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第三章
真実への窓辺
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「……っ!!」
静まり返っていた室内に、ひとつ、声にならない声が響く。聞いた者は、ただその声を発したカミーユだけだ。
時刻は明け方、既にもうあと僅かな時間で日が昇り始めるような頃だった。真夜中のうちにはずっとそばに居てくれたエリーも、今は部屋の隅にある寝台で休んでいる。すうすうと穏やかな寝息が、まだはっきりと聞こえている。
カミーユは思わずそのことに安堵する。そして同時に、取り乱してしまった自分を密かに叱った。
これは、知られてはいけない。いや、知るためにここに来た。だからいつかは、エリーにも伝えることになる。けれど今はダメだ。そう思った。
カミーユがじっと見つめるのは、少し傷んだ一冊のノート。メモや付箋が貼り付けてあったり、折り目がついていたりしている、研究室の資料とは違う、個人が使っていたノート。それに、カミーユが目を疑うことが書いてある。
正直、まだわからない部分は多い。確かなことが少なすぎる。だから、今はまだ誰かに伝える段階ではない。カミーユは、この先を読み進めることが怖く感じていた。今読み解いた内容が正しく、それが事実であるならば、それはカミーユにとって喜ばしいこととは言い切れないからだ。
「……覚悟、してただろ」
ぐっと手を握り、自分に言い聞かせる。そうだ。何があっても動じたりしない、自分の信念を貫き、守りたいものを守る。そのために自分はここに居るのだ。だからこそ知らなくてはいけない。
いざというとき、判断を誤らないように。
大規模な討伐作戦を終えて街へ帰還した騎士団を、町の住民は暖かく、そして賑やかに迎えてくれた。救世主が作戦に加わったことはいつの間にか街中に知れ渡っていたらしく、出迎えはそれは賑やかなものだった。
「す、すごいね」
「今日はユウトが居ますから、尚更ですわ。胸を張って」
「う、うん……」
こうしてもてはやされるのは、いまだ慣れない。けれど、しゃんとしていたら皆安心しますと話すシンシアの言葉はもっともだと思う。できるだけ背筋を伸ばして、かけられる言葉には笑顔で応えた。
「ユウト!」
騎士団の集会所に近づいたころ、ふいに人ごみの向こうから声が聞こえてきた。救世主ではなく、名前を呼ぶその声は、間違えようもない、エリーのものだ。
「エリー!」
思わずエリーに負けないくらいの大きな声で名前を叫んでしまった。エリーはそれに少し驚きながらも、満面の笑みで大きく手を振っている。その隣で、カミーユも腕を組んで立っていた。
「エリー、カミーユ、ただいま」
「おかえり、お疲れ様」
街道に乗り入れていた馬車から飛び降り、優人は二人の元へ駆け寄った。
「怪我はしていないか?」
「大丈夫、ちょっと頑張りすぎて、迷惑かけちゃったけど……、でもあれ、星石、たくさん集めてきたよ」
優人が指をさしたのは、何台か連なる馬車の中ほど、丁重に麻袋に詰められた星石の山である。大型の魔物が多かったこともあり、その量は一台の馬車の三分の一ほどになった。狭そうにしている騎士たちが、それでも嬉しそうに笑っている。
「……っ! ユウト…!」
それを見たカミーユは目を丸くして驚き、エリーは感極まったように肩を震わせた。
星の一族は、涙は流さない。けれど眉を下げ、唇をきつく噛むその表情は、今にも泣き出してしまいそうだった。
「……ありがとう、本当に…ありがとう、ユウト」
「…役に立てたかな」
「当然だ。誇れ、胸を張れ。ユウトは、確かにユウトにしか成せぬことを成したのだ」
自信がなさそうに笑う優人を、嬉しさで震える声を絞り出すエリーが、ついにぎゅっと抱き締めた。
「エ、エリー!?」
「ありがとう、大好きだ!」
どよめく周囲とカミーユ、頬を染めてまあ、と声をあげたシンシア、慌てる優人。驚いた周りを気にも留めず、エリーは優人の頑張りを讃え、喜びを露わにした。ともすると勘違いをされそうなセリフを口にしながら、抱擁の力を強くしたのだった。
その日は騎士団の帰還と救世主による魔物の大量封印を祝しての宴が行われることとなっていたようで、優人はその主賓として厳かな席に座ることになり、多くの騎士たちに囲まれていた。
優人を囲むのは人々だけではない。豪華な食事と、それに酒まで。未成年なので、と優人が酒を断れば、新鮮な果物を絞ったジュースがずらりと並んだ。マヒアドの周囲は魔物の侵攻のため不毛の地ではあるが、親交の深いデアルクスやカローナから仕入れている食材なのだという料理は、どれも美味しいものばかりだった。食材は同じくしているが、調理方法や味つけはその町独自のものがあるらしい。デアルクスやカローナで食べたものは素材の味を活かすような、素朴でほっとする料理だったが、マヒアドの料理は都会的で洗練された感じと言うべきか。ひと手間ふた手間かかっていることがその品々を見ただけで感じられる。それは戦いに明け暮れる騎士たちに、せめて食事の時だけは夢中になって楽しめるようにと、料理人が腕を振るってくれているのだと騎士たちは話してくれた。
エリーはエリーで、久しぶりのマヒアドへの訪問ということもあり、王族として慕ってくれている騎士たちや騎士団のスタッフたちに囲まれてはいたが、その人数は優人ほどではない。しかしその賑やかな優人の周りを、誰よりも誇らしく見つめていたのだった。
慣れない賛辞と大人数相手の会話で、優人は戸惑いながらもそれを楽しんでいた。しかしながら、ろくに食べ物にも手を出さず、窓辺で腕組みをしているカミーユの様子が気になった。その片手に酒の入ったグラスを手にしてはいるものの、その様子は人を寄せつけないものだった。
「カミーユ!」
「よお、なんだ、今日の主役がこんなところで」
「ずっと囲まれてばかりは疲れるだろうからって、みんな他のところに」
「そうか」
ずっと一人きりで居たカミーユのことがどうしても気になり、優人はようやく騎士たちが解放してくれたタイミングでカミーユの佇んでいた窓辺に駆け寄った。
「……そんなに焦って来なくても、逃げやしねえよ」
「ご、ごめん」
何か思い詰めるような顔をしたカミーユに、近寄れば逃げられてしまうような気がして、焦っていたのは事実だった。そんな心の内を見抜かれて、優人は何故か謝り、顔を伏せた。
「別に謝ることでもねえが……ま、お疲れさん。今回のお前は、よく頑張ったと俺も思う」
「ありがとう。……あの、カミーユ、何か…」
優人が切り出せば、カミーユはじろりと鋭く優人を睨みつけた。まだ何も言っていないというのに、優人は思わず黙り込んでしまう。
「……明日、もう一度研究室に行く。室長のアレクに会う都合もつけてある。お前も来い」
「……!うん、わかった」
優人が続けようとした言葉は、何か研究室でわかったのか、ということだったのだが、それはどうやら正解のようだった。けれど、何がわかったのかまでは今は話すつもりはないらしい。そのままカミーユは口を閉ざし、また考え込むように目線を下げてしまった。
「……カミーユも、少しは何か食べなよ。お酒だけじゃだめだからね」
「わーかってるっつーの、母親かテメーは。おら、なんか向こうで呼んでるぞ、はやく行け」
「うん、それじゃあ」
どうやら、落ち込んでいるわけではなさそうだ。少し覇気がないのは気になるが、今はひとりで考えたいのかもしれない。優人は遠くの大きなテーブルでシンシアが呼んでいるのに応え、カミーユの元を後にした。
ゆっくり休めただけあって、その日の目覚めは実に爽やかなものだった。一日野営テントで過ごしただけで、こんなにもベッドがありがたくなるとは思わなかった。集会所に併設された寮の一室をまた借りて、そこで休むことができたので、色々と気疲れした宴の次の日とはいえ、体調は万全である。
初めて研究室に赴いた日と同じように、三人で朝食を取り、その足でまっすぐ研究室へと向かった。エリーの前ではいつも通り振舞おうとしているカミーユだったが、やはり口数は少なかった。エリーも今朝から上機嫌ではあったが、そんなカミーユの様子にももちろん気がついていて、それでも何も聞かないでいるようだった。
「ずいぶんと早かったな」
図書館を抜け、研究室へと繋がる廊下にさしかかったところで、アレクは待っていた。アレクはもう、最初のように態度を取り繕ったりはせず、高圧的な喋り口調も、その高い背丈から見下ろし値踏みするような目つきも隠さなかった。
「? 時間通りのはずだが」
「いや、こっちの話だ。入れ」
そう言ってアレクはさっさと室内へと向かう。三人はそれに続いた。相変わらず研究室には、アレク以外は誰一人として居なかった。
「人払いはしてある。お前たちの発言に関しては、何を聞いても問題にはしない」
「そいつはありがたい」
アレクはまず始めにそう断った。こんなことは聞いたらダメかも、ということは気にしなくてもいいということだ。そして、これから周りに聞かれてはまずいかもしれない話をするのかもしれない、ということでもある。
優人はひとつ大きく、けれど静かに息を吐いた。
「まず始めに、確認したいことがある」
カミーユの言葉にアレクは何も言わず、ただ頷く。話してみろ、と目で促した。
「……この世界が、ひとりの魔法使いの力によって作られたものだというのは、本当のことか」
「……ほう」
カミーユがした質問に、優人やエリーも驚いたが、アレクまでもが目を少し見開き、感嘆の息を漏らした。
「この短期間で、よくそう読み解いたな。カミーユ・クラーク、研究者のほうが向いてるのではないか?」
「うるせえよ」
アレクが軽口を叩いたのはこれが初めてだった。楽しそうに、とは言い難いが、くつくつと喉を鳴らして笑うところも初めて見る。何が面白いのかはわからないが、カミーユはその様子に苛ついているようだった。
「…そうだな、その質問には、そうだと答えよう。それは、真実だ」
「そんな、それは…!ほ、…本当なのか……」
潔く首を縦に振り肯定したアレクに、エリーは信じられないという声を上げる。
「ああ、この世界に住まう殆どが知らず、或いは忘れてしまっていることだ。だが、『ひとりの魔法使いから始まった世界』だということは、紛れもない事実だ」
エリーが驚くことも無理はない。世界を創造する魔力を持つ者、それはいったいどれほどの力なのか、常識だけでは到底想像すらできない話だからだ。
「……わかった」
しかしカミーユはその肯定の言葉を疑わず、素直に聞き入れた。そして、一冊の薄汚れたノートを取り出し、アレクの前に置いた。
「あんた、色々俺に渡してきたが、本題はこれだろ?あんたはこれを見せたかったんだ」
「……」
今度はアレクは一切口を開こうとはしなかった。答える必要がない、というような顔だ。
「それは、何?」
「『研究日誌』……筆者…日記を綴ったのは『マリオン』。前室長だ」
表紙に書いてある文字は、確かになんとなく見覚えのある文字だった。あの、例の手紙にあった文字に似ている。
「最初はなんでこんなもんが紛れ込んでいるのかと思ったが……」
「目敏い奴だ」
「よく言うぜ。これはただの日誌じゃない、そうだよな?そしてこれには、まだ明らかにされていないこの世界のことが書かれてる。その、信じ難い成り立ちのことも」
アレクは目を閉じて、微動だにしない。そのノートをめくってみると、やはり一見ただの日誌にしか見えない。日付と天気、その日にあったこと…、しかし読み進めていくと、確かに少しの違和感を感じた。
「これ、暗号か何かなの?書いてること、微妙に変っていうか」
「怪しまないとわからないようにはなってるが、そういうことだろう」
どこか内容がちぐはぐだったり、ところどころの表記のブレや、字の丁寧さ、改行の仕方、端に描き込まれた絵、貼り付けられたメモや付箋。きっと読む人が読めば、何かがわかるようになっているものなのだろう。優人にはそれが何なのかさっぱりわからなかったが、カミーユはすでに何か掴みかけているのだ。
「どうなんだよ」
「……それについては、答えられない」
アレクはきっぱりとそう言った。
「答えられないというのが、答えだな」
「私の口からは、それはただのマリオンの日記だ、としか言えん。その問いを肯定する訳にもいかない」
それは、カミーユの言葉をすべて肯定するに等しい返答だ。しかしそれをそうとは言えない理由がある、ということだ。その返答を聞いて、カミーユはほんの少し俯き、舌打ちをした。
「それはお前にやろう。複写は私の元にもあるので問題ない」
「……ああ、ありがたく貰っていくぜ。写す手間が省けた」
これは、アレクがわざわざ複写を所持するほど重要なものである、ということだ。やはりカミーユが目をつけたところは間違いではなかった。
「……それで、他に聞きたいことは?」
「いや、ない。俺が知りたかったのは、この日誌に書いてあることが真実なのかどうかだ。それさえわかれば、あとはこれを読み解けばいいだけだからな」
「…フッ、話が早い。お前ならば、それも自らの力で読み解けるやもしれんな。つくづく、僧侶にしておくには惜しい」
「褒められてんのかよ、それ」
話は終わりだと席を立った三人を、アレクは見送ろうとはしなかった。室長の椅子に座ったまま、机上で手を組んだままの姿でいた。
「……星石を集めろ。できるだけ多くだ」
去り際に、アレクはそう言い放つ。鋭く、まっすぐな声だ。それまでの、何か含んだような言い方ではない。
「…それは、『あんたら』にとっても有用なものだからか?あんた、王族嫌いだろう」
振り返り問うカミーユに、アレクはゆっくりと首を横に振る。
「私が嫌うのは王族ではない、王族信仰だ。そしてこれは、私自身の願いでもある。有用であるかどうかは、二の次三の次。救世主の旅がどうか実りあるものであれと願う」
その言いように驚いていたのはエリーだ。冷めきった目をしているアレクが、ほんの少し和らいだ瞳でエリーを、そして優人を見つめたからだ。
願い。それは何の望みも持っていないかのような冷徹さを感じさせるアレクから、確かに発せられた言葉だ。この男にも、願いはある。自らの利益よりも、救世主の旅に光あれと願っているのだ。優人は、その意外さに驚きを隠せなかった。
「ここから遠く離れた、遥か北西の山奥に、ブラッドリーという男がいる。そこへ行けば、或いはそこへ行くころには、もっと色々なことが見えてくるだろう」
「ブラッドリー…!それは、まことか!」
「ああ、間違いない。まあ…生きているはずだ」
優人は、その名前をどこかで聞いたような気もするが、思い出すことができない。カミーユもピンとは来ていないようだが、エリーは静かに生きておったのか、ようやく居場所がわかった、と呟いた。
「……引き止めてすまない、もう行ってよい」
「ああ、またいつか」
「ありがとうございました」
エリーと優人がかけた声に、今度こそアレクが応えることはなかった。ただ顔を伏せて、三人が去るのをじっと待っていた。
静まり返っていた室内に、ひとつ、声にならない声が響く。聞いた者は、ただその声を発したカミーユだけだ。
時刻は明け方、既にもうあと僅かな時間で日が昇り始めるような頃だった。真夜中のうちにはずっとそばに居てくれたエリーも、今は部屋の隅にある寝台で休んでいる。すうすうと穏やかな寝息が、まだはっきりと聞こえている。
カミーユは思わずそのことに安堵する。そして同時に、取り乱してしまった自分を密かに叱った。
これは、知られてはいけない。いや、知るためにここに来た。だからいつかは、エリーにも伝えることになる。けれど今はダメだ。そう思った。
カミーユがじっと見つめるのは、少し傷んだ一冊のノート。メモや付箋が貼り付けてあったり、折り目がついていたりしている、研究室の資料とは違う、個人が使っていたノート。それに、カミーユが目を疑うことが書いてある。
正直、まだわからない部分は多い。確かなことが少なすぎる。だから、今はまだ誰かに伝える段階ではない。カミーユは、この先を読み進めることが怖く感じていた。今読み解いた内容が正しく、それが事実であるならば、それはカミーユにとって喜ばしいこととは言い切れないからだ。
「……覚悟、してただろ」
ぐっと手を握り、自分に言い聞かせる。そうだ。何があっても動じたりしない、自分の信念を貫き、守りたいものを守る。そのために自分はここに居るのだ。だからこそ知らなくてはいけない。
いざというとき、判断を誤らないように。
大規模な討伐作戦を終えて街へ帰還した騎士団を、町の住民は暖かく、そして賑やかに迎えてくれた。救世主が作戦に加わったことはいつの間にか街中に知れ渡っていたらしく、出迎えはそれは賑やかなものだった。
「す、すごいね」
「今日はユウトが居ますから、尚更ですわ。胸を張って」
「う、うん……」
こうしてもてはやされるのは、いまだ慣れない。けれど、しゃんとしていたら皆安心しますと話すシンシアの言葉はもっともだと思う。できるだけ背筋を伸ばして、かけられる言葉には笑顔で応えた。
「ユウト!」
騎士団の集会所に近づいたころ、ふいに人ごみの向こうから声が聞こえてきた。救世主ではなく、名前を呼ぶその声は、間違えようもない、エリーのものだ。
「エリー!」
思わずエリーに負けないくらいの大きな声で名前を叫んでしまった。エリーはそれに少し驚きながらも、満面の笑みで大きく手を振っている。その隣で、カミーユも腕を組んで立っていた。
「エリー、カミーユ、ただいま」
「おかえり、お疲れ様」
街道に乗り入れていた馬車から飛び降り、優人は二人の元へ駆け寄った。
「怪我はしていないか?」
「大丈夫、ちょっと頑張りすぎて、迷惑かけちゃったけど……、でもあれ、星石、たくさん集めてきたよ」
優人が指をさしたのは、何台か連なる馬車の中ほど、丁重に麻袋に詰められた星石の山である。大型の魔物が多かったこともあり、その量は一台の馬車の三分の一ほどになった。狭そうにしている騎士たちが、それでも嬉しそうに笑っている。
「……っ! ユウト…!」
それを見たカミーユは目を丸くして驚き、エリーは感極まったように肩を震わせた。
星の一族は、涙は流さない。けれど眉を下げ、唇をきつく噛むその表情は、今にも泣き出してしまいそうだった。
「……ありがとう、本当に…ありがとう、ユウト」
「…役に立てたかな」
「当然だ。誇れ、胸を張れ。ユウトは、確かにユウトにしか成せぬことを成したのだ」
自信がなさそうに笑う優人を、嬉しさで震える声を絞り出すエリーが、ついにぎゅっと抱き締めた。
「エ、エリー!?」
「ありがとう、大好きだ!」
どよめく周囲とカミーユ、頬を染めてまあ、と声をあげたシンシア、慌てる優人。驚いた周りを気にも留めず、エリーは優人の頑張りを讃え、喜びを露わにした。ともすると勘違いをされそうなセリフを口にしながら、抱擁の力を強くしたのだった。
その日は騎士団の帰還と救世主による魔物の大量封印を祝しての宴が行われることとなっていたようで、優人はその主賓として厳かな席に座ることになり、多くの騎士たちに囲まれていた。
優人を囲むのは人々だけではない。豪華な食事と、それに酒まで。未成年なので、と優人が酒を断れば、新鮮な果物を絞ったジュースがずらりと並んだ。マヒアドの周囲は魔物の侵攻のため不毛の地ではあるが、親交の深いデアルクスやカローナから仕入れている食材なのだという料理は、どれも美味しいものばかりだった。食材は同じくしているが、調理方法や味つけはその町独自のものがあるらしい。デアルクスやカローナで食べたものは素材の味を活かすような、素朴でほっとする料理だったが、マヒアドの料理は都会的で洗練された感じと言うべきか。ひと手間ふた手間かかっていることがその品々を見ただけで感じられる。それは戦いに明け暮れる騎士たちに、せめて食事の時だけは夢中になって楽しめるようにと、料理人が腕を振るってくれているのだと騎士たちは話してくれた。
エリーはエリーで、久しぶりのマヒアドへの訪問ということもあり、王族として慕ってくれている騎士たちや騎士団のスタッフたちに囲まれてはいたが、その人数は優人ほどではない。しかしその賑やかな優人の周りを、誰よりも誇らしく見つめていたのだった。
慣れない賛辞と大人数相手の会話で、優人は戸惑いながらもそれを楽しんでいた。しかしながら、ろくに食べ物にも手を出さず、窓辺で腕組みをしているカミーユの様子が気になった。その片手に酒の入ったグラスを手にしてはいるものの、その様子は人を寄せつけないものだった。
「カミーユ!」
「よお、なんだ、今日の主役がこんなところで」
「ずっと囲まれてばかりは疲れるだろうからって、みんな他のところに」
「そうか」
ずっと一人きりで居たカミーユのことがどうしても気になり、優人はようやく騎士たちが解放してくれたタイミングでカミーユの佇んでいた窓辺に駆け寄った。
「……そんなに焦って来なくても、逃げやしねえよ」
「ご、ごめん」
何か思い詰めるような顔をしたカミーユに、近寄れば逃げられてしまうような気がして、焦っていたのは事実だった。そんな心の内を見抜かれて、優人は何故か謝り、顔を伏せた。
「別に謝ることでもねえが……ま、お疲れさん。今回のお前は、よく頑張ったと俺も思う」
「ありがとう。……あの、カミーユ、何か…」
優人が切り出せば、カミーユはじろりと鋭く優人を睨みつけた。まだ何も言っていないというのに、優人は思わず黙り込んでしまう。
「……明日、もう一度研究室に行く。室長のアレクに会う都合もつけてある。お前も来い」
「……!うん、わかった」
優人が続けようとした言葉は、何か研究室でわかったのか、ということだったのだが、それはどうやら正解のようだった。けれど、何がわかったのかまでは今は話すつもりはないらしい。そのままカミーユは口を閉ざし、また考え込むように目線を下げてしまった。
「……カミーユも、少しは何か食べなよ。お酒だけじゃだめだからね」
「わーかってるっつーの、母親かテメーは。おら、なんか向こうで呼んでるぞ、はやく行け」
「うん、それじゃあ」
どうやら、落ち込んでいるわけではなさそうだ。少し覇気がないのは気になるが、今はひとりで考えたいのかもしれない。優人は遠くの大きなテーブルでシンシアが呼んでいるのに応え、カミーユの元を後にした。
ゆっくり休めただけあって、その日の目覚めは実に爽やかなものだった。一日野営テントで過ごしただけで、こんなにもベッドがありがたくなるとは思わなかった。集会所に併設された寮の一室をまた借りて、そこで休むことができたので、色々と気疲れした宴の次の日とはいえ、体調は万全である。
初めて研究室に赴いた日と同じように、三人で朝食を取り、その足でまっすぐ研究室へと向かった。エリーの前ではいつも通り振舞おうとしているカミーユだったが、やはり口数は少なかった。エリーも今朝から上機嫌ではあったが、そんなカミーユの様子にももちろん気がついていて、それでも何も聞かないでいるようだった。
「ずいぶんと早かったな」
図書館を抜け、研究室へと繋がる廊下にさしかかったところで、アレクは待っていた。アレクはもう、最初のように態度を取り繕ったりはせず、高圧的な喋り口調も、その高い背丈から見下ろし値踏みするような目つきも隠さなかった。
「? 時間通りのはずだが」
「いや、こっちの話だ。入れ」
そう言ってアレクはさっさと室内へと向かう。三人はそれに続いた。相変わらず研究室には、アレク以外は誰一人として居なかった。
「人払いはしてある。お前たちの発言に関しては、何を聞いても問題にはしない」
「そいつはありがたい」
アレクはまず始めにそう断った。こんなことは聞いたらダメかも、ということは気にしなくてもいいということだ。そして、これから周りに聞かれてはまずいかもしれない話をするのかもしれない、ということでもある。
優人はひとつ大きく、けれど静かに息を吐いた。
「まず始めに、確認したいことがある」
カミーユの言葉にアレクは何も言わず、ただ頷く。話してみろ、と目で促した。
「……この世界が、ひとりの魔法使いの力によって作られたものだというのは、本当のことか」
「……ほう」
カミーユがした質問に、優人やエリーも驚いたが、アレクまでもが目を少し見開き、感嘆の息を漏らした。
「この短期間で、よくそう読み解いたな。カミーユ・クラーク、研究者のほうが向いてるのではないか?」
「うるせえよ」
アレクが軽口を叩いたのはこれが初めてだった。楽しそうに、とは言い難いが、くつくつと喉を鳴らして笑うところも初めて見る。何が面白いのかはわからないが、カミーユはその様子に苛ついているようだった。
「…そうだな、その質問には、そうだと答えよう。それは、真実だ」
「そんな、それは…!ほ、…本当なのか……」
潔く首を縦に振り肯定したアレクに、エリーは信じられないという声を上げる。
「ああ、この世界に住まう殆どが知らず、或いは忘れてしまっていることだ。だが、『ひとりの魔法使いから始まった世界』だということは、紛れもない事実だ」
エリーが驚くことも無理はない。世界を創造する魔力を持つ者、それはいったいどれほどの力なのか、常識だけでは到底想像すらできない話だからだ。
「……わかった」
しかしカミーユはその肯定の言葉を疑わず、素直に聞き入れた。そして、一冊の薄汚れたノートを取り出し、アレクの前に置いた。
「あんた、色々俺に渡してきたが、本題はこれだろ?あんたはこれを見せたかったんだ」
「……」
今度はアレクは一切口を開こうとはしなかった。答える必要がない、というような顔だ。
「それは、何?」
「『研究日誌』……筆者…日記を綴ったのは『マリオン』。前室長だ」
表紙に書いてある文字は、確かになんとなく見覚えのある文字だった。あの、例の手紙にあった文字に似ている。
「最初はなんでこんなもんが紛れ込んでいるのかと思ったが……」
「目敏い奴だ」
「よく言うぜ。これはただの日誌じゃない、そうだよな?そしてこれには、まだ明らかにされていないこの世界のことが書かれてる。その、信じ難い成り立ちのことも」
アレクは目を閉じて、微動だにしない。そのノートをめくってみると、やはり一見ただの日誌にしか見えない。日付と天気、その日にあったこと…、しかし読み進めていくと、確かに少しの違和感を感じた。
「これ、暗号か何かなの?書いてること、微妙に変っていうか」
「怪しまないとわからないようにはなってるが、そういうことだろう」
どこか内容がちぐはぐだったり、ところどころの表記のブレや、字の丁寧さ、改行の仕方、端に描き込まれた絵、貼り付けられたメモや付箋。きっと読む人が読めば、何かがわかるようになっているものなのだろう。優人にはそれが何なのかさっぱりわからなかったが、カミーユはすでに何か掴みかけているのだ。
「どうなんだよ」
「……それについては、答えられない」
アレクはきっぱりとそう言った。
「答えられないというのが、答えだな」
「私の口からは、それはただのマリオンの日記だ、としか言えん。その問いを肯定する訳にもいかない」
それは、カミーユの言葉をすべて肯定するに等しい返答だ。しかしそれをそうとは言えない理由がある、ということだ。その返答を聞いて、カミーユはほんの少し俯き、舌打ちをした。
「それはお前にやろう。複写は私の元にもあるので問題ない」
「……ああ、ありがたく貰っていくぜ。写す手間が省けた」
これは、アレクがわざわざ複写を所持するほど重要なものである、ということだ。やはりカミーユが目をつけたところは間違いではなかった。
「……それで、他に聞きたいことは?」
「いや、ない。俺が知りたかったのは、この日誌に書いてあることが真実なのかどうかだ。それさえわかれば、あとはこれを読み解けばいいだけだからな」
「…フッ、話が早い。お前ならば、それも自らの力で読み解けるやもしれんな。つくづく、僧侶にしておくには惜しい」
「褒められてんのかよ、それ」
話は終わりだと席を立った三人を、アレクは見送ろうとはしなかった。室長の椅子に座ったまま、机上で手を組んだままの姿でいた。
「……星石を集めろ。できるだけ多くだ」
去り際に、アレクはそう言い放つ。鋭く、まっすぐな声だ。それまでの、何か含んだような言い方ではない。
「…それは、『あんたら』にとっても有用なものだからか?あんた、王族嫌いだろう」
振り返り問うカミーユに、アレクはゆっくりと首を横に振る。
「私が嫌うのは王族ではない、王族信仰だ。そしてこれは、私自身の願いでもある。有用であるかどうかは、二の次三の次。救世主の旅がどうか実りあるものであれと願う」
その言いように驚いていたのはエリーだ。冷めきった目をしているアレクが、ほんの少し和らいだ瞳でエリーを、そして優人を見つめたからだ。
願い。それは何の望みも持っていないかのような冷徹さを感じさせるアレクから、確かに発せられた言葉だ。この男にも、願いはある。自らの利益よりも、救世主の旅に光あれと願っているのだ。優人は、その意外さに驚きを隠せなかった。
「ここから遠く離れた、遥か北西の山奥に、ブラッドリーという男がいる。そこへ行けば、或いはそこへ行くころには、もっと色々なことが見えてくるだろう」
「ブラッドリー…!それは、まことか!」
「ああ、間違いない。まあ…生きているはずだ」
優人は、その名前をどこかで聞いたような気もするが、思い出すことができない。カミーユもピンとは来ていないようだが、エリーは静かに生きておったのか、ようやく居場所がわかった、と呟いた。
「……引き止めてすまない、もう行ってよい」
「ああ、またいつか」
「ありがとうございました」
エリーと優人がかけた声に、今度こそアレクが応えることはなかった。ただ顔を伏せて、三人が去るのをじっと待っていた。
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※架空のお話です。
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※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
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