お百度参りもすませてきたわ

夜束牡牛

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阿形と吽形4

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 二対の漢字を受けた絹笛は、両手を大切そうにそっと胸によせたあと、ぺこりと頭を下げた。そして、くるりと背を返し、いつものように社へ向おうとする。

「あ!」

 その背をみて、次に慌てたのは阿形。ぱっと赤髪を散らし立ち上がった。

「ちょ、絹笛、まった!」

「……?」

 阿形に止められた絹笛が、傷付いた裸足で健気に走って戻ろうとすると、阿形はそれもすぐに止めた。

「いや、いい。走るでないよ! 余計な歩数は傷に響く……えっと、その、な。諸事情で、ここに詣でられるのは……ちと、毎日は……その」

「……?」

 言い淀み、視線を彷徨わせる阿形の目。その目に、絹笛が近寄った時に着いた、石座の真下の血が映る。

(痛かろう)

 容易に想像できるのは、幼子の足の裏が破れた痛み。それでも、では、涙を零さなかった子の、願う先。
 
「……まぁ……ぼちぼちやりなさい」

「……!」

 絹笛はぴっとお辞儀をすると、再びお百度参りへと戻った。
 吽形が膝に頬杖をつき、頭巾の下でにやりと笑った。

「言わんのか? あーさん」

「言えないもんだなぁ。うーさん」

「わしは言ったぞ?」

 阿形はさっと袖を振った。赤髪がぱっと散る。

い絹笛。あんないい童に、お百度参りをやめろ! なんて言えないて……」

「うん。子供に弱い阿形は、言えんだろうな」

「すまん」
「よい」

 二対がそれぞれ深いため息を吐いた。
 この神獣二対は、幼い子供が行っている事――お百度参りを止めさせようとしていたのだ。
 吽形のきりりとした眉が、弱ったようにさがった。

「困ったなぁ。やはり、きっぱりわしが断った方がよかったな」

「やめい。あの子が、またも涙を零したら哀れじゃ」

「しかしだなぁ……」

 二対についが言い悩んでいる下を、神獣の加護を得た絹笛が、嬉々として通ってゆく。

「そうじゃ!」

 阿形がぱっと顔を上げた。甘い飴玉のような目をくるりと煌めかせ、難しい顔の吽形へと、膝を叩いて見せた。

「吽形! わし、思いついた! よいか、うーさんが狛犬姿に戻って、野犬を集めい」

「ほう? 集めてどうする?」

「百石階段に並べてな。百匹ずらりと壮観に」

「うん」

 赤髪の若者が得意気な具合に指を立て、胸を張った。

「もさもさで前に進めぬだろう! 絹笛も毛玉を掻き分けてまでは来れぬだろ? そんな昔話があった気がする。誰も怪我せぬし、名案じゃっ」

「……なんぞわからんが、なんだかやりたくない」

 気乗りしない吽形に、阿形がむっと顔をしかめた。

「なぜじゃ。明確な理由なく、代案もなく断るとは。我が半身ながら怠慢な神獣じゃ」

 怠慢と言われた吽形が、額の上の頭巾の縁を、指で少し引っ張った。青髪が影って隠れる。

「百匹の犬を集めるか……それをしたら、最上段のわしは百一匹目だ。……なんだかそれが気位きぐらいを削ぐんだ」

「それしきで削がれる狛犬の気位ではないよ。な? 良いじゃろ? 名付けて『百一匹犬殿の策』じゃっ」

「うーん……」

 喜々とする阿形へと、吽形が腕を組み唸った。清涼な目元がはたはたと困っている。
 厳しそうな面構えとは対象的に、半身を傷付けずにに、どう迷惑な心持ちをくか悩んでいるようだ。
 やがて吽形は、言葉を選び選び言った。

「世に狛犬は神社の数ほどあれど、わしのように後世を気にする狛犬はなかなかない。それが杞憂であれ、何となく、そこはかとなく、微妙に、微量に、『やめておけ』と、狛犬の感が言っておる。下手な昔語りに名を残してしまう危険を感じるんだ。……第一、狛犬は犬ではないよ。阿形が獅子姿で猫を集めればいい」

 吽形がつらつらと断わりを入れるが、阿形はぶんっと頭を振った。口布がぱっとひるがえり、赤髪に似た口の色が、ちらりと見えた。

「それじゃ駄目じゃ」
「駄目なのか」

 勢いよく断られた。

「あぎょうさまっ!うんぎょうさまっー!あと、四かい、むかいますっ!!」

「なんじゃ、まだ積むのか!」
「いやはや熱心、待て待てっ」

 いつの間にか百段階段を下りた絹笛が、大声で呼びかけた。
 策を練っていた二対は、慌てて若者姿のまま向かい合うと、獅子と狛犬のていをとった。それを見た絹笛が、嬉しそうにぶんぶんと左手を振ってみせる。

「よろしくー、お願いー、もうしあげますっ!!」

「「はーい」」

 人姿で揃った声は絹笛に届いたのだろう。元気よく駆けだす、幼い子の姿が見えた。
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