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【第三章「浮き世と憂き世」】

二十 世を志信屋

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 志信屋に着くと、若い者に挨拶され、禿かむろに案内されて二階奥の座敷へ通された。
 音八と志信屋の者たちは顔馴染みというより、昔からのつきあいように思える。

(……まさかこの志信屋の若い者や遣り手も忍者だったりしねぇよな)

 ふと、そんな馬鹿げたことを思った。
 しかし、よくよく見ると全員の身のこなしが洗練されている。
 それに、鍛えられた者特有のしなやかで強靭な肉体を感じさせた。

「……なあ、まさか手裏剣の投げ方なんてぇのは習ったりしてねぇよな?」

 梅次郎は、お茶を持ってきた禿の玉雛たまひなに尋ねてみた。
 まだ十一歳ほどで、どことなくお雛様を思わせる容姿をしている。

「アレ、梅さんはご存知でありんしたか。花魁から手裏剣の腕はよく褒められいすよ」

 玉雛は照れくさそうに答えた。

(……おいおい、まさか本当なのか……?)

 自分から聞いておきながら呆れてしまう。
 横に座っていた音八が肘でこちらの腕を突いた。

「オヤ、梅の字。いつからこの志信屋が忍者たちの見世だって気がついたんだい」
「……今だ。って、本当なのかよ。俺ぁ、半分くらい冗談のつもりで尋ねたんだが」
「アレ、そうでありんしたか。迂闊うかつでありんした。わっちを使って探りを入れるなんて梅さんは憎い人でありんすねぇ」

 玉雛は頬を膨らませて怒った表情を作った。

「いや、すまん、すまん。まさかとは思ったが、そのまさかたぁなぁ……」

 思えば、志信屋の遣り手婆や仲居の眼光も鋭い。あれは修羅をくぐり抜けてきた者の目だ。
 武術を極めた者の持つ眼光は誰しも似ている。
 小吉も音八も玉糸も瞳の奥には不敵な輝きがあるのだ。

(……だから、この遊郭は俺のような奴を平然と上がらせているんだな)

 通常なら花魁の頼みとはいっても、貧乏町人かつ無名剣客にすぎない梅次郎を登楼させないだろう。
 それに花魁が江戸の町の騒動に首を突っ込むというのもありえない。

 この志信屋は普通ではない。
 なにか江戸の町を裏から守るような役目を持っている気がした。

「梅さん、音八さん、よく来てくださりんした」

 梅次郎の思考は、障子を開けて入ってきた玉糸によって中断させられた。

 艶やかな着物と煌びやかな櫛という女の完全装備。
 これは、やはり、一種の武装ではないか。
 化粧も、衣装も、女にとっては戦うための装束なのだろう。

「花魁、聞いておくんなんし。梅次郎さんに引っかけられて手裏剣の稽古をしていることをしゃべってしまいした。拝みいす。許しておくんなんし」

 玉雛は実際に手を拝むかたちにして、玉糸に謝っていた。
 そこで、すかさず音八が助け舟を出す。

「わたしからも教えてあげたのさ。ここが忍者たちの見世だって。梅の字は信頼に足るってよくわかったんだし、そのほうが手っ取り早いだろ」

 聡明な玉糸は瞬時にすべてを理解したようだ。

「謝る必要はありんせん。悪いのは梅さんでありんすから。そして、音八さん、ありがとうでありんす。確かに、話が手っ取り早くて助かりいす」

 玉糸は梅次郎たちの対面になる位置に優雅な所作で座った。

「梅さん、よくお気がつきになりんしたね。確かにここ志信屋は伊賀者によって成り立っている見世でありんすよ。そして、お上の意向を受けて江戸の町を影から支えておりいす」
「お上だと!? って、こたぁ……」
「誰からかまでは梅さんでも教えるわけにはいかないでありんす。ただ、このお役目は代々続いてきたことでありんすよ。」

 そうなると、町奉行か若年寄か老中か――あるいは将軍かもしれない。

(おいおいおい……話があまりにも大きくなってきたじゃあねぇか!)

 剣と禅の修行を積んできた梅次郎だが、動揺してしまう。
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