お百度参りもすませてきたわ

夜束牡牛

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阿形と吽形

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○●

真夏を歌う蝉が、天まで届けとまでにパッと飛んだ。

 百石階段を抱く小山は、水田の風が上がって来るせいか、それとも慎ましい鎮守の森の木々が温度を下げてくれるおかげか、どことなくさびしくとも、真夏にしては心地よい涼を境内へ招いてくれていた。
 詣でるものはいなくとも、確かに願いの場である荘厳な雰囲気が、夏空の下で静かに広がっている。

 そんな穏やかな昼下がり、二対一体の神獣は、鮮やかな毛色を見せ、百段階段を覗いていた。そこには――。

「っふ、っふ……ふーっ」

 軽く飛び跳ねつつ、体をほぐし、拳を交互に出し、ついで屈伸も忘れずおこなう、子供――絹笛きぬぶえの姿があった。

 獅子の阿形あぎょうが、器用に前足で額を覆う。そして、丸い目をちらりと動かし、隣りの台座で小さく唸った狛犬の吽形うんぎょうを見た。

「……うーさん、まいったねぇ。こりゃ」

「おう」

 きりりとした釣り眉をひそめ、吽形が続ける。

「まいったな……連日の反省を踏まえ、筋肉を伸ばし解してから挑む。……幼くとも良い判断だ。
 だがしかし、首に繋がる筋肉を緩めないのが惜しい。上下の動きには顎の支えは必須なのだがなぁ……伝えられないのが惜しい。まいったな、否、本当にまいった」

 阿形は丸い目をぱちりと瞬いた。

「否、うーさん。そこじゃないよ」

「違うか」

「違う! 辛いお百度参りを止めず、音を上げない童にいるんじゃ!」

「そこな。反省もできるうえに根性もあると来た。まったく見上げた童だ」

「……」

 絹笛の動きに何やら頷いている吽形、緩やかにズレている相方に、阿形は小さくため息を吐いた。

「まいったなぁ……もぅ」
。だな、たしかに」
「……」

 阿形はじろりと吽形をにらむ。
 吽形はどこ吹く風で笑っている。
 そんな二対の元に、見当ちがいな大声が届いた。

「よーろーしーくっ、おねがいぃーもうしあげまっす!!」

「「はーい」」

 っとっとっと  たったった
 元気よく駆けだす絹笛。
 獅子と狛犬は返事すると、ぱっと身を屈め、石階段を上がって来る絹笛をはらはらと見守った。
 心臓破りの百石階段は、別の心臓を破りそうだ。
 下を覗き込みながら、阿形が耳をぺっと伏せた。

「うーさん、今日で十日だ。毎日きっかり一日五回詣でて、お百度参りも半分積んだよ」

「商所の童なのだろうか? 計画的に挑んでくるなぁ」

「……」

 阿形は渦巻く赤毛を揺らし、吽形をじろりと見た。 
 吽形の鋭い眼光はどことなく柔らかく、駆けて来る幼い足元を「ほう、筋が育ったな」などと褒めている。どうもこの半身は、阿形の心持ちとは別に、子供のお百度参りを楽しんでいる気がしたのだ。

「うーさん、あのな、お百度参りが成就したなら、あの子の願いは叶うんだよ!?」

「そうだな。誰が叶えるんだろうな」

「……神様だろ」

「神様だろうな」

 二対一体は社を振り返った。
 社は変わらず、穏やかに静まり返っている。

「……」
「……」

「阿形」

「なんじゃ? 吽形」

 阿形は、ふと声音を深くさせた吽形を見た。
 狛犬の青い毛並みが、陽に透かされ水面のようだ。
 吽形は、その水底から覗く様な清涼な目を向け、阿形に言った。

「わしらは二つで一つ、一心同体だ」

 阿形は何を今さらとばかりに、赤毛をなびかせるようにし、鼻先を狛犬へと向けた。

「そうじゃ。わしらは狛犬と獅子。最初から最後まで、阿吽あうんの呼吸じゃ」

「最初から最後まで、か。……畜生」

 「畜生」と、唐突に零れた暴言だったが、それはなんだか明るい声音を宿していた。
 吽形の言葉を捕え、阿形は鞠のようなまん丸い目をくるりとさせると、念を押す様に吽形の顔を覗き込んだ。

「最初から、最後まで。――石屑になったとしても、わしらは一緒。と言う事じゃ」

「悪くない。
 さてと我が半身、神に仕えるわしらがどうにかしなくてはな。……人姿ひとすがたに化けるぞ」

 吽形がぐっと伸びをし、ばさばさとたてがみを振った。
 広がる青霞を眺め、阿形がふくふくっと笑った。

「『化ける』だなんて、妖の類じゃあるまい。神の御使いらしく、『姿を変える』でどうじゃ?」

「そうだな。姿を変えるぞ、阿形」

「あいよ。吽形」

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