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71【親友⑥】

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「……キス、したんですか?」

 事実を確認するように、美加ちゃんは静かに口の中で復唱する。

 その表情に浮かんでいるのは、驚きと、何かを逡巡しゅんじゅんするような難しげな色。それは、日頃元気な美加ちゃんがあまり浮かべたことがない種類の表情で、意味もなく胸の奥がざわめく。

 もしかして美加ちゃん、怒ってる?

「……うん。あ、でもほら。私も課長もお酒が入っていたから、その場の雰囲気でって言うか。偶発事故って言うか。まあ、そんな感じだから、特別意味のあることじゃないのよ」

 きっと、そうだ。
 自分に言い聞かせていたら、美加ちゃんはニコリともせずに固い表情で、鋭すぎる質問を投げてきた。

「先輩は、課長にそのキスの意味を聞いたんですか?」
「え?」
「どうしてキスしたのか、聞いたんですか?」
「ううん……」

 否、と頭を振る私に、美加ちゃんはぴしゃりと言い放った。

「どういうつもりなのか、ちゃんと聞かなきゃだめです」
「でも……」
「デモもストもないです。このままウヤムヤになって、課長は婚約者とラブラブでそのうち結婚なんかしたりして、先輩は一人寂しくこのクソ忙しいお堅い仕事一筋に生きる、なんてことになっても良いんですかっ?」

 淡々としたトーンの声なだけに、迫力が違う。

「堅いお仕事って、上手いこと言うわね美加ちゃん」

 確かに鉄骨建築の図面書きなんて、堅いことこの上ない。
 変なところで笑いのツボを刺激されて、思わずへらっと笑ってしまった。でも、美加ちゃんは表情を崩すことなく、尚も真剣な面持ちで淡々と言葉を紡いでいく。

「あたしがいつも先輩と課長のことをはやし立てていたのは、先輩も課長も、お互いに想いあっていることが分かったからです。好きな者同士が惹かれあって愛しあって何がいけない、ってのがあたしの持論ですから」

 ふう、と一つため息を吐き、美加ちゃんは言葉を続ける。

「先輩を見てるともどかしいんです、あたし。仕事だってバリバリできて、ちゃんとメイクすればすごく綺麗なのに。最初から自分には無理だってあきらめてしまってる。でもそれじゃ、何も始まりませんよ?」

 最初からあきらめている。そう。その通りだ。
 でも私は、自分が最善だと思う道を進んでいるだけだから、他にどうしようもない……。

「そう……だね」
「このままじゃ、恋も運もみんな逃げだしちゃいますよ。知ってます? チャンスって言うのは、前髪が長くて後ろ髪が禿げ上がっているんですって」

 後ろ髪が禿げ上がっている、チャンス?

 キョトンと見つめていたら、美加ちゃんはふっと目元を和らげて口の端をあげた。

「だから、チャンスが来たと思ったら迷わずすかさず、長い前髪をガッチリ掴んで自分に引き寄せるんです」

 そのビジョンがリアルに思い浮かんで、思わずクスリと笑い声が漏れた。

「でも、手を伸ばすのをウダウダと迷って、チャンスが通り過ぎてから掴もうとすると――」

 わかります? って小首を傾げる美加ちゃんの続きの言葉を、私は声にしてみた。

「『後ろ髪が禿げ上がっている』から、つるつる滑って掴めない?」
「ピンポーン!」
「上手いこと言うわね」

 本当に関心していたら、「あたしも他人からの受け売りです。エッヘン!」と、美加ちゃんは豊かな胸を張った。

「あたしは一人っ子だから、先輩のこと、本当のお姉ちゃんみたいに思っているんです。だから、先輩にはもっと幸せになって貰いたいんです。それだけなんです」

 こんなに一生懸命、私のために心を砕いてくれる人が居る。

 心の底からジンワリと温かいものがあふれだし、寒さに凍えた体を温めてくれる。

 私って、なんて果報者かほうものなんだろう。
 私は美加ちゃんに出会えただけでも、この会社に入った意味がある。

 もしも又これから私が傷ついて泣くことがあったとしても、美加ちゃんなら、その愚痴を快く聞いてくれるだろう。一緒に泣いてくれるだろう。

 そう思える友達がいるって、なんて幸せなんだろう。

「ありがとう。私も、頑張るよ」
「そうそう。頑張ってくださいよー」

 真剣に心の内を吐露とろした反動か、美加ちゃんは少し照れくさそうにおどけてそう言うと、ピッと親指を立てた。

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