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第48章(敦志)笑顔
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11月14日。学園祭2日目。
空はからりと晴れ渡り、けれども冬の空気がどこからか降っている。キャンパスのそこかしこから、屋台の掛け声や音楽演奏がわいわいと聞こえていた。
「次、40分後に副ステージ! アンプから滑車に積んでください!」
6号館の廊下。敦志は声を張り上げ、サークル員に機材運搬の指示をしていた。
すると1年生の男子が1人、敦志の元に駆け寄った。
「敦志さん、演者はどうしますか? 2人もPA組がいるので時間ギリギリです」
「ジャズセッションだよね? PAの仕事は他に任せるしかない。自分の楽器だけ持たせて先に行かせよう」
「わかりました。伝えておきます」
学園祭は軽音楽サークル、一番の晴れ舞台だ。馬鹿げたミスや運搬遅れで、皆の練習成果を潰すことなど絶対にしてはいけない。
このサークルでは、2年生が中心となって学園祭の3日間を乗り切らなくてはならない。
3年生ももちろん助言したり手伝ってはくれるのだが、判断や指示は2年生が行う。来年以降の業務引き継ぎの一環であり、サークル運営の練習、そういう風習だった。
総判断係は俺に指名された。要するに来年は部長をやってくれよ、ということだ。まあいいだろう、俺はこのサークルのことが好きなのだから。
問題なく円滑に進めなくては。
3年生の先輩方にとっては、サークルで演奏できる最後の学園祭。運営の2年生がだらしなかったら、3年生は自分達の演奏に集中できない。俺が、俺がやらないと。
そうして敦志はたくさんのケーブルを抱えながら、キャンパスを歩いていた。
すると。
敦志は見たのだ。20mほど先。葵と春雄が2人で歩いているのを。2人は屋台を見ながら何かを話している。
いや、まさか。葵ちゃん、どこに行っていたのかわからないけれど、帰ってきていたのか。というより、なんだあの不自然な2ショットは。春雄と葵ちゃん、不自然ではないはずなのに。
ああ、そうか。あの2人だけでいるところを俺は見たことがなかったんだ。
敦志は声をかけようと2人の方へ向かおうとした。が、肩をトントンと叩かれ、敦志は後ろを振り返った。
「駄目だよ。また、後日がいいんじゃないかな」
「……優里さん」
「わからない? 今は邪魔しちゃいけないの。というより、入れやしない」
「……ええ。そうですね。あの2人は、何というか、普通じゃありませんから」
「あれは本当に凄いね。一体、何があったらあんな雰囲気を出すカップルになるのでしょうね」
敦志はもう一度、春雄と葵を見た。
不思議だ。あの2人の周りにはどうしてか人がいない。こんなにも大学内は、人で溢れているというのに。2人は心底幸せそうで、しかし陰鬱な雰囲気が溢れ出ている。
無意識に、そして自然に、他の人達は彼等に近寄ることを避けているのだ。
「ああ、それよりも早く運ばないと。すみません、優里さん」
「そうね。私のステージが潰されたら、恨んでやるから」
そう言って優里はにこりと微笑んだ。
「……走ります」
敦志は走り出した。
冗談なのか真意なのかちっともわからない。あんなに怖い先輩がいるだろうか。あの人と付き合いたいと言うのだから、俺は案外肝が座っているのかもしれない。
敦志はケーブルをステージへと運び、セッティングの手伝いをした後、ステージ正面に広がる階段に座った。
そこからならステージ全体がよく見える。何かトラブルがあった時、すぐに動けるようにと、そういう位置取りであった。
「お疲れ。飲む?」
そう言って楓が敦志の隣に座った。楓はコーラの缶を差し出している。
「俺がコーラ好きなこと、知ってたっけ?」
「よく飲んでるじゃん」
「見られているんだね」
「なんか、眉間がこう、ぐっ、としてるね」
「無理してそうに見える?」
「いいや。敦志君は元々そういうのが上手いでしょ。普段が甘えすぎなの」
「じゃあ、ちょうどいいか。多分俺はさ、来年部長だよ」
「いいと思うよ。頑張りな」
「そういえばさ、葵ちゃん、さっき見た」
「……あー。私も見た。何あれ」
「本当にな」
敦志は笑った。そしてそんな敦志を見て、楓もつられて笑っていた。
「あはは。なんかおもしろくなってきちゃった。まあ、別にもう、気にしていないよ」
「春雄のこと?」
「そう」
「本当に?」
「……いや、それは少しはさ。でも、それは敦志君の役目。わかった?」
「そうだね。うん。楓の言う通りだ」
「お互いのバックボーンがどうであれ、私はあなたの彼女なの。私は……」
「待って。俺が言うよ」
楓は驚いたように敦志を見る。
「……私、やっぱり間違ってなかった。私は、敦志君と付き合って良かったんだ」
そうだ。俺は、心底誰かを愛さなきゃいけなかったんだ。
俺は優里さんの言葉を、少しも理解しちゃいなかった。何人もの女の子と付き合って経験を積めだなんて、優里さんはそんなこと言っていない。
それに俺は、楓の為にこの言葉を言うわけじゃない。そして優里さんの言葉に従いたいが為に言うわけでもない。
俺の今の、そのままの気持ちだ。
「好きだよ、楓」
「……ありがとう」
楓は顔をくしゃ、とさせて笑った。
ああ、なんだ。楓が普段見せていたあの笑顔。あれは愛想笑いだったのか。本当の楓は、こんなにも可愛い。
ジャズがキャンパスに鳴り響いた。その音色は柔らかで、あたたかくて、優しく、それでいて哀愁を漂わせていた。
空はからりと晴れ渡り、けれども冬の空気がどこからか降っている。キャンパスのそこかしこから、屋台の掛け声や音楽演奏がわいわいと聞こえていた。
「次、40分後に副ステージ! アンプから滑車に積んでください!」
6号館の廊下。敦志は声を張り上げ、サークル員に機材運搬の指示をしていた。
すると1年生の男子が1人、敦志の元に駆け寄った。
「敦志さん、演者はどうしますか? 2人もPA組がいるので時間ギリギリです」
「ジャズセッションだよね? PAの仕事は他に任せるしかない。自分の楽器だけ持たせて先に行かせよう」
「わかりました。伝えておきます」
学園祭は軽音楽サークル、一番の晴れ舞台だ。馬鹿げたミスや運搬遅れで、皆の練習成果を潰すことなど絶対にしてはいけない。
このサークルでは、2年生が中心となって学園祭の3日間を乗り切らなくてはならない。
3年生ももちろん助言したり手伝ってはくれるのだが、判断や指示は2年生が行う。来年以降の業務引き継ぎの一環であり、サークル運営の練習、そういう風習だった。
総判断係は俺に指名された。要するに来年は部長をやってくれよ、ということだ。まあいいだろう、俺はこのサークルのことが好きなのだから。
問題なく円滑に進めなくては。
3年生の先輩方にとっては、サークルで演奏できる最後の学園祭。運営の2年生がだらしなかったら、3年生は自分達の演奏に集中できない。俺が、俺がやらないと。
そうして敦志はたくさんのケーブルを抱えながら、キャンパスを歩いていた。
すると。
敦志は見たのだ。20mほど先。葵と春雄が2人で歩いているのを。2人は屋台を見ながら何かを話している。
いや、まさか。葵ちゃん、どこに行っていたのかわからないけれど、帰ってきていたのか。というより、なんだあの不自然な2ショットは。春雄と葵ちゃん、不自然ではないはずなのに。
ああ、そうか。あの2人だけでいるところを俺は見たことがなかったんだ。
敦志は声をかけようと2人の方へ向かおうとした。が、肩をトントンと叩かれ、敦志は後ろを振り返った。
「駄目だよ。また、後日がいいんじゃないかな」
「……優里さん」
「わからない? 今は邪魔しちゃいけないの。というより、入れやしない」
「……ええ。そうですね。あの2人は、何というか、普通じゃありませんから」
「あれは本当に凄いね。一体、何があったらあんな雰囲気を出すカップルになるのでしょうね」
敦志はもう一度、春雄と葵を見た。
不思議だ。あの2人の周りにはどうしてか人がいない。こんなにも大学内は、人で溢れているというのに。2人は心底幸せそうで、しかし陰鬱な雰囲気が溢れ出ている。
無意識に、そして自然に、他の人達は彼等に近寄ることを避けているのだ。
「ああ、それよりも早く運ばないと。すみません、優里さん」
「そうね。私のステージが潰されたら、恨んでやるから」
そう言って優里はにこりと微笑んだ。
「……走ります」
敦志は走り出した。
冗談なのか真意なのかちっともわからない。あんなに怖い先輩がいるだろうか。あの人と付き合いたいと言うのだから、俺は案外肝が座っているのかもしれない。
敦志はケーブルをステージへと運び、セッティングの手伝いをした後、ステージ正面に広がる階段に座った。
そこからならステージ全体がよく見える。何かトラブルがあった時、すぐに動けるようにと、そういう位置取りであった。
「お疲れ。飲む?」
そう言って楓が敦志の隣に座った。楓はコーラの缶を差し出している。
「俺がコーラ好きなこと、知ってたっけ?」
「よく飲んでるじゃん」
「見られているんだね」
「なんか、眉間がこう、ぐっ、としてるね」
「無理してそうに見える?」
「いいや。敦志君は元々そういうのが上手いでしょ。普段が甘えすぎなの」
「じゃあ、ちょうどいいか。多分俺はさ、来年部長だよ」
「いいと思うよ。頑張りな」
「そういえばさ、葵ちゃん、さっき見た」
「……あー。私も見た。何あれ」
「本当にな」
敦志は笑った。そしてそんな敦志を見て、楓もつられて笑っていた。
「あはは。なんかおもしろくなってきちゃった。まあ、別にもう、気にしていないよ」
「春雄のこと?」
「そう」
「本当に?」
「……いや、それは少しはさ。でも、それは敦志君の役目。わかった?」
「そうだね。うん。楓の言う通りだ」
「お互いのバックボーンがどうであれ、私はあなたの彼女なの。私は……」
「待って。俺が言うよ」
楓は驚いたように敦志を見る。
「……私、やっぱり間違ってなかった。私は、敦志君と付き合って良かったんだ」
そうだ。俺は、心底誰かを愛さなきゃいけなかったんだ。
俺は優里さんの言葉を、少しも理解しちゃいなかった。何人もの女の子と付き合って経験を積めだなんて、優里さんはそんなこと言っていない。
それに俺は、楓の為にこの言葉を言うわけじゃない。そして優里さんの言葉に従いたいが為に言うわけでもない。
俺の今の、そのままの気持ちだ。
「好きだよ、楓」
「……ありがとう」
楓は顔をくしゃ、とさせて笑った。
ああ、なんだ。楓が普段見せていたあの笑顔。あれは愛想笑いだったのか。本当の楓は、こんなにも可愛い。
ジャズがキャンパスに鳴り響いた。その音色は柔らかで、あたたかくて、優しく、それでいて哀愁を漂わせていた。
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