47 / 52
第十四話 【約束】夏の終わりに。
47
しおりを挟む浩二の腕の中で、まるで眠っているみたいに、微笑みさえ浮かべて。
陽花は、静かに息をひきとった。
ほんの二十五年。
あまりにも早すぎる死を、他人は可哀想だと、不幸だと言うけど。 は、そうは思わない。
だって。
陽花は、最後に、特上の笑顔を見せてくれた。
可哀想な人間が、不幸な人間が、あんな満ち足りた笑顔をできるはずがない。
だから。
陽花は、幸せだったんだ――。
陽花が、火葬にされている間。私は、親族の人たちのいる控え室から一人離れて、火葬場の玄関ポーチから、ボンヤリと周りの景色を眺めていた。
小高い丘に建てられているこの火葬場からは、のんびりとした、午後の田園風景が広がっているのが一望できる。
先日まではあんなに、もこもこと賑やかに空を埋め尽くしていた入道雲はいつの間にか姿を消して、今日は秋めいた薄い鱗雲が広がっていた。
うるさいくらいに大合唱していたアブラゼミの鳴き声も、心なしか元気がない。
頭を垂れ始めた、黄金色に変化しつつある稲穂の間を吹き抜けてくる風に微かに混じっているのは、もうそこまで来ている秋の気配。
秋の気配が混じった、それでもまだ夏の名残りを充分に含んだ、生ぬるい風に頬を撫でられながら、私は、静かに目を閉じた。
押さえきれない感情の波が、うねるように、心の中で渦を巻く。
陽花はもう、この世界のどこにもいないのだと、もう、二度と会えないのだと、頭では理解している。
でも――。
昨日まではあった笑顔が、もう見られないこと。
昨日までは聞こえた澄んだ声が、もう聞けないこと。
昨日までは感じられた温もりが、もうどこにもないこと。
頭では理解していても、感情がついていかない。心がついていかない――。
荒れ狂う波に押し出されるように、込み上げてくる熱いものが、せきを切って溢れ出そうとしたその時。
「佐々木!」
ふいに、前の方から声を掛けられて、私は、弾かれたように視線を上げた。
低音の、聞き覚えがある落ち着いた声音――。
巡る視線の先で、喪服に身を包んだ長身の男性が、駐車場の方からゆっくりと私の方へ歩いてくるのが見えた。
「伊藤君……」
どうして?
ここに来るはずがない、その人の名前を、私は掠れる声で呟く。
「急なことで大変だったな……。浩二も、来ているんだろう?」
心配そうに、私に向けられる瞳は、相変わらず真っ直ぐで陰りがない。私は、私より頭一つ分高い位置にある、その瞳を静かに見つめ返した。
「うん、一応、婚約者だからね。親族の人たちと、控え室の方にいるよ。なんだか、色々やることがあって大変みたい」
「そうか……」
浩二は、たぶん来られないだろうって言ってたけど、来てくれたんだ……。
「伊藤君、今日から海外へ親善試合に行くって聞いたけど、大丈夫なの?」
「ああ。焼香をすませて、浩二の顔を見たら、すぐに戻らなきゃいけないんだが……」
「そっか。忙しそうだね」
「なあ、佐々木」
「うん?」
「佐々木は、大丈夫か?」
「え? あ、うん。大丈夫、大丈夫」
心配そうな瞳に覗き込まれて、私はブンブン頭を振った。
0
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説
夫の不貞現場を目撃してしまいました
秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。
何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。
そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。
なろう様でも掲載しております。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】
橘
ライト文芸
《5/31 その後のお話の更新を始めました》
私は――
気付けばずっと、孤独だった。
いつも心は寂しくて。その寂しさから目を逸らすように生きていた。
僕は――
気付けばずっと、苦しい日々だった。
それでも、自分の人生を恨んだりはしなかった。恨んだところで、別の人生をやり直せるわけでもない。
そう思っていた。そう、思えていたはずだった――。
孤独な男女の、静かで哀しい出会いと関わり。
そこから生まれたのは、慰め? 居場所? それともーー。
"キミの孤独を利用したんだ"
※注意……暗いです。かつ、禁断要素ありです。
以前他サイトにて掲載しておりましたものを、修正しております。
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
同期の御曹司様は浮気がお嫌い
秋葉なな
恋愛
付き合っている恋人が他の女と結婚して、相手がまさかの妊娠!?
不倫扱いされて会社に居場所がなくなり、ボロボロになった私を助けてくれたのは同期入社の御曹司様。
「君が辛そうなのは見ていられない。俺が守るから、そばで笑ってほしい」
強引に同居が始まって甘やかされています。
人生ボロボロOL × 財閥御曹司
甘い生活に突然元カレ不倫男が現れて心が乱される生活に逆戻り。
「俺と浮気して。二番目の男でもいいから君が欲しい」
表紙イラスト
ノーコピーライトガール様 @nocopyrightgirl
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる