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親方1
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ちゃぷり
猪牙舟が橋の下を行く。
大人の身丈、四、五人ほど下の川面をゆくそれを、カワセミが目ざとく認めたのは、偶然だったかもしれない、野生じみた感が働いたのかもしれない、あるいは、百石階段神社の御利益だったのかもしれない。
「みつけた」
「……姉ぇ?」
カワセミは屈んだまま、みつの背の欄干に片手をかけ、隙間からその人物の顔に視線を送った。
相手もまた、それらの類だったのかもしれない。猪牙舟の上で、厳しく掘り深い顔が振り返り、カワセミを見上げる。
カワセミがにやりと笑った。
躊躇する時間は秒でも惜しい、上がりも下りも、舟で行けるほど緩やかな流れでも、目当ての舟は下り舟。逃したくない。
カワセミは、欄干と自分の間に挟まれたみつを一度抱き締めると、早口に言った。
「行って来る。ちゃんと帰って来るから、また遊ぼう」
「え? 行くって? 姉ぇ」
カワセミは、慌てるみつをそのままに立ち上がると、欄干へと片足を掛けた。
身軽くそこへと体を上げ、いちのとにのへと振り返る。
「じゃあ、また。いちの、にの。次は一番に姉さん達の所に伺います」
「え? 川に飛び込むの!? セミちゃんっ」
「ちょ、セミちゃん、お湯頂いたばかりっ」
二人が身をすくませ言っている最中に、カワセミはとんっと勢いづけ、橋の上から川へと跳んでしまった。
「「きゃっ」」
少々黄色い、いちのとにのの声と、橋を行き交う通行人が、飛び降りた娘へと気づき驚く声をあげる。
「姉ぇっ!」
身を捩って、欄干に飛びついたみつが見たのは、川面に浮かぶ猪牙舟に飛び乗った、カワセミ。
船尾で櫓をこぐ船頭の少し前へと、膝を付いたその姿が、すっくと立ち上った所だった。
舟が左右に揺れた所を、船頭が慌てて櫓で整える。
大きく揺れる舟も、橋上の歓声も、一切関せずに伸びた背筋を保つのは、ただ二人。
阿形の思い出の中で見た、皺を刻んだ厳しい顔の人、腕を組み、乱入者を睨みつける石工の親方当人と、それに対峙するカワセミばかりだ。
欄干に走り寄ったいちのとにのが、楽しそうにきゃっきゃと声を上げ騒いだ。
身を乗り出し、舟を見送る二人。
「見た? にの。これでこそセミちゃんだよ、牛若か、信乃か、どっちかなぁ」
「見た! いちの。ひらり飛び立つ潔さ、鼠小僧かなぁ、五右衛門かなぁ、どっちかな」
そう言い合う二人へと、偶然居合わせた若い男の見物人が、うっかり口を出してしまう。
「やぁ、橋上から舟に飛び乗るなんて、凄い娘さんだね。ここはやっぱり、女だから巴御前だろう?」
「「はぁん?」」
いちのとにのが凄む。
若い男の例えは決して悪いものでは無い。むしろ、女武者のその名はいっそ名誉。
しかし、いちのとにのは、『女だから』が気に入らない。
「お兄さん分かってないねぇ、お上りさんかい? 良い旅籠がある、今日のお宿はそっちだよ。私がこんこんと、男、顔負けのカワセミの良さを語ってやる」
「お兄さんいい機会だ。女が男より勇ましくて、男が女より麗しい、そんな変わり鏡の世界をえんえんと語ってやる。ここらじゃ、カワセミはその花形だよ」
いちのとにのは、突然厳しくされ、ぽかんとする男の脇を固めた。次いで、橋下をくぐる次の猪牙舟に、飛び乗る準備をはじめた末っ子を捕まえると、自分達の旅籠へと賑やかに帰って行った。
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