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【第四章「吉原の死闘」】

三十八 闇から来る漆黒

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 ただの火攻めとは思えない。
 これまで直接女を斬ることにこだわっていたのだ。
 ここでその偏執さを捨てるはずがない。

(おそらく斬りこんできやがる。そして、遊女の中の最上級である花魁を狙うはずだ!)

 直感に従って、梅次郎は駆ける。

「ちっ! 外をほっつき歩いてる場合じゃなかったかもしれねぇな!」

 来た道を戻り、吉原の中心あたりまで来たところで、向こうから駆けてくる小吉と音八に出くわした。

「おお、梅! 西側は任せろい! おめぇは東側を守れ! 道場の奴らが来てんのも見かけたから、そいつらにも協力させらぁ!」
「勝様! 頼みやした!」
「わたしは梅の字と一緒に行くよ。怪我も癒えてきたからね。少しは働けるさ」
「無理すんなよ、音八」
「アイ、合点さ。いざとなったら守っておくれよ!」

 梅次郎は音八と共に、吉原の東側へ向かった。
 客として来ている侍たちは、火事と聞いて大門方面へ殺到している。
 こんなところで遊んでいることが知られたら問題になるからだ。

(こりゃあ大門のあたりは混乱しているだろうな。だが、逆にそっちから攻めるというのはなくなったか)

 両刀を差した無数の侍を押しのけて遊郭に侵入するのは無謀だろう。
 となると――。

(そうだ! どっか跳ね橋からお歯黒ドブを越えてくるかもしれねぇ!)

 跳ね橋は普段は架けられていない橋だ。
 名称のとおり通常は跳ねあげられている。
 この火事なら緊急的に使用されているかもしれない。

(ちくしょう! なんでそのことに気がつかなかったんだ俺ぁ! 火事を起こしたのはきっとそれが狙いだぜ! 入りこまれたら面倒だ! 跳ね橋付近で防がねぇと!)

 迷っている暇はない。
 一番侵入してくる可能性の高いと予測した跳ね橋のほうへ急行した。

「――っ!?」

 思ったとおり、跳ね橋がひとつ架けられている。
 そして、廓内へ向かって駆け抜けてくる黒い影があった。

(黒装束。忍者か)

 そう認識したときには影の手元が素早く動き――なにかが飛来した。

(手裏剣!)

 梅次郎は正宗を鞘から滑らせるように抜刀し、瞬時に打ち返した。
 回避することもできたが、後方の音八の安全を考えた判断だ。

 ――キィン!

 金属同士がぶつかる甲高い音とともに、手裏剣は忍者のほうへ弾け飛ぶ。
 しかし、それはなんなくかわされた。

「……おっと。まさかでござるな。不意を突いたと思いきや、すでに待ちかまえていたでござるか。しかも拙者の手裏剣を見切るとは」

 言葉ほど驚いたような素振りを見せず、忍者は短刀を構えた。
 どういう細工を施しているのか、刀は赤い光を放っている。
 それを見て音八は息を呑んだ。

「その短刀、まさか、甲賀の伊蔵!?」
「……おや、拙者のことを知っているでござるか。芸者なんぞに知られるとは拙者の名が汚れるでござるよ」
「なんだ、音八。知りあいか?」

 梅次郎は正宗を青眼にかまえて油断なく忍者を見ながら、音八に訊ねる。

「こいつは伊賀の忍者を何人も殺している札つきの悪忍者さ。どういうわけか伊賀の忍びを敵視して闇討ちをしかけて何人も殺したのさ。それも赤い短刀を使ってね」
「ふふふ……よりによって伊賀のくノ一でござったか。こんなところで芸者に化けているとは、とんだ女狐でござるな。伊賀者はこれだから許しがたいでござるよ」
 
 明らかに忍者――伊蔵のまとう闘気と憎悪が強まった。

「音八、下がれ。こいつぁ危ねぇ奴だ」

 黒装束からわずかに覗く黒い瞳は、じっとりと湿っている。
 絡みつくような殺意。
 それはあたかも獲物を狙う蛇である。

(あの辻斬りより厄介かもしれねぇ)

 あの侍はまだ人間味があったが、こちらはそういったものが感じられない。
 殺戮人形とでも言おうか。
 心が壊れているか、失われている。

「……音八、おめぇは玉糸たちのところに合流してくれ。こいつ相手だとおめぇのことまで守れねぇ。……それにあの辻斬りもどこかから侵入してきてるはずだ」
「合点さ。悔しいねぇ。伊賀者としては一太刀浴びせてやりたいところだったけど」

 音八自身も足手まといになることはわかるのだろう。
 一歩、二歩と慎重に後退していく。

「それは俺に任せてくれ。こいつぁ始末しておかねぇと間違いなく災いをもたらし続けやがる。必ず俺が倒す。……ほら、行け」
「アイ、頼んだよ、梅の字!」

 音八は身を翻すと一気に離脱していく。
 梅次郎が刀で牽制し続けていたので、伊蔵は音八を追いかけることはしなかった。

 こちらの実力に向こうも気がついているということだ。
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