春色人情梅之刀~吉原剣乱録~(しゅんしょくにんじょううめのかたな よしわらけんらんろく)

戯作屋喜兵衛

文字の大きさ
上 下
12 / 48
【第一章「剣客と花魁と芸者と暴れん坊旗本」】

十二 鰻の深い味わいと深川で考える人生

しおりを挟む

「まったく、できのわるい弟ができたようなものだねぇ。ほら、おかわりもしていいよ。わたしが出してあげるからたんと食べな」
「おいおい、子ども扱いするなよ。でも、まぁ、本当にこの店の鰻は美味いな。美味すぎるぜ!」

 こうして音八と会話をする間にも、鰻の蒲焼とタレが適度についたご飯を次々と口に運んでいく。
 上等の鰻は身が繊細である。ブヨブヨしていない。
 それでいて、しなやかで柔らかい。

(まるで鍛えられた剣客のようだな)

 この鰻は、自らエサを獲るために活発に動き回って生きてきたことがわかる。
 恵まれた環境で楽してエサを獲っていた鰻は、どうしても脂が増えすぎてしまい食感がブヨブヨしてしまうのだ。

(……思えば、今の江戸の町の武士なんざぁ泰平の世で安穏と暮らしてエサを貪ってブヨブヨしてる鰻のようなものだな)

 家柄というもので石高や食い扶持が決まっており、先祖から受け継いだ職務をとりあえず果たしていれば身分も収入も保証される。

(まぁでも町人は才覚次第で身代を大きくすることはできっからな。武士とは違う)

 梅次郎の父である春水も、最初は小さな本屋や古本の売買(現代でいう『せどり』)をやっていたが、戯作者として徐々に成功していき『人情本一流の元祖』と名乗るほどになった。

 水野忠邦が天保の改革で戯作者・為永春水を目の敵にしたのは人情本で風紀を乱したという面もあるだろうが、弟子を多数持つほど成功した春水への嫉妬もあるのではないかとも思える。

(……町人は自分の才覚でのしあがったり、ある程度自由に色恋をすることもができるが武士は身分の上下の中で窮屈に生きていやがるからな)

 その鬱憤を体現したかのような人物が勝小吉であると言える。
 あれだけの豪傑が小普請入りして職務につけないことが、幕府の大いなる矛盾であるとも思えた。

(勝様ともあろう御方が若い頃は職を得るために偉い役人の屋敷に日参したりしてたらしいからな)

 ふだんは愚痴を言わない小吉だが、そのことについてはたまに憤りながら話すのだ。
 幕臣として真っ当な職務につけなかったからこそ、小吉は刀の目利きや加持祈祷で生計を立てざるをえなかった。

 剣の腕を磨いたところで、未だ泰平の眠りを貪る時代では役には立たない。
 だから、おまえも目利きや加持祈祷や講釈をやれ、と小吉に言われたものだ。
 なんでもいいから金を稼ぐ方法を身につけておけ、と。

「アレ、梅の字、考えごとかい? 婀娜あだな辰巳芸者を前にして鰻を食べながら考えごととは贅沢な身分だねぇ」
「おっと、すまねぇ。つい町人と武士の生き方の違いについて考えちまったぜ。人生至るところに師はあるものだな」
「梅の字は剣客のくせして変なところで学者だよねぇ。でも、そういうところが好きさ」

 音八は感心したような表情をしている。まるで出来のいい弟を見るかのようだ。
 その視線がくすぐったくなって、梅次郎はそっぽを向いた。

「そんなことはねぇがな」
「そんなことはあると思うよ。そういう思慮深いところがただの剣術馬鹿じゃないって感じでわたしは好きなんだけどね。……おっと、とにかく今は鰻を食べようか。冷めちまうよ」

 音八も照れ隠しをするようにそっぽを向いた。
 なんだか妙な空気になってしまった。

「あ、ああ。そうだな!」

 梅次郎は再び箸を動かして鰻の蒲焼とご飯を口に運んでいく。
 少し間が空いたことで逆にタレが沁みていた。

(できたてもいいが、時間を置くことで味わいが深くなるってやつだな)

 あるいは人生だって、そうかもしれない。
 急いで食べてしまったところで、次の空腹が早まるだけだ。

(夢や目標ってやつぁ、じっくりと叶えていくからいいものなのかもしれねぇな)

 禅の境地に至りながら、梅次郎はじっくりと鰻を賞味していった。

(ああ、いいもんだな。これぞ英気が養われるってやつだ)

 梅次郎は体中に力が満ちていくのを感じながら、鰻と大盛りのご飯を平らげる。
 音八と食事をすることで、空腹のみならず心の栄養も摂取できたのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

陣借り狙撃やくざ無情譚(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)猟師として生きている栄助。ありきたりな日常がいつまでも続くと思っていた。  だが、陣借り無宿というやくざ者たちの出入り――戦に、陣借りする一種の傭兵に従兄弟に誘われる。 その後、栄助は陣借り無宿のひとりとして従兄弟に付き従う。たどりついた宿場で陣借り無宿としての働き、その魔力に栄助は魅入られる。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

吉原の楼主

京月
歴史・時代
吉原とは遊女と男が一夜の夢をお金で買う女性 水商売に情は不要 生い立ち、悲惨な過去、そんなものは気にしない これは忘八とよばれた妓楼の主人の話

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

処理中です...