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【第四章「吉原の死闘」】

三十三 女の園では油断も隙もあったものではない

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「まーた、ぼーっとして! ……って、なんでわっちのことを見つめてるでありんすか?」
「……いや、おめえたち遊女の苦労を慮っちまってな。今度、俺がうめぇもんでもたらふく食わせてやるよ」
「ど、同情はいらないでありんすよ。志信屋はほかの見世と違ってわっちたち女郎第一で考えてくださりんすから。……で、でも、おごってくれるというのなら、なんでもいただきいすけど」

 プイッと横を見つつ、根が食いしん坊らしい玉雛は期待しているようだ。

「おう! おめぇにはずいぶん仕事を教えてもらったからな! お礼も兼ねておごってやらぁ!」
「……ふ、ふんっ。ま、まさか、わっちを口説こうとしているでありんすか? からかうのはやめておくんなんし。まったく、趣味が悪いでありんすよ。水揚げなんて絶対に頼みいせんから」
「ばか言うな。俺にそんな趣味はねぇやい。無茶苦茶なことを言いやがる」

 なお、禿から新造になったばかりの遊女『振袖新造』が初めて客をとることは『水揚げ』と呼ばれており、たいそう金がかかる。
 そんなふうに会話をしていると、階段を下りてくる遊女がひとり。

「アレ、梅さんったら、禿を口説くなんて趣味が悪いでありんすねぇ。見損ないいしたよ」

 呆れ顔の玉糸が顔を出した。

「おいおい冗談はよしてくれ。俺はただ日頃の礼を兼ねて飯を奢ろうと思っただけだ!」
「なら、わちきにも奢っておくんなんし。これまで梅さんをどれだけ世話してきたか少しは考えてほしいでありんすよ」

 そして、内証(見世の主人たちの住む居住空間)のほうからは新造の玉川が顔を出す。

「わちきだって陰ながら梅さんが上手く働けるように若い者や遣り手にちゃんと話を通したんでありんすよ。奢っておくんなんし」

 玉川は狐目を細めて恨めしげに言う。

(女って奴ぁ本当に地獄耳だな)

 女の園では、油断も隙もあったものではない。

(地獄にいると地獄耳になるのか)

 そんなつまらぬ洒落が浮かんだが、ここは上手く収めねばならないだろう。

 女を怒らせると噂話が瞬時に広がり、居心地が悪くなってしまう。
 地獄耳であり、おしゃべりなので厄介なのだ。

「おうよ、わかった! 三人まとめて鰻でも寿司でもなんでも奢ってやるぜ!」

 梅次郎は景気よく請け合う。
 吉原で働いていることで、いくらか給金も出ているのだ。

「ふふっ、舌が肥えているわちきたちを満足させられいすか楽しみでありんすねぇ」

 玉糸は含み笑いをしながら、舌なめずりする。
 艶めかしい舌が、まるで今は蛇のように思えた。

「ふふふ……楽しみでありんすねぇ」
「あはは、わっちも楽しみでありんす~」

 花魁に続いて新造、禿と意味ありげな笑みが続く。
 尻の毛までむしられそうだ。

「すまん、やっぱり出世払いで……」
「出世するアテなんてありんしたか?」
「体で払ってもらうしかないでありんすね」
「こき使ってやるから覚悟しておくでありんすー!」

 あらためて遊郭の恐ろしさを思い知らされる梅次郎なのであった。

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