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184【最愛㉓】

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 薬指で光り輝く銀色の指輪を、呆然と見つめる。宝石には詳しくないから定かではないけど、ひんがよくて可愛らしいデザインの、たぶんダイヤモンド・リング。

「古くて、あまり高価なものでもないが、よかったらもらってくれないか?」
「これって、もしかして……」

 課長は、質問の意図を読み取って静かに頷く。

「昔、さかきの親父が、お袋に贈ったものなんだ」

――交通事故で亡くなった実のお父さんが、生前お母さんに贈られたもの。

 同じ事故で頭に重傷を負い、今も植物状態のまま眠り続けているお母さんの、思い出の指輪……。

「――私、そんな大切なもの、いただけません」

 はめられた指輪を外そうと、薬指に慌てて伸ばした右手が、課長の大きな手のひらで包まれるように制される。

「もらってやってくれないか? これはもともと九年前、君に贈るために、母から預かったものなんだ」

「……え?」

――九年前、私に贈るためにお母さんから預かったもの?

 静かにうなずく課長の瞳の奥に、懐かしむような、それでいて愁いを含んだ悲しみの影が揺れている。

「九年前、『本気で将来を考えている女性ができた』と言ったら、『いつかプロポーズをする時が来たら使いなさい』と、母から渡されたものだ」

 九年前。
 そんなやり取りが、課長とお母さんとの間で交わされていたなんて。

「そうだったんですか……」

 薬指で輝く指輪を、そっと撫でてみる。
 こみ上げるのは純粋な喜びと、未だに病院のベットの上で昏睡から目覚めることのない人への、哀惜の念。

――どうか。どうか、いつの日か。
『ありがとうございます』と、直接、お礼を言える日が来ますように。

 そう、心から祈った。

「……知らなかったです。課長には、九年前、『本気で将来を考えている女性』がいたんですね」

 怪しくなってしまった涙腺を悟られまいと私がおどけて口を開けば、課長はそんなことはお見通しとばかりに、柔らかい笑顔を浮かべる。

「そうなんだ。ぜんぜんタイプじゃないのに、危なっかしくて目が離せなくて、見ているとついつい構いたくなって、姿が見えないと妙に落ち着かなくて……」
「ぜんぜんタイプじゃない……」

 その言葉に軽くショックを受けて呟けば、課長は喉の奥でクスリと笑って、私の右頬に左手を伸ばした。

「これはもう、他の誰かにかっさらわれる前に先手を打たないと、と思ったわけさ」

 そっと頬の稜線をなでられて、走るくすぐったい感触に、私もクスリと笑う。

 結局、渡されることのなかった指輪が、時を経て今こうして私の指でひっそりと光輝いている。えにしと言うものがあるのなら、この指輪と私には、こうして巡り合う縁があったのだろう。

 そうして、この指輪を渡してくれた課長とも、その縁は続いている。今は、それが信じられる。

「この指輪はもともと君に贈るはずのものだった。お袋も、そう願っていると思う。だから、受け取って欲しい」

 課長のお父さんからお母さんへ贈られ、課長へと託された大切な指輪。それを私に婚約の証しとして贈ってくれた。

 世界中探したって、こんなに真心が込められた素敵なプレゼントは、きっとない。

「……はい。ありがとうございます」
「こちらこそ、受け取ってくれて、ありがとう」

 私が思わず滲んでしまった目尻の涙を指先で拭って頷けば、課長は嬉しそうに笑ってくれた。

 これで、課長の長い長い『大事な話』は終わり。そう思ったのに――。

 課長は、一つ大きく息を吐きだすと、表情を真剣なものに切り替えた。

「あと、最後にもう一つだけ、話しておきたいことがあるんだ」

 明らかに低くなった課長の声のトーンに不穏なものを感じて、思わずごくりと喉が鳴った。

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