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59【逢瀬⑫】
しおりを挟む自惚れていたんだ、私。
私にとって課長の存在が特別なように、奥さんがいても子供がいてもそれでも、心のどこかでは特別に思ってくれているんじゃないかって、そう自惚れていた。
その証拠に、なぜ本当のことを教えてくれなかったのかと、心のどこかで課長を責めるような気持ちがある。自分は、課長にとってはただの部下。それ以上でもそれ以下でもない。
それを嫌と言うほど思い知らされた。だから、こんなにショックなんだ。
「……そっか。じゃあ、婚約者候補さんは、美人さんでいいねぇ」
思ってもいない言葉が、舌の上を滑り落ちる。
「美人だけど、真理はキライ!」
「え……、どうして?」
子供らしく唇をツンと尖らす真理ちゃんの顔を、まじまじと覗き見た。
「パパが好きな人じゃないから」
課長が好きな人じゃない?
「でも、婚約者候補なんでしょ?」
「うん。でもパパが決めたんじゃなくて、おじぃちゃまが決めたの」
――おじぃちゃま?
またもや初めて耳にするブルジョワ感あふれるその単語に、目を瞬かせる。
さっきの婚約者嬢の『ですわ』にしろ今の真理ちゃんの『おじぃちゃま』にしろ、そこに漂うのは私とは縁遠いハイソな世界観。
「真理、結婚は好きな人とするのが良いと思うの。セイリャク結婚なんて、時代遅れよ。そう思わない高橋さん?」
「あ、あははは……」
確かに時代遅れだとは思うけど、人様の家庭の事情に口を出すわけにはいかない。
「そうかもねぇ……」
もう、笑ってごまかそう。
『政略結婚』、その単語が決定打だった。
もしかしなくても、課長は所謂『セレブ』と言われる人種なのだろう。ごく普通の一般庶民の家庭で政略で結婚する必要はないのだから、それなりの家柄なのだ。
なんだ。
そうか。そうだったのか……。
始めから。もしかしたら、出会った当初から二人の間に特別なものがあるなんてのは私の激しい思い込みで、一方的な私の片思いだったのかもしれない。
今更ながら、私は家の事も含めて東悟の事を何も知らない。
大学の先輩だった『榊東悟』時代から、今の上司である『谷田部東悟』まで、私はあの人の事を見事なまでに何も知らないのだ。
それこそ、奥さんが亡くなっていることすら、知らなかった。
ああ、なんだか、果てしなく落ち込んできた。
「それにね」
「うん?」
「玲子さんは、パパがいる時といない時で態度が違うから、キライなの」
「そ、そうなの?」
「うん、そうなの」
真理ちゃんは、コクリと頷く。
子供の目は侮れない。
真理ちゃんがそう感じるのなら、あの美しい人は多かれ少なかれ、そういう態度を取るのだろう。
それに、この子はとても賢い。
父親の気持ちを見抜けるほどに。
でも、年に似合わぬその賢さが、なんだか悲しく思えた。
私がこのくらいの頃、世界はもっと単純で優しかった。楽しいことで満ち溢れていた。
ここは、遊園地。隣は動物園。
子供は、楽しく遊ばなければ。
この子にも、父親の婚約者候補に気を使うことなどなく、そんな時間を過ごす権利があるはずだ。
「よぉし! 真理ちゃん!」
「なあに?」
オレンジジュースを飲みながら首を傾げる真理ちゃんに、私は作り笑いではなく、会心の笑みを向けた。
「食べ終わったら、高橋さんと一緒に、乗り物に乗ろう!」
真理ちゃんの顔に、子供らしい満面の笑みが浮かぶ。
「うん!」
そう、ここは遊園地。
大人だって、めいいっぱい楽しんでいいはずだ。
嫌なことは全部、忘れよう!
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