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第24章(紗里)必ず彼女になるのだから
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『やっと君の座標がわかったよ』
その声が紗里の元へと届いたのは、紗里が自分の部屋でようやくベッドに潜ろうとしているところであった。それは深夜も深夜、あと数分で2時になろうかという時だった。アルバイトを終え、録画していたドラマを見た後、メイクを落とし、シャワーを浴びて、そうしてようやく寝ようという時、小人の声は紗里の中に響いた。紗里はその声の主を探そうと周りを見回す。しかし視界に映るのは普段と変わらぬ自分の部屋だけだった。
この感覚。あの小人だ。今の声は音によるものではない。空気の震えを鼓膜が受け取ったわけではない。けれども何かしらの振動で私へと話しかけられた。私だけに伝わるように、私だけが受け取ることのできるメッセージ。
この声を聞くのは3度目だ。最初は電車の中であの小人と出会った。次は彰君とバーにいた時。そして、今。
それにしてもこの声を聞いたのは随分久しぶりだ。2度小人の姿を見たけれど、どちらも彰君と付き合う前のことだった。正確にいつだったかは思い出せないけれど、少なくとも夏より前だ。もう2月の半ばだから、半年以上前のことになる。
「……小人さん、どこにいるの?」と紗里は呟いた。
5秒が経ち、10秒が経った。小人からの返事はない。目覚まし時計の秒針がカチカチと一定のリズムを刻むだけであった。
どうやら今回、小人はいない。近くにはいるのかもしれないが、少なくともこの部屋の中にはいない。そもそもあの小人は実在しているものなのかどうかすらわからない。突然現れては消えるのだ。そして小人の姿は私以外には見えず、小人の声も私にしか聞こえないのだから。
ただ、私はあの小人に対して恐怖を感じない。理解不能な存在ではあれど、彼(彼女かもしれないが)は危害を加えてくるわけではないはずだ。確証はないけれど、確信はある。
やっと君のザヒョウがわかった、あの声はそう言っていた。ザヒョウとは何だろう。おそらくは座標。点の位置を示すもの。
だめ。全くもってわけがわからない。言葉の意味も、小人そのものも、なにもかも。きっと疲れているんだ。幻覚か何かかもしれない。さっさと寝て忘れてしまおう。
紗里は照明を消して、暗闇の中でベッドの中へと潜り込む。目覚まし時計の頭をぽんと叩いてセットすると、そのまま目を閉じた。
あ、眠くないな。かといって、明日は7時には起きたいし、さすがにもう寝ておきたい。
こうして目を閉じたまま、呼吸を整える。ゆっくりと息を吸い、無理なく吐く。脳を止め、力を抜く。体がベッドに沈み込むイメージ。そう。大丈夫。ああ、寝れる。おやすみ、私。
紗里は池のほとりに座っていた。
来る、と紗里は思った。
そしてやって来る、嵐のような頭痛。夢の中だけの記憶が流れ込み、脳を揺らす。ガンガンと頭を打ち付けられたような痛みと、じわじわと広がる痛みが同時に紗里を襲った。
大丈夫だ。慣れたものだ。こちとら毎晩やっているんだ。どうせすぐにおさまることもよくわかっている。
やがて頭痛はおさまったが、紗里はしばらくそのまま座り続けていた。体育座りの形になり、膝に頭を乗せてじっとしていた。
10分程経っただろうか。紗里はようやく頭を上げると、ふう、とため息をつく。そして右手を真上に高く上げて、人差し指だけを立てた。
そしてどこからともなくやって来たトンボがその指先にとまる。紗里はトンボが飛んでいかないようにそのままゆっくりと腕を下げ、紗里はトンボと向き合った。
「やあ。みきちゃん、珍しいね」
紗里が話しかけると、そのトンボはじっと紗里を見つめた。複眼の全てで紗里を捉えているかのようであった。するとみきちゃんと呼ばれたトンボはぱっ、と再び飛び立つ。他のトンボと入り乱れて飛び、まるで踊っているかのように。
紗里は転がっていた小石を手に取り、池へと投げた。小石が水面にぶつかると小さな音を立てて、池の底へと沈んでいった。
何だろう。今日は何かが違う。世界の雰囲気というか、なんというか。何が違うのかはわからない。けれど確かに何かを予感している、そんな気がする。
紗里は周りを見渡した。随分と弱々しくなった木漏れ日が差し込み、トンボが飛んでいる。木々にも変わりはなく、変わった音もしなかった。
ここ最近、どんどん暗くなっているとは思っていたけれど、特にそれ以外に変わったことはないのにな。いや、でも、まさかこれって。
紗里は目を閉じて、耳をすました。幸成の足音が聞こえるのではないだろうかと。
もう随分長いこと幸成君は来ていない。最後にこの世界で幸成君と会ってから、もう4ヶ月以上は過ぎている。幸成君と会う頻度は加速度的に少なくなっていく。次はいつ会えるのかわからない。でももしかしたら今晩こそは……。
幸成君。どうか。
『ごめんね。今日、彼はいないよ』
紗里は目を開けた。目の前には池があり、そして池の上に小人が立っていた。水面と地面の違いなどないかのように。やはり身長30センチほどで、人間のバランスと比べると頭が大きい。短い黒髪に、ぱっちりとした二重の目。
「あなたは……」と紗里。
『やっぱりここにいたんだね。君を探すのは骨が折れたよ。30年に1人はいるんだ。こっちに迷い込んでしまう人間が』
「私を探していた?」
『そうさ。僕はこの世界の住人で、君はあっちの世界の住人だ。君はこっちに来ちゃいけない。だから君のような人間がいれば、あっちの世界に返すのが僕の仕事なのさ』
「それじゃ、幸成君は……」
『彼もそうだ。さっきも言ったけれど、こっちに迷い込んでしまう人間は30年に1人くらいのものだ。だから2人も、っていうのは珍しくてね。だから歪みが生まれた。君は毎晩、そして彼は時々、こっちの世界に迷い込むようになった、ってところだね』
「小人さん。私はこの世界に来るようになって、もう随分経つよ。どうしてもっと早く見つけてくれなかったの?」
『それに関しては本当に申し訳ない。でもね、君達の世界とは違って、こっちの世界は1つじゃないんだ。無数のチャンネルがあって、それらをしらみつぶしに探していかなくちゃいけない。これでも早く見つかった方なんだよ』
「じゃあ、それが座標?」
『そういうこと。それにしても君と彼が、同時に同じ座標に現れるだなんて奇跡もいいところだよ。おそらくこの奇跡の確率は、君達人間の科学力では計算できないだろうね』
「それで、私はどうなるの? 幸成君は?」
『もう二度とこっちの世界に迷い込まないようにする。もうこれで最後さ。この夢が終われば君はここに来ることはない。彼も然り』
「待って。それはありがたいのだけれど、私達の記憶は? 私のこっちの世界での記憶、それに幸成君のここでの記憶、それはどうなるの?」
『それは当然、君達の世界に持って帰ることはできない。この世界の出来事はこの世界のものだ。僕達の世界と君達の世界は、交わることがあっちゃいけないんだ』
「そんな……。私はあなた達に危害を加えたりするつもりなんてない。ただ、幸成君を忘れたくないだけで、ただそれだけで!」
『わかっているよ。でもだめなんだ。というより、記憶をどうこうだなんて僕にはできない。誰にもできやしないんだ。これは理なんだよ。例えるならば、君達の世界は地球っていう惑星の中にあって、それは太陽系の中にあって、宇宙の中にある。そういった理と同じなんだ。理を変えることなんてできるはずがない。ましてや僕みたいな一個体にはね』
「それなら、それなら!」
紗里は立ち上がった。口をぐっと強く結び、拳を握りしめている。
「あなたの仕事は私達を追い出すことでしょう。それなら私は、このままでいい。あなたは理とやらを変えられなくとも、私と幸成君を見逃すことはできるはず。このまま幸成君に会えずに全てを忘れてしまうなら、この寒い世界で私は幸成君を待ち続ける。どれだけ長い間ひとりでも、どれだけ辛い思いをしようとも!」
小人は困ったような表情を見せた。
『それもだめだよ。君だって気付いているはずだ。きっと幸成君っていう彼ですら気付いているんじゃないかな。このチャンネルはもうすぐ消える。座標が消え去るんだ。それでもまだ君がここに迷い込んできてしまうようなら、君は狭間に取り込まれる。君は君でなくなり、元の世界へも帰れず、永遠に無を彷徨うことになる。君達の世界で言うところの死よりも遥かに酷いことだ』
「それでも、いい」
『よくないよ。仮に君がよくても、彼を巻き込むつもりかい?』
「それは……」
『わかったよ。座標を見つけるのに時間がかかってしまった僕にも非はある。だから譲歩しよう。次に君と彼がここで再会した時、それが君と彼の最後だ。その時を境に、君達はもう二度とこの世界に迷い込まないようになる。それでいいね?』
「……わかった。次に幸成君と会える時まで、この世界は消えない?」
『消えないよ。さすがにそれくらいは大丈夫だ。彼がここに現れるのも、そう先のことじゃないし』
そう先のことじゃない。そっか。たとえ最後でも、もうすぐ幸成君にまた会える。会えるんだ。
『それじゃ、僕は失礼するよ。もう僕は姿を見せないし、声も届けない。迷惑をかけたね、違う世界の住人さん』
そう言うと池の上に立っていた小人は突然、ふっと消えた。小人が立っていた場所の水面に、僅かな波紋だけが残っていた。
紗里は再びすとん、と座り込んだ。座ったというよりも、まるで腰が抜けたかのように。
近いうちに幸成君にまた会える。私は変わらず彰君と付き合っている。でも、幸成君は言ってくれた。誰も悪くない、だから自分を責めるのをやめようと。
私は幸成君を想っている。それだけが私を支えてくれたもの。幸成君といつか会えるということと、幸成君への気持ち。私が私であるのは、幸成君のことを想っているからなの。
理だから記憶は消えてしまう。だからどうした。そんなもの捻じ曲げてみせる。私と幸成君は約束した。いつか必ずお互いのことを思い出そうって。
私は絶対に忘れない。長い間、この寒い世界で幸成君を待ち続けたことを。ただただ、幸成君を想い続けていたことを。
そして何より、私の幸成君に対するこの気持ちを。
私は忘れない。絶対に忘れない。必ず思い出して、幸成君の彼女になるのだから。
紗里の涙が、ふわりと木漏れ日に照らされるのだった。
その声が紗里の元へと届いたのは、紗里が自分の部屋でようやくベッドに潜ろうとしているところであった。それは深夜も深夜、あと数分で2時になろうかという時だった。アルバイトを終え、録画していたドラマを見た後、メイクを落とし、シャワーを浴びて、そうしてようやく寝ようという時、小人の声は紗里の中に響いた。紗里はその声の主を探そうと周りを見回す。しかし視界に映るのは普段と変わらぬ自分の部屋だけだった。
この感覚。あの小人だ。今の声は音によるものではない。空気の震えを鼓膜が受け取ったわけではない。けれども何かしらの振動で私へと話しかけられた。私だけに伝わるように、私だけが受け取ることのできるメッセージ。
この声を聞くのは3度目だ。最初は電車の中であの小人と出会った。次は彰君とバーにいた時。そして、今。
それにしてもこの声を聞いたのは随分久しぶりだ。2度小人の姿を見たけれど、どちらも彰君と付き合う前のことだった。正確にいつだったかは思い出せないけれど、少なくとも夏より前だ。もう2月の半ばだから、半年以上前のことになる。
「……小人さん、どこにいるの?」と紗里は呟いた。
5秒が経ち、10秒が経った。小人からの返事はない。目覚まし時計の秒針がカチカチと一定のリズムを刻むだけであった。
どうやら今回、小人はいない。近くにはいるのかもしれないが、少なくともこの部屋の中にはいない。そもそもあの小人は実在しているものなのかどうかすらわからない。突然現れては消えるのだ。そして小人の姿は私以外には見えず、小人の声も私にしか聞こえないのだから。
ただ、私はあの小人に対して恐怖を感じない。理解不能な存在ではあれど、彼(彼女かもしれないが)は危害を加えてくるわけではないはずだ。確証はないけれど、確信はある。
やっと君のザヒョウがわかった、あの声はそう言っていた。ザヒョウとは何だろう。おそらくは座標。点の位置を示すもの。
だめ。全くもってわけがわからない。言葉の意味も、小人そのものも、なにもかも。きっと疲れているんだ。幻覚か何かかもしれない。さっさと寝て忘れてしまおう。
紗里は照明を消して、暗闇の中でベッドの中へと潜り込む。目覚まし時計の頭をぽんと叩いてセットすると、そのまま目を閉じた。
あ、眠くないな。かといって、明日は7時には起きたいし、さすがにもう寝ておきたい。
こうして目を閉じたまま、呼吸を整える。ゆっくりと息を吸い、無理なく吐く。脳を止め、力を抜く。体がベッドに沈み込むイメージ。そう。大丈夫。ああ、寝れる。おやすみ、私。
紗里は池のほとりに座っていた。
来る、と紗里は思った。
そしてやって来る、嵐のような頭痛。夢の中だけの記憶が流れ込み、脳を揺らす。ガンガンと頭を打ち付けられたような痛みと、じわじわと広がる痛みが同時に紗里を襲った。
大丈夫だ。慣れたものだ。こちとら毎晩やっているんだ。どうせすぐにおさまることもよくわかっている。
やがて頭痛はおさまったが、紗里はしばらくそのまま座り続けていた。体育座りの形になり、膝に頭を乗せてじっとしていた。
10分程経っただろうか。紗里はようやく頭を上げると、ふう、とため息をつく。そして右手を真上に高く上げて、人差し指だけを立てた。
そしてどこからともなくやって来たトンボがその指先にとまる。紗里はトンボが飛んでいかないようにそのままゆっくりと腕を下げ、紗里はトンボと向き合った。
「やあ。みきちゃん、珍しいね」
紗里が話しかけると、そのトンボはじっと紗里を見つめた。複眼の全てで紗里を捉えているかのようであった。するとみきちゃんと呼ばれたトンボはぱっ、と再び飛び立つ。他のトンボと入り乱れて飛び、まるで踊っているかのように。
紗里は転がっていた小石を手に取り、池へと投げた。小石が水面にぶつかると小さな音を立てて、池の底へと沈んでいった。
何だろう。今日は何かが違う。世界の雰囲気というか、なんというか。何が違うのかはわからない。けれど確かに何かを予感している、そんな気がする。
紗里は周りを見渡した。随分と弱々しくなった木漏れ日が差し込み、トンボが飛んでいる。木々にも変わりはなく、変わった音もしなかった。
ここ最近、どんどん暗くなっているとは思っていたけれど、特にそれ以外に変わったことはないのにな。いや、でも、まさかこれって。
紗里は目を閉じて、耳をすました。幸成の足音が聞こえるのではないだろうかと。
もう随分長いこと幸成君は来ていない。最後にこの世界で幸成君と会ってから、もう4ヶ月以上は過ぎている。幸成君と会う頻度は加速度的に少なくなっていく。次はいつ会えるのかわからない。でももしかしたら今晩こそは……。
幸成君。どうか。
『ごめんね。今日、彼はいないよ』
紗里は目を開けた。目の前には池があり、そして池の上に小人が立っていた。水面と地面の違いなどないかのように。やはり身長30センチほどで、人間のバランスと比べると頭が大きい。短い黒髪に、ぱっちりとした二重の目。
「あなたは……」と紗里。
『やっぱりここにいたんだね。君を探すのは骨が折れたよ。30年に1人はいるんだ。こっちに迷い込んでしまう人間が』
「私を探していた?」
『そうさ。僕はこの世界の住人で、君はあっちの世界の住人だ。君はこっちに来ちゃいけない。だから君のような人間がいれば、あっちの世界に返すのが僕の仕事なのさ』
「それじゃ、幸成君は……」
『彼もそうだ。さっきも言ったけれど、こっちに迷い込んでしまう人間は30年に1人くらいのものだ。だから2人も、っていうのは珍しくてね。だから歪みが生まれた。君は毎晩、そして彼は時々、こっちの世界に迷い込むようになった、ってところだね』
「小人さん。私はこの世界に来るようになって、もう随分経つよ。どうしてもっと早く見つけてくれなかったの?」
『それに関しては本当に申し訳ない。でもね、君達の世界とは違って、こっちの世界は1つじゃないんだ。無数のチャンネルがあって、それらをしらみつぶしに探していかなくちゃいけない。これでも早く見つかった方なんだよ』
「じゃあ、それが座標?」
『そういうこと。それにしても君と彼が、同時に同じ座標に現れるだなんて奇跡もいいところだよ。おそらくこの奇跡の確率は、君達人間の科学力では計算できないだろうね』
「それで、私はどうなるの? 幸成君は?」
『もう二度とこっちの世界に迷い込まないようにする。もうこれで最後さ。この夢が終われば君はここに来ることはない。彼も然り』
「待って。それはありがたいのだけれど、私達の記憶は? 私のこっちの世界での記憶、それに幸成君のここでの記憶、それはどうなるの?」
『それは当然、君達の世界に持って帰ることはできない。この世界の出来事はこの世界のものだ。僕達の世界と君達の世界は、交わることがあっちゃいけないんだ』
「そんな……。私はあなた達に危害を加えたりするつもりなんてない。ただ、幸成君を忘れたくないだけで、ただそれだけで!」
『わかっているよ。でもだめなんだ。というより、記憶をどうこうだなんて僕にはできない。誰にもできやしないんだ。これは理なんだよ。例えるならば、君達の世界は地球っていう惑星の中にあって、それは太陽系の中にあって、宇宙の中にある。そういった理と同じなんだ。理を変えることなんてできるはずがない。ましてや僕みたいな一個体にはね』
「それなら、それなら!」
紗里は立ち上がった。口をぐっと強く結び、拳を握りしめている。
「あなたの仕事は私達を追い出すことでしょう。それなら私は、このままでいい。あなたは理とやらを変えられなくとも、私と幸成君を見逃すことはできるはず。このまま幸成君に会えずに全てを忘れてしまうなら、この寒い世界で私は幸成君を待ち続ける。どれだけ長い間ひとりでも、どれだけ辛い思いをしようとも!」
小人は困ったような表情を見せた。
『それもだめだよ。君だって気付いているはずだ。きっと幸成君っていう彼ですら気付いているんじゃないかな。このチャンネルはもうすぐ消える。座標が消え去るんだ。それでもまだ君がここに迷い込んできてしまうようなら、君は狭間に取り込まれる。君は君でなくなり、元の世界へも帰れず、永遠に無を彷徨うことになる。君達の世界で言うところの死よりも遥かに酷いことだ』
「それでも、いい」
『よくないよ。仮に君がよくても、彼を巻き込むつもりかい?』
「それは……」
『わかったよ。座標を見つけるのに時間がかかってしまった僕にも非はある。だから譲歩しよう。次に君と彼がここで再会した時、それが君と彼の最後だ。その時を境に、君達はもう二度とこの世界に迷い込まないようになる。それでいいね?』
「……わかった。次に幸成君と会える時まで、この世界は消えない?」
『消えないよ。さすがにそれくらいは大丈夫だ。彼がここに現れるのも、そう先のことじゃないし』
そう先のことじゃない。そっか。たとえ最後でも、もうすぐ幸成君にまた会える。会えるんだ。
『それじゃ、僕は失礼するよ。もう僕は姿を見せないし、声も届けない。迷惑をかけたね、違う世界の住人さん』
そう言うと池の上に立っていた小人は突然、ふっと消えた。小人が立っていた場所の水面に、僅かな波紋だけが残っていた。
紗里は再びすとん、と座り込んだ。座ったというよりも、まるで腰が抜けたかのように。
近いうちに幸成君にまた会える。私は変わらず彰君と付き合っている。でも、幸成君は言ってくれた。誰も悪くない、だから自分を責めるのをやめようと。
私は幸成君を想っている。それだけが私を支えてくれたもの。幸成君といつか会えるということと、幸成君への気持ち。私が私であるのは、幸成君のことを想っているからなの。
理だから記憶は消えてしまう。だからどうした。そんなもの捻じ曲げてみせる。私と幸成君は約束した。いつか必ずお互いのことを思い出そうって。
私は絶対に忘れない。長い間、この寒い世界で幸成君を待ち続けたことを。ただただ、幸成君を想い続けていたことを。
そして何より、私の幸成君に対するこの気持ちを。
私は忘れない。絶対に忘れない。必ず思い出して、幸成君の彼女になるのだから。
紗里の涙が、ふわりと木漏れ日に照らされるのだった。
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