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【第四章「吉原の死闘」】

三十九 暗闇の死線

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「……おまえだろ。柳原土手で夜鷹を殺しやがったのは」
「ご名答でござる。いや、なかなかできる人のようでござるな。しかも、手にしている刀は正宗でござるか。いやいや、ここにきてこんな強敵に出会えるとは。拙者もついているのか、ついていないのか、わからないものでござるよ」

 よくしゃべる。
 しかし、感情は不気味なほどに動いていない。

(口と心がまるで別人のようだ)

 感情の揺れは隙になる。
 それを目の前の忍者は徹底的に殺している。
 それは修練のなせる技か、それとも地獄を見てきたからか。

「……まあ、おまえがどう生きてきたかはどうでもいいことだ。女を殺すような腐れ外道は斬り捨てる。それだけだな」

 梅次郎は正宗を下段に構え直し、間合いを詰めていく。
 手裏剣などの飛び道具と短刀による刺突に対処しやすくするためだ。

「くくく……」

 伊蔵は地を這うような低い姿勢になって構えをとった。

(こっちが下段に構えてるってのに、たいした自信だな)

 それでも、気圧されるわけにはいかない。
 梅次郎は泰然自若として、歩を進めていく。
 どこか散歩にでも行くような、そんな気軽さだ。

「ふふっ……ははは、面白い御仁でござるな。そんなに早く死にたいでござるか!」

 伊蔵は左手で短刀を握ったまま、右手を懐に滑らし連続してなにかを投げてきた。

(クナイ、手裏剣、手裏剣!)

 梅次郎は飛来してきた武器を見切り、対処していく。
 まずクナイは避け、ひとつめの手裏剣は弾き、ふたつめの手裏剣はかわしつつ踏みこんで間合いを詰める。

「づああ!」

 そして、肉薄した勢いのまま下段から斬りあげた。

「はっはぁ!」

 伊蔵は笑い声をあげながら後方へ飛び退く。

「らあああ!」

 それを追尾して今度は上段から斬りかかり、続いて横薙ぎに払う。

「まだまだでござるよぉ!」

 伊蔵は細かい足捌きでかわし、ジグザグに下がっていく。

 梅次郎の三連撃は、不発に終わった。

 さすがに忍者は身のこなしが軽い。
 もう跳ね橋付近の塀まで後退している。

(素早いな。だが、もう後ろはお歯黒ドブのところの塀だ)

 通常の相手なら塀際に追い詰めたといえるが――相手は忍者だ。
 踏みこもうとした梅次郎は、不意に嫌な予感がして足をとめた。

「おやおや、これ以上は踏みこまないでござるか? 拙者が不利な位置でござるよ?」
「減らず口を叩く余裕があるじゃねぇか。なんか企んでやがるな?」
「いやいや、滅相もないでござる。拙者は無策でござるよ」

 しかし、容易に下がりすぎている。
 まるで誘いこむかのような――。

 梅次郎は息を吐き、神経を闇へと拡げていく。
 伊蔵に関しては奇妙なほど殺気を抑えている。
 だが、その後方――お歯黒ドブの向こうに違和感があった。

(……複数人で投擲していたらしい火炎玉が、やんでいる)

 つまり――。

(ほかの奴が伊蔵の支援に回らぁな)

 そう考えるのが自然だった。

 梅次郎は、あえて大上段に構えを変える。
 隙だらけの、それこそ手裏剣でも投げたくなるようなガラ空きの胴。

 そこへ向けて、跳ね橋の向こうの闇から光るものが飛来した。

「やっぱりか!」

 瞬時に構えを中段に戻し、脇腹を狙ってきた手裏剣を弾く。

「ははっはぁ! 見事、見事! よくぞ拙者の後方にもうひとりいると見破ったでござるなぁ!」
「おまえほど殺気を抑えきれてなかったからな。未熟なんだろうよ」
「然り、然り! 波蔵はまだまだ修行が足らぬでござるからなぁ! ああ、波蔵とは拙者の愚弟にござるよ! お見知りおきを! といっても、我ら黒装束ゆえ素顔はわからぬでござったな!? ふはっはははぁ!」

 狂気に満ちた笑みを漏らしながら、伊蔵は懐から玉を取りだした。

(火炎玉、いや、ここでそんなものを使う意味はねぇ)

 気持ちとしては下がりたくなかったが、それでも梅次郎は本能に従って距離をとる。

「さあ、どうするでござるか!?」

 伊蔵は黒い玉をこちらに向かって勢いよく投擲してきた。

「くそっ!」

 梅次郎は咄嗟に懐から印籠を取り出すと、その黒い玉に向かって投げる。
 避けたり刀で斬るという選択もあったが、玉の中身がわからない状態では危険だ。

 瞬時の判断だったが、印籠はあやまたたず黒い玉に直撃。
 中空で黄色い粉塵が舞う。

(なんだこれぁ……毒か!?)

 危険と判断した梅次郎は半身になって後退する。
 それを追尾するように手裏剣が飛んできたが、それもジグザグに走って回避した。

「ちっ……」

 どういうものが含まれているかわからないので、迂闊に近づくことはできない。
 十分に距離をとったところで、跳ね橋方面に体を向ける。

 伊蔵の姿は煙に霞んで見えない。

(逃げたか、潜んでいるか――)

 梅次郎は正宗を青眼に構えながら、気配を読む。

(どこかにいやがる……どこだ?)

 まだ背筋にゾクゾクしたものが走っている。
 危難は去っていない――。

(長期戦になるか)

 玉糸と音八のことは気になるが、今は戦いに集中せねばやられる。
 梅次郎は心を鎮めて、静かに闘気を滾らせていった。

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