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第8章

第233話

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 最優先で鍛えるべき目標を定めた所で、今日の朝の鍛錬は終了する事にした。特殊な異空間を用意してもらい、精神体の鍛練と言えども疲れるものは疲れる。ゆっくりと呼吸を整え身体を休めていきながら、ヘクトル爺との戦闘で昂った気持ちを落ち着けていく。
 ヘクトル爺との一戦一戦は非常に濃密で、集中力を大きく削られていく。その分良い戦闘経験を積めるし、自分の現状の実力や今何が足りていないのかを明確に分からされるので、修正がしやすくて助かる面もある。
 昔ヘクトル爺が言っていたが、日々鍛錬を積むことも重要だが、実戦を積み重ねていく事もそれと同じくらい重要だと。時に一度の実戦を経験する事で、その者を大きく成長させる事もあるとも言っていた。
 これには俺も同意見だ。野党に扮したテミロスの騎士たちとやり合った時などが、俺にとっては正にそうであるからだ。ヘクトル爺の鬼の様な所業によって色々な状況での実戦を積む事で、様々な状況への対応・対処方法などを学ぶことが出来たし、鍛錬で学んだことをどう活かすのかをよく考える様になった。

〈そのお蔭で今があると思えば、ヘクトル爺の鬼の様な所業や、師匠たちのスパルタな鍛錬に感謝だな。ヘクトル爺には、早い段階からこの世界で生きる事の厳しさを叩き込まれ、ルイス姉さんたち師匠の皆からは、どんな状況でも生き抜けるように徹底的に鍛えられたからな〉

 ヘクトル爺とルイス姉さんを筆頭に、師匠たちは俺に基礎を徹底的に叩き込んだ。ヘクトル爺たち曰く、危機的な状況に陥った時に最初に死ぬのが、基礎を疎かにしてきた戦士だそうだ。
 師匠たちが外の世界を旅してきた時に、そういった光景を無数に見てきたからこそ、俺を弟子として鍛える際に、そういった者たちと同じ末路を辿る事がない様にと、徹底的に基礎を鍛え抜いたと聞いたことがある。
 様々な状況を切り抜けるのも、鍛錬で学んだことを活かすのも、戦士としての十分な基礎があってこそだ。これは戦士としての生き方に限らず、商人であろうとも、料理人であろうとも変わらない。基礎をしっかりと学ばなければ、様々な応用をする事も、その道の一流に至る事も出来ない。
 俺は師匠たちから徹底的に叩き込まれたその基礎のお蔭で、ヘクトル爺の鬼の様な所業のことごとくを切り抜けてこれたし、これまでの戦いを死ぬ事なく生き抜いてこれた。特にテオバルトやアッシュとの戦いにおいては、それが非常に顕著であったと言える。あの時程、鬼の様な所業によって経験してきた事に感謝した事は無かったし、叩き込まれた基礎に感謝した事は無かった。

〈今日は、孤児院の子供たちと兄さんに顔を見せに行こうかな〉

 昨日の夕食時に姉さんたちに聞いた所、兄さんは相も変わらず毎日忙しそうにしているそうだ。魔術競技大会において、兄さんたち外部から雇われた先生たちが選出した生徒たちが大活躍した事で、兄さんの受け持つ授業に参加する生徒たちが増えたそうだ。
 それが良い事なのか悪い事なのかは兄さんしか分からないから、俺からは何とも言えない。だが兄さんの授業を受ければ、その生徒たちが魔術師として大きく伸びる事は間違いないだろう。兄さんは教え方も丁寧で、非常に分かりやすく説明してくれる。俺も魔術に関して行き詰った時に、兄さんに色々とアドバイスをもらった事もあるので、生徒たちにも同じ様にアドバイスしてあげているのが容易に想像出来る。
 そういえば、魔術競技大会に出場した生徒たちは元気にしているだろうか。兄さんと再会する時に、その辺りの事も聞いてみよう。

〈それと、兄さんを嫌っている人たちの反応や、新興貴族の子息や子女たちの反応なんかも気になるな。新興貴族の子息や子女たちでは、あの子たち程活躍は出来なかっただろう。それに最悪の場合、帝都へ向かう際の妨害でリタイヤしていた可能性もあるか。賄賂を受け取る様な連中の事だから、その辺の手配も雑に済ませていたかもしれないしな〉

 色々と聞きたい事を考えながら、まずは朝の鍛錬で流れた汗や汚れを綺麗にするために、風呂場へと足を進めていく。とりあえず、兄さんとの再会は時間に余裕のある時にしよう。忙しい時に押しかけても、兄さんの負担になるだけだからな。兄さんに会いに行くときには、まずは兄さんに念話を送ってアポイントをとって、互いの時間を調整した方がいいな。
 風呂場に到着したので、最初にお湯の用意をする。自分で水を生みだして浴槽一杯に満たしてから、火属性の魔力をその水に流し込んで、一気に熱して温めていく。人差ひとさゆびでお湯に触れて温度を確かめ、良い温度になった所で火属性の魔力を消し去り、熱して温めていくのを止める。
 しっかりと丁寧に身体を洗い、綺麗な状態にしてから浴槽の中へと入っていく。温かいお湯がじんわりと身体を温めていき、気持ちの良さから思わず声が漏れ出てしまう。そこに精霊様方も存在を実体化させて、全員が浴槽に入ってくる。

「ふぅ~、やっぱり風呂は最高だな」(赤の精霊)
「ああ、身体だけじゃなく心まで温まるからな」(緑の精霊)
「お風呂に入るという文化をこの世界に持ち込んだ過去の転生者たちには、心からの感謝を送ってもいいわね」(青の精霊)
「私もそれに同意。色々な文化を浸透させてきたけど、風呂は上位に入る素晴らしい文化」(黄の精霊)

 精霊様方は風呂に入るという文化をたたえながら、ゆっくりのんびりと風呂を堪能している。精霊様方は全員風呂に入るのが好きなので、時間がある時には風呂に入って身体と心を温めて癒している。そして、風呂に入りながら酒を飲むのを特に好んでいるのだ。

「カイル、酒持ってないのか?」(緑の精霊)
「おお!!そいつはいいな!!朝から風呂に入りながらの酒!!」(赤の精霊)
「お風呂に入りながらのお酒!!とっても素敵な響きじゃない!!」(青の精霊)
「大好きな風呂に大好きな酒。どっちも同時に味わえるなんて最高」(黄の精霊)

 緑の精霊様が俺の予想通りに、酒を欲して問いかけてきた。実はこの流れ、風呂に入ると毎回の様に繰り返すのだ。別に、精霊様方がぼけている訳ではない。ただこれをする事で、俺に酒が飲みたいと意思表示をしているだけだ。
 精霊様方も、最初は風呂に入る事だけを堪能していた。そこに姉さんや兄さん、それに父さんたち家族が加わっていき、次第に里中へとお風呂に入るという文化が浸透していった。精霊様方も風呂に入る事が気持ちの良いものだと知ってはいつつも、実際の風呂を知らなかったために、里に風呂に入るという文化を広めなかった。
 だがそこに現れたのが、転生者である俺の存在だ。風呂というものに親しみのある日本人で、風呂に入る事の素晴らしさを知っている俺に、精霊様方は色々と聞いてきた。俺は聞かれるままに語り、風呂というものがどういったものか、実際に風呂に入るとどういった気持ちになるのかを説明していった。
 そして里に広まった風呂という文化だったが、最初は精霊様方と同じ様に、里の皆もただ風呂に入る事だけを堪能していた。しかしある日、酔っぱらったある男ヘクトル爺が、ある物を持ったまま風呂に入ってしまった。その結果、二つを掛け合わせた行為がより素晴らしいものだという事が、里中や精霊様方へと伝わっていった。
 それが伝わるやいなや、里の酒好きな酒豪たちがこぞって酒を持って風呂に入り、ヘクトル爺と同じようにその素晴らしさを実感していった。そして、その中には精霊様方の姿も当然の様にあった。
 ヘクトル爺が新たな発見をし、精霊様方もその素晴らしさを実感してからは里に一大風呂ブームが巻き起こり、それと同時に酒の消費量と生産量が爆上がりしていった。その日から精霊様方は、風呂に入ると必ず酒を要求してくるようになってしまった。
 俺は心の中でため息を一つ吐きながら、異空間倉庫から酒の入った樽を幾つか取り出して、風呂の傍にゆっくりと置いていく。

「ここに置いておきますから、後はご自由に…………」
「おお~!!これは里の酒だな!!」(緑の精霊)
「久々の里の酒!!――――美味い!!」(赤の精霊)
「う~ん!!やっぱりこれよね!!」(青の精霊)
「………………最高」(黄の精霊)
「…………もう好きにしてくださいよ」

 俺の言葉に反応する事なく酒に群がる精霊様方を見ながら、今度はハッキリと口から大きなため息が漏れ出てしまった。孤児院の子供たちやスライムアニマルに早く会いに行き、疲れた心を癒してもらおうと思いながら、風呂の中に身体を深く沈み込ませていく。
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