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43【告白⑱】

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 タクシーが来る間、酔い覚ましにコーヒーでも飲もうかと言うことになって、代行で帰るという飯島さんとナイトラウンジで分かれ、私と課長は二人で同じフロアにある喫茶コーナーに足を運んだ。

 酷く苦く感じるアメリカン・コーヒーをすすりながら、課長も私も、何も言葉は発しなかった。

 課長は、昔はともかく会社では必要以上の無駄口を叩くような人じゃないし、私は、とてもじゃないけどおしゃべりをする気にはなれなかった。

 たぶん、今何か言葉を発したら、胸の奥で出口を求めてグルグルと渦を巻いているこの感情が、せきをきって溢れ出してしまうだろう。
 それが、怖かった。

「結局、まともな食事をしそこなってしまったな……」

 ふと、思い出したように、課長が自嘲気味な呟きをもらした。

「……はい」
「何か、食べていくか? と言ってもこの時間だから、食べられるものは限られるだろうが」

 私は、ただ小さく『否』と、頭を振った。
 今日、ここへ来る前の私だったらきっと喜んでお供しただろうけど、今の私にその覇気はない。

「そうか……」

 もうすぐ午前零時。
 シンデレラの魔法は、すぐに消えてしまう。

 どうせ消えてしまうものならば、最初からないほうが良いのだろうか? それとも、一時でも幸せな夢を見られた方が良いのだろうか?

 どちらが、より、幸福の領分に近いのだろう?



 二人だけを乗せたエレベーターが、夢の世界から現実へと降りていく。

 週末が明けて月曜日が来て、また慌ただしい毎日が繰り返される。それは退屈で、とても幸せなこと。それ以上を望んだら、きっとバチがあたってしまう。

 ぼんやりと見つめていたまだ消えきらない町の灯が、不意にぐにゃりと歪んで滲んでいく。

 ――ばか、泣くな。
 こんな所で、泣くんじゃない。
 あんたが泣くことなんて、何もない。

 頬を伝い落ちるモノを悟られまいと、階下の景色を見ているふりで表情を隠したのに。ふっと、頬に、温もりが触れた。長くて繊細な指先が、濡れた頬を優しく拭っていく。

「梓……」

 耳元で、静かなテノールが甘い囁きを落とす。

 ――だめだ、だめ。流されたら、だめ。

 そんな微かな抵抗は力強い腕に引き寄せられ、その懐に抱え込まれて、あまりにも脆く崩れさった。

 真摯な黒い瞳に、視線を絡め取られて。
 躊躇うように、そっと触れた唇が、徐々に熱を帯びて深みにはまっていく。

 触れたいと望んでいたのは、たぶん私の方。なのに、触れてしまえば否が応でも気づかされてしまう、変えようがない残酷な現実。

 何もかも捨て去って、溺れてしまえたらどんなに楽だろう。

 でも、どう足掻いたところで、私は私以外の人間にはなれない。不器用なのも頑ななのも、全部私と言う人間の変えようがない本質だから。その腕の戒めが緩んだ瞬間、私はスルリと抜け出してエレベーターの隅に背を寄せた。

「や……だなぁ、課長ってば、何酔っぱらっているんですか? これってセクハラですよー」

 もう泣き笑いのぐしゃぐしゃな顔で、それでも笑って。

 このキスにどんな意味があるかなんて、考えちゃだめだ。これは、ただの酒の席での、偶発的事故みたいなものなんだから。

「梓、俺は……」

 顔を見なくても分かる、きっと苦しそうな表情をしているはずのこの人を、これ以上惑わせたらいけない。

「今日の所は、ビギナーズラックで、大目に見てあげますから。でももうだめですよ。今度やったら、狸親父に言いつけますからね!」

 広がる闇は深く。募るだけの想いは、虚空を舞い落ちる季節外れの淡い雪のように、ただ静かに心の深淵に降り積もっていく。

 いつか、この雪も、溶ける日が来るのだろうか。

 それとも……。

 今の私に、答えは見えない――。


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