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18、暁の前に
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天蓋の隙間から、微かに朝の光が差していた。
けれど、その光はまだ色を持たない。
夜と朝の境界線で、世界は静止していた。
エリオットは眠っていた。
毒の熱に焼かれ、揺れる記憶の渦に巻かれたあと、ようやく得た安らぎの眠り。
その寝息は浅く、けれど穏やかだ。
シグルドは、彼の傍らに座ったまま、長い時間をその顔を見つめていた。
言葉にはできなかった。
けれど、心の中では、何度も、何度も、問いかけていた。
(……私は、君にとって、“今”の存在でいられているのか)
左手には、竜の誓いの文様が残っている。
あのとき、喪った彼を取り戻すため、自らの寿命を削り、巻き戻しの秘術を使った。
(……二度と失わないと、誓った)
けれど今、目の前にいる彼は、“私の知らない過去”を抱えている。
その過去に、“ノルド”という男がいた。
シグルドはそっと、エリオットの髪を撫でた。
その指先が、微かに震えていたことに、自分でも気づいていなかった。
(君は彼を知っている。……思い出していなくても、本能が反応している……)
嫉妬だった。
焦りだった。
そして、抗えない独占欲。
けれど、口にするのは自分の矜持が許せない。
エリオットは今も、過去と現在のはざまで揺れている。
(……急いではいけない)
焦って、彼を繋ぎ止めようとすれば、その絆はたやすく脆くなる。
本音を言えば、誰とも合わせず宮殿の奥深く、真綿で包む様に大事に閉じ込めておきたい。
しかし、エリオットがそれを望むとは到底思えなかった。
(私は……)
シグルドは息を吐いた。
それはため息ではなく、祈りのようだった。
(次こそ、選ばれたい。記憶ではなく、心で。共に永く……)
それができたときにこそ、本当の意味で“番”になれるのだと——
この国の皇帝である前に、ただの男として、そう信じた。
「……生きていてくれて、ありがとう」
誰にも聞かれないように、そっと囁いた。
(その命を、私は何度でも救う。たとえ、また命を削ることになっても)
窓の外で、小鳥が初鳴きを告げていた。
朝が来る。
そして再び、動き出す。
※
天蓋の揺らめきがまだ脳裏に残っていた。
あの寝顔を、あと一秒でも長く見ていたかった。
けれど、シグルドは帝都の中枢、政務殿へと足を運んでいた。
入室すると、すでに三柱の重臣たちが席に着いていた。
宰相ゼスト・オルド、帝国防衛顧問ギュンター・ファルク、そして——財務卿、ロイ・セレスト。
その空気は、朝から凍てついていた。
「本日の協議、第一議題は“皇妃殿下に関する風聞”についてです」
最初に口を開いたのはロイだった。
無駄のない声音。その眼差しには情ではなく、数字しか宿っていない。
「風聞、とは?」
「街中にて。“皇妃殿下が、裏社会と通じている”という内容が散見されております。とりわけ、先日の襲撃事件に際し、民間人と思しき男が救助に現れたという点。——この動きに疑念を持たぬ者はいません」
シグルドの視線がわずかに鋭くなる。
「その“民間人”の名は?」
「ノルド・グレイ。職業不詳。帝国の正規商人にも記録はありません。ただし——いくつかの貴族家に“個人的な献金”の記録があります」
「……貴族家、というと?」
「守旧派を中心に、複数家門が含まれます」
場に、微かな緊張が走った。
ギュンターが咳払い一つ。
「皇妃殿下がその男と内通していた証拠は?」
「直接の証拠はありません。が——」
ロイは帳面を開く。
「ここに、“視察時の不自然な物資購入”。皇妃殿下名義で、市場にて高額な果物等を一括購入した記録がございます」
「……孤児院に届けられたものだ」
「善意の行動であったとしても、後の襲撃とその救出者との接点を完全に否定するには、少々難があります」
シグルドの拳が、わずかに膝上で固まる。
(ノルド……また貴様か。しかし妙だな……あれは私費で購入したとメラニーから報告が来ているが……どうして財務の方に回っている?)
ゼストがここで口を開いた。
「陛下。財務卿の申し立てに基づき、調査を行うべきかと。そのためにも、“表向きの陛下の不在”が必要となる可能性がございます」
「不在?」
「外部視察という名目でのご出立です。情報源は王都北方の交易路——“皇妃殿下が関与していないと示すため”にも、一時的にご離席を」
それが、**宰相からの“守りの手”**であることは、シグルドにもわかっていた。
だがそれでも——
(今、あの人を置いていくのか)
あの毒を受けた身体。
回復の途中、まだ不安定な呼吸。
そして、夢と記憶のはざまで揺れる彼を——
(ノルドの手の届く範囲に、残して……あの男は必ずエリオットに近付いてくる)
「……わかった。最短で戻る」
絞り出すような声で、それだけ言った。
ゼストは目を伏せ、ギュンターは静かに頷く。
ロイだけが、無表情のまま帳面を閉じた。
政は止まらない。
情も、理も、すべて数字と記録に飲まれる。
けれど——
(……この国がどうあろうと。私は、お前の居場所だけは守る)
視線の先には、何もない空間。
だがシグルドは確かに、そこに“帰るべき場所”を見ていた。
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けれど、その光はまだ色を持たない。
夜と朝の境界線で、世界は静止していた。
エリオットは眠っていた。
毒の熱に焼かれ、揺れる記憶の渦に巻かれたあと、ようやく得た安らぎの眠り。
その寝息は浅く、けれど穏やかだ。
シグルドは、彼の傍らに座ったまま、長い時間をその顔を見つめていた。
言葉にはできなかった。
けれど、心の中では、何度も、何度も、問いかけていた。
(……私は、君にとって、“今”の存在でいられているのか)
左手には、竜の誓いの文様が残っている。
あのとき、喪った彼を取り戻すため、自らの寿命を削り、巻き戻しの秘術を使った。
(……二度と失わないと、誓った)
けれど今、目の前にいる彼は、“私の知らない過去”を抱えている。
その過去に、“ノルド”という男がいた。
シグルドはそっと、エリオットの髪を撫でた。
その指先が、微かに震えていたことに、自分でも気づいていなかった。
(君は彼を知っている。……思い出していなくても、本能が反応している……)
嫉妬だった。
焦りだった。
そして、抗えない独占欲。
けれど、口にするのは自分の矜持が許せない。
エリオットは今も、過去と現在のはざまで揺れている。
(……急いではいけない)
焦って、彼を繋ぎ止めようとすれば、その絆はたやすく脆くなる。
本音を言えば、誰とも合わせず宮殿の奥深く、真綿で包む様に大事に閉じ込めておきたい。
しかし、エリオットがそれを望むとは到底思えなかった。
(私は……)
シグルドは息を吐いた。
それはため息ではなく、祈りのようだった。
(次こそ、選ばれたい。記憶ではなく、心で。共に永く……)
それができたときにこそ、本当の意味で“番”になれるのだと——
この国の皇帝である前に、ただの男として、そう信じた。
「……生きていてくれて、ありがとう」
誰にも聞かれないように、そっと囁いた。
(その命を、私は何度でも救う。たとえ、また命を削ることになっても)
窓の外で、小鳥が初鳴きを告げていた。
朝が来る。
そして再び、動き出す。
※
天蓋の揺らめきがまだ脳裏に残っていた。
あの寝顔を、あと一秒でも長く見ていたかった。
けれど、シグルドは帝都の中枢、政務殿へと足を運んでいた。
入室すると、すでに三柱の重臣たちが席に着いていた。
宰相ゼスト・オルド、帝国防衛顧問ギュンター・ファルク、そして——財務卿、ロイ・セレスト。
その空気は、朝から凍てついていた。
「本日の協議、第一議題は“皇妃殿下に関する風聞”についてです」
最初に口を開いたのはロイだった。
無駄のない声音。その眼差しには情ではなく、数字しか宿っていない。
「風聞、とは?」
「街中にて。“皇妃殿下が、裏社会と通じている”という内容が散見されております。とりわけ、先日の襲撃事件に際し、民間人と思しき男が救助に現れたという点。——この動きに疑念を持たぬ者はいません」
シグルドの視線がわずかに鋭くなる。
「その“民間人”の名は?」
「ノルド・グレイ。職業不詳。帝国の正規商人にも記録はありません。ただし——いくつかの貴族家に“個人的な献金”の記録があります」
「……貴族家、というと?」
「守旧派を中心に、複数家門が含まれます」
場に、微かな緊張が走った。
ギュンターが咳払い一つ。
「皇妃殿下がその男と内通していた証拠は?」
「直接の証拠はありません。が——」
ロイは帳面を開く。
「ここに、“視察時の不自然な物資購入”。皇妃殿下名義で、市場にて高額な果物等を一括購入した記録がございます」
「……孤児院に届けられたものだ」
「善意の行動であったとしても、後の襲撃とその救出者との接点を完全に否定するには、少々難があります」
シグルドの拳が、わずかに膝上で固まる。
(ノルド……また貴様か。しかし妙だな……あれは私費で購入したとメラニーから報告が来ているが……どうして財務の方に回っている?)
ゼストがここで口を開いた。
「陛下。財務卿の申し立てに基づき、調査を行うべきかと。そのためにも、“表向きの陛下の不在”が必要となる可能性がございます」
「不在?」
「外部視察という名目でのご出立です。情報源は王都北方の交易路——“皇妃殿下が関与していないと示すため”にも、一時的にご離席を」
それが、**宰相からの“守りの手”**であることは、シグルドにもわかっていた。
だがそれでも——
(今、あの人を置いていくのか)
あの毒を受けた身体。
回復の途中、まだ不安定な呼吸。
そして、夢と記憶のはざまで揺れる彼を——
(ノルドの手の届く範囲に、残して……あの男は必ずエリオットに近付いてくる)
「……わかった。最短で戻る」
絞り出すような声で、それだけ言った。
ゼストは目を伏せ、ギュンターは静かに頷く。
ロイだけが、無表情のまま帳面を閉じた。
政は止まらない。
情も、理も、すべて数字と記録に飲まれる。
けれど——
(……この国がどうあろうと。私は、お前の居場所だけは守る)
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