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【第四章「吉原の死闘」】
四十三 分かれ道~生と死~
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「おのれぇ! よくも波蔵をぉ!」
波蔵を斬られて激高した伊蔵が一気に間合いをつめてきた。
居合は強烈な一撃を放てるかわりに、そのあとに大きな隙ができる。
そこを逃さないのは、さすがだが――。
(こちとら居合も剣術も必死にやってきたんだ!)
若い頃の梅次郎は小吉から血の滲むような稽古を受けつつ、居合の修行もしていた。
居合の師匠はすでに亡くなったが、梅次郎の腕に技は生きている。
「うりゃあああ!」
「ぬぐぅ!?」
刀を振りぬいた姿勢から、強引に体を戻して斬りさげる。さらには横に薙ぎ払う。
脚力を徹底的に鍛えている梅次郎の刀は、どんな無茶な姿勢からでも強烈な斬撃を放つことができた。
(勝様も居合の師匠も耳にタコができるくれぇ俺に言ったもんだ。人間も剣も最後は根っこが大事だってな!)
土台となる下半身がしっかりしていれば、多少上半身がブレようともなんとかなる。
梅次郎の刀の奔放な軌道に、伊蔵の瞳は初めて驚愕に見開かれた。
しかし、波蔵と違って冷静さを失わない。瞬時に後退に切り替えている。
「そこだぁ!」
「ぬぅうっ……!」
追撃の突きをギリギリでかわすと、そのまま飛び下がっていく。
「……ちっ、そう簡単にやられてはくれねぇか」
梅次郎は体勢を立て直し、再び正宗を青眼にかまえなおした。
足元には、亡骸となった波蔵が転がっている。
「……おのれ、拙者の弟を……許さぬ! 許さぬぞっ!」
伊蔵は踏みとどまり、再び対峙の姿勢を見せた。
忍者なら作戦が失敗したら潔く逃げるはずだが、肉親への情が上回ったようだ。
「……夜鷹にだって家族がいたかもしれぇんだ。おまえたちは正義のために人斬りをしたつもりだろうが、そんなもので殺されちゃたまらねぇよ」
夜鷹は家族を養うために身を売っている者が多い。
芸者や花魁だって、そうだ。
「みんな懸命に生きてんだよ。好きで汚れてるわけじゃあねぇ。生きるために必死なんだ」
それを一方的に断罪することの愚かさに、梅次郎は腸が煮えくり返った。
「……で、なぁ。俺ぁ弱い者いじめが嫌ぇだ! 人を斬るのは嫌ぇだが、それ以上に人を斬る奴らがもっと大っ嫌ぇだ!」
梅次郎は伊蔵を睨みつけながら一歩、二歩と間合いを詰めていく。
「……ぬぬ……」
気迫に押された伊蔵は、ジリジリと下がる。
いよいよ跳ね橋というところで――伊蔵は懐から黒い玉を取り出して投擲してきた。
だが、すでに梅次郎は身を低くしたまま突進している。
黒い玉をかわし、続いて飛来した手裏剣をくぐりぬけ――地を這うような体勢からの逆袈裟斬りを繰り出す。
「ぬうう!」
伊蔵は上空に高く跳んで斬撃をかわす。
身軽な忍者ならではの回避だった。
そして、そのまま落下の勢いを使って赤い短刀を梅次郎の脳天に向けて叩きこもうとする。
(しまった!?)
前へよければ不安定な跳ね橋と漆黒のお歯黒ドブ。
勢いがついてしまっているだけに後ろや左右への回避は遅くなる。そうなれば短刀の餌食になるだろう。
(なら――!)
梅次郎は自ら仰向けに倒れこみ、同時に正宗を直上に投げた。
「ぬおぉ――!?」
落下中の伊蔵はよけることはできない。
(跳ぶってこたぁ死に体になるってぇことだ!)
地に足がついていないと、あらゆることに対処できない。
梅次郎を殺すことだけに凝り固まった伊蔵は、最後の最後で隙をつくったのだ。
正宗は、過たず伊蔵の心臓を貫いた。
絶命しながらも握り締めた短刀は――梅次郎の顔のすぐ横に突き刺さる。
遅れて、伊蔵の体が覆いかぶさってくる。
「…………危ねぇ……」
梅次郎は伊蔵の亡骸を押しのけて、立ち上がった。
咄嗟の判断だった。
もしほかの手段をとっていたら、死んでいたのは梅次郎のほうだろう。
「…………まったく、ほかに生き方はなかったのかよ」
決して相容れない存在だが、梅次郎の心には寂寥感があった。
(真剣をかわして命のやりとりをすると嫌でも情が芽生えるって勝様は言っていたが……まぁ、そういうものなんだよな……)
梅次郎だって、もし道を外れていたら伊蔵のようになっていたかもしれない。
(剣や技で身を立てるってのぁ……ひとつ間違えば奈落の底だ)
組織や身分というものに縛られないかわりに、導いてくれる者も叱ってくれる者もいない。
自分ひとりだけということは、容易に道を誤ってしまうものだ。
そして、悪に染まりやすいとも言える。
(まあ、江戸の町の事件は浪人者が起こすことも多いからな)
幕府や藩という後ろ盾のない侍は、ただの厄介者だ。
そのことは市中見回りをするようになって、梅次郎は痛感していた。
(……俺ぁ侍でもねぇ町人だが、勝様や居合の師匠のおかげで道を間違えずに生きてこられた)
出会いひとつで、人は変わってしまう。
特に、若い頃に誰を師として仰ぐか――。
「結局、運なんだよな……って、今はそんな感傷に浸ってる場合じゃねぇ! 玉糸ンとこに行かねぇと!」
梅次郎は闇に呑まれた忍者の亡骸をあとに、駆けだした――。
波蔵を斬られて激高した伊蔵が一気に間合いをつめてきた。
居合は強烈な一撃を放てるかわりに、そのあとに大きな隙ができる。
そこを逃さないのは、さすがだが――。
(こちとら居合も剣術も必死にやってきたんだ!)
若い頃の梅次郎は小吉から血の滲むような稽古を受けつつ、居合の修行もしていた。
居合の師匠はすでに亡くなったが、梅次郎の腕に技は生きている。
「うりゃあああ!」
「ぬぐぅ!?」
刀を振りぬいた姿勢から、強引に体を戻して斬りさげる。さらには横に薙ぎ払う。
脚力を徹底的に鍛えている梅次郎の刀は、どんな無茶な姿勢からでも強烈な斬撃を放つことができた。
(勝様も居合の師匠も耳にタコができるくれぇ俺に言ったもんだ。人間も剣も最後は根っこが大事だってな!)
土台となる下半身がしっかりしていれば、多少上半身がブレようともなんとかなる。
梅次郎の刀の奔放な軌道に、伊蔵の瞳は初めて驚愕に見開かれた。
しかし、波蔵と違って冷静さを失わない。瞬時に後退に切り替えている。
「そこだぁ!」
「ぬぅうっ……!」
追撃の突きをギリギリでかわすと、そのまま飛び下がっていく。
「……ちっ、そう簡単にやられてはくれねぇか」
梅次郎は体勢を立て直し、再び正宗を青眼にかまえなおした。
足元には、亡骸となった波蔵が転がっている。
「……おのれ、拙者の弟を……許さぬ! 許さぬぞっ!」
伊蔵は踏みとどまり、再び対峙の姿勢を見せた。
忍者なら作戦が失敗したら潔く逃げるはずだが、肉親への情が上回ったようだ。
「……夜鷹にだって家族がいたかもしれぇんだ。おまえたちは正義のために人斬りをしたつもりだろうが、そんなもので殺されちゃたまらねぇよ」
夜鷹は家族を養うために身を売っている者が多い。
芸者や花魁だって、そうだ。
「みんな懸命に生きてんだよ。好きで汚れてるわけじゃあねぇ。生きるために必死なんだ」
それを一方的に断罪することの愚かさに、梅次郎は腸が煮えくり返った。
「……で、なぁ。俺ぁ弱い者いじめが嫌ぇだ! 人を斬るのは嫌ぇだが、それ以上に人を斬る奴らがもっと大っ嫌ぇだ!」
梅次郎は伊蔵を睨みつけながら一歩、二歩と間合いを詰めていく。
「……ぬぬ……」
気迫に押された伊蔵は、ジリジリと下がる。
いよいよ跳ね橋というところで――伊蔵は懐から黒い玉を取り出して投擲してきた。
だが、すでに梅次郎は身を低くしたまま突進している。
黒い玉をかわし、続いて飛来した手裏剣をくぐりぬけ――地を這うような体勢からの逆袈裟斬りを繰り出す。
「ぬうう!」
伊蔵は上空に高く跳んで斬撃をかわす。
身軽な忍者ならではの回避だった。
そして、そのまま落下の勢いを使って赤い短刀を梅次郎の脳天に向けて叩きこもうとする。
(しまった!?)
前へよければ不安定な跳ね橋と漆黒のお歯黒ドブ。
勢いがついてしまっているだけに後ろや左右への回避は遅くなる。そうなれば短刀の餌食になるだろう。
(なら――!)
梅次郎は自ら仰向けに倒れこみ、同時に正宗を直上に投げた。
「ぬおぉ――!?」
落下中の伊蔵はよけることはできない。
(跳ぶってこたぁ死に体になるってぇことだ!)
地に足がついていないと、あらゆることに対処できない。
梅次郎を殺すことだけに凝り固まった伊蔵は、最後の最後で隙をつくったのだ。
正宗は、過たず伊蔵の心臓を貫いた。
絶命しながらも握り締めた短刀は――梅次郎の顔のすぐ横に突き刺さる。
遅れて、伊蔵の体が覆いかぶさってくる。
「…………危ねぇ……」
梅次郎は伊蔵の亡骸を押しのけて、立ち上がった。
咄嗟の判断だった。
もしほかの手段をとっていたら、死んでいたのは梅次郎のほうだろう。
「…………まったく、ほかに生き方はなかったのかよ」
決して相容れない存在だが、梅次郎の心には寂寥感があった。
(真剣をかわして命のやりとりをすると嫌でも情が芽生えるって勝様は言っていたが……まぁ、そういうものなんだよな……)
梅次郎だって、もし道を外れていたら伊蔵のようになっていたかもしれない。
(剣や技で身を立てるってのぁ……ひとつ間違えば奈落の底だ)
組織や身分というものに縛られないかわりに、導いてくれる者も叱ってくれる者もいない。
自分ひとりだけということは、容易に道を誤ってしまうものだ。
そして、悪に染まりやすいとも言える。
(まあ、江戸の町の事件は浪人者が起こすことも多いからな)
幕府や藩という後ろ盾のない侍は、ただの厄介者だ。
そのことは市中見回りをするようになって、梅次郎は痛感していた。
(……俺ぁ侍でもねぇ町人だが、勝様や居合の師匠のおかげで道を間違えずに生きてこられた)
出会いひとつで、人は変わってしまう。
特に、若い頃に誰を師として仰ぐか――。
「結局、運なんだよな……って、今はそんな感傷に浸ってる場合じゃねぇ! 玉糸ンとこに行かねぇと!」
梅次郎は闇に呑まれた忍者の亡骸をあとに、駆けだした――。
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