夢の中だけで恋をした

サワヤ

文字の大きさ
上 下
17 / 28

第16章(紗里)幸成君のおかげで

しおりを挟む
 結構涼しくなってきたな。そういえば最近、蝉の鳴き声を聞かなくなってきたような気がする。今週で夏休みも終わりだものね。そうしたらもう10月か。

 紗里は弘樹が一人暮らしをしている部屋から外に出たところであった。22時を過ぎていて、外は当然のように暗い。部屋の中にはまだ弘樹と加奈、そして彰が残っていた。4人で弘樹の部屋に集まっていたが、家までそれなりに距離のある紗里は先に帰ることにしたのだった。

 紗里は弘樹の部屋を背にして、夜空を見上げる。星が瞬いていた。地上の光が夜空を照らしても、そんなものには負けまいと星は輝きを増しているようであった。

 最後に幸成君と会った日。私は小学5年生で、やっぱり幸成君も小学5年生だった夜の公園。確か私は滑り台に座っていて、幸成君はそんな私を見つけた。あの時もこんな夜空だったな。幸成君の顔もまともに覚えていないのに、星のことは覚えているなんて。

 そうして紗里が夜道を歩き出そうとすると、後ろから彰の声がした。

「紗里。俺も帰ることにした」

「そう。私は駅に行くけれど、彰君はこっちじゃないでしょう」

「駅まで送るよ」

「どうも」

 紗里が歩き出すと、彰は紗里の隣を歩いた。紗里は彰をちらと見やる。彰の端正な横顔がそこにはあった。紗里はその横顔を見たことを悟られないよう、すぐに視線を正面に戻した。

「今日は楽しかったな」と彰は言った。

「そうだね。あの4人で集まったのは、なんだかんだ初めてだったし」と紗里。

「紗里は来てくれないんじゃないかと思ってたよ」

「どうして?」

「なんとなく」

「ふぅん」

 その後、しばらくの沈黙が流れた。会話もなく、ただ黙々と歩く。しかし紗里は特にそれを気にしてはいなかった。

 なんだか落ち着く。気を使わなくていい。彰君もきっとそう思っているはずだ。こんな寂しい夜道でも、彰君が隣を歩いてくれている。それが私を安心させてくれる。

 そうして紗里は歩きながら、自分の右手を見た。

 あの時、幸成君が握った私の右手。幸成君は透明人間だった私に色をつけてくれた。私に勇気を教えてくれた。はさみを振り回したのは、そしてはさみを投げたのは、決して褒められたことじゃない。そんなことは当たり前だ。でも、人間ではなかった私達に、他に何ができただろう。幸成君は自分の力で道を切り開き、さらに私をも助けてくれた。

「ねえ、彰君の初恋っていつ?」紗里は質問した。

「初恋? 小学生の時かな」

「その人の顔、覚えてる?」

「覚えてるよ。中学も高校も一緒だったから」

 それって、もしかして。

「前に話してた幼馴染の女の子? 両親がいなくて、身長が低かったっていう」

「そう。高校生になっても低かったよ。ああ、でも当時の顔をちゃんと覚えているか、っていうことであれば、少し自信がないかもしれない」

「そりゃそうだよね。もう何年も前のことだもの。それで、その子とは何かあったりしたの?」

「いいや、何もなかった。小学生だったし、好きだから付き合うとかそういう考えがなかったからね」

「その後は?」

「もしかしたら前も言ったかもしれないけれど、中学でも高校でも、その子とは話すことすらなかった。不思議と一度もクラスが同じにならなかったのもあるかな。俺は彼女がいた時もあったし、その子も俺に話しかけることはなかった」

「今、その子のことをどう思う?」

 彰は少し考えてから。

「わからない」と言った。

「わからないっていうその感覚、よくわかるよ」

「そう?」

「うん。私もそうだから」

 彰君は正直に答えてくれたのだと思う。彰君はきっとこう考えたのだろう。そんな昔のこと、どうでもいい。でももしかしたら、俺の心のどこかで特別な人なのかもしれない。その可能性は排除できない。だから、わからない。と。

 もちろんそれは私の勝手な想像だ。彰君の考えていることは彰君にしかわからない。それでもやっぱり、彰君は信頼できる人だと思える。そして私は、彰君のことを悪くは思っていない。

 いや、むしろ私は彰君のことを……。


「間違いなく言えるのは、俺は今、紗里のことが好きってことだ」彰は紗里を見て言った。

 しかし紗里は彰の顔を見なかった。彰からの視線を感じながら、しかし紗里は夜空を見上げた。星は静かに紗里を見守っている。

 幸成君は、今どこで何をしているのかな。どんな人になったのかな。私はようやく、恋愛を始めました。幸成君のおかげで、今の私はある。

 彰君は私を真っ直ぐに想ってくれている。彰君の言葉に嘘偽りはない。きっと彰君は私を信頼してくれているし、私も彰君を信頼している。それなら。

 私も、進まないとな。茨の道を進む彰君の方へ。


「……いいよ」と紗里は呟いた。

「ん?」

「彰君の彼女に、なってもいいよ」

「え?」

「もう言わない」

 紗里は自分の耳が赤くなっていくのを感じた。鼓動が爆発している。困惑して立ち止まっている彰を置いて、紗里は早歩きで駅の方へと向かった。

「紗里!」紗里の背中に、彰の声がぶつかった。

 紗里は立ち止まった。しかし彰の方を振り返ることができずに、無言でただ立ち止まるだけだった。その瞬間、突然周りの音が消えたように紗里は感じた。

「これから、よろしくお願いします!」と彰は言った。

 数秒経って、紗里はようやく振り返る。彰は頭を下げていた。紗里はそんな彰を見て、ふふっ、と笑った。

 ああ、間違いじゃなかった。私はこの人のことが好きなんだな。


「……よろしく、お願いします」紗里は笑顔でそう言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

三度目の嘘つき

豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」 「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」 なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...