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第6話 ノーマンという家

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 翌朝の朝食の席には、現在王都にいるノーマン辺境伯家の家族が揃っていた。
 当主であるギルバートを頂点に、嫡出の長男アルバートと次男ヘンリック、側室マリアとその娘ソフィアの五人だ。

 他の貴族家では、当主や嫡子と、側室や庶子が一堂に会して食事を摂るということは滅多に無い。
 ノーマン家は例外的にそう言った垣根が低い家風だった。
 これには、ノーマン家特有の事情が関わっている。



 ノーマン辺境伯家の領地は、アルスター王国の最北端にある。
 それどころか、大陸の文明圏の中で、突出して北に飛び出ている。
 その環境の厳しさは、他の領地、他の国の比ではない。

 そこで行われる戦いは、貴族たちの勢力争いではなく、自然や近隣の遊牧民との生存競争だ。
 ノーマン家の代々の努力の甲斐あって、自然との戦いはかなり戦況が好転してきたが、それが逆に遊牧民との戦いの激化を招いた。
 自分よりも富む者が隣にいれば戦って奪うのは、彼らにとって当然のことなのだ。

 だから、ノーマン領では実利主義の風潮が強い。
 優雅さよりも力強さ、見栄よりも実益、格式よりも実力。
 立っている者は親でも使い、削れる無駄は削れるだけ削る。

 王都で他の貴族に見える部分で張る見栄には実利もあるが、身内しかいない場所では効率優先なのだ。



 マリアはそんなノーマン辺境伯家の重臣であるアルベリア子爵家の娘だ。
 ノーマン家が辺境伯となる以前から、軍の重臣として従ってきた一族である。

 だが、その父と兄が遊牧民との衝突で同時に戦死。
 嫡出子がマリアだけとなってしまった。
 そこで、忠臣の家を保護するために、ギルバートはマリアを側室に迎え、いずれその子にアルベリア家を継がせる約束で、一時的に爵位を預かることにした。



 ノーマン領は、平和なアルスター王国にあって例外的に、軍事的な衝突が絶えない地域だ。
 戦死者もそれなりに出る。
 結果、未亡人や孤児もそれなりに発生する。
 戦死した兵士の未亡人や孤児を保護するのは、ノーマン領の有力者の高貴なる義務、というのがアルスター王国に属する前からの伝統だ。

 その方法として、上位者が側室や養子に迎えるというのは一般的なことである。
 現在、アルバートが提案した遺族年金も、実現に向けて整備を進められている。



 そんな経緯で側室となったマリアだが、あくまでも側室として正室の補佐に徹してきていた。
 ノーマン貴族は爵位に基づく格式にあまり興味は無いが、組織運営を迅速かつ効率的に行うための序列には忠実なのだ。

 そして、本来、社交の季節に当主に同行して王都に赴くのは正室だ。
 マリアはその間、領地に残って正室の代理をするのが通例だった。

 だが、今年はソフィアの卒業式がある。
 だから正室のエリザベスが、今年はマリアに譲ったのだ。
 あくまでも家臣という立ち位置を崩さず、分をわきまえて振る舞い、陰からエリザベスを支えることに徹しているマリアに対しての報酬。
 遠慮するマリアにそう言って。

 さらにギルバートとアルバートも加わって説得し、マリアはようやく承諾した。
 主家への遠慮が強いだけで、本当は娘の晴れ舞台を見たい気持ちは強かったのだろう。
 王都行きを承諾してからのマリアは、万事に控え目な彼女にしては、ウキウキと嬉しそうだった。

 だからこそ、なおさらギルバート達はリオンへの怒りが増すのだ。
 どうにか説得して母を連れてきた、娘の一生に一度の卒業式。
 それも、王国史上初の女性主席という自慢の娘だ。
 それをぶち壊しやがったのだから。



 とは言え、そんな感情に同調しない者もいる。
 ぶち壊された当の本人であるソフィアだ。

 ソフィアにとっては、自分が主席を取ったことも、卒業式それ自体だって、たいした価値は無い。
 ぶっちゃけ、どうでも良かった。
 大好きなお兄様が祝ってくれたのだ。
 それで十分である。

 主席を取ったのだって、取るために努力したことなんて一秒たりとも無い。
 全ての努力は、いずれ当主となり、領主となるアルバートの役に立つためのものだ。
 そのためだけに頑張っていたら、なんか取れちゃった、という程度の感覚だ。
 主席を取った優秀な令嬢だから、などという理由で求婚されても、迷惑以外の何物でもない。
 婿に来るというなら考えないでも無いが、嫁に来いと言うのは論外だ。


 王子? だからどうした。
 王妃? 面倒なだけだ。


 そんな王家に対して不敬と言われるような態度も、ノーマン家だからこそ取ってしまうものであり、ノーマン家だからこそある程度は許されてしまうものだった。



 ノーマン辺境伯家は、アルスター王国内において特殊な立ち位置にある。
 そもそも、辺境伯という爵位にある貴族自体、ノーマン家しか無い。
 辺境伯という爵位そのものが、ノーマン家のために作られたのだ。

 なぜそんなことになったのかと言えば、原因は建国王アルフレドの時代に遡る。

 アルスター平野の中央部にある穀倉地帯で勢力を伸ばしたヴェスタ家が、アルフレドの時代に周辺を武力で平定し、アルスター王国の建国を宣言した。
 その際に有力者を貴族という地位につけたのである。
 その爵位は、近隣の大国にして先進国であるユヴェール王国で採用されていたものを取り入れた五等級だった。

 とは言え、それを取り入れる際、アルスター流にアレンジした。
 元々ユヴェール王国の爵位とはその貴族の功績に応じて上がったり下がったりするもので、アルバートの知識にあるものの中では、爵位というより、朝廷の冠位に近い。
 これが、アルスター王国では、世襲の地位になった。



 公爵は王家の分家であり、王宮で王家の補佐をするか、王都近辺で王都を守護する領地を持つ。
 低位ではあるが、王位継承権も持っている。
 とは言え、だからこそ簒奪を警戒して、実権も領地もさほど大きくはない。

 侯爵は古参の家臣の中でも、特に重要な者たちに与えられた。
 古参とはアルフレドが家を継いだ時点ですでに家臣となっていた家で、対してそれ以降に臣従した者を新参と呼ぶ。
 彼らは重要な国境の守備か、王宮の要職を担う。
 宮廷のトップでとして政務を差配する宰相と、諸侯の軍を招集して王国軍を結成する際に指揮官となる将軍の役職は、侯爵でなければ就くことはできない。

 伯爵は新参の有力者か、侯爵を与えられるほどではない古参の重臣である。
 ここまでが「重臣」と言える重要度の家だ。

 この下は領地の広さや、役職の重要度において、子爵と男爵が与えられた。
 伯爵家以上の家の家臣、つまり王家から見て陪臣に当たる家も、主家の推薦があれば子爵や男爵の爵位を与えられた。



 こうして生まれたアルスター王国だが、この国の北には遊牧民の闊歩する大草原があった。
 ルガリアという大河と、その上流のタルデント地方に広がる大森林が壁となって、王国内に侵入してくる頻度はそれほど高くなかったが、それでもアルスター王国に取って重大な脅威だった。
 アルフレド王はこれを平定するために軍を起こした。

 それに対抗したのが、この大草原で半分遊牧民、半分農耕民のような形で大きな勢力を持っていたノーマン家である。
 ノーマン家はアルフレド王の侵攻を、三度にわたって退けた。
 そこでアルフレドは武力侵攻から外交に方針を切り替え、ノーマン家を臣従させることに成功したのである。



 この時に、どの爵位を与えるのか、というのが問題になった。

 侯爵というのは、古参の中でも特に重要な臣下にのみ与えられる爵位である。
 これをノーマン家に与えれば、他の侯爵家が不満を持つだろう。
 だが、伯爵とするにはノーマン家は強大過ぎた。
 本来の意味での役不足である。

 そうして生まれたのが、ノーマン家のみに与えられる例外的な爵位、辺境伯だった。



 そんなわけで、ノーマン辺境伯家は王家であっても相当に気を遣わなければならない家なのであった。
 格式の上では侯爵と伯爵の間とされたが、その実力はどの侯爵家も上回る。
 伯爵より上、ということを明確にするためもあって、嫡男にも子爵が与えられたのだ。
 王家に従属はしているものの、実質的には半独立国と言っても良い。
 それだけの強固な自治権も与えられている。


 アルバートの感覚だと、「江戸幕府で言ったら、島津家が九州全土と琉球と対馬を領有しているようなもの」と言ったところか。
 四国も入れても良いかもしれない。
 農業が不安定で、その分商工業に活路を見出しているところも似ているかもしれない。

 ノーマン領は気候的に、この時代の技術で小麦や大麦の栽培が可能な北限と言って良い。
 ちょっと寒波が来れば、あっという間に不作に陥る。
 島津家も耕作可能面積が少なく、台風が頻繁に来るため、農業には苦しんでいた。
 まあ、栽培できるのが麦よりも生産性の高い米だったから、ノーマン家よりマシだっただろうが。

 この例えで言うならば、今回の事件は、「譜代大名の大老との婚約を一方的に破棄して怒らせ、同時に巨大島津家の顔を潰して怒らせ、結果として被害者仲間のこの両家が接近する」、という事態を引き起こしていることになる。
 どれだけ拙い事態か、想像してもらえるだろうか。





「さて、ここで伝えておくことがある」

 食後のお茶を楽しみながら寛いでいると、ギルバートが口調を改めた。

「社交の季節ではあるが、俺とマリアは切り上げて領地に戻る。
 ここまで混乱が大きくなってしまうと、国境を固める必要がある。
 タルデントとオロスデンも同じ考えだ。
 三家で揃って領地に戻り、ドローニスを牽制する」

 タルデント伯爵家とオロスデン侯爵家は、ノーマン辺境伯家と合わせて「アルスター王国北東部」と括られる地域を構成している。
 いわばご近所さんだ。

 この地域の東には、アルスター王国と拮抗する国力を持つドローニス王国がある。
 三家で揃って領地に帰るというのは、ノーマン家が王家に隔意を抱いたが故の独断ではなく、国境を預かる家の総意という表明だ。
 それだけちょっかいをかけてくる可能性が高いと考えているのだろう。



 予想外の大ごとになってしまった。
 アルバートもギルバートも、こんな国を割りかねない大ごとにする気はなかった。
 だが、リオンの対応があれでは、手打ちにできないのだ。
 国の安定のためにとあんなものを受け入れたら、危険なレベルでノーマン家が舐められる。
 領内の統治にすら支障を来たしかねない。
 辺境の地を治めるために、ノーマン家は強くなければならないのだ。

 昨日の王子の様子を見るに、今回の事態がすぐに沈静化しそうには思えない。
 リオンは今回の件の深刻さを理解しているようには見えなかった。
 初期消火に失敗すれば、大火事になるものである。

 国内で大きな混乱が起これば、国外から干渉があるものだ。
 となれば、国境を守る使命を持つ者としては備えなければならない。

「アルバート。
 お前には当主代理の権限を与える。
 王都に残り、俺の代理として事態に対応しろ」
「承知しました」

 領主の顔になった父の下命に、アルバートは頭を垂れて了承する。

「ソフィア、ヘンリック。
 お前たちも残ってアルバートを補佐しろ」
「畏まりましたわ」
「承知いたしました」
「特にヘンリック。
 上の二人に全てを任せると、解決策が突飛なものになりすぎる恐れがある。
 お前の常識には期待している」
「……荷が重すぎるのですが……」

 ヘンリックは胃が痛そうな表情になった。
 実際に痛んでいるのかもしれない。

「効果があればよろしいではございませんか」
「領内でならそれでも構わんが、今回は影響の及ぶ範囲が大きすぎる。
 最終的にはアルバートの判断に任せるが、ヘンリックは『常識的な価値観からの意見』と言うものをアルバートに十分提供してやるように」
「……大任、承りました」
「前科があるのは理解しているが、そこまで気負わなくても良いんだぞ」

 アルバートは苦笑する。
 まあ、この世界に前世の考え方を持ち込んだ結果、非常識と言われてしまった経験は色々とあった。
 そして、すぐ下の妹であり、可愛がりすぎたせいか、ソフィアはアルバートの影響を甚大なレベルで受けている。
 その反動で、ヘンリックは苦労性に育ってしまったようだ。



 例えば、救荒作物としてアルバートが「コオロギ」を提案したことがある。
 それが地球のコオロギと同じ生物かどうかは分からない。
 うろ覚えだが前世のコオロギに似た虫を見つけたので、この世界の虫に詳しい学者に相談して調べ、毒などは無い事を確認した上で提案したのだ。

 それに対して「素晴らしい案ですわ!」と嬉々として養殖方法を研究し始めたのがソフィアであり、「それは作物ではありません!」とツッコミを入れたのがヘンリックである。

 そして試作品としてコオロギの粉末を混ぜたパンができた時。
 原型を残した虫の脚が大量に混入したそれを、半泣きになりながら「本当に食べて大丈夫なんですか?」と言ったのがヘンリックであり、しげしげと観察しながら平然と食べ、より確実に粉末にするために臼の改良を始めたのがソフィアである。

 なお現在コオロギは、鶏や牛、豚、馬、羊といった従来の家畜と競合しない飼料でも育てられ、丁寧に粉にすれば食べる抵抗も無く、混ぜて焼いたパンは腹持ちが良い、と領内では好意的に受け入れられていた。
 抵抗がある者は、そのコオロギで鶏を育てて、鶏を食べる。
 辺境の民は逞しいのだ。



「ソフィア」
「はい」

 母のマリアに呼ばれ、ソフィアは向き直る。

「あなたはわたくしには理解が及ばないほど賢い子であることは分かっております。
 その賢さゆえに、世の中の慣習や常識といったものを煩わしく思っていることも。
 ここがノーマン領であれば、まだ良いでしょう。

 ですが、ここは王都で、しかもあなたはもう子供ではないのです。
 いずれ臣下に降るにせよ、今のあなたはノーマン家の成人貴族です。
 そのことを肝に銘じて、何事もアルバート様とヘンリック様にご相談するのですよ」

 マリアはギルバートの側室になったとは言え、自分はノーマン家の家臣であると言う認識が強い。
 だから、ギルバートに対しても、アルバートやヘンリックに対しても、主家に対する姿勢を崩すことは無い。
 彼女からすると、ソフィアは主家の厚意に甘え過ぎているように見えてしまうのだろう。

「承知しました。
 お兄様のご迷惑になるようなことは決していたしません」

 ソフィアはそう言って一礼する。
 マリアはまだ心配そうな様子だったが、これ以上言ってもキリが無いと思ったのだろう。
 それ以上何か言うことはなかった。

「俺とマリアは昼過ぎに経つ。
 見送りは不要だ。各々の役目を果たすように」

 ギルバートが締めくくり、朝食の席の終わりを告げた。
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