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水館2
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現れた異形の魚に、キイトの胸が高鳴っていく。直感的に感じた、愛しさ。もう井戸の深さなど怖くはなかった。
キイトは、氷のように冷たい水に手を差し入れ、魚の気を惹こうと動かした。すると魚は答えるように、もたりと頭を上げ、体を立てにしてキイトに向かい泳ぎ始めた。
(もう少し、もう少し……。こっちにおいで)
熱心に見つめていたが、魚は、池の半分まで来ると、溶けるように姿を消してしまった。
キイトは焦り、目を凝らし魚を探した。見つけた。魚は再び、水底で赤い尾を揺らめかせ、優雅に漂っている。
「ここまでは浮かべない。あれは、楽園の生き物だ。この池井戸は、夜の楽園へとつながっている」
女が教えてくれる。
キイトは振り返り指を組むと、女へと挨拶をした。
「イトムシのキイトです。本糸を紡げます、歓迎も受けました。水館の、女主人に挨拶に来ました」
「私がそうだ。名は、ウェンデルネ。キイト、椅子へ」
促されキイトは椅子へと座った。
ウェンデルネは、対面の池井戸を挟んだ椅子へと優雅に腰かけると、肘掛けに頬杖をつき、こちらを眺めた。宮臣とは違う、さらさらとした視線が肌を滑っていく。
「この池の水は、全て質の高い御加水だ。大水車で撹拌し、水路へと流されていく。楽園の水脈はお前の館にも通っているだろう? それと同じだ。さて、新しいイトムシ。お前は随分と楽園に近いのだな。その自覚はあるか?」
「ありません、わかりません」
「お前が生まれたから、楽園が近づいたのか、楽園が近づいたから、お前が生まれたのか」
謎々のような質問が分からず、キイトはウェンデルネを見つめた。
女主人の言う事は難しい。しかし、宮のような子供扱いはされず、キイトとしては背筋の伸びる思いだった。
キイトの答えを必要としていないのだろうか? ウェンデルネは水が流れるように続けた。
「イトムシは随分と数を減らした。このまま、人間だけになってしまうのも、また夜の奥方の意志だと水館は考えていた。しかし、お前が生まれた。生れながらのイトムシ。七つで歓迎を受けた子。水館は、お前を通して夜を見る。夜もまた、お前を通し、この国を見る」
ウェンデルネの目を見て、キイトは気付いた。その目は、池井戸と同じ色を持っている。
「キイトよ、楽園を尊び、イトムシとしての役目を果たせ。この土地で糸を紡ぎ、恩恵を守れ」
「はい。生涯、勤めさせいただきます」
幼いキイトの返事を聞き、初めて、女主人の顔に笑みが浮かんだ。
○○○○○
イトムシ館へと帰り、食堂で昼食を取りながら、ヒノデはキイトの感想を聞いていた。
「宮は灰色、国王様は僕を子供扱いするけど好き。宮臣様は嫌い。大嫌い。水館は深い青、ウェンデルネ様は僕をきちんと扱ってくれる、けど、とても難しい話をする」
キイトは落ち着いた瞳で、訪れた場所と人を振り返った。話しながら、昼食と共に出された御加水のグラスへと指をよせ、それを爪で叩く。
「イトムシ館の御加水も、濃い御加水。水館の池井戸と一緒……。池井戸には楽園の生き物がいたんだ。すごく綺麗で、見た事ない尾びれをたくさん持っていたよ」
「良いものと出会えたわね。楽園の加護がありますように」
キイトの脳裏に、イトムシの教科書に出て来た、沢山の生き物が浮かび上がった。想像していたよりも、実際に見た楽園の生き物の方が、よりキイトの心を強く惹いた。
「母さん……夜の楽園ってさ、イトムシなら行けるかなぁ?」
「そうね。母さんは行ったことがないけれど、キイトならば行けるかもね」
夢見るようなキイトの声。ヒノデは目を細め息子を見つめた。
(水館から帰って来てから機嫌がいい。宮での出来事は、本人が口に出さないようにしているから、しばらく様子を見よう)
嬉しそうに魚の話をするキイトの目は、きらきらと輝いていた。その目は、無邪気な子共の目ではなく、不思議な深みを増している。
(この子は変わっていく、どんどん強くなっている)
歓迎を受けた後からも、キイトは変化していた。より存在が濃くなったように、はっきりと感ぜられる。事実、立て続けに命を狙われながらも、瞬時に糸を紡ぎ、判断を下し、生き延びた。
戦いの経験がない子供が、命の判断を下せたのは、やはりイトムシとしての本能が強いからなのだろう。
「母さん?」
話をしていたキイトが、心配そうにこちらを見ている。夜の湖が、さざ波を立てる。
「大丈夫、考え事よ」
「何を考えていたの?」
「あなたのこと」
「ふぅん。僕、早く母さんと同じ、白い上着を着たいな。それで一緒に追放者を送るんだ」
キイトがにこにこと笑いながら無邪気に言う。
(この子を守る)
ヒノデは笑顔に手を伸ばし、キイトに頬を寄せた。
(送りは危険な仕事、今のままではこの子は死ぬ。やっと生まれたイトムシ、私の息子。おじい様に力を借りよう、きっとこの子を強くしてくれる。自分の命を守れるように、けして追放者に殺されてしまわないように、強く、誰よりも強くさせてくれる)
キイトは、氷のように冷たい水に手を差し入れ、魚の気を惹こうと動かした。すると魚は答えるように、もたりと頭を上げ、体を立てにしてキイトに向かい泳ぎ始めた。
(もう少し、もう少し……。こっちにおいで)
熱心に見つめていたが、魚は、池の半分まで来ると、溶けるように姿を消してしまった。
キイトは焦り、目を凝らし魚を探した。見つけた。魚は再び、水底で赤い尾を揺らめかせ、優雅に漂っている。
「ここまでは浮かべない。あれは、楽園の生き物だ。この池井戸は、夜の楽園へとつながっている」
女が教えてくれる。
キイトは振り返り指を組むと、女へと挨拶をした。
「イトムシのキイトです。本糸を紡げます、歓迎も受けました。水館の、女主人に挨拶に来ました」
「私がそうだ。名は、ウェンデルネ。キイト、椅子へ」
促されキイトは椅子へと座った。
ウェンデルネは、対面の池井戸を挟んだ椅子へと優雅に腰かけると、肘掛けに頬杖をつき、こちらを眺めた。宮臣とは違う、さらさらとした視線が肌を滑っていく。
「この池の水は、全て質の高い御加水だ。大水車で撹拌し、水路へと流されていく。楽園の水脈はお前の館にも通っているだろう? それと同じだ。さて、新しいイトムシ。お前は随分と楽園に近いのだな。その自覚はあるか?」
「ありません、わかりません」
「お前が生まれたから、楽園が近づいたのか、楽園が近づいたから、お前が生まれたのか」
謎々のような質問が分からず、キイトはウェンデルネを見つめた。
女主人の言う事は難しい。しかし、宮のような子供扱いはされず、キイトとしては背筋の伸びる思いだった。
キイトの答えを必要としていないのだろうか? ウェンデルネは水が流れるように続けた。
「イトムシは随分と数を減らした。このまま、人間だけになってしまうのも、また夜の奥方の意志だと水館は考えていた。しかし、お前が生まれた。生れながらのイトムシ。七つで歓迎を受けた子。水館は、お前を通して夜を見る。夜もまた、お前を通し、この国を見る」
ウェンデルネの目を見て、キイトは気付いた。その目は、池井戸と同じ色を持っている。
「キイトよ、楽園を尊び、イトムシとしての役目を果たせ。この土地で糸を紡ぎ、恩恵を守れ」
「はい。生涯、勤めさせいただきます」
幼いキイトの返事を聞き、初めて、女主人の顔に笑みが浮かんだ。
○○○○○
イトムシ館へと帰り、食堂で昼食を取りながら、ヒノデはキイトの感想を聞いていた。
「宮は灰色、国王様は僕を子供扱いするけど好き。宮臣様は嫌い。大嫌い。水館は深い青、ウェンデルネ様は僕をきちんと扱ってくれる、けど、とても難しい話をする」
キイトは落ち着いた瞳で、訪れた場所と人を振り返った。話しながら、昼食と共に出された御加水のグラスへと指をよせ、それを爪で叩く。
「イトムシ館の御加水も、濃い御加水。水館の池井戸と一緒……。池井戸には楽園の生き物がいたんだ。すごく綺麗で、見た事ない尾びれをたくさん持っていたよ」
「良いものと出会えたわね。楽園の加護がありますように」
キイトの脳裏に、イトムシの教科書に出て来た、沢山の生き物が浮かび上がった。想像していたよりも、実際に見た楽園の生き物の方が、よりキイトの心を強く惹いた。
「母さん……夜の楽園ってさ、イトムシなら行けるかなぁ?」
「そうね。母さんは行ったことがないけれど、キイトならば行けるかもね」
夢見るようなキイトの声。ヒノデは目を細め息子を見つめた。
(水館から帰って来てから機嫌がいい。宮での出来事は、本人が口に出さないようにしているから、しばらく様子を見よう)
嬉しそうに魚の話をするキイトの目は、きらきらと輝いていた。その目は、無邪気な子共の目ではなく、不思議な深みを増している。
(この子は変わっていく、どんどん強くなっている)
歓迎を受けた後からも、キイトは変化していた。より存在が濃くなったように、はっきりと感ぜられる。事実、立て続けに命を狙われながらも、瞬時に糸を紡ぎ、判断を下し、生き延びた。
戦いの経験がない子供が、命の判断を下せたのは、やはりイトムシとしての本能が強いからなのだろう。
「母さん?」
話をしていたキイトが、心配そうにこちらを見ている。夜の湖が、さざ波を立てる。
「大丈夫、考え事よ」
「何を考えていたの?」
「あなたのこと」
「ふぅん。僕、早く母さんと同じ、白い上着を着たいな。それで一緒に追放者を送るんだ」
キイトがにこにこと笑いながら無邪気に言う。
(この子を守る)
ヒノデは笑顔に手を伸ばし、キイトに頬を寄せた。
(送りは危険な仕事、今のままではこの子は死ぬ。やっと生まれたイトムシ、私の息子。おじい様に力を借りよう、きっとこの子を強くしてくれる。自分の命を守れるように、けして追放者に殺されてしまわないように、強く、誰よりも強くさせてくれる)
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