12 / 28
阿形と吽形4
しおりを挟む
二対の漢字を受けた絹笛は、両手を大切そうにそっと胸によせたあと、ぺこりと頭を下げた。そして、くるりと背を返し、いつものように社へ向おうとする。
「あ!」
その背をみて、次に慌てたのは阿形。ぱっと赤髪を散らし立ち上がった。
「ちょ、絹笛、まった!」
「……?」
阿形に止められた絹笛が、傷付いた裸足で健気に走って戻ろうとすると、阿形はそれもすぐに止めた。
「いや、いい。走るでないよ! 余計な歩数は傷に響く……えっと、その、な。諸事情で、ここに詣でられるのは……ちと、毎日は……その」
「……?」
言い淀み、視線を彷徨わせる阿形の目。その目に、絹笛が近寄った時に着いた、石座の真下の血が映る。
(痛かろう)
容易に想像できるのは、幼子の足の裏が破れた痛み。それでも、その痛みでは、涙を零さなかった子の、願う先。
「……まぁ……ぼちぼちやりなさい」
「……!」
絹笛はぴっとお辞儀をすると、再びお百度参りへと戻った。
吽形が膝に頬杖をつき、頭巾の下でにやりと笑った。
「言わんのか? あーさん」
「言えないもんだなぁ。うーさん」
「わしは言ったぞ?」
阿形はさっと袖を振った。赤髪がぱっと散る。
「愛い絹笛。あんないい童に、お百度参りをやめろ! なんて言えないて……」
「うん。子供に弱い阿形は、言えんだろうな」
「すまん」
「よい」
二対がそれぞれ深いため息を吐いた。
この神獣二対は、幼い子供が行っている事――お百度参りを止めさせようとしていたのだ。
吽形のきりりとした眉が、弱ったようにさがった。
「困ったなぁ。やはり、きっぱりわしが断った方がよかったな」
「やめい。あの子が、またも涙を零したら哀れじゃ」
「しかしだなぁ……」
二対が言い悩んでいる下を、神獣の加護を得た絹笛が、嬉々として通ってゆく。
「そうじゃ!」
阿形がぱっと顔を上げた。甘い飴玉のような目をくるりと煌めかせ、難しい顔の吽形へと、膝を叩いて見せた。
「吽形! わし、思いついた! よいか、うーさんが狛犬姿に戻って、野犬を集めい」
「ほう? 集めてどうする?」
「百石階段に並べてな。百匹ずらりと壮観に」
「うん」
赤髪の若者が得意気な具合に指を立て、胸を張った。
「もさもさで前に進めぬだろう! 絹笛も毛玉を掻き分けてまでは来れぬだろ? そんな昔話があった気がする。誰も怪我せぬし、名案じゃっ」
「……なんぞわからんが、なんだかやりたくない」
気乗りしない吽形に、阿形がむっと顔をしかめた。
「なぜじゃ。明確な理由なく、代案もなく断るとは。我が半身ながら怠慢な神獣じゃ」
怠慢と言われた吽形が、額の上の頭巾の縁を、指で少し引っ張った。青髪が影って隠れる。
「百匹の犬を集めるか……それをしたら、最上段のわしは百一匹目だ。……なんだかそれが気位を削ぐんだ」
「それしきで削がれる狛犬の気位ではないよ。な? 良いじゃろ? 名付けて『百一匹犬殿の策』じゃっ」
「うーん……」
喜々とする阿形へと、吽形が腕を組み唸った。清涼な目元がはたはたと困っている。
厳しそうな面構えとは対象的に、半身を傷付けずにに、どう迷惑な心持ちを説くか悩んでいるようだ。
やがて吽形は、言葉を選び選び言った。
「世に狛犬は神社の数ほどあれど、わしのように後世を気にする狛犬はなかなかない。それが杞憂であれ、何となく、そこはかとなく、微妙に、微量に、『やめておけ』と、狛犬の感が言っておる。下手な昔語りに名を残してしまう危険を感じるんだ。……第一、狛犬は犬ではないよ。阿形が獅子姿で猫を集めればいい」
吽形がつらつらと断わりを入れるが、阿形はぶんっと頭を振った。口布がぱっと翻り、赤髪に似た口の色が、ちらりと見えた。
「それじゃ駄目じゃ」
「駄目なのか」
勢いよく断られた。
「あぎょうさまっ!うんぎょうさまっー!あと、四かい、むかいますっ!!」
「なんじゃ、まだ積むのか!」
「いやはや熱心、待て待てっ」
いつの間にか百段階段を下りた絹笛が、大声で呼びかけた。
策を練っていた二対は、慌てて若者姿のまま向かい合うと、獅子と狛犬の体をとった。それを見た絹笛が、嬉しそうにぶんぶんと左手を振ってみせる。
「よろしくー、お願いー、もうしあげますっ!!」
「「はーい」」
人姿で揃った声は絹笛に届いたのだろう。元気よく駆けだす、幼い子の姿が見えた。
「あ!」
その背をみて、次に慌てたのは阿形。ぱっと赤髪を散らし立ち上がった。
「ちょ、絹笛、まった!」
「……?」
阿形に止められた絹笛が、傷付いた裸足で健気に走って戻ろうとすると、阿形はそれもすぐに止めた。
「いや、いい。走るでないよ! 余計な歩数は傷に響く……えっと、その、な。諸事情で、ここに詣でられるのは……ちと、毎日は……その」
「……?」
言い淀み、視線を彷徨わせる阿形の目。その目に、絹笛が近寄った時に着いた、石座の真下の血が映る。
(痛かろう)
容易に想像できるのは、幼子の足の裏が破れた痛み。それでも、その痛みでは、涙を零さなかった子の、願う先。
「……まぁ……ぼちぼちやりなさい」
「……!」
絹笛はぴっとお辞儀をすると、再びお百度参りへと戻った。
吽形が膝に頬杖をつき、頭巾の下でにやりと笑った。
「言わんのか? あーさん」
「言えないもんだなぁ。うーさん」
「わしは言ったぞ?」
阿形はさっと袖を振った。赤髪がぱっと散る。
「愛い絹笛。あんないい童に、お百度参りをやめろ! なんて言えないて……」
「うん。子供に弱い阿形は、言えんだろうな」
「すまん」
「よい」
二対がそれぞれ深いため息を吐いた。
この神獣二対は、幼い子供が行っている事――お百度参りを止めさせようとしていたのだ。
吽形のきりりとした眉が、弱ったようにさがった。
「困ったなぁ。やはり、きっぱりわしが断った方がよかったな」
「やめい。あの子が、またも涙を零したら哀れじゃ」
「しかしだなぁ……」
二対が言い悩んでいる下を、神獣の加護を得た絹笛が、嬉々として通ってゆく。
「そうじゃ!」
阿形がぱっと顔を上げた。甘い飴玉のような目をくるりと煌めかせ、難しい顔の吽形へと、膝を叩いて見せた。
「吽形! わし、思いついた! よいか、うーさんが狛犬姿に戻って、野犬を集めい」
「ほう? 集めてどうする?」
「百石階段に並べてな。百匹ずらりと壮観に」
「うん」
赤髪の若者が得意気な具合に指を立て、胸を張った。
「もさもさで前に進めぬだろう! 絹笛も毛玉を掻き分けてまでは来れぬだろ? そんな昔話があった気がする。誰も怪我せぬし、名案じゃっ」
「……なんぞわからんが、なんだかやりたくない」
気乗りしない吽形に、阿形がむっと顔をしかめた。
「なぜじゃ。明確な理由なく、代案もなく断るとは。我が半身ながら怠慢な神獣じゃ」
怠慢と言われた吽形が、額の上の頭巾の縁を、指で少し引っ張った。青髪が影って隠れる。
「百匹の犬を集めるか……それをしたら、最上段のわしは百一匹目だ。……なんだかそれが気位を削ぐんだ」
「それしきで削がれる狛犬の気位ではないよ。な? 良いじゃろ? 名付けて『百一匹犬殿の策』じゃっ」
「うーん……」
喜々とする阿形へと、吽形が腕を組み唸った。清涼な目元がはたはたと困っている。
厳しそうな面構えとは対象的に、半身を傷付けずにに、どう迷惑な心持ちを説くか悩んでいるようだ。
やがて吽形は、言葉を選び選び言った。
「世に狛犬は神社の数ほどあれど、わしのように後世を気にする狛犬はなかなかない。それが杞憂であれ、何となく、そこはかとなく、微妙に、微量に、『やめておけ』と、狛犬の感が言っておる。下手な昔語りに名を残してしまう危険を感じるんだ。……第一、狛犬は犬ではないよ。阿形が獅子姿で猫を集めればいい」
吽形がつらつらと断わりを入れるが、阿形はぶんっと頭を振った。口布がぱっと翻り、赤髪に似た口の色が、ちらりと見えた。
「それじゃ駄目じゃ」
「駄目なのか」
勢いよく断られた。
「あぎょうさまっ!うんぎょうさまっー!あと、四かい、むかいますっ!!」
「なんじゃ、まだ積むのか!」
「いやはや熱心、待て待てっ」
いつの間にか百段階段を下りた絹笛が、大声で呼びかけた。
策を練っていた二対は、慌てて若者姿のまま向かい合うと、獅子と狛犬の体をとった。それを見た絹笛が、嬉しそうにぶんぶんと左手を振ってみせる。
「よろしくー、お願いー、もうしあげますっ!!」
「「はーい」」
人姿で揃った声は絹笛に届いたのだろう。元気よく駆けだす、幼い子の姿が見えた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
お命ちょうだいいたします
夜束牡牛
キャラ文芸
一つの石材から造り出された神社の守り手、獅子の阿形(あぎょう)と、狛犬の吽形(うんぎょう)は、祟り神を祀る神社に奉納されますが、仕えるべき主と折り合い上手くいかない。
そんな時、カワセミと名乗る女が神社へと逃げ込んできて、二対の生まれ持った考えも少しづつ変わっていく。
どこか狂った昔の、神社に勤める神獣と素行が悪い娘の、和風ファンタジー。
●作中の文化、文言、単語等は、既存のものに手を加えた創作時代、造語、文化を多々使用しています。あくまで個人の創作物としてご理解ください。
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
【完結】生贄娘と呪われ神の契約婚
乙原ゆん
キャラ文芸
生け贄として崖に身を投じた少女は、呪われし神の伴侶となる――。
二年前から不作が続く村のため、自ら志願し生け贄となった香世。
しかし、守り神の姿は言い伝えられているものとは違い、黒い子犬の姿だった。
生け贄など不要という子犬――白麗は、香世に、残念ながら今の自分に村を救う力はないと告げる。
それでも諦められない香世に、白麗は契約結婚を提案するが――。
これは、契約で神の妻となった香世が、亡き父に教わった薬草茶で夫となった神を救い、本当の意味で夫婦となる物語。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
失恋少女と狐の見廻り
紺乃未色(こんのみいろ)
キャラ文芸
失恋中の高校生、彩羽(いろは)の前にあらわれたのは、神の遣いである「千影之狐(ちかげのきつね)」だった。「協力すれば恋の願いを神へ届ける」という約束のもと、彩羽はとある旅館にスタッフとして潜り込み、「魂を盗る、人ならざる者」の調査を手伝うことに。
人生初のアルバイトにあたふたしながらも、奮闘する彩羽。そんな彼女に対して「面白い」と興味を抱く千影之狐。
一人と一匹は無事に奇妙な事件を解決できるのか?
不可思議でどこか妖しい「失恋からはじまる和風ファンタジー」
MIDNIGHT
邦幸恵紀
キャラ文芸
【現代ファンタジー/外面のいい会社員×ツンデレ一見美少年/友人以上恋人未満】
「真夜中にはあまり出歩かないほうがいい」。
三月のある深夜、会社員・鬼頭和臣は、黒ずくめの美少年・霧河雅美にそう忠告される。
未成年に説教される筋合いはないと鬼頭は反発するが、その出会いが、その後の彼の人生を大きく変えてしまうのだった。
◆「第6回キャラ文芸大賞」で奨励賞をいただきました。ありがとうございました。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる