11 / 28
阿形と吽形3
しおりを挟む
そんな固まる絹笛に、青い髪の男が唐突に言った。
「童、おぬし、ここへはもう来るな」
「……っ!?」
青い髪の男からの、突然の断り。絹笛は何が何だかわからず、しかし、美しい生き物からの突然の拒絶に、目から、つっと涙が落ちた。
「うん?!」
「ありゃ」
「……」
正直、限界だった。
心と体が、疲れていた。
下働きとお百度参りで疲れた体。
お店が眠る昼に、おまきの目を盗み、抜け出すことですり減らした神経。
幸福な時を思い出させる夢による、甘い睡眠障害。――それらの所為で、小さな体も心も、くてくてに弱っていた。
そこへと、自分の積み上げた努力を、真っ向から否定する言葉。崩れるには充分だった。
簡単なきっかけで溢れる涙に、絹笛が声もなくえずく。座り込んだ所で膝を抱え、息も声も無理矢理殺し、子犬の様に泣き始めた。
「……っ、っく、……ふう」
「わっわっ、泣きよった。すまない、ちくしょう……どうしたらいい? 阿形!」
おおいに慌てたのは、断りを入れた青髪の若者、吽形。
ただひたすら見守り続けた、小さな体が震えるのを、耐えがたきとばかりに叫んで、半身の阿形に助けを求めた。しかし、返答は山水より冷たかった。
「……うーさん、最低」
「な!? あーさん違うんだ、泣かせるつもりでは……」
「この童、毎日、必死に頑張っていたのに……。
突然、『もう来るな』はないわー。ひどっ」
「しかし、他に何といえば。どうにかこれを、その、うーん……」
「だいたい、吽形のそのおっかない顔で、突然話しかけられたら、御魂消るってもんじゃ。怖かったなぁ? 童」
「魔除けを込めてのこの面構え、致し方なし」
そう困り果てる吽形を片目にちらりと留め、渦巻く赤髪の阿形が、持前の甘い声を出した。
「なぁ、童。おぬしの名前、何て言うんだ?」
「……っぐず……」
あまい菓子につられるが如く、絹笛が顔をあげた。
見上げた先で、赤髪の若者の、丸い瞳が優しく覗き込んでくる。その転がる虹彩が、絹笛の心を捕え慰めてくれる。
「ね、教えておくれ。呼ばせておくれ」
とろりと優しい声。若者の、口布で見えぬ口元が、確かに笑顔を浮かべる気配。
どこからか、花のいい香りもする。
「……」
絹笛は涙を拭うと、抱えた膝を解き正座をした。
そして手近な小枝を引寄せると、砂の上へと意外な達筆さで『絹笛』と書いた。
阿形が薄い文字を見て、こくりと頷いた。
「きぬぶえ。良い名前だね。絹はお蚕の糸だ。そしてそのお蚕は神様の使いだ。お主には縁を感じるよ」
赤髪の阿形がくしゃりと笑う。
目元しか見えないが、相手をとろけさせるような笑い方をする。
「絹笛、わしたちはこの社に仕える神獣。神様の使いだ。いつも絹笛を見ていたよ、石像の姿でね」
「……」
絹笛はお参りで見慣れた、石座の上の、獅子と狛犬を思い浮かべた。そして、目の前の二人の若者の姿へと合わせてみる。
人の姿と石像の姿、まったく違うのに、確かにしっくりときた。
若者姿の阿形が、石座から身を乗り出し続けた。
「わしは獅子の阿形。こう書く、それっ……あ、いかん。手が届かん」
阿形は、乗り出し伸ばした手で地面を掻こうとするが、どうにも届かない。どうやら石座から下りられないようだ。
絹笛は恐る恐る近づくと、阿形の前へと、両の手のひらをそろえて出した。
阿形はその小さな手を一寸見つめたが、すぐに合点がいったように笑った。
「っぷ。ふふ、くくく。愛い奴。そだな、手に書くぞ、くすぐったいぞー」
「……っふ」
阿形が絹笛の手のひらの上に、自分の漢字を指でなぞっていく。絹笛はくすぐったそうに、それでも決して言葉を発する事なく、両の手のひらを捧げ続けた。
「ほら。書けた」
「……」
絹笛は手の平を見つめたかと思うと、阿形の浮いていた手のひらを捕えて、『阿形』の漢字を真似て書き出した。
大きな目をキっと凝らし、左手の指を二本、筆に見立てて、漢字を書く絹笛。その幼い真剣さに、阿形の目がくたりと笑みを見せる。
「おう上手、上手。で、あっちのおっかないのが……」
「……」
絹笛はぺたぺた吽形へと向かうと、臆することなく、両の手をそろえて出した。
「……」
「うん?」
絹笛が、揃えた手と大きな目を持って、青髪の若者を見上げる。その目のまた、真摯なこと。
事の成り行きと絹笛の行動に、吽形も思わず顔を綻ばせた。
「わしは狛犬の吽形。こう、書く」
「……」
吽形はすらりとした指を伸ばし、そっと絹笛の涙のあとを拭うと、その指で文字を書いた。
やはり絹笛は、直ぐに漢字を真似ることが出来た。
「童、おぬし、ここへはもう来るな」
「……っ!?」
青い髪の男からの、突然の断り。絹笛は何が何だかわからず、しかし、美しい生き物からの突然の拒絶に、目から、つっと涙が落ちた。
「うん?!」
「ありゃ」
「……」
正直、限界だった。
心と体が、疲れていた。
下働きとお百度参りで疲れた体。
お店が眠る昼に、おまきの目を盗み、抜け出すことですり減らした神経。
幸福な時を思い出させる夢による、甘い睡眠障害。――それらの所為で、小さな体も心も、くてくてに弱っていた。
そこへと、自分の積み上げた努力を、真っ向から否定する言葉。崩れるには充分だった。
簡単なきっかけで溢れる涙に、絹笛が声もなくえずく。座り込んだ所で膝を抱え、息も声も無理矢理殺し、子犬の様に泣き始めた。
「……っ、っく、……ふう」
「わっわっ、泣きよった。すまない、ちくしょう……どうしたらいい? 阿形!」
おおいに慌てたのは、断りを入れた青髪の若者、吽形。
ただひたすら見守り続けた、小さな体が震えるのを、耐えがたきとばかりに叫んで、半身の阿形に助けを求めた。しかし、返答は山水より冷たかった。
「……うーさん、最低」
「な!? あーさん違うんだ、泣かせるつもりでは……」
「この童、毎日、必死に頑張っていたのに……。
突然、『もう来るな』はないわー。ひどっ」
「しかし、他に何といえば。どうにかこれを、その、うーん……」
「だいたい、吽形のそのおっかない顔で、突然話しかけられたら、御魂消るってもんじゃ。怖かったなぁ? 童」
「魔除けを込めてのこの面構え、致し方なし」
そう困り果てる吽形を片目にちらりと留め、渦巻く赤髪の阿形が、持前の甘い声を出した。
「なぁ、童。おぬしの名前、何て言うんだ?」
「……っぐず……」
あまい菓子につられるが如く、絹笛が顔をあげた。
見上げた先で、赤髪の若者の、丸い瞳が優しく覗き込んでくる。その転がる虹彩が、絹笛の心を捕え慰めてくれる。
「ね、教えておくれ。呼ばせておくれ」
とろりと優しい声。若者の、口布で見えぬ口元が、確かに笑顔を浮かべる気配。
どこからか、花のいい香りもする。
「……」
絹笛は涙を拭うと、抱えた膝を解き正座をした。
そして手近な小枝を引寄せると、砂の上へと意外な達筆さで『絹笛』と書いた。
阿形が薄い文字を見て、こくりと頷いた。
「きぬぶえ。良い名前だね。絹はお蚕の糸だ。そしてそのお蚕は神様の使いだ。お主には縁を感じるよ」
赤髪の阿形がくしゃりと笑う。
目元しか見えないが、相手をとろけさせるような笑い方をする。
「絹笛、わしたちはこの社に仕える神獣。神様の使いだ。いつも絹笛を見ていたよ、石像の姿でね」
「……」
絹笛はお参りで見慣れた、石座の上の、獅子と狛犬を思い浮かべた。そして、目の前の二人の若者の姿へと合わせてみる。
人の姿と石像の姿、まったく違うのに、確かにしっくりときた。
若者姿の阿形が、石座から身を乗り出し続けた。
「わしは獅子の阿形。こう書く、それっ……あ、いかん。手が届かん」
阿形は、乗り出し伸ばした手で地面を掻こうとするが、どうにも届かない。どうやら石座から下りられないようだ。
絹笛は恐る恐る近づくと、阿形の前へと、両の手のひらをそろえて出した。
阿形はその小さな手を一寸見つめたが、すぐに合点がいったように笑った。
「っぷ。ふふ、くくく。愛い奴。そだな、手に書くぞ、くすぐったいぞー」
「……っふ」
阿形が絹笛の手のひらの上に、自分の漢字を指でなぞっていく。絹笛はくすぐったそうに、それでも決して言葉を発する事なく、両の手のひらを捧げ続けた。
「ほら。書けた」
「……」
絹笛は手の平を見つめたかと思うと、阿形の浮いていた手のひらを捕えて、『阿形』の漢字を真似て書き出した。
大きな目をキっと凝らし、左手の指を二本、筆に見立てて、漢字を書く絹笛。その幼い真剣さに、阿形の目がくたりと笑みを見せる。
「おう上手、上手。で、あっちのおっかないのが……」
「……」
絹笛はぺたぺた吽形へと向かうと、臆することなく、両の手をそろえて出した。
「……」
「うん?」
絹笛が、揃えた手と大きな目を持って、青髪の若者を見上げる。その目のまた、真摯なこと。
事の成り行きと絹笛の行動に、吽形も思わず顔を綻ばせた。
「わしは狛犬の吽形。こう、書く」
「……」
吽形はすらりとした指を伸ばし、そっと絹笛の涙のあとを拭うと、その指で文字を書いた。
やはり絹笛は、直ぐに漢字を真似ることが出来た。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
お命ちょうだいいたします
夜束牡牛
キャラ文芸
一つの石材から造り出された神社の守り手、獅子の阿形(あぎょう)と、狛犬の吽形(うんぎょう)は、祟り神を祀る神社に奉納されますが、仕えるべき主と折り合い上手くいかない。
そんな時、カワセミと名乗る女が神社へと逃げ込んできて、二対の生まれ持った考えも少しづつ変わっていく。
どこか狂った昔の、神社に勤める神獣と素行が悪い娘の、和風ファンタジー。
●作中の文化、文言、単語等は、既存のものに手を加えた創作時代、造語、文化を多々使用しています。あくまで個人の創作物としてご理解ください。
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
【完結】生贄娘と呪われ神の契約婚
乙原ゆん
キャラ文芸
生け贄として崖に身を投じた少女は、呪われし神の伴侶となる――。
二年前から不作が続く村のため、自ら志願し生け贄となった香世。
しかし、守り神の姿は言い伝えられているものとは違い、黒い子犬の姿だった。
生け贄など不要という子犬――白麗は、香世に、残念ながら今の自分に村を救う力はないと告げる。
それでも諦められない香世に、白麗は契約結婚を提案するが――。
これは、契約で神の妻となった香世が、亡き父に教わった薬草茶で夫となった神を救い、本当の意味で夫婦となる物語。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
MIDNIGHT
邦幸恵紀
キャラ文芸
【現代ファンタジー/外面のいい会社員×ツンデレ一見美少年/友人以上恋人未満】
「真夜中にはあまり出歩かないほうがいい」。
三月のある深夜、会社員・鬼頭和臣は、黒ずくめの美少年・霧河雅美にそう忠告される。
未成年に説教される筋合いはないと鬼頭は反発するが、その出会いが、その後の彼の人生を大きく変えてしまうのだった。
◆「第6回キャラ文芸大賞」で奨励賞をいただきました。ありがとうございました。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる