春色人情梅之刀~吉原剣乱録~(しゅんしょくにんじょううめのかたな よしわらけんらんろく)

戯作屋喜兵衛

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【第四章「吉原の死闘」】

四十六 正宗と村正の闘い~戯作者によって産まれた正義と悪~

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※ ※ ※

「てめぇはいつかの辻斬り野郎! この騒動はてめぇの仕業か!」

 梅次郎は向こうから現れた浪人風の男に大音声をあげる。
 男はビクッと体を跳ねさせて驚いたが、すぐに刀を構えなおした。

「やはり貴様か! なぜ拙者の邪魔ばかりするのだ!」」

 怒気を発して睨みつけてくる男は、やはりあのときの辻斬りだった。
 斬りあいをしたのか、ところどころ袖や裾に斬りこみがある。

「てめぇ、吉原を襲撃するたぁ、どういう了見だ! 腐りきってやがるにもほどがあるってぇもんだ!」
「うるさい! 拙者の崇高な目的が貴様にわかるものか! ことごとく拙者の邪魔をしてくれたおまえはこの村正で一刀両断にしてくれる!」
「村正だと……?」

 言われて、梅次郎は辻斬りの刀を確認した。

(確かにこの刀は村正だ……すげぇ打ちあいでもしたのか刃こぼれしてやがるが)

 名刀をここまで傷つけることができるのは、それ相応の刀でしかありえない。

(正宗か長船か……って、今ぁ、刀の鑑定をしてる場合じゃあねぇ)

 梅次郎は正宗を青眼に構えた。

「くくく……まったく、貴様とはつくづく縁があるようだな。拙者の最後の戦いとしてこれほど相応しい相手もおらぬ。冥土の土産に拙者の名を教えてやる。拙者の名は英之進」
「てめぇなんかに気に入られても嬉しくもねぇよ。反吐が出るぜ。まぁ、名乗られたんで仕方ねぇから名乗ってやるよ。俺の名は梅次郎だ」
「梅次郎だと……? ふん、惰弱な名だ。春色梅児誉美しゅんしょくうめごよみでも読んでるのがお似合いだ」
「うるせぇ、俺は戯作よりも剣が好きなんだよ! そもそも梅児誉美の主人公は丹次郎たんじろうだろうが!」

 なぜ英之進の口から為永春水の作品名が出たのか不思議に思ったが、闘いに集中すべく神経を研ぎ澄ませた。

「丹次郎も梅次郎も同じことだ! おのれ……! どこまでも拙者を馬鹿にする! 拙者の邪魔をしたのが梅次郎だと? どこまで戯作は拙者を苦しめればいいのだ!」

 英之進は怒りに我を忘れたように、上段から剣を振るってきた。

「くっ――!」

 本来なら隙だらけの斬撃と言えるが、伊蔵たちとの戦いで梅次郎も消耗していた。

(ここでかわしざまに胴を斬れるようじゃないといけねぇんだが――)

 英之進の負の情念が異常なほど伝わってくる。

 理屈ではない。
 安易に斬りこめば道連れにされる予感がした。

「ぬあああああ! はあああああ!」

 英之進は剣術を修行した者からはありえない刀の振るい方をしている。

(まるでヤケクソだ! でも、このほうが厄介だぜ!)

 素人のような戦い方だが、ところどころ剣客ならではの鋭い斬撃が襲ってくる。
 駄々っ子のように暴れ回るからこそ、手が焼ける。
 剣術の定石が通用しない。

「ちっ――!」

 なんといっても気迫で押されている。
 前回戦った英之進とはまるで別人だった。

(死を恐れていねぇ。いや、こいつぁ死にたがってやがる!)

 命を賭した自暴自棄の剣。

 それはこれまでのどんな剣客とも違う戦い方だった。
 隙だらけのはずなのに、斬りこむことができない。

(こいつぁ本当に厄介な奴だ!)

 剣術の神髄は捨身にある。

(命を捨てた奴ほど怖いものはねぇ!)

 猛烈な勢いに押されていき、袖や裾が斬られていく。
 正宗でなかったら、受けているうちに刀が折れていただろう。
 それほどのすさまじい斬撃だった。

(こんなやつのために命を捨てられるか!)

 そう思うが、逃げの姿勢になったらやられる。

「ははは! 拙者と死ね! 死ねぇ!」

 英之進は瞳をギラギラ光らせ、凄絶な笑みを浮かべながら猛攻を続けてきた。
 壊れてしまった侍は疲れを知らず、人間離れした斬撃を繰り出し続けてくる。

(こいつぁ化物だ)

 もはや悪鬼と化している。
 吉原の灯篭によって作り出される陰影と相まって、妖怪が暴れているように見えた。

「ちっ! 怪談本の中に帰りやがれ! 吉原って言ったら洒落本か人情本の舞台なんだよ!」

 江戸っ子にとって、軽口が調子を整える重要な所作だ。
 言葉というものは心を和らげ、鼓舞し、現実へ向かう準備をしてくれる。

「そんな惰弱な文化などいらぬのだ! それで道を踏み外した者がどれだけいるか!」
「人のせいにしてんじゃねぇ! 自分の道ってのぁ自分で切り開くんだ! 誰のせいでもねぇ! 俺だって片親だし会ったこともねぇ父親は手鎖くらった戯作者だ!」
「なんだと……! まさか貴様の父親は為永春水」
「さあな! だが、どんな理屈をつけようと女を斬るやつぁ腐れ外道だ! 俺はそういう奴ぁ絶対に許さねぇ!」

 英之進の闘気に揺らぎが見えた。

(やはりこいつは親父の戯作を好んで読んでやがったんだな。それで身を持ち崩した)

 おそらく、そうだろう。それで合点がいった。

(親父のせいでこんな化物が生まれちまったのなら、親父の種で生まれた俺が片をつけにゃあならねぇ)

 どうやらこの戦いは宿命のようだ。
 戯作者によって生まれた、悪と正義。
 その雌雄を決せねばならない。
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