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【第一章「剣客と花魁と芸者と暴れん坊旗本」】

十 腹が減っては戦はできぬ~江戸前の鰻を食べよう~

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「ところで梅の字。あんた、ご飯は食べたのかい?」
「いや、まだだ」
「じゃあ、これから鰻でも食べに行かないかい」
「そんな金はねぇ」
「わたしがご馳走してあげるよ」
「おまえに見継いでもらうのはご免だぜ」
「アレ、憎いねぇ。そんなにわたしのことが嫌いかい?」
「嫌いとか好きとかそういうんじゃねぇよ」
「じゃあ、つきあいなよ。わたしが贔屓にしている美味しい鰻の店があるんだよ」

 ちなみに鰻と蕎麦は梅次郎の大好物である。

(……ったく、鰻と聞いたら腹が減ってきちまったじゃねぇか)

 大小の河川が縦横に流れる水都江戸には鰻の名店が多い。
 醤油や味醂も河川を利用した水運のおかげで今では容易に流通するようになり、江戸の食文化を発展させている。

 昔の鰻は塩をまぶしたものを串刺しにして飛脚が食べていたことを思うと、隔世の感がある。江戸後期の食文化は、そのまま現代に受け継がれる源流なのだ。

 それはそれとして――。
 ぐぅう~……と、梅次郎の腹が鳴った。

「オホホホホホ。腹の音は正直だねぇ。梅の字、素直におなりよ」
「……ちっ、わぁったよ。だが俺は俺の金で食うぜ! ……って、まぁ、玉糸からもらった金だがな……」
「腹が減っては戦はできないだろ? 栄養はちゃんとつけておかないと、いざというときに勝てないよ。斬りあいも体力勝負だろ?」

 いちいち理にかなっている。

 確かに、斬りあいは短時間でも体力を著しく消耗する。
 梅次郎も、帰ってからとんでもない空腹を覚えた。

「……まあ、今夜も夜回りしねぇといけねぇし奮発しとくのもありか」
「そうだよ。人間いつ死ぬかわからないんだから美味いものは食べておくものだよ」
「縁起でもねぇ」

 軽口を叩きながらも、すでに頭の中は鰻でいっぱいだ。

(俺も単純な奴だな)

 だが、食べることは人間の基本だ。
 好物というものは生きる活力源である。
 鰻を食べると思うと自然と心が弾んだ。

「よし、行くか。鰻!」
「アレ、切り替えが早いねぇ。でも、男はそうでなくっちゃ。ウジウジクヨクヨしてちゃ腐るばっかりだからね。気晴らしが大事さ。ウジウジグチグチ言ってると腐れ儒者と変わらないからねぇ」
「音八は本当に芸者先生ってとこだな」
「若い子たちに三味線や唄も教えているからね。つい教訓じみたことも言うようになっちまうのさ。ああ嫌だ、嫌だ。齢はとりたくないものだねぇ」

 年齢的には梅次郎とあまり変わらないのだろうが、数々の座敷を務めてきたことで自然と貫禄がついている。

(まあ、芸者ってやつぁ子どもの頃から仕込まれているんだろうからなぁ)

 そのあたりは禿を経て、新造、花魁になる吉原と変わらない。
 子どもの頃からの稽古や修練によって一流の遊女や芸者になるのだ。
 年齢以上の貫禄が出るのは当たり前とも言える。
 そう考えると、変に若々しい自分が嫌になる梅次郎であった。
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