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第18章(春雄)不思議な夜

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 21時47分。

 春雄はアパートの部屋を出て、大学の南門へと向かっていた。

 約束の時間は22時。春雄の部屋から南門までは、ゆっくり歩いても5分とかからない距離だった。

 多少の街灯はあるものの、自然に囲まれたこの辺りの夜は暗い。夜の静けさの中で、いくつかの鈴虫の鳴き声。夜風が木々を揺らしていた。


 春雄は歩きながら、ふう、とため息をついた。


 落ち着け。どうということはない。シーツは洗ってあるし、楓さんにはベッドで寝てもらおう。俺は床と毛布があればいい。お酒を飲みながら少し話して、それで終わりだ。



 春雄はふと、道路の反対側、暗がりに広がる空き地を眺めた。


 確か電磁波事故があった日、葵はあの空き地にいた。生い茂る雑草の中で、晴れ渡る空を見上げて。

 ということはつまり、おそらく葵も電磁波の被害を受けている、ということ。


 電磁波の影響によって余命宣告された者のほとんどは、あと7年から12年ほど生きられるようだ。

 俺は残り3年だと言われたが、それほど短い余命を診断されたという話は他に聞いたことがない。

 葵が電磁波被害を受けているのなら、彼女もまた、あと10年前後しか生きられないだろう。

 まあ、3年後に死ぬ俺には関係のない話かもしれないが。



 南門に着いた春雄は辺りを見まわした。楓の姿はない。腕時計の針は21時55分を指し示している。

 春雄は崩れたブロック塀に腰掛けた。


 あの電磁波事故の報道がされて以来、大学にはよくマスメディアの取材が来るようになった。インタビュアーが毎日の様に学生に話しかけている。どんな気持ちですか、だと。奴らには人間の心があるのだろうか。

 まあ、まともな人間の心を持っていたら、あんな仕事は務まらないのかもしれない。使えるインタビューを持って帰れなければ上司に叱責され、人事評価が下がる。

 あのサイコパスなインタビュアー達は家族を養う為に必死に働いているんだ。そう思っておこう。


 もし葵がインタビューをされたら、葵はなんと答えるだろう。私にはわからない、と言って奴らを困らせて、そうして堂々と立ち去るのだろうか。

 そんな愉快な場面ならぜひ見てみたい。



「こんばんは」

 楓はノースリーブのトップスに赤いスカートの格好をしていた。スカートの裾が夜風に吹かれて微かになびいた。


「こんばんは」

 春雄の声は震えていなかった。


 何故だろう。楓さんが現れたというのに、思っていたより緊張していない。これなら大丈夫だ。


「今日はお世話になるね。急な話なのにありがとう」


 春雄は立ち上がって、言った。

「気にしないで。じゃあ行こうか。一応、ハイボールとカクテル、それにカルメネールの赤ワインがあるよ」


 楓が少し驚いた様子で春雄を見る。

「びっくりしちゃった。春雄君、私の好みに詳しいね」

「わからなかったからいろいろ用意しといただけだよ。それにかっこつけてみたけれど、ハイボールとカクテルは缶なんだ」


 楓はふふっと笑った。

「別にいいのに」

「行こうか」


 春雄と楓は歩き出した。春雄が先に歩き、楓はその後ろにつく。

 部屋に着くまでの数分間、そこに会話はなかった。それでも春雄と楓は特に居心地の悪さを感じていないようだった。



 部屋に着き、春雄が鍵を開けると楓はすぐに中へと入った。

「お邪魔しまーす」

「どうぞ。座布団でもベッドにでも適当に座ってよ」


 楓は黒いコーヒーメーカーを見つけると顔を近づけた。

「これ、コーヒーメーカー? お洒落さんだね」

「1杯淹れようか?」

「ううん。だってコーヒーを飲んだら……なんでもない」


 なんだろう。楓さんはコーヒーアレルギーでもあるのだろうか。

「それなら、お茶、それにさっき言ったお酒があるよ」と春雄。

「赤ワインを開けようよ。えっと、なんだっけ」

「カルメネール。そういう名前の葡萄らしいんだ。チーズもあるから、少し待っててくれる?」

「本当に凄いなあ。私は泊めさせてもらう立場なのに、なんだか接待してもらってるみたいだ」

 そう言って楓は床にある茶色のクッションに座った。


 女の子がこの部屋にいる。それは違和感の塊だ。けれど気さくな楓さんのおかげだろうか、普段通りとはいかないまでも落ち着いていられる。

 念の為買っておいたコンドームの出番は無さそうだけれど、可愛い女の子と親しくなれそうなこのワクワク感は悪くない。


 春雄は冷蔵庫から出したブロック状のチーズを皿にのせ、ワインとグラスを持って小さなテーブルへと運ぶ。それから2つのグラスにワインを注いだ。

「ワイングラスじゃなくて悪いね」

「ぜーんぜん。ワイングラスの何が偉いの? 楽しい夜だね」

 そう言って楓は笑顔を見せた。


「じゃあ、乾杯」

「かんぱーい」

 春雄と楓はグラスを口へ運んだ。


 視界がぼやけたような気がする。多少アルコール耐性が低いのは事実だが、飲んだその瞬間に酔っ払うはずはないのに。



「春雄君は、彼女とか、いるの?」

「いるように見える?」

「見えるよ。マメだし、かわいいもの」

「かわいい?」

「そう。褒め言葉だよ」

「うーん、ありがとう」

「私は好きだな、春雄君みたいな人」


 お世辞だ。気を良くするな。俺のぼさぼさの黒髪を、鏡越しでもわかる陰鬱な雰囲気を、なんとか触れずに褒めてくれようとしただけだ。俺の自堕落な生活と性格は外見に現れている。楓さんだってこんな男とは付き合いたくないだろう。


「楓さんはどうなの? 彼氏」

「いないよ。でも欲しいなあ」

「そっか」


 葵に彼氏はいるのかどうか、ということについて俺は考えないことにしている。

 俺は葵のことが好きだけれど、彼氏の有無を気にしたことはほとんど無い。

 というのも、葵に彼氏はいない、となぜか思えるからだ。根拠はない。しかしそれは確信に近い。あの葵が誰かと付き合っているイメージが湧かないのだ。


「そういえば今度、敦志君達がサークルのライブするんだってね。私、そういうの観に行ったことがないんだ。もしよかったら一緒に行かない?」

「もちろん。どうせ俺も観に行くつもりだったからさ、都合がいい」

「よかった。あ、そうだ、今日私の好きな映画が放送されてるんだ。もう終わっちゃうと思うけれど、テレビ点けてもいい?」

「お好きに。リモコンはそこ」

「ありがとう。リチャード・マーズが主役なの」

「好きなの?」

「ファン、ってほどではないかな。彼の鼻が好き」


 鼻が好き。楓さんは意外と変わった人なのかもしれない。



 そうして春雄は赤ワインとハイボールに助けられながら、部屋に楓がいる不思議な時間を過ごしていく。次第に夜は更けていくのだった。
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