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第二章

疑惑は漂う

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 優人は、見慣れない場所で目覚めることにもようやく慣れてきた。それと、もうすっかり馴染みの二人が近くにいることにもだ。
 朝食をとろうと宿屋の一階へ降りると、焼きたてのパンとスープのにおいが鼻をくすぐる。昨日のおばさんが、おはよう、と明るく声をかけてくれた。
「おはようございます」
「朝ごはん、できてるよ。さ、座んな座んな」
「朝食は二人分で頼む。どうもありがとう」
 エリーがそう伝え、礼をしてテーブルにつけば、料理が手早く運ばれてくる。そういえば、昨晩は三人とも夕食をとらないまま眠ってしまったので空腹だった。
「お嬢ちゃんはいらないのかい?」
「ああ、わたしは結構だ。お気遣い感謝する」
 エリーは普通の食事はとらないとはいえ、空腹は感じていたようで、腰のポーチから星石を数個取り出す。それを見たおばさんがはっとした声をあげる。
「それは、もしかして、星の石かい?」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、王族だったのかい?あらいやだ、あたしったら馴れ馴れしく…」
 おばさんがそわそわと落ち着かない動きをしている。おそらく恐縮しているのだ。
「構わん、あまり持ち上げられるのは苦手だ。いつも通り話してくれ」
 急に恐縮し始めるおばさんに対して、くすぐったそうに肩を竦めながらエリーは言う。おばさんは戸惑いつつも、まああたし畏まった喋り方なんてできっこないしねぇ、と笑った。それを聞いてエリーも笑いながら星石をひとつ、またひとつと口に放り込んだ。
「じゃあお嬢ちゃんがエリザベト様なのかい。いやぁ、あたし生きてて王族の方にお会いするなんて思ってもみなかったよ」
「そう、わたしがエリザベトだ。エリーでいいぞ。今は救世主の供として旅をしているところなんだ。こっちが救世主のユウト、こっちが僧侶のカミーユだ」
 あらあら!とこれまでで一番大きな声でおばさんは叫んだ。目は大きく見開かれ、口に手を当てて驚いている。リアクションの大きい人だ。
「エリー様にカミーユ様に、救世主様!なるほど、どうりでね~。あんな薄汚い格好をしていたから、最初は全然気がつかなかったけど。服を洗ってたらあんまり上等な布地だったもんで、何者なのかと思ってたんだよ」
 薄汚い、とはっきり言われてしまえば思わず苦笑が漏れる。あれは魔物を相手にしていたときの汚れだと説明すると、さらに納得してくれた。そして封印してくれてありがとう、と礼をもらってしまった。

「カローナには村に異常や異変がないかどうか調査に来たんだ。あの辺りの魔物は、あんなによく襲ってくるのか?」
「そう、それなんだよ。あの蔦の魔物は前から居るには居るんだがね、ちっと妙なんだ。ここ最近、ヤツらに襲われたって話をよく聞くようになってね」
「もともとはあまり襲ってこなかったんですか?」
「そうさ。あんなの他の街に行くたび出てこられたんじゃ、命がいくつあっても足りないだろ。この辺の魔物はみんな大人しい方なんだ。デアルクスの騎士団やマヒアドの魔法使いたちが守ってくれてるからね、あんまり怖いヤツは寄ってこないのさ。それなのに、新手のが出るでもなく、もともと居たヤツらが急に襲ってくるようになるなんて、おかしな話だろ?」
 確かに妙な話だ。昨日のしつこく襲われ続けたような様子を見てしまえば、もともとは大人しく人を襲うことは滅多にないと言われても、とてもではないが信じられない。
「確かに、前に来たときは俺も襲われたりしてねえな。それって、いつ頃からの話だ?」
「いつだったかねえ、先月の半ばにマヒアドへの輸送の荷車が襲われて、こんなこともあるんだねえなんて話していたんだが、それくらいからかね」
「一ヶ月前ほどか…」
 おばさんが心配そうな表情で頷いていたが、ああそうそう、とまた何か思い出したようだった。
「そういえばこないだマヒアドから来た人がね、最近マヒアドの戦線でも魔物が活発化してるんだとかって話してたわよ。それも、何か関係があるのかねえ、嫌だわ~」
 カローナとマヒアドで活発化する魔物と、デアルクスに突如として出現した大型の魔物。やはり何か異変が起きていることは間違いなさそうだった。
 不幸中の幸いは、まだ異変が起きてひと月程度しか経っていないということか。運良く、怪我人は居るが亡くなった人は居ないのだという。
「でも、救世主様が来てくれたとなれば安心よねえ。みんな喜ぶと思うわ~、ありがとうね」
「は、はい、頑張ります」
 まだ何も解決の糸口も見えていないのに安心されてもと優人はたじろいだが、そんなことを言っても仕方がない。期待に応え、また喜ぶ姿が見れたらいいと思った。


 もう少し調べてみようと、宿を出て村を歩いた。
 出掛けにカミーユは宿のおばさんに「昼すぎには戻るから、何か変わったことがないか、心当たりがある奴は教会に集まるよう隣近所に呼びかけてもらえるか」とお願いしていた。おばさんは任せときな、と快諾してくれた。

 カミーユの話では、山の麓近くにある小屋に杖を作ったという職人の工房があるということだったので、そこを訪ねてみることにした。
 麓のほうへ歩いていく途中も、人には出会わなかった。異変の影響というよりは、そもそも人が少ないのかもしれないと優人は思った。まず民家らしきものがあまりないのだ。日本の田舎の風景でもよくあるが、山に近づくにつれ、家と家の間がとても広い。主に畑や、納屋のような建物が多く、その間にぽつんぽつんと家々が建っている。
 かつては栄えていたという話の通り、建物自体は立派なものが多いがとても古いもののようだった。
「ここも畑が多いんだね」
「ああ、採掘と金属で有名だが、土と水がいいし、何より魔物が出ない…普段は、な。だから田畑をやるには持ってこいだな」
 綺麗な山々と、畑に囲まれた村。よく晴れていて、気持ちのいい場所だと優人は思っていた。だが、カミーユはまた鼻をすん、と鳴らし、眉間にしわを作っていた。
「やっぱり、何か匂うぜ」
「昨日と同じ?」
「ああ、しかも山に近づくにつれ濃くなっていく気がする」
 相変わらず匂いを感じているのはカミーユだけで、エリーと優人は何も感じてはいなかった。そう話しながらもどんどんと進めば、麓近くに小屋が見えてきた。
「あれが、そう?」
「ああ、あそこは変わってねえんだな」
 それまでは顔をしかめていたが、そう言うカミーユは少し嬉しそうだった。

「よう、じいさん、生きてるか~?」
 カミーユは入るなり、そう不躾に声をかけた。小屋とはいえ、近づいてみれば案外想像よりは大きいところだとわかる。入ってみると、職人の仕事道具や何かでいっぱいだったが、それでも広い作業台が確保されている。
「誰だぁ?」
 返された声はどこか覇気がない。初老の男性がひとり、作業場の椅子に座ってはいたものの、何もしていなかった。ゆっくりと顔を上げたおじさんは、カミーユの顔を見るなり表情をぱっと明るくした。
「…てめえ!カミーユじゃねえか!」
「よう、また来てやったぜぇ」
 二人はとても仲が良さそうで、元気そうじゃねえか、と肩を叩き合っていた。そんな二人の様子にエリーと優人はぽかんと立ち尽くしてしまう。
 再会を喜ぶおじいさんは茶でも出してやる、と奥の座敷のような部屋へ案内してくれた。
「すみません、お気遣いいただいて」
「なんだ、カミーユのお供にしてはえらく礼儀正しいボウズじゃねえか、なあおい」
「俺の礼儀がなってねえみたいな言い方すんな。あとお供じゃねえ、一応救世主サマだっつーの」
 そうだったのか!とまた驚かれる。宿屋のおばさんと同じ、かなり大袈裟なリアクションだ。少し待つと、おじさんがお茶を出してきてくれた。
「ずいぶん、仲が良いんだね」
 そう優人が二人に問いかければ、おじさんは嬉しそうにカミーユが初めてカローナの村に来たときの話をしてくれた。やれガラが悪いだの、生意気なガキだのと言うが、とても可愛がっているのが伝わってきた。

「なあ、入ってきたときえらくショボくれてたようだったが、何かあったのか?」
 話がひと段落すると、カミーユがぶっきらぼうなようだが心配そうな表情で尋ねた。確かに今は明るくしているが、三人が入ってきたときは背中を丸くして力なくただ椅子に座り込んでいたようだった。
 途端におじさんはああ、それなあ、とまた表情を少し暗くしてしまう。
「そろそろ俺も引退かなあ、なんて考えていたんだよ」
「引退?なんでだよ」
 おじさんの言葉を受けて、カミーユが眉をひそめる。
「最近なんだか、モノの出来が悪くてよぉ、何かが違うんだわ。いつも通りやってるつもりなんだが、どうもうまくいかん。俺も歳かな、腕が鈍っちまったんだ」
「歳ったって、まだそんな歳でもねえだろ?何が変なんだよ」
「それがわかりゃ苦労はしねえよ。いつもよりつなぎがスムーズにいかねえとか、形成が思ったようにできねえとかよ、とにかく細々としたところが全然なってねえんだ。なってねえことはわかるのに、どうしてこうなってるのか、どうしたらうまくいくのかがさっぱりわからねえ。俺は変わったつもりはないのに、できあがるモノは明らかに変わってるんだ。こんなもん、職人としては失格だろ」
 始めは食ってかかるカミーユに言い返すような語気だったが、だんだんと弱々しく声が小さくなっていった。これが作業場に座り込み、何もせずに俯いていた理由だった。下を向いた瞳の奥はまだぎらついた光があるものの、どうしたらいいかわからない手は力なく膝の上に投げ出されたままだ。
「…じいさん」
「……いいんだよ。そのうち誰でも終わりは来る。潮時ってことさ」
 嘘だ。おじさんのことは何も知らない優人でも、それが強がりで、本当は諦めたくないという気持ちを誤魔化そうとしているとわかる。
「……俺は納得できねえよ、そんなの」
「カミーユ…」
「あんたが諦めるなんて、そんなの似合わねえよ。もっと図々しくて、自信満々で、豪快に笑ってるのがあんただろ」
「そんなことを言ったってな」
 カミーユの言葉に、おじさんは苦々しく笑う。いつも飄々としているカミーユが、珍しく熱くなっているようだった。
「うるせえ!ここは今、なんかがおかしいんだ。あんたも、つられておかしくなっちまっただけだ!俺が絶対、原因突き止めてなんとかしてやる」
「カミーユ!」
 いつになく声を荒げてまくしたてた後、すぐにカミーユは工房を出て行ってしまった。本当に珍しく、エリーが呼び止めても振り返る素振りすら見せない。
「おじさん、ごめん、お茶ありがとうね!」
「あ、ああ」
 エリーと優人は慌ててカミーユを追いかける。ぽつんと残されたおじさんは、気力をなくしていた目を少し見開いて、呆然としていた。

「カミーユ!待ってよ」
 早足で歩くカミーユに追いつき呼ぶと、案外あっさりとカミーユが振り返り足を止めた。
「……お前ら、気づかなかったのか」
「? ……何が?」
「だーっ!もう、なんっで気づかねえんだ!? あの工房、この変な匂いがものすげえ充満してたんだよ。やっぱりこれはおかしい。何かわからねえが、絶対原因があるはずだ!」
 何のことかわからない、という風にきょとんとする二人を前に、カミーユはさらに苛立ったように捲くし立てた。カミーユの言う匂いが、やはりエリーと優人にはわからない。しかしそれが本当なら、それこそが異変で、おじさんも何かの影響を受けているのかもしれない。
 そうでもなけりゃ、あのジジイがあんなになるわけがねえ、とカミーユは小さく呟く。
 そのとき、少し強い風が吹き抜けた。途端にカミーユがぐっと顔をしかめる。またその匂いを感じたのだろう。
「風……山から村に向かって吹く風か」
「……それが、匂いを運んできてるとか?」
「可能性はあるな。これが何にどう影響してるのかわからねえが、今はこれしか手がかりがねえ。匂いの元を突き止める」
 ずんずん、とカミーユは山のほうへと進んでいく。
「匂い……ということは、空気ということだ、それが何かおかしいのなら魔物もそれを感じて凶暴になっている…ということもありそうだな」
「山って言っても、こっちの方向は山だらけだし、一体どこが変なんだろう…」
「いっぺん、採掘場に行く。もしかしたら、誰かこの匂いに気づいてる奴が居るかもしれねえ」
 採掘場はここからすぐ近くにあるらしい。大股歩きで急ぐカミーユに、エリーと優人は小走りでついて行くのだった。

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