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【第三章「浮き世と憂き世」】

三十 飯盛旅籠襲撃

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 翌未明――。
 英之進たちは密かに宿場に入りこみ、寝静まった飯盛旅籠を襲撃した。

 イビキをかいて眠るいぎたない飯盛女たちを英之進が一刀両断し、伊蔵たちが火を放つ。
 江戸とは違い、田舎の宿場は不用心であった。
 一方的に殺戮の目的を果たし、宿から離脱する。

(あっけないものだな)

 闇に紛れて小道を駆けながら、英之進は虚しさを感じていた。
 やはり江戸の町でしてこそ、辻斬りや襲撃は意味がある。

「どうでござったか、英之進殿」

 別の道から逃げていた伊蔵が、いつの間にか合流している。
 近づく気配がまったくわからなかったのは、さすが忍者といったところだ。

「ああ、いい稽古にはなったな」
「しかし、物足りなさそうでござるな」
「わかるか」
「無論。かくいう拙者も物足りないでござるよ。いつか江戸の町を火の海にしてしまいたいものでござるなぁ」

 しみじみと途方もないことを口にする伊蔵。
 つい、英之進は笑ってしまった。

「はは、おぬしも相当鬱屈しておるな」
「ハハハ、それはそうでござるよ。こんなガチガチに身分を固められ、生き方まで決められる世など滅べばいいと思っているでござる」

 屈託なく言うが、目は笑っていない。
 瞳は黒く濁って、淀んでいる。腐った魚の瞳よりも醜い。

(俺もこんな目をしているのだろうか)

 そう思ったが、鏡で自分の顔を直視することなどもう何年もない。
 いつからか、自分自身を真っすぐに見られなくなっていた。

(まぁ、いい……こうなったらとことんやるのもいいだろう。江戸の町を清めるためには一度すべてを焼き尽くして焦土にすべきなのかもしれぬ)

 夜鷹や遊女という穢らわしい者を生み出しているのは、江戸という町そのものだ。
 そして、その江戸を支配している幕府にも責任がある。

(風紀取り締まりのため身を粉にして働いた俺や伊蔵を使い捨てにした恨みは忘れぬ)

 汚れ仕事を押しつけ、用が済んだら切り捨てる。
 英之進の恨みは、町奉行や老中を超えてさらにその上の将軍にまで及んでいた。

「英之進殿。我らに失うものはないでござる。つまり、敵無しということでござるよ」
「そうだな。我らは無敵だ。守るものがないからこそ攻めることができる」

 自分たちにはなにもない。
 だからこそ、崇高な目的のために邁進できる。

 剣術の捨て身の突撃みたいなものだ。
 身を捨ててこそ成し遂げられる一撃がある。
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