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職人地区3

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 二人は娘へと付いて行き、戸を跨がず長屋の裏手へと回った。

「わかります、導線大事ですよね。自分は、道楽みたいな菓子屋なもんなんで、毎日、炊事をするお嬢さんがたには頭が下がります。なぁ、弟分」

 菓子屋はいまだ静かな弟分を見た。

 『背に赤子を持つ娘を急かした』その、たった一言の躓きで、菓子屋を出た時の勢いを無くした少年。菓子屋はその頭をぺちりと叩く。

「頭が下がります。あのっ……、本当、頭が下がります」

「ふふ、ありがとねー。うちの職人達は、無口なうえに石頭だから、そう褒め労ってくれると嬉しいなぁ。弟分ちゃん、今から女を大切にしてくれるから、将来苦労しないよ。いいお兄さんだ、ねぇ、おまえ」

 娘は嬉しそうに赤子をあやしながら、長屋裏の、こじんまりとした中庭を思わせる場所に二人を案内した。そしてそこに静かに佇む、石造りの井戸へと手を掛けた。

「この井戸よ、ちょっと待っていてね」

 娘が釣瓶を落としている間に、弟分は菓子屋に早口に言った。

「……あの、頭が下がります。菓子屋の兄ぃ」

 のらりくらりと話していた割には、いつのまにか用意していた手土産と、それを利用した塩を入れる箱。盛り塩に加える水を違わないようにする用心深さと、竹筒持参の抜け目なさ。そして他と違う盛り塩の作り方も、娘から気持ちよく引き出した菓子屋。

(菓子屋の兄ぃは、しっかりしてる。ただの色呆け優男だと思っていた俺が、阿呆だったな)

 弟分は、いつもの自分の上々な口調ほど、躓くと出ない事を学び、手伝いを出来なかった事を素直に反省した。
 そんなしおらしい弟分に、菓子屋がにやりと笑う。

「どうだ。俺んとこ来るか、植木屋やめて」

「や。それはいい」

 弟分にあっさりと断られる。

「け、かわいくねぇ」

 菓子屋がつまらなそうに言いながら、娘の横に立ち、釣瓶を片手で引いてやる。娘は上がった桶を菓子屋へと見せた。

「このお水よ、あーちゃんの時も、うちの子達はみんなこれ」

 菓子屋は礼を言い、指を水につけぺろりと舐めた。

「へぇ。おい弟分、お前も試してみろよ」

 いつもならば口よく突っぱねる所を、弟分は素直に菓子屋を真似て水を舐めた。

「水だ、ただの水。……? けど、ちとほんのり、塩っぽいかな。本当に舌先分だけど……」

「良い舌だな。やっぱお前うちに来いよ。お嬢さん、これ井水ですよ。商町は、下の方で海水が変に巡って届くんですけど、よっぽど深く掘ってある良い井戸は、ほとんど真水なんです。ただ、植木と料理にはこっちじゃない方がいい。もっとも、餅と赤飯はこっちの方が美味い。これは、菓子屋の秘密なんですがね」

 そうにこにこと笑う菓子屋の手から、弟分は竹筒を掠め、娘に断り手早く井水を移した。
 弟分としては、これ以上菓子屋の株を上げるのは、ただの負け惜しみだと分かっても、しゃくだった。
 
 塩も水も頂いて、娘へと暇を告げる時、長屋前で菓子屋が今さらながらに言った。

「あぁ、いけねっ。親方に挨拶だけでも……って思っていたのに、しまったなぁ。こっちの都合で押しかけたのに、時間が無くなっちまった。また今度、頂戴した塩と水のお礼に伺いますんで」

 深々と頭を下げる菓子屋に、娘がぱたぱたと胸の前で手を振った。

「いいの、いいの。頭を上げてちょうだい。あの頑固おやじ一見いちげんさんには会わないから。いっそ今日でよかったわ。朝からお留守なの、夏の道楽で笹舟で遊んでんのよ」

 娘に言われて菓子屋がへらりと笑った。

「そうですか、すみませんね。良くしてもらったのに。なら、大橋に出掛けの際には是非、入口の菓子屋に寄って下さい。新作をすぐにお出しできるように、構えときますんで」

「ふふ、いい男ね。そうそう、あのきれいなお菓子、何て名前なの?」

 カワセミにも褒められた、手土産の力作を言われ菓子屋が胸を張った。

「『色葛いろくずわらび餅』です」

 娘が眉をひそめた。

「長いし、か……全然名前良くないね、売れないよ」

「へ?」

 菓子の名前を告げられ、突然人が変ったように、きりりとする口調と顔つきを見せる娘。

 その裏表の変わりように、二人は思わず声を揃えぽかんとしてしまった。
 娘が厳しい目で、それこそ職人顔負けの目付きで、菓子屋を見据えた。

「菓子屋さん、あんたそれでも手に職を持つ職人の端くれかい? それなら頭も使いな。いくら見目よい菓子だとしても、商町の職人、商人、町人が、そんな縁起の悪い名前の菓子を、喜んで買うと思のかい?」

 娘に厳しく言われ、菓子屋はぎっと詰まった。
 誰も気に留めなかったが、そう言われるとこの菓子の名は、洒落好き、遊び好き、縁起担ぎ好き、の商町の菓子にしてはお粗末な名前だ。

「えーっと、まぁ、ちと考えます……じゃ、そんな訳で。いくぞ弟分」

「え……あ、うん」

 菓子屋は娘の勢いに押され、代わりの名も浮かばず、その場を早々に切り上げようとした。
 しかし二人が逃げようとする道を、娘が仁王立ちで素早くふさぐ。心なしか、背の赤子まできりりとしている。

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