182 / 211
181【最愛⑳】
しおりを挟む課長の爆弾発言は今に始まったことじゃないけど、これは、格別に、今までで一番大きな爆弾だ。
だって、昨日の今日。
気持ちが通じ合った次の日に、まさか結婚を申し込まれるなんて、思いもしなくて。喜びよりも、驚きの割合の方がかなり大きい。
「……」
すぐに反応できない私は、ただ呆然と、課長を見つめ返した。
無言の私の反応をどう取ったのか。課長は姿勢を正すと、もう一度少しニュアンスを変えて言い直した。
「俺と、結婚してくれませんか?」
「ええっと、あの……」
言い方に不満があったわけじゃ、ないんですけど。
「うん?」
「その、婚約者候補の方は……?」
どうされるのでしょうか?
素朴な疑問を口にすれば、課長は私の反応の薄さの原因に合点がいったように、『ああ』と、頷いた。
「その件なら、あちら側には、結婚を考えている女性がいるから話を白紙に戻して欲しい旨の謝罪と申し入れをしてある」
「ええっ!?」
思わずすっとんきょうな声が出てしまったのは、仕方がないと思う。なにせ、私の『一番の悩みのタネ』が、実はもう存在しなかったなんて、想像できるわけがない。
「そ……、そうなんですか?」
「ああ。正式に申し入れてあるから心配ない」
――そうだったのかぁ……。
うううっ。なぜいらない情報ばかり耳に飛び込んでくるのに、心底欲しい情報は一番最後に入ってくるんだろう。
あれ? でも、そんなにすんなり婚約の話って白紙に戻るモノなの?
「あの、それじゃ課長の立場が悪くなるんじゃ……」
「そうだなぁ……」
課長は苦笑を浮かべて、ぼやくように言った。
「むしろ攻略が難しいのは、相手方より身内の方かもしれない。なにせ、あの親父は頑固者だから……」
「そう、なんですか?」
「ああ、かなりな」
クスリと笑う課長のその表情は、照れくさいようなそれでいて誇らしいような、そんな表情だった。
「でもあの人は、話して分からない人間ではないから」
――ああ、そうか。
課長は、伯父さんの、お義父さんのことが、好きなんだな。
そう、感じた。
窮地を救ってくれた恩人だとは言っても、『母親の延命と引きかえに』。その上『意に沿わない結婚をさせられた』。きっと、お金にモノを言わせて他人を思い通りにするような高慢な人なんだ。
谷田部総次郎氏に対して、そんな漠然としたマイナスイメージを持ってしまっていたけど。それがあいつ、私の天敵、谷田部凌による巧みな洗脳だと、ふと気づく。
――そっか。そうだよね。
課長の血の繋がった、実の伯父さんでもあるんだから、そんなに、悪い人のわけがないじゃない。
「少し時間はかかるかもしれないが、谷田部の義父をかならず説得して、君との結婚を認めてもらう。だから一緒になってくれないか?」
『結婚』
この先の人生を、大好きな人と一緒に歩いて行く。
ぜったい叶うはずがないって思っていた、幸せな未来。
突然、現実味を帯びてきた夢のような話しに、急に不安になってしまう。
――まさか、これって、本当に夢を見てる……
なんてことないでしょうね?
ふと目が覚めたら、ひとり淋しく自分のベットの上で。
やっぱり私は、この人にとって、ただの元カノで、ただの部下。
変えようがない現実に、一人、さめざめと涙を流す自分。
――ありそう。ありえそうで、笑えない。
それに現実問題、私は私自身しか持っていない。
経済的なバックアップも有力な人脈も、『谷田部』の利益となるような要素は、皆無だ。卑下するわけじゃないけど、冷静に考えて課長のお義父さんの御眼鏡に適うか甚だ自信がない。
課長が、説得に苦戦するのが目に見えるようだ。
もしかしたら、お義父さんの不興を買って、谷田部での課長の立場が悪くなったりとか……。
課長のことだから、そういうことも全部分かった上で、結婚を申し込んでくれているんだろうけど。
「私で、いいんですか?」
思わず問えば「君が、いいんだ」と、私のつまらない杞憂を吹き飛ばしてくれるような、満面の笑顔が向けられた。
「俺は昔、一度、君を裏切った人間だ。それでも君は、そんな俺を好きだと言ってくれた。隙あらば、君を取り戻したいと狙っていた俺としては、このチャンスを逃す手はないだろう?」
おどけたように片眉を上げる課長の表情に、思わず『ぷっ』っと、ふきだしてしまう。
「なんですか、それは?」
「俺の本音、もしくは魂の叫びとも言う」
「初めて知りました、そんな本音。課長ってば、まじめに仕事をしているふりをして、そんな不届きなことを考えていたんですね?」
「仕事はまじめにしていたさ。『そんな不届きなことも』それ以上に、大まじめに考えていただけで」
「実は、私も考えてました、『そんな不届きなこと』」
二人とも、クスクス笑いが止まらない。
「じゃあ、似たものどうしということで。この際、一緒になってみるのは、どうだろう?」
冗談めかしているけれど、それが本気だと、私には分かった。
私は仕事だけが取り柄のような不器用な人間だ。それでも、そんな私が良いと言ってくれたから。
私も勇気を出して、この一歩を踏み出そう。
姿勢を正して課長の瞳をまっすぐに見つめ返し、私は、小さな決意を言葉に変える。
「はい。私でよければ、よろこんで」
0
お気に入りに追加
962
あなたにおすすめの小説
【R-18・短編】部長と私の秘め事
臣桜
恋愛
彼氏にフラれた上村朱里は、酔い潰れていた所を上司の速見尊に拾われ、家まで送られる。タクシーの中で元彼との気が進まないセックスの話などをしていると、部長が自分としてみるか?と言い……。
かなり前に企画で書いたものです。急いで一日ぐらいで書いたので、本当はもっと続きそうなのですがぶつ切りされています。いつか続きを連載版で書きたいですが……、いつになるやら。
ムーンライトノベルズ様にも転載しています。
表紙はニジジャーニーで生成しました
【R18・完結】蜜溺愛婚 ~冷徹御曹司は努力家妻を溺愛せずにはいられない〜
花室 芽苳
恋愛
契約結婚しませんか?貴方は確かにそう言ったのに。気付けば貴方の冷たい瞳に炎が宿ってー?ねえ、これは大人の恋なんですか?
どこにいても誰といても冷静沈着。
二階堂 柚瑠木《にかいどう ゆるぎ》は二階堂財閥の御曹司
そんな彼が契約結婚の相手として選んだのは
十条コーポレーションのお嬢様
十条 月菜《じゅうじょう つきな》
真面目で努力家の月菜は、そんな柚瑠木の申し出を受ける。
「契約結婚でも、私は柚瑠木さんの妻として頑張ります!」
「余計な事はしなくていい、貴女はお飾りの妻に過ぎないんですから」
しかし、挫けず頑張る月菜の姿に柚瑠木は徐々に心を動かされて――――?
冷徹御曹司 二階堂 柚瑠木 185㎝ 33歳
努力家妻 十条 月菜 150㎝ 24歳
昨日、課長に抱かれました
美凪ましろ
恋愛
金曜の夜。一人で寂しく残業をしていると、課長にお食事に誘われた! 会社では強面(でもイケメン)の課長。お寿司屋で会話が弾んでいたはずが。翌朝。気がつけば見知らぬ部屋のベッドのうえで――!? 『課長とのワンナイトラブ』がテーマ(しかしワンナイトでは済まない)。
どっきどきの告白やベッドシーンなどもあります。
性描写を含む話には*マークをつけています。
おっぱい、触らせてください
スケキヨ
恋愛
社畜生活に疲れきった弟の友達を励ますべく、自宅へと連れて帰った七海。転職祝いに「何が欲しい?」と聞くと、彼の口から出てきたのは――
「……っぱい」
「え?」
「……おっぱい、触らせてください」
いやいや、なに言ってるの!? 冗談だよねー……と言いながらも、なんだかんだで年下の彼に絆されてイチャイチャする(だけ)のお話。
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
セフレはバツイチ上司
狭山雪菜
恋愛
「浮気というか他の方とSEXするつもりなら、事前に言ってください、ゴムつけてもらいます」
「ぷっくく…分かった、今の所随分と他の人としてないし、したくなったらいうよ」
ベッドで正座をする2人の頓珍漢な確認事項が始まった
町田優奈 普通のOL 28歳
これから、上司の峰崎優太郎みねざきゆうたろう42歳に抱かれる
原因は…私だけど、了承する上司も上司だ
お互い絶倫だと知ったので、ある約束をする
セフレ上司との、恋
こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載されてます。
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる