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第二章
見えない繋がり
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優人が目を覚ましたのは、宿のベッドの上だった。
見慣れない場所で目を覚ますことには慣れた優人だったが、記憶では確か、山の頂上に居たはずだったので、これまでとは違った意味で驚いた。
「おお、目を覚ましたか」
「……エリー、どうして」
起き上がろうとした優人を、そばで見ていてくれたらしいエリーがやんわりと制し、寝たままでいるように促した。
「覚えていないか?山頂で魔物を封印したすぐあとに、気を失ったんだ」
「そう……だった…。思い出した」
魔物を相手にしている間は、常に頭を使いながらも動き回り、かなり消耗していた。そこに許容量も想定も遥かに越えた感情が、一気に心の中に流し込まれたのだ。
大蛇の魔物のときには、強すぎる嫌な感情を外に吐き出してしまいたくて、嘔吐するという形で身体が拒否反応を示したが、今回は訳が違った。既に、優人の想像できる「悪意」の域を越えていた。自分の中に流れ込んできたものが何なのかすらもわからず、またその大きさにも耐えきれず、気を失ってしまったのだろう。あまりの怒涛に、軽く記憶さえ飛んでしまっていたようだった。
窓の外を見れば、もう既に辺りは夕暮れの赤に染まりかけていた。かなり時間が経っているだろうに、エリーはずっと横に居てくれていたらしい。
「心配かけてごめん、もう平気だよ」
「……本当か?」
今回ばかりは、本当に心配をかけてしまったらしい。優人の平気だという言葉を信じられないでいるようだ。そういえば嘔吐の事件は、カミーユにしか知られていないことなので、魔物の封印による優人の不調をエリーが見るのは初めてだったのだ。それも、エリーが優人を抱き込んだ形の、文字通りの目の前で失神したのだから、不安になって当然というものかもしれない。
「本当に大丈夫だよ。……今回はちょっと、びっくりしただけ…かな」
「びっくりした?」
「うーん……なんていうのかな…」
優人は少し迷ったが、何も話さないほうが余計に心配をかけてしまうと思ったので、すべて話すことにした。しかし、どう話せばいいかというのは難しい問題だった。何せ、優人自身にも、何が起こったのかわからなかったのだ。優人は少しずつ、思い出しながら、順を追いながら話すことにした。
「……前にも話したと思うけど、魔物を封印するときって、自分のものじゃない嫌な感情…悪意みたいのが僕の中に流れこんでくるんだ。それって、今までは割と、想像しやすいというか。誰にでもこういう気持ちってあるよな、みたいな、そんなものが多かったんだ」
「言っていたな。誰かを困らせてやりたいだとか、見栄を張りたいだとか……?」
エリーは以前優人が話したことを、きちんと細かく覚えていてくれているようだった。優人はそれが少し嬉しかった。
「そう、そういうの。そういう気持ちがわからないわけではないし、たとえ思ったことがなくても、そういう風に考える人が居るってことくらいは想像がつくでしょ。だから、それが自分のものになること自体には驚いたけど…感情そのものに驚いたりはしなかったんだ」
今となっては、封印のときはそうなるものとして心の準備ができているので、以前のように混乱することもなかった。
「……これは、少し前の、デアルクスでのことだけど、あの大きい蛇みたいなのを封印したときはさ、実は結構きつかったんだ。平気な顔してたんだけど…カミーユには見られちゃったんだよね」
「……きつかった?」
「小さな魔物のときとは比べものにならないくらい、その……悪意の…強さ?大きさ?が、違ったんだ。意地悪とか、見栄とか、そんなレベルのものじゃなかった。……誰かを傷つけてしまいたい…殺したい、そんな悪意だった」
殺したい、という言葉が出た途端に、エリーの表情がさっと変わっていく。真剣に話を聞いてくれる顔の中に、明らかな恐怖の色が混ざる。
「当たり前だけど、僕が今まで生きてきた、ごくごく平和な日常で、そんなことは思ったことがなかった。……もしかしたら、もっと深くいろんな人と関わって生きてきたら、そんなことを思うこともあったのかもしれないけど…とにかく、僕の中にはあり得なかった感情で。そのときも、かなりびっくりしたというか。持ったことのない強い感情が自分の中で勝手にぐるぐるし始めて、どうしたらいいのかわからなくて……」
それで、何もかも吐き出してしまいたくなった。体の中のものをすべて吐き出してしまえば、あの強い感情も外へ出ていくような気がした。そこについては、やはり恥ずかしさもあり、汚い話になってしまうので、エリーには伏せた。
「でも、僕が生きてた世界でも、人が人を殺すことはあった。ニュースや新聞で、それこそ日常的に見聞きしたし、きっと身近にあってもおかしくはないものなんだろうってことは理解できたんだ。だから、なんとかなった…んだと思う」
優人は話しながら、自分がどう考えたのか、どうあの感情を処理していったのかを整理していった。言葉を探しながら喋る速度は聞きにくかったかもしれないが、エリーもそれが優人の迷いや考え方なのだろうと思いながら聞いていた。
「……けど、今回のはちょっと違ったんだ。僕には、何の感情なのかもわからなくて」
「それは、どんな?」
「僕がこうなのかなって思ったのは……支配欲っていうのかな。そういうものに感じられた。何か大きな力で、何かを支配しようとするような…」
「んだそりゃ、戦争の話か?」
「カミーユ!」
部屋の扉が急に開き、カミーユが話に割って入ってきた。優人とエリーは揃ってカミーユのほうへ振り返る。
「戦争……確かに、力で相手を支配しようとする行為だ。しかしそれは感情…なのか?」
「感情だろ。戦争だって、人の感情や思想が引き起こすモンだ」
戦争。そう言われてみればそういう種類の感情なのかもしれない、と優人は思った。
「規模が大きい話だなあ……人の感情で引き起こすものだっていうのはわかるけど、僕には想像できないよ」
できても困るけどな、とカミーユが苦笑する。そのまま向かいのカミーユのベッドにどかりと座った。封印のときの話か?と確認してきたので、そうだと答えた。わかっていなかったのに的確なことを言ってくるというのも、なかなか洞察力が鋭いものだと思った。
「でも、そういう規模の話なら、僕がわからなかったのも説明がつくね。あのときは、いっぱいいっぱいだったし、その中でそんなものが流れこんできて……」
「それで身体が拒否反応として意識を失った…ということか」
「うん、多分……」
「そういうことかよ。変な攻撃受けたのかとか、あの空気でとうとう変になったのかとか、色々慌てたんだぜ」
「体は何ともないよ。カミーユにも、心配かけてごめんね」
そういえば、魔物の枝の先がかすって擦りむいたところや、体の疲労も取れている。眠っている間に、カミーユがあれこれと治してくれていたのだろう。相変わらずぶっきらぼうな態度ではあるが、言動のひとつひとつから心配してくれていたことがわかる。
「しかし、急に話がでかくなったなァ、今まではそんなんじゃなかっただろ」
やはりカミーユもエリーも、そこが気になるようだった。それは優人も同じことだった。
「うん……もしかしたら、魔物の大きさとか、強さとか…そういうのが関係してるのかなって」
「それはそうかもしれんな。聞いただけでも、辻褄が合っているように思える」
始めのスライムの魔物は小さな悪戯心。大蛇の魔物は大きな殺意。優人は少し考えていたことを改めて整理してみると、その考えにも説得力が出てきたように思う。優人が話せば、二人も頷いてくれる。
「それ、その話だよ。おいユウト、この際だから覚えてるぶんだけ全部話してみろ。どの魔物を封印したときに、どう感じたのか」
カミーユもずっと疑問に思っていたらしく、いつになく積極的に身を乗り出して聞いてきた。最初からひとつひとつ、というのは思い出すのも大変だったが、優人はなるべく間違いのないように覚えているぶんを丁寧に思い出していって、話して聞かせた。
「……ふぅん、なるほどな。たしかに大小も関係ありそうだが、強さとか、その魔物の性質とかも関係してそうだ」
「性質…そうだね、そういう風にも思える」
優人自身も、思い出して話しているうちに、カミーユが指摘するようなことを考えていた。性質とはつまり、魔物の形状や攻撃の仕方などのことだ。
「スライムなんかは小さい悪戯程度、実害にもなりゃしねえ。スライム自体も人に危害を加えるようなタイプの魔物じゃねえ。あの岩ネズミみてぇなヤツもわかりやすい例だな」
「内側は脆いが表面上は強く見せている……見栄のために嘘をつく、とも言えるか。なるほどな」
「じゃあ、今回の木は……なんだろう?」
「見かけや攻撃がどうっていうか、あれは周りへの影響力が、そういう性質を持ってると言えるかもしれねえな。山のてっぺんに陣取って、周り一帯の魔物を凶暴化させて戦いを誘発させている……弱点を、他の枝に守らせて戦わせねえっつーのも、なあ。気に入らねえし、まさに大将首って感じだぜ」
「なるほど。あの風……魔物を凶暴化させる匂いを乗せた風自体が、あの魔物の主な武器…攻撃の方法だったのかもしれないね」
こうして三人で考えてみると、優人だけでは思い至らなかった考えが次々と出てくるようだった。あまり心配させないようにと深く込み入った話はしないようにしていたのだが、こんなことならもっとはやくに詳しく話しておくべきだったかもしれない。
「しかし、これでさらに信憑性が増してきたな。魔物は人の悪意で出来ているという説」
以前デアルクスの宴の席でも話していたことだ。アリアンナの話や、カミーユが都市伝説レベルだと言っていた話。人の弱さ、地球の闇がこの世界に魔物となって現れている、そんな話だ。
「解せんのは、何故そんな風になっているのかということだな」
「だね。地球とこの世界は、どういう関係なんだろう……」
「本当だったなら、迷惑な話だぜ。地球の尻拭いさせられてるってことじゃねえか」
「だから僕が呼ばれたのかな……?」
「地球の、と言ったらすごい規模だろう。それも、小さな魔物に感じるようなものは地球上の誰しもが感じ得るようなものだろう?それを救世主ひとりに処理させようというのか」
確かに荷が重いとも言える。これまでもだいぶ多くの魔物を封印してきたように思っていたが、こんな小さなものから大きなものまで、地球全体の闇が魔物になりこの世界に蔓延っているのかと思うと、気が遠くなる。
「まあ割に合わねえ話だってのはそうだけどよ、その仕組みにケチつけたって現状が変わる訳じゃねえんだろ?」
「だが、わからないままにしておくべきとも思えん」
確かに、気になる話ではあるし、もしこの感情を感じずに済むのなら、優人としてもそのほうが気が楽だ。そのために、この仕組みについてもう少し情報が欲しい。
「そのままにしておくつもりは俺にだってねえよ。訳のわからねえまま、黙って尻拭いさせられてるのも気に食わねえ。次の目的地は、こういうことを調べるにはうってつけだろ?」
「……マヒアドの研究室か!」
カミーユの言葉に、エリーも少し声を高くしてハッとした表情を浮かべる。
「昨日からよく話には出てくるけど、マヒアドってどんなところなの?強い魔法使いがたくさん居るって聞いたけど」
優人は名前だけは耳にするものの、詳しく聞けないままでいた。
「マヒアドは魔法騎士団と言って、力の強い魔法使いたちが集まり、王城へと繋がる国境を守るものたちが住まう街だ。騎士団に所属しない者たちも暮らしているが、皆強い魔力を持った者。腕っぷしのデアルクス騎士団とは役割を同じくしているが、異色の騎士団と言える」
「強い魔法使いが居るだけじゃなく、魔術の研究やらこの世界の歴史や成り立ちなんかも調査、研究をしてる部署がある。今の話だと、用があるのはここだな。何かわかることがあるかもしれねえし、ユウトが感じたことが何かヒントになるかもしれねえ」
三人は互いの顔を見合わせて、うん、とひとつ頷いた。次の行き先と目的が決まった。
「行くのは明日だ。今日はとりあえず休んでおけ」
「うん、わかった……、って、カミーユはどこに行くの?」
「ちょっと野暮用だ。たいしたことじゃねえよ」
そう言ってカミーユはまた部屋を出てどこかへ行ってしまった。相変わらず、単独行動の多い男だ。エリーも笑っていたが、またすぐ優人に寝るように注意してきた。
「今は大丈夫でも、最近のユウトはなんだか疲れてるだろう。休めるときに、きちんと休んでおけ」
「そうだね、正直山登りはちょっと大変だった」
慣れない山道に次々襲いかかる魔物たち、大型の魔物に、流れ込んできた感情。今日は一段と疲れを感じているようだった。だからだろうか、エリーはひどく心配そうに優人を見つめてくる。心配というよりもむしろ、何か気を使われているような感じもしていた。
「マヒアドの辺りは、これまで以上に魔物が多くなる。明日は大変だぞ」
「ええ、そうなのか……。頑張らなきゃね」
「ああ、でも、明日からはまたしっかりユウトを守るからな。安心しろ」
そう言うエリーは少し申し訳なさそうな顔をしていた。声もいつもより張りがなくどこか弱々しい。何故なのかがわかっていなかったが、その言葉を聞いて、優人は納得した。
山頂での戦闘で、あまりの強風にエリーはほとんど動けなかった。正直エリーが居ない戦闘は大変だったし、不安もあった。エリーが居てくれたら、もっとはやく勝負がついていただろうとも思う。エリーはあのとき何も出来なかったことを申し訳なく思っていたのだ。
優人としては、そろそろエリーに頼らずともそれなりに戦えるようにならなくてはとも思うし、あのときは動けなくても仕方がなかったと思う。それに、エリーがしっかりと様子を観察して助言をしてくれたからこそ、魔物の弱点も発見することができたのだ。
だから、気にすることなどではないと優人は思っていた。けれど、エリーはきっと気にするなと言ったところで聞かないだろう。
「エリー、あのさ」
「ん?なんだ」
「木から落っこちたとき、受け止めてくれてありがとうね」
気にするなと言っても気にする。ならば、言葉を変えようと思った。
エリーはきっと自分は役立たずだった、みたいに思っているのだろうが、そんなことはない。優人が、エリーが居なくても戦えたのは、カミーユの協力と、エリーが今まで戦う姿を見てきたからだ。外から見た助言もしてくれたし、危ないときには助けてくれた。エリーの存在は、たとえ戦闘に参加出来なくたって、優人のためになっているのだ。
「……!…ああ、あれくらいは、お安いご用だ」
優人にお礼を言われたエリーは嬉しそうに、少し安心したような、ほっとした表情になった。暗く俯きがちだった顔も、今はしっかり前を向いている。
「すぐ気を失っちゃったから、お礼言いそびれてた」
ううん、とエリーは首を横に振る。エリーはきっとたいしたことはしていないつもりなのだろうが、優人としては、痩せ型とは言えそれなりに身長も体重もある、エリーよりも大きな自分を軽々と受け止めてくれたことは、すごいことだと思っていた。
それと同時に、思い出すと、少し恥ずかしい気持ちもある。エリーが受け止めてくれた、抱き抱え方。所謂、お姫様抱っこという形だ。腕の中から見上げたエリーの凛々しい表情。
「……ユウト?」
「……なんでもないよ」
改めて記憶を掘り起こすと、だんだん顔が熱くなってきたのがわかる。あれでは、まるでピンチに駆けつける王子様みたいだった。思わずふいに、かっこいい、と思ってしまった。自分は王子様などというガラではないが、これではまるで立場が逆だと優人は思う。
顔が赤くなった優人を見てエリーが不思議そうにしている横で、これからは今まで以上に頑張って、助けられてばかりではいけないと思う優人だった。
見慣れない場所で目を覚ますことには慣れた優人だったが、記憶では確か、山の頂上に居たはずだったので、これまでとは違った意味で驚いた。
「おお、目を覚ましたか」
「……エリー、どうして」
起き上がろうとした優人を、そばで見ていてくれたらしいエリーがやんわりと制し、寝たままでいるように促した。
「覚えていないか?山頂で魔物を封印したすぐあとに、気を失ったんだ」
「そう……だった…。思い出した」
魔物を相手にしている間は、常に頭を使いながらも動き回り、かなり消耗していた。そこに許容量も想定も遥かに越えた感情が、一気に心の中に流し込まれたのだ。
大蛇の魔物のときには、強すぎる嫌な感情を外に吐き出してしまいたくて、嘔吐するという形で身体が拒否反応を示したが、今回は訳が違った。既に、優人の想像できる「悪意」の域を越えていた。自分の中に流れ込んできたものが何なのかすらもわからず、またその大きさにも耐えきれず、気を失ってしまったのだろう。あまりの怒涛に、軽く記憶さえ飛んでしまっていたようだった。
窓の外を見れば、もう既に辺りは夕暮れの赤に染まりかけていた。かなり時間が経っているだろうに、エリーはずっと横に居てくれていたらしい。
「心配かけてごめん、もう平気だよ」
「……本当か?」
今回ばかりは、本当に心配をかけてしまったらしい。優人の平気だという言葉を信じられないでいるようだ。そういえば嘔吐の事件は、カミーユにしか知られていないことなので、魔物の封印による優人の不調をエリーが見るのは初めてだったのだ。それも、エリーが優人を抱き込んだ形の、文字通りの目の前で失神したのだから、不安になって当然というものかもしれない。
「本当に大丈夫だよ。……今回はちょっと、びっくりしただけ…かな」
「びっくりした?」
「うーん……なんていうのかな…」
優人は少し迷ったが、何も話さないほうが余計に心配をかけてしまうと思ったので、すべて話すことにした。しかし、どう話せばいいかというのは難しい問題だった。何せ、優人自身にも、何が起こったのかわからなかったのだ。優人は少しずつ、思い出しながら、順を追いながら話すことにした。
「……前にも話したと思うけど、魔物を封印するときって、自分のものじゃない嫌な感情…悪意みたいのが僕の中に流れこんでくるんだ。それって、今までは割と、想像しやすいというか。誰にでもこういう気持ちってあるよな、みたいな、そんなものが多かったんだ」
「言っていたな。誰かを困らせてやりたいだとか、見栄を張りたいだとか……?」
エリーは以前優人が話したことを、きちんと細かく覚えていてくれているようだった。優人はそれが少し嬉しかった。
「そう、そういうの。そういう気持ちがわからないわけではないし、たとえ思ったことがなくても、そういう風に考える人が居るってことくらいは想像がつくでしょ。だから、それが自分のものになること自体には驚いたけど…感情そのものに驚いたりはしなかったんだ」
今となっては、封印のときはそうなるものとして心の準備ができているので、以前のように混乱することもなかった。
「……これは、少し前の、デアルクスでのことだけど、あの大きい蛇みたいなのを封印したときはさ、実は結構きつかったんだ。平気な顔してたんだけど…カミーユには見られちゃったんだよね」
「……きつかった?」
「小さな魔物のときとは比べものにならないくらい、その……悪意の…強さ?大きさ?が、違ったんだ。意地悪とか、見栄とか、そんなレベルのものじゃなかった。……誰かを傷つけてしまいたい…殺したい、そんな悪意だった」
殺したい、という言葉が出た途端に、エリーの表情がさっと変わっていく。真剣に話を聞いてくれる顔の中に、明らかな恐怖の色が混ざる。
「当たり前だけど、僕が今まで生きてきた、ごくごく平和な日常で、そんなことは思ったことがなかった。……もしかしたら、もっと深くいろんな人と関わって生きてきたら、そんなことを思うこともあったのかもしれないけど…とにかく、僕の中にはあり得なかった感情で。そのときも、かなりびっくりしたというか。持ったことのない強い感情が自分の中で勝手にぐるぐるし始めて、どうしたらいいのかわからなくて……」
それで、何もかも吐き出してしまいたくなった。体の中のものをすべて吐き出してしまえば、あの強い感情も外へ出ていくような気がした。そこについては、やはり恥ずかしさもあり、汚い話になってしまうので、エリーには伏せた。
「でも、僕が生きてた世界でも、人が人を殺すことはあった。ニュースや新聞で、それこそ日常的に見聞きしたし、きっと身近にあってもおかしくはないものなんだろうってことは理解できたんだ。だから、なんとかなった…んだと思う」
優人は話しながら、自分がどう考えたのか、どうあの感情を処理していったのかを整理していった。言葉を探しながら喋る速度は聞きにくかったかもしれないが、エリーもそれが優人の迷いや考え方なのだろうと思いながら聞いていた。
「……けど、今回のはちょっと違ったんだ。僕には、何の感情なのかもわからなくて」
「それは、どんな?」
「僕がこうなのかなって思ったのは……支配欲っていうのかな。そういうものに感じられた。何か大きな力で、何かを支配しようとするような…」
「んだそりゃ、戦争の話か?」
「カミーユ!」
部屋の扉が急に開き、カミーユが話に割って入ってきた。優人とエリーは揃ってカミーユのほうへ振り返る。
「戦争……確かに、力で相手を支配しようとする行為だ。しかしそれは感情…なのか?」
「感情だろ。戦争だって、人の感情や思想が引き起こすモンだ」
戦争。そう言われてみればそういう種類の感情なのかもしれない、と優人は思った。
「規模が大きい話だなあ……人の感情で引き起こすものだっていうのはわかるけど、僕には想像できないよ」
できても困るけどな、とカミーユが苦笑する。そのまま向かいのカミーユのベッドにどかりと座った。封印のときの話か?と確認してきたので、そうだと答えた。わかっていなかったのに的確なことを言ってくるというのも、なかなか洞察力が鋭いものだと思った。
「でも、そういう規模の話なら、僕がわからなかったのも説明がつくね。あのときは、いっぱいいっぱいだったし、その中でそんなものが流れこんできて……」
「それで身体が拒否反応として意識を失った…ということか」
「うん、多分……」
「そういうことかよ。変な攻撃受けたのかとか、あの空気でとうとう変になったのかとか、色々慌てたんだぜ」
「体は何ともないよ。カミーユにも、心配かけてごめんね」
そういえば、魔物の枝の先がかすって擦りむいたところや、体の疲労も取れている。眠っている間に、カミーユがあれこれと治してくれていたのだろう。相変わらずぶっきらぼうな態度ではあるが、言動のひとつひとつから心配してくれていたことがわかる。
「しかし、急に話がでかくなったなァ、今まではそんなんじゃなかっただろ」
やはりカミーユもエリーも、そこが気になるようだった。それは優人も同じことだった。
「うん……もしかしたら、魔物の大きさとか、強さとか…そういうのが関係してるのかなって」
「それはそうかもしれんな。聞いただけでも、辻褄が合っているように思える」
始めのスライムの魔物は小さな悪戯心。大蛇の魔物は大きな殺意。優人は少し考えていたことを改めて整理してみると、その考えにも説得力が出てきたように思う。優人が話せば、二人も頷いてくれる。
「それ、その話だよ。おいユウト、この際だから覚えてるぶんだけ全部話してみろ。どの魔物を封印したときに、どう感じたのか」
カミーユもずっと疑問に思っていたらしく、いつになく積極的に身を乗り出して聞いてきた。最初からひとつひとつ、というのは思い出すのも大変だったが、優人はなるべく間違いのないように覚えているぶんを丁寧に思い出していって、話して聞かせた。
「……ふぅん、なるほどな。たしかに大小も関係ありそうだが、強さとか、その魔物の性質とかも関係してそうだ」
「性質…そうだね、そういう風にも思える」
優人自身も、思い出して話しているうちに、カミーユが指摘するようなことを考えていた。性質とはつまり、魔物の形状や攻撃の仕方などのことだ。
「スライムなんかは小さい悪戯程度、実害にもなりゃしねえ。スライム自体も人に危害を加えるようなタイプの魔物じゃねえ。あの岩ネズミみてぇなヤツもわかりやすい例だな」
「内側は脆いが表面上は強く見せている……見栄のために嘘をつく、とも言えるか。なるほどな」
「じゃあ、今回の木は……なんだろう?」
「見かけや攻撃がどうっていうか、あれは周りへの影響力が、そういう性質を持ってると言えるかもしれねえな。山のてっぺんに陣取って、周り一帯の魔物を凶暴化させて戦いを誘発させている……弱点を、他の枝に守らせて戦わせねえっつーのも、なあ。気に入らねえし、まさに大将首って感じだぜ」
「なるほど。あの風……魔物を凶暴化させる匂いを乗せた風自体が、あの魔物の主な武器…攻撃の方法だったのかもしれないね」
こうして三人で考えてみると、優人だけでは思い至らなかった考えが次々と出てくるようだった。あまり心配させないようにと深く込み入った話はしないようにしていたのだが、こんなことならもっとはやくに詳しく話しておくべきだったかもしれない。
「しかし、これでさらに信憑性が増してきたな。魔物は人の悪意で出来ているという説」
以前デアルクスの宴の席でも話していたことだ。アリアンナの話や、カミーユが都市伝説レベルだと言っていた話。人の弱さ、地球の闇がこの世界に魔物となって現れている、そんな話だ。
「解せんのは、何故そんな風になっているのかということだな」
「だね。地球とこの世界は、どういう関係なんだろう……」
「本当だったなら、迷惑な話だぜ。地球の尻拭いさせられてるってことじゃねえか」
「だから僕が呼ばれたのかな……?」
「地球の、と言ったらすごい規模だろう。それも、小さな魔物に感じるようなものは地球上の誰しもが感じ得るようなものだろう?それを救世主ひとりに処理させようというのか」
確かに荷が重いとも言える。これまでもだいぶ多くの魔物を封印してきたように思っていたが、こんな小さなものから大きなものまで、地球全体の闇が魔物になりこの世界に蔓延っているのかと思うと、気が遠くなる。
「まあ割に合わねえ話だってのはそうだけどよ、その仕組みにケチつけたって現状が変わる訳じゃねえんだろ?」
「だが、わからないままにしておくべきとも思えん」
確かに、気になる話ではあるし、もしこの感情を感じずに済むのなら、優人としてもそのほうが気が楽だ。そのために、この仕組みについてもう少し情報が欲しい。
「そのままにしておくつもりは俺にだってねえよ。訳のわからねえまま、黙って尻拭いさせられてるのも気に食わねえ。次の目的地は、こういうことを調べるにはうってつけだろ?」
「……マヒアドの研究室か!」
カミーユの言葉に、エリーも少し声を高くしてハッとした表情を浮かべる。
「昨日からよく話には出てくるけど、マヒアドってどんなところなの?強い魔法使いがたくさん居るって聞いたけど」
優人は名前だけは耳にするものの、詳しく聞けないままでいた。
「マヒアドは魔法騎士団と言って、力の強い魔法使いたちが集まり、王城へと繋がる国境を守るものたちが住まう街だ。騎士団に所属しない者たちも暮らしているが、皆強い魔力を持った者。腕っぷしのデアルクス騎士団とは役割を同じくしているが、異色の騎士団と言える」
「強い魔法使いが居るだけじゃなく、魔術の研究やらこの世界の歴史や成り立ちなんかも調査、研究をしてる部署がある。今の話だと、用があるのはここだな。何かわかることがあるかもしれねえし、ユウトが感じたことが何かヒントになるかもしれねえ」
三人は互いの顔を見合わせて、うん、とひとつ頷いた。次の行き先と目的が決まった。
「行くのは明日だ。今日はとりあえず休んでおけ」
「うん、わかった……、って、カミーユはどこに行くの?」
「ちょっと野暮用だ。たいしたことじゃねえよ」
そう言ってカミーユはまた部屋を出てどこかへ行ってしまった。相変わらず、単独行動の多い男だ。エリーも笑っていたが、またすぐ優人に寝るように注意してきた。
「今は大丈夫でも、最近のユウトはなんだか疲れてるだろう。休めるときに、きちんと休んでおけ」
「そうだね、正直山登りはちょっと大変だった」
慣れない山道に次々襲いかかる魔物たち、大型の魔物に、流れ込んできた感情。今日は一段と疲れを感じているようだった。だからだろうか、エリーはひどく心配そうに優人を見つめてくる。心配というよりもむしろ、何か気を使われているような感じもしていた。
「マヒアドの辺りは、これまで以上に魔物が多くなる。明日は大変だぞ」
「ええ、そうなのか……。頑張らなきゃね」
「ああ、でも、明日からはまたしっかりユウトを守るからな。安心しろ」
そう言うエリーは少し申し訳なさそうな顔をしていた。声もいつもより張りがなくどこか弱々しい。何故なのかがわかっていなかったが、その言葉を聞いて、優人は納得した。
山頂での戦闘で、あまりの強風にエリーはほとんど動けなかった。正直エリーが居ない戦闘は大変だったし、不安もあった。エリーが居てくれたら、もっとはやく勝負がついていただろうとも思う。エリーはあのとき何も出来なかったことを申し訳なく思っていたのだ。
優人としては、そろそろエリーに頼らずともそれなりに戦えるようにならなくてはとも思うし、あのときは動けなくても仕方がなかったと思う。それに、エリーがしっかりと様子を観察して助言をしてくれたからこそ、魔物の弱点も発見することができたのだ。
だから、気にすることなどではないと優人は思っていた。けれど、エリーはきっと気にするなと言ったところで聞かないだろう。
「エリー、あのさ」
「ん?なんだ」
「木から落っこちたとき、受け止めてくれてありがとうね」
気にするなと言っても気にする。ならば、言葉を変えようと思った。
エリーはきっと自分は役立たずだった、みたいに思っているのだろうが、そんなことはない。優人が、エリーが居なくても戦えたのは、カミーユの協力と、エリーが今まで戦う姿を見てきたからだ。外から見た助言もしてくれたし、危ないときには助けてくれた。エリーの存在は、たとえ戦闘に参加出来なくたって、優人のためになっているのだ。
「……!…ああ、あれくらいは、お安いご用だ」
優人にお礼を言われたエリーは嬉しそうに、少し安心したような、ほっとした表情になった。暗く俯きがちだった顔も、今はしっかり前を向いている。
「すぐ気を失っちゃったから、お礼言いそびれてた」
ううん、とエリーは首を横に振る。エリーはきっとたいしたことはしていないつもりなのだろうが、優人としては、痩せ型とは言えそれなりに身長も体重もある、エリーよりも大きな自分を軽々と受け止めてくれたことは、すごいことだと思っていた。
それと同時に、思い出すと、少し恥ずかしい気持ちもある。エリーが受け止めてくれた、抱き抱え方。所謂、お姫様抱っこという形だ。腕の中から見上げたエリーの凛々しい表情。
「……ユウト?」
「……なんでもないよ」
改めて記憶を掘り起こすと、だんだん顔が熱くなってきたのがわかる。あれでは、まるでピンチに駆けつける王子様みたいだった。思わずふいに、かっこいい、と思ってしまった。自分は王子様などというガラではないが、これではまるで立場が逆だと優人は思う。
顔が赤くなった優人を見てエリーが不思議そうにしている横で、これからは今まで以上に頑張って、助けられてばかりではいけないと思う優人だった。
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手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
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※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
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※表紙は作成者様からお借りしてます。
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