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150【真実⑭】
しおりを挟むこれは、私の気持ちの踏ん切りをつけるための儀式だ。ただ、そのためだけの通過儀礼。
東悟の答えは分かっている。この人は、課せられた責任を放り出すような身勝手な人間じゃない。九年前そうだったように、今も、この人の本質は変わらない。
きっと私の思いが実を結ぶことは、ないだろう。でもあえて告白しよう。東悟には迷惑なだけだろうけど、甘えさせてもらおう。
当たって、砕けろ。きれいさっぱり、未練なんか微塵も残らないくらいに、砕けてしまえ。
穏やかな眼差しを向ける東悟の瞳をまっすぐ見据えて、清水の舞台から飛び降りるような決意で私が口を開こうとした、まさにその時。
ガラリと、何の前触れもなく病室のスライドドアが開いて、私の一大決心の成果は、喉の奥深くに勢いよく引っ込んでしまった。
「目が覚めたみたいね」
聞き覚えのない涼やかな澄んだ声音が、静かな病室内に響く。
全身金縛り状態の私にむかって、さっそうとした足取りで歩み寄ってきたのは、白衣のビーナス、もとい白衣を身にまとった、やたらと美人な妙齢の女医さんだった。
クレオパトラを思わせる漆黒のショートボブが、肩口でサラサラと揺れ、はっきりとした目鼻だちのフェイスラインを、軽やかに縁取っている。豊かな胸に付けられた白いネームプレートには、Dr.水町惠と書かれていた。
「気分は、どうかしら?」
ニッコリと、魅惑的な笑顔で問われた私は、形ばかりの笑顔を浮かべた。
――もう、最悪です。
一大決心が、別の意味で木端微塵です。
足音、しなかったんですけど、忍者ですか?
「はい、大丈夫です……」
テンパるあまり、聞こえていたはずの足音さえ気付かずにいたらしい。
あと、十分。
ううん、せめて五分でもいいから、告白する時間が欲しかった。
やっと、告白する決意をしたと思ったとたんに、邪魔が入る。
いったいこれは、何の因果だろう?
――うう。
なんだか、涙がでそう。
この気持ちは口に出さずに一生心に秘めておけっていう、神様だか悪魔だかの啓示だろうか。
思わずシュンとしょげ返っていたら、女医さんは、私の脈をとりながら励ますように笑みを深めた。
「薬の効果はもう切れているから、このまま帰ってもらって大丈夫よ。念のため、明日一日は家で安静にしていること。何かあれば、すぐに受診してくださいね」
そうだったと、薬を飲まされて危機一髪だったのだと嫌な記憶が脳裏をよぎり、下がったテンションは更に下がりまくり地面を掘りにかかった。
「……はい、ありがとうございました」
ぐったりと覇気のない声でお礼を言い、ベットから足を下ろして、ふらりと立ち上がる。よろけたわけではないけれど、課長が背中に手を添えてくれた。
「ありがとうございます、課長」
気遣ってくれたことにお礼を言い、ふと、自分の中の彼の呼び名が、東悟から課長に逆戻りしていることに気付き、小さく溜息をつく。
「本当に平気か? つらかったら二、三日入院していってもいいぞ?」
そのため息を体調の悪さから出たものだと思ったのか、課長は心配げに問いかけてきた。
――とんでもない!
私は、即座にぶるぶると、頭を振る。
こんなに静かな場所で二、三日も一人で時間をもてあましたら、沈みこんだ気持ちは穴を掘り進んで地球の裏側に出てしまう。
幸い、仕事は猫の手も借りたいほど忙しい。こういう時は、仕事に没頭するに限る。
「もう平気です。すっかり熟睡したみたいで、体調はむしろ、いい感じですから」
「なら、いいんだが……」
私と課長のやり取りを横で見ていた美人女医さんが、ニッコリと、満面の笑顔で会話に加わった。
「あらあら、谷田部君。てっきり彼女さんなのかと思ったら、会社の部下の人なの?」
「だから、最初に『会社の部下』の具合が悪くなったって、言ったと思いますが、水町先輩」
ニッコリと笑顔で答える課長に、課長の先輩らしい美人女医さんは、からかうように『ん?』と、整った柳眉を釣り上げる。
「そうだったかしら?」
「そうです」
「ふーん。でも、あの、慌てっぷりを見たら誰だって――」
「先輩が当直の日で、ほんと、助かりました。持つべきものは、優秀で融通が利く美人女医な先輩ですね。ありがとうございます。また何かあったら、よろしくお願いします」
女医さんの言葉をひったくるように、課長が、ニコニコと鉄壁の営業スマイルと弾丸トークで、尚も続きそうな会話に終止符を打つ。
「まあいいわ。その辺のことは、今度酒の肴に、とっくりと聞かせてもらうことにするから。あ、もちろん、君のおごりでね」
「ご随意に」
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