お百度参りもすませてきたわ

夜束牡牛

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阿形と吽形3

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 そんな固まる絹笛きぬぶえに、青い髪の男が唐突に言った。

「童、おぬし、ここへはもう来るな」

「……っ!?」 

 青い髪の男からの、突然の断り。絹笛は何が何だかわからず、しかし、美しい生き物からの突然の拒絶に、目から、つっと涙が落ちた。

「うん?!」

「ありゃ」

「……」
 
 正直、限界だった。
 心と体が、疲れていた。
 
 下働きとお百度参りで疲れた体。
 お店が眠る昼に、おまきの目を盗み、抜け出すことですり減らした神経。
 幸福な時を思い出させる夢による、甘い睡眠障害。――それらの所為で、小さな体も心も、くてくてに弱っていた。
 そこへと、自分の積み上げた努力を、真っ向から否定する言葉。崩れるには充分だった。
 簡単なきっかけで溢れる涙に、絹笛が声もなくえずく。座り込んだ所で膝を抱え、息も声も無理矢理殺し、子犬の様に泣き始めた。

「……っ、っく、……ふう」

「わっわっ、泣きよった。すまない、ちくしょう……どうしたらいい? 阿形!」

 おおいに慌てたのは、断りを入れた青髪の若者、吽形。
 ただひたすら見守り続けた、小さな体が震えるのを、耐えがたきとばかりに叫んで、半身の阿形に助けを求めた。しかし、返答は山水より冷たかった。

「……うーさん、最低」

「な!? あーさん違うんだ、泣かせるつもりでは……」

「この童、毎日、必死に頑張っていたのに……。
 突然、『もう来るな』はないわー。ひどっ」

「しかし、他に何といえば。どうにかこれを、その、うーん……」

「だいたい、吽形のそのおっかない顔で、突然話しかけられたら、御魂消るってもんじゃ。怖かったなぁ? 童」

「魔除けを込めてのこの面構つらがまえ、致し方なし」

 そう困り果てる吽形を片目にちらりと留め、渦巻く赤髪の阿形が、持前の甘い声を出した。

「なぁ、童。おぬしの名前、何て言うんだ?」

「……っぐず……」

 あまい菓子につられるが如く、絹笛が顔をあげた。
 見上げた先で、赤髪の若者の、丸い瞳が優しく覗き込んでくる。その転がる虹彩が、絹笛の心を捕え慰めてくれる。

「ね、教えておくれ。呼ばせておくれ」

 とろりと優しい声。若者の、口布で見えぬ口元が、確かに笑顔を浮かべる気配。
 どこからか、花のいい香りもする。

「……」

 絹笛きぬぶえは涙を拭うと、抱えた膝を解き正座をした。
 そして手近な小枝を引寄せると、砂の上へと意外な達筆さで『絹笛』と書いた。
 阿形が薄い文字を見て、こくりと頷いた。

「きぬぶえ。良い名前だね。絹はお蚕の糸だ。そしてそのお蚕は神様の使いだ。お主には縁を感じるよ」

 赤髪の阿形がくしゃりと笑う。
 目元しか見えないが、相手をとろけさせるような笑い方をする。

「絹笛、わしたちはこの社に仕える神獣。神様の使いだ。いつも絹笛を見ていたよ、石像の姿でね」

「……」

 絹笛はお参りで見慣れた、石座の上の、獅子と狛犬を思い浮かべた。そして、目の前の二人の若者の姿へと合わせてみる。
 人の姿と石像の姿、まったく違うのに、確かにしっくりときた。
 若者姿の阿形が、石座から身を乗り出し続けた。

「わしは獅子の阿形。こう書く、それっ……あ、いかん。手が届かん」

 阿形は、乗り出し伸ばした手で地面を掻こうとするが、どうにも届かない。どうやら石座から下りられないようだ。
 絹笛は恐る恐る近づくと、阿形の前へと、両の手のひらをそろえて出した。
 阿形はその小さな手を一寸見つめたが、すぐに合点がいったように笑った。

「っぷ。ふふ、くくく。愛い奴。そだな、手に書くぞ、くすぐったいぞー」

「……っふ」

 阿形が絹笛の手のひらの上に、自分の漢字を指でなぞっていく。絹笛はくすぐったそうに、それでも決して言葉を発する事なく、両の手のひらを捧げ続けた。

「ほら。書けた」

「……」

 絹笛は手の平を見つめたかと思うと、阿形の浮いていた手のひらを捕えて、『阿形』の漢字を真似て書き出した。
 大きな目をキっと凝らし、左手の指を二本、筆に見立てて、漢字を書く絹笛。その幼い真剣さに、阿形の目がくたりと笑みを見せる。

「おう上手、上手。で、あっちのおっかないのが……」

「……」

 絹笛はぺたぺた吽形へと向かうと、臆することなく、両の手をそろえて出した。

「……」

「うん?」

 絹笛が、揃えた手と大きな目を持って、青髪の若者を見上げる。その目のまた、真摯なこと。
 事の成り行きと絹笛の行動に、吽形も思わず顔を綻ばせた。

「わしは狛犬の吽形。こう、書く」

「……」

 吽形はすらりとした指を伸ばし、そっと絹笛の涙のあとを拭うと、その指で文字を書いた。
 やはり絹笛は、直ぐに漢字を真似ることが出来た。
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