。
二人は店を出た。
大きな道路に面したラーメン屋を出ると目の前にはたくさんの車が走る。車が空を切る音と作り出した風が海斗の全身を包む。空は真っ暗な夜に包まれていたが、連なる街灯の光が闇を弾き飛ばす。海斗は空を見上げ、「俺は何をしに来たのだろう」と思った。
―そもそも、父に会いたいと思ったのはなぜなのだろうか。電話番号を渡されたからなんとなく会いたかったのか?いや、そんなわけはない。俺は父に助けて欲しかったんだ。―
海斗は意を決した。ラーメン屋の前で空を眺める海斗を父は見守る。
「父さんに話があるんだ。父さんに連絡したのは父さんに会いたかったっていうのも一つ。あと一つは俺に教えてほしい。俺がどうすればいいのか」
父の目に映る海斗はガキっぽさを無くした一丁前の男だった。鋭い目つき、緊張感のある表情、力強い声が父の心を震わせた。父にとって海斗が子どもではない、男になった瞬間だった。
父もその声に応える。
「いってみろ。俺ができることなら協力する」
すると海斗は今の家の状況を伝えた。母が遊び呆けていること。母から渡されたわずかばかりの金を頼りに兄弟で力を合わせて生活していること。包み隠さず話した。
再開した時には涙を浮かべていたはずの父が意外なことに顔色を変えず、海斗に向けて言った。
「お前はどうしたいんだ」
海斗は困惑した。父は何か助け舟を出したり、同情するような言葉を発すると思っていたからだ。しかし、父は海斗の予想に反して火のついたような目で真っ直ぐに海斗の目を見つめている。
「わからねえ」
海斗は父に応える。海斗の中で疑問が生まれた。父は俺のことを息子として大切に思ってくれているが、家族のことにはさして興味を持っていないのだろうか。そんな思いに駆られていると父が重い声で海斗に諭す。
「海斗がバカじゃないことは知ってる。正直、俺を頼るか悩んだんだろう。俺はお前たち家族のことが大切だ。だから、なんぼでも力になる。でも、海斗の話を聞く限り母さんをお前たちから引き離せば問題は全て解決するのか?お前たちが俺の元にやってきて生活をするとなったら、俺は仕事でお前たちの面倒は到底見られない。それにもし、母さんとまた一緒になるにしても前のように暖かい家庭に戻れると確信できるか?離婚の原因を作った俺がいうのもおこがましいがそれが現実だ。だからこそ海斗。お前や家族にとって最良の答えはなんだと思う。それを聞かせてくれ」
海斗は父の思慮深さに触れると同時に自分の浅はかさを痛感した。父の言う通り、海斗は目の前にある家庭崩壊という問題に対して文句や不満を言うだけで、どうすれば解決できるのか、何を自分が求めているのか明確に理解していなかった。
真っ直ぐに海斗を見つめる父に何も言えずにうつむく海斗。そこには二人の親子ではなく、二人の男が立っていた。
海斗は顔を上げ父に言った。
「本当はあの頃のように父さんと母さんに仲良くしてほしいし、弟二人には温かい家庭で育ってほしいと思ってる。今の俺みたいに道を踏み外して欲しくないから。でも、父さんと母さんが寄りを戻すっていうのは正直考えられない。ならせめてあの弟たちが道を踏み外さないよう俺は真っ当に生きてあいつらにかっこいい兄の背中を見せてやるしかない」
「それで海斗はどうするんだ?」
「もうこんな荒れた生活から卒業するよ。俺たくさん勉強して高校卒業して一端の大人になってやる」
「そうか。これまで通り学費はちゃんと振り込む。高校でも大学でも気が済むまで行ってやりたいことをやれ。あと、金の件だが母さんへ送っている金はどうする?養育費は利用内容を調査して適正に使われていのかということを調査できない。でも、養育費として使っていない事実があるなら、口座を変えるとか海斗に渡すとかいろんな方法がある。最悪、児童相談所に海斗から連絡して何かしらの手立てを考えるということもできるぞ」
「いや、そこまでしなくていい。母さんの機嫌を損なって生活し辛くなるのは耐えられない。とりあえず俺もどうするか考えるよ」
海斗の顔つきはこれまで見た中で一番真剣な顔つきだった。
「いい顔つきになったな」と父が肩を叩きながら言った。
「父さんの子どもだからね。俺もう行くよ。時間も遅いし色々やらないと。今日はありがとう」
「おう。気をつけて帰れよ」
海斗は吹っ切れた顔で父に別れを告げると白く光る街灯に照らされながら真っ直ぐと歩き出した。父は海斗の背中に「お前ならできる」と心の中で語りかけた。夜の街を切り裂いて歩み進んでいく海斗の姿が見えなくなるまで父は見守っていた。
近所のラーメン屋で待ち合わせた。よく家族で行ってた店でどうしても父はそのラーメンを食べたかったようだ。夕方、店の前で待つ海斗の目の前に父が現れた。少し白髪が増えた程度で体型も歩き方も変わらない。あの頃のままだった。
海斗が父に声をかける。
「父さん。俺だよ。海斗だよ」
父は海斗を見るなり「海斗なのか…」
父は目を潤ませながら海斗の肩を叩き「久しぶりだな。電話してくれてありがとう。嬉しかったぞ」と真っ直ぐに海斗を見つめていた。
中学二年で思春期真っ只中の海斗であったが、父に会えたことがよほど嬉しかったのだろう。
「俺も父さんに会いたかった。久しぶりだね。ありがとう」
海斗が口にする。
「さぁ、早く中に入ろう」
父は海斗の肩を抱きながらラーメン屋に入った。
カウンター席しかないラーメン屋。端の席に二人の若者が座っていた。海斗と父は真反対の席に座る。店員にチャーシューメンを二つ頼んだ。
「あれ?夏木さんじゃないか。久しぶりだね」と中年で小太りだが、ガタイの良い男が驚いたように声をかける。
「あれ?店長さん。久しぶりに来ちゃったよ。ごめんな。最近は忙しくてなかなか来れなかったんだ。今日は海斗もいるからたくさん食べさせてもらうよ」
父が流暢に返した。ラーメン屋の店主は海斗に目をやると「あれ?三男の海斗くん?全然気づかなかったよ。見ないうちにいい男になったじゃないか。俺も若い頃はちょっとしゃれ込んでたもんさ」と答えた。
海斗は当時、金色に染めた髪を短く刈り込んで両耳にピアスをし眉毛を細く整えていた。
海斗は「そうですか。どうも」と無愛想に答えた。
父は「すみません」と軽く頭を下げると、店主は笑顔で「いいってもんよ」と答えた。
海斗が店内を見回すとあの頃と変わらない景色が広がっていた。店の入り口の正面にはカウンター席があり、後ろの棚には漫画が積み上げられている。厨房は丸見えで店主が飲んでいるであろう、グラスにはビールが注がれていた。両脇には扇風機が置かれ、床は油で少しベタつく。店内には小麦の香りと、餃子を焼く胡麻油の香り、客が吸うタバコの匂いが混ざり嗅覚をくすぐる。今どきは少ない昔ながらのラーメン屋だ。
まだ二人の弟が生まれる前、よく五人で来ていた。男連中はみんなチャーシューメンを頼んでいた。母は普通のラーメンを頼み早く食べ終えると、あったかい眼差しで僕らの食事を見守っていたのを海斗は思い出した。
店長が湯気の中からテボを取り出し力強く振る。熱湯は床に散らばり、湯気は高く湧き上がるとすぐ換気扇に吸われていった。ラーメンが届くまでの間、海斗も父も何も言葉を交わさなかった。きっと交わせなかったのだろう。
父のいない間、海斗は全く別人のような姿に成り果て、母は子どもを顧みず遊んでばかりの現状を伝えれば父はきっと心配する。きっと家族の元に戻ってこようとするが、母親に追い返されるのが関の山だと海斗は察していた。
海斗は自分が今、できることは何もないのだと感じていた。父に相談したところで家庭崩壊を自分が解決できるわけでもないし、父は海斗たちを助けることもできない。自分のことを話してもただ粗暴な毎日を送る俺のことをきっと父は恥じるだろう。
海斗は父に会い自分の無力さを強く感じた。
「はい。お待ち」
店長が二人の前にチャーシューメンを置いた。
「いただきます」
父の微かな声が聞こえた。父はどこでご飯を食べるにしても絶対に「いただきます」と「ごちそうさま」を欠かさない。海斗は父と離れてからそんなことも忘れていた。
「いただきます」
海斗も小さな声で口にするとゆっくりとラーメンを口へ運んだ。二人は何も話さずラーメンを食べ終えると一緒に
「ごちそうさま」と口にした。
海斗が水を一口飲むと父が口を開く。
「みんな元気か?」
「嗚呼、元気だよ」
「そうか。ならよかった」
父はこの一言を告げると店長に勘定を頼んだ。海斗は立ち上がり父の後ろで会計を見守る。
「また来なよ。次は家族連れてさ」
店長が朗らかな笑みを見せた。
「そうさせてもらうよ。今日はごちそうさま。おいしかったよ」
父も笑顔で答えた。
「ごちそうさん」
海斗も店長に挨拶をすると店長はまた、笑顔を見せて見送った。
二人は店を出た。
大きな道路に面したラーメン屋を出ると目の前にはたくさんの車が走る。車が空を切る音と作り出した風が海斗の全身を包む。空は真っ暗な夜に包まれていたが、連なる街灯の光が闇を弾き飛ばす。海斗は空を見上げ、「俺は何をしに来たのだろう」と思った。
―そもそも、父に会いたいと思ったのはなぜなのだろうか。電話番号を渡されたからなんとなく会いたかったのか?いや、そんなわけはない。俺は父に助けて欲しかったんだ。―
海斗は意を決した。ラーメン屋の前で空を眺める海斗を父は見守る。
「父さんに話があるんだ。父さんに連絡したのは父さんに会いたかったっていうのも一つ。あと一つは俺に教えてほしい。俺がどうすればいいのか」
父の目に映る海斗はガキっぽさを無くした一丁前の男だった。鋭い目つき、緊張感のある表情、力強い声が父の心を震わせた。父にとって海斗が子どもではない、男になった瞬間だった。
父もその声に応える。
「いってみろ。俺ができることなら協力する」
すると海斗は今の家の状況を伝えた。母が遊び呆けていること。母から渡されたわずかばかりの金を頼りに兄弟で力を合わせて生活していること。包み隠さず話した。
再開した時には涙を浮かべていたはずの父が意外なことに顔色を変えず、海斗に向けて言った。
「お前はどうしたいんだ」
海斗は困惑した。父は何か助け舟を出したり、同情するような言葉を発すると思っていたからだ。しかし、父は海斗の予想に反して火のついたような目で真っ直ぐに海斗の目を見つめている。
「わからねえ」
海斗は父に応える。海斗の中で疑問が生まれた。父は俺のことを息子として大切に思ってくれているが、家族のことにはさして興味を持っていないのだろうか。そんな思いに駆られていると父が重い声で海斗に諭す。
「海斗がバカじゃないことは知ってる。正直、俺を頼るか悩んだんだろう。俺はお前たち家族のことが大切だ。だから、なんぼでも力になる。でも、海斗の話を聞く限り母さんをお前たちから引き離せば問題は全て解決するのか?お前たちが俺の元にやってきて生活をするとなったら、俺は仕事でお前たちの面倒は到底見られない。それにもし、母さんとまた一緒になるにしても前のように暖かい家庭に戻れると確信できるか?離婚の原因を作った俺がいうのもおこがましいがそれが現実だ。だからこそ海斗。お前や家族にとって最良の答えはなんだと思う。それを聞かせてくれ」
海斗は父の思慮深さに触れると同時に自分の浅はかさを痛感した。父の言う通り、海斗は目の前にある家庭崩壊という問題に対して文句や不満を言うだけで、どうすれば解決できるのか、何を自分が求めているのか明確に理解していなかった。
真っ直ぐに海斗を見つめる父に何も言えずにうつむく海斗。そこには二人の親子ではなく、二人の男が立っていた。
海斗は顔を上げ父に言った。
「本当はあの頃のように父さんと母さんに仲良くしてほしいし、弟二人には温かい家庭で育ってほしいと思ってる。今の俺みたいに道を踏み外して欲しくないから。でも、父さんと母さんが寄りを戻すっていうのは正直考えられない。ならせめてあの弟たちが道を踏み外さないよう俺は真っ当に生きてあいつらにかっこいい兄の背中を見せてやるしかない」
「それで海斗はどうするんだ?」
「もうこんな荒れた生活から卒業するよ。俺たくさん勉強して高校卒業して一端の大人になってやる」
「そうか。これまで通り学費はちゃんと振り込む。高校でも大学でも気が済むまで行ってやりたいことをやれ。あと、金の件だが母さんへ送っている金はどうする?養育費は利用内容を調査して適正に使われていのかということを調査できない。でも、養育費として使っていない事実があるなら、口座を変えるとか海斗に渡すとかいろんな方法がある。最悪、児童相談所に海斗から連絡して何かしらの手立てを考えるということもできるぞ」
「いや、そこまでしなくていい。母さんの機嫌を損なって生活し辛くなるのは耐えられない。とりあえず俺もどうするか考えるよ」
海斗の顔つきはこれまで見た中で一番真剣な顔つきだった。
「いい顔つきになったな」と父が肩を叩きながら言った。
「父さんの子どもだからね。俺もう行くよ。時間も遅いし色々やらないと。今日はありがとう」
「おう。気をつけて帰れよ」
海斗は吹っ切れた顔で父に別れを告げると白く光る街灯に照らされながら真っ直ぐと歩き出した。父は海斗の背中に「お前ならできる」と心の中で語りかけた。夜の街を切り裂いて歩み進んでいく海斗の姿が見えなくなるまで父は見守っていた。
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