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181【最愛⑳】

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 課長の爆弾発言は今に始まったことじゃないけど、これは、格別に、今までで一番大きな爆弾だ。

 だって、昨日の今日。
 気持ちが通じ合った次の日に、まさか結婚を申し込まれるなんて、思いもしなくて。喜びよりも、驚きの割合の方がかなり大きい。

「……」

 すぐに反応できない私は、ただ呆然と、課長を見つめ返した。
 無言の私の反応をどう取ったのか。課長は姿勢を正すと、もう一度少しニュアンスを変えて言い直した。

「俺と、結婚してくれませんか?」
「ええっと、あの……」

 言い方に不満があったわけじゃ、ないんですけど。

「うん?」
「その、婚約者候補のかたは……?」

 どうされるのでしょうか?

 素朴な疑問を口にすれば、課長は私の反応の薄さの原因に合点がいったように、『ああ』と、頷いた。

「その件なら、あちら側には、結婚を考えている女性がいるから話を白紙に戻して欲しい旨の謝罪と申し入れをしてある」

「ええっ!?」

 思わずすっとんきょうな声が出てしまったのは、仕方がないと思う。なにせ、私の『一番の悩みのタネ』が、実はもう存在しなかったなんて、想像できるわけがない。

「そ……、そうなんですか?」
「ああ。正式に申し入れてあるから心配ない」

――そうだったのかぁ……。
 うううっ。なぜいらない情報ばかり耳に飛び込んでくるのに、心底欲しい情報は一番最後に入ってくるんだろう。

 あれ? でも、そんなにすんなり婚約の話って白紙に戻るモノなの?

「あの、それじゃ課長の立場が悪くなるんじゃ……」
「そうだなぁ……」

 課長は苦笑を浮かべて、ぼやくように言った。

「むしろ攻略が難しいのは、相手方より身内の方かもしれない。なにせ、あの親父は頑固者だから……」
「そう、なんですか?」
「ああ、かなりな」

 クスリと笑う課長のその表情は、照れくさいようなそれでいて誇らしいような、そんな表情だった。

「でもあの人は、話して分からない人間ではないから」

――ああ、そうか。
 課長は、伯父さんの、お義父さんのことが、好きなんだな。
 そう、感じた。

 窮地を救ってくれた恩人だとは言っても、『母親の延命と引きかえに』。その上『意に沿わない結婚をさせられた』。きっと、お金にモノを言わせて他人を思い通りにするような高慢な人なんだ。

 谷田部総次郎氏に対して、そんな漠然としたマイナスイメージを持ってしまっていたけど。それがあいつ、私の天敵、谷田部凌による巧みな洗脳だと、ふと気づく。

――そっか。そうだよね。
 課長の血の繋がった、実の伯父さんでもあるんだから、そんなに、悪い人のわけがないじゃない。

「少し時間はかかるかもしれないが、谷田部の義父をかならず説得して、君との結婚を認めてもらう。だから一緒になってくれないか?」

『結婚』

 この先の人生を、大好きな人と一緒に歩いて行く。
 ぜったい叶うはずがないって思っていた、幸せな未来。

 突然、現実味を帯びてきた夢のような話しに、急に不安になってしまう。

――まさか、これって、本当に夢を見てる……
 なんてことないでしょうね?

 ふと目が覚めたら、ひとり淋しく自分のベットの上で。
 やっぱり私は、この人にとって、ただの元カノで、ただの部下。
 変えようがない現実に、一人、さめざめと涙を流す自分。

――ありそう。ありえそうで、笑えない。

 それに現実問題、私は私自身しか持っていない。
 経済的なバックアップも有力な人脈も、『谷田部』の利益となるような要素は、皆無だ。卑下するわけじゃないけど、冷静に考えて課長のお義父さんの御眼鏡に適うか甚だ自信がない。

 課長が、説得に苦戦するのが目に見えるようだ。
 もしかしたら、お義父さんの不興を買って、谷田部での課長の立場が悪くなったりとか……。

 課長のことだから、そういうことも全部分かった上で、結婚を申し込んでくれているんだろうけど。

「私で、いいんですか?」

 思わず問えば「君が、いいんだ」と、私のつまらない杞憂を吹き飛ばしてくれるような、満面の笑顔が向けられた。

「俺は昔、一度、君を裏切った人間だ。それでも君は、そんな俺を好きだと言ってくれた。隙あらば、君を取り戻したいと狙っていた俺としては、このチャンスを逃す手はないだろう?」

 おどけたように片眉を上げる課長の表情に、思わず『ぷっ』っと、ふきだしてしまう。

「なんですか、それは?」
「俺の本音、もしくは魂の叫びとも言う」
「初めて知りました、そんな本音。課長ってば、まじめに仕事をしているふりをして、そんな不届きなことを考えていたんですね?」
「仕事はまじめにしていたさ。『そんな不届きなことも』それ以上に、大まじめに考えていただけで」
「実は、私も考えてました、『そんな不届きなこと』」

 二人とも、クスクス笑いが止まらない。

「じゃあ、似たものどうしということで。この際、一緒になってみるのは、どうだろう?」

 冗談めかしているけれど、それが本気だと、私には分かった。

 私は仕事だけが取り柄のような不器用な人間だ。それでも、そんな私が良いと言ってくれたから。
 私も勇気を出して、この一歩を踏み出そう。

 姿勢を正して課長の瞳をまっすぐに見つめ返し、私は、小さな決意を言葉に変える。

「はい。私でよければ、よろこんで」


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