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第十四話 【約束】夏の終わりに。

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 浩二の腕の中で、まるで眠っているみたいに、微笑みさえ浮かべて。

 陽花は、静かに息をひきとった。

 ほんの二十五年。

 あまりにも早すぎる死を、他人は可哀想だと、不幸だと言うけど。 は、そうは思わない。

 だって。
 陽花は、最後に、特上の笑顔を見せてくれた。

 可哀想な人間が、不幸な人間が、あんな満ち足りた笑顔をできるはずがない。

 だから。
 陽花は、幸せだったんだ――。



 陽花が、火葬にされている間。私は、親族の人たちのいる控え室から一人離れて、火葬場の玄関ポーチから、ボンヤリと周りの景色を眺めていた。

 小高い丘に建てられているこの火葬場からは、のんびりとした、午後の田園風景が広がっているのが一望できる。

 先日まではあんなに、もこもこと賑やかに空を埋め尽くしていた入道雲はいつの間にか姿を消して、今日は秋めいた薄い鱗雲が広がっていた。

 うるさいくらいに大合唱していたアブラゼミの鳴き声も、心なしか元気がない。

 頭を垂れ始めた、黄金色に変化しつつある稲穂の間を吹き抜けてくる風に微かに混じっているのは、もうそこまで来ている秋の気配。

 秋の気配が混じった、それでもまだ夏の名残りを充分に含んだ、生ぬるい風に頬を撫でられながら、私は、静かに目を閉じた。

 押さえきれない感情の波が、うねるように、心の中で渦を巻く。

 陽花はもう、この世界のどこにもいないのだと、もう、二度と会えないのだと、頭では理解している。

 でも――。

 昨日まではあった笑顔が、もう見られないこと。

 昨日までは聞こえた澄んだ声が、もう聞けないこと。

 昨日までは感じられた温もりが、もうどこにもないこと。

 頭では理解していても、感情がついていかない。心がついていかない――。

 荒れ狂う波に押し出されるように、込み上げてくる熱いものが、せきを切って溢れ出そうとしたその時。

「佐々木!」

 ふいに、前の方から声を掛けられて、私は、弾かれたように視線を上げた。

 低音の、聞き覚えがある落ち着いた声音――。

 巡る視線の先で、喪服に身を包んだ長身の男性が、駐車場の方からゆっくりと私の方へ歩いてくるのが見えた。

「伊藤君……」

 どうして?

 ここに来るはずがない、その人の名前を、私は掠れる声で呟く。

「急なことで大変だったな……。浩二も、来ているんだろう?」

 心配そうに、私に向けられる瞳は、相変わらず真っ直ぐで陰りがない。私は、私より頭一つ分高い位置にある、その瞳を静かに見つめ返した。

「うん、一応、婚約者だからね。親族の人たちと、控え室の方にいるよ。なんだか、色々やることがあって大変みたい」

「そうか……」

 浩二は、たぶん来られないだろうって言ってたけど、来てくれたんだ……。

「伊藤君、今日から海外へ親善試合に行くって聞いたけど、大丈夫なの?」

「ああ。焼香をすませて、浩二の顔を見たら、すぐに戻らなきゃいけないんだが……」
「そっか。忙しそうだね」
「なあ、佐々木」
「うん?」
「佐々木は、大丈夫か?」

「え? あ、うん。大丈夫、大丈夫」

 心配そうな瞳に覗き込まれて、私はブンブン頭を振った。

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