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第五章

決意の光

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 事態が急変したのは、あともう少しで群れを一掃できようかという頃だった。既に大半の魔物の封印を終え、群れの奥から迫っていた魔物たちの動きも同様に封じることに成功したときである。
 魔物の掃討にあたっていた一団の背後、つまりは優人たちがここへ来る前に滞在していた宿屋などのある町の中から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。

 その声は、一瞬聞こえてきただけでも只事ではないとわかる。ほとんど悲鳴のようなものだった。魔物の封印をもうすぐ終えようと多少緩んでいたあたりの空気がまたピリッと張り詰めていった。
「何事か!その血は……!」
 駆け込んできた女性のひとりの顔を見て、エリーとその場にいた民たちは一様にハッとした。その顔の側面半分に、べったりと人間の血が滴っていたからである。
「お助けを、町の東側にも魔物たちが……!私は守られたんです、けど、他のみんなは……!」
「くそ、挟撃されたというわけか!」
 女性の頬や衣服に滴っているのはどうやら他の者の血液らしい。こちらの西側は軽い怪我人を出しただけで済んでいたが、ここへ戦力が集中してしまったために東側は魔力を僅かしか持たない者たちが残り、その被害はかなり酷いことが、泣き崩れた彼女からも察することができる。
「そ、そんな……!」
 優人はさーっと血の気が引いていくのがわかった。この世界に来て戦いは経験してきたものの、これまではなんとか被害らしい被害は目にしてこなかった。いま夥しいほどの血に染まり泣き崩れた人を目の前にして、ようやくこの世界では、魔物によって人の命が奪われているのだという現実を味わう。どくんと心臓が強く打ち、頭がくらくらとした。
「しっかりしろこの野郎!ボサッとするな、走れ!」
 頭の中が真っ白になりかけた優人の背を思い切り叩いたのは、怪我人の治療を終えたカミーユだった。力の強いカミーユに叩かれた背中はかなり痛かったが、お陰で意識がしっかりした。
「こちらはわたしが食い止めておくからみんなは町の方へ行け!急いで!」
 エリーがそう叫び、優人ら三人とその場にいた半数ほどが町の東側へと駆け出す。遠くなっていくが、背後でエリーが他の場所への警戒と残りの魔物の動きを封じるべく残った民たちに指示を出す声が聞こえる。エリーがいれば、きっとこちらは大丈夫だ。不安は忘れて、とにかく今は東側へと全力で走る。

 町の東側、住居や商店、広場など人が多いところだ。急げ、急がねば。どうか、どうかこれ以上の被害は出ないでほしい。こうして走って向かっている間にも、誰かが。そう思うと焦りで足がもつれそうになる。
 先ほどの戦闘と町が襲われているという恐怖で、鼓動はばくばくと信じられないはやさで体の中で響く。息が切れて軽い酸欠状態になり、耳の中でごおごおと血液の巡る音が聞こえてうるさいのに、遠くから届く人の悲鳴はしっかりと聞こえるのだ。

 優人は特に取り得などないただの普通の人間で、体なんてとうに限界だ。それでも、普通の人間だからこそ、目の前で何かを失うのは怖い。
 父が手を加えて彩りを得たかもしれないこの綺麗な町が、そして、父が愛した、自分の母かもしれない女性の命がいま、消えようとしているかもしれない。優人が走り続けられる理由はそれだけだった。
 怖い。優人は自らの命を失いかけたときよりも、途方もない怖さを感じていた。失いたくない。そんな風に思えたのも初めてだった。
 優人には、何もなかった。親とも友達とも関わりは深くはなかった。家にも学校にも、その場所に自分があることに価値を見出せなかった。何もないと、思っていたのだ。
 けれど、それは違うのかもしれない。自分にはいないと思っていた母が、本当はいたのかもしれない。父が愛したものを知れるチャンスなのかもしれない。それは、自分の空白を埋めることができるかもしれないものだ。それが何かを知る前に失ってしまえば、きっと二度と手には入らない。それが自分にとって大切なのかどうかもわからないまま失えば、きっと自分はこのまま、空っぽのままなのだ。
 優人には、そう思えてならない。ゆえに、この瞬間が、怖くて怖くてたまらなかった。


「ユウト!見えたぞ、あそこに!」
「ああ!」
 立ち止まる暇などない。この手で守れるものがあるなら、戸惑ってる時間はない。優人は全力で走る速度は緩めず、そのまま剣を抜く。カミーユの声に応えるや否や、今にも民たちに襲いかかろうとする魔物の背後に迫り、意識が民たちに向いているその隙に素早く毒尾を落とす。
「救世主様…!ありがとうございます!」
 襲われかけていた民たちが、魔物を封印し消し去っていく優人に礼を言うが、その声をどこか遠くの出来事のように優人本人は聞いていた。ごおごおと耳鳴りの音が響いて、ぐるぐると体を巡る悪意を揉み消して、ただ必死だった。耳障りなその音のなかに、ある声を探していた。間違ってもその声の悲鳴など、聞こえてきてはほしくはない。けれどそれを聞き逃したくもない。無事なのか、宿から出てはいないか。はやく確かめたいけれど、行く手を阻み人を襲う魔物がそうはさせてくれなかった。
「……っ!おい!危ない、そこのお前!」
 ハッとしたのは、カミーユがそう叫ぶ声が耳に飛び込んできたからだった。それは優人に向けられたものではない。少し離れたところで戦っていた一人の少女に向けてだ。魔法が使えるのだろう、一人で魔物の侵攻を食い止めようとしていた。その背後へ、群れからはぐれた一体が迫ろうとしていたのだ。
 その後ろ姿に、はっきりと見覚えがある。優人たちをあたたかくもてなしてくれた宿の娘、リサである。
「……!ユウト!」
「援護します!」
 優人は考えるよりも早く、駆け出していた。距離はあるが、そんなことを気にしている時間はなかった。同じくリサの姿を見たシンシアが素早く構え、リサの背後に迫る魔物に向けて雷撃を放つ。
「リサさん!伏せて!」
「えっ…!?」
 優人の呼びかけでようやく声が届いた。振り向くリサの目の前には、今こそその尾の先でリサを突き刺そうとしている魔物の姿。思わず身が竦むが、咄嗟に聞こえた優人の声の通り、できるだけ身を低くする。
 みちみちと嫌な音、ギギギと魔物の呻く声。頭上からそんな音が聞こえたと思えば、パッと視界が明るくなった。
「……は、はあ……大丈夫ですか?リサさん」
「救世主さま……!わっ」
 シンシアの援護のおかげもあり、間一髪のところでリサを助けられた優人だったが、ついにそこで膝をついてしまう。激しく息切れをしながらよろけた優人を、リサは驚きつつもしっかりと支えてくれた。
 目の前にいた群れは、リサの魔法と、後から優人に追いついてきたシンシアが相手をしてくれていることもあり、動きが鈍く止まっている。優人は束の間、乱れた息を整える時間が取れたのだった。
「ご、ごめん、ありがとう」
「いいえ、こちらこそ助けていただきました」
「あの、アイシャさんは……うわっ!」
 リサと話をしようとした優人の胸にどん、と軽い衝撃が走り、優人はリサに背中を支えられたまま地面に座り込む形になる。胸元に突きつけられたのはカミーユの杖の先だった。見上げれば、カミーユがシンシアの戦っている様子をしっかりと見ながら、優人に疲労回復の魔法を施してくれている。
「動くな。目瞑るか、この光だけ見てろ。……で、状況は?」
「は、はい!まずアイシャさんは無事です。アイシャさんは治癒の魔法が使えるので、宿には怪我人が運ばれていまして……まだ死者は出ていないとのことですが、宿に魔物が攻め入ればそうはいかないでしょう。怪我人の対処に当たってくれてるのはアイシャさんの他には魔力があまり高くはない人たちで、治療の手も足りていません……」
 リサが状況を話してくれている間、優人はなるべく心を落ち着けてカミーユの魔法によるぼんやりとした光を見つめていた。あのマヒアドの戦線でボロボロになった後、シンシアが飲ませてくれた水のような、胸の中心からじんわりと滲み、広がっていくような心地良いひんやりとした感覚。限界を超えて走り戦い続けて熱くなった体を鎮めて、疲れによる体の重さをフッと軽くしてくれた。
「ユウト、聞いたな。俺はある程度ここを片付けたら宿へ向かう。モタモタしてたら助けられるもんも助けられねえ。やれるな」
「ああ、やれる。助かった、ありがとうカミーユ」
 強い光を帯びた瞳でまっすぐに魔物を捉え、はっきりとそう答える。そんな優人にカミーユも少なからず驚いていた。やれるだけやってみる、だとか、頑張る、だとか、今までの優人の言葉とは違う。
 僅かな時間ではあるが、カミーユの回復のお陰でふらついていた足元もしっかりとしてきた。力を込めて立ち上がった足はそのまま魔物を食い止めてくれていたシンシアの元へ駆ける。
「……っと、俺もキッチリ働かないとな」
 一瞬優人の姿をぼうっと見つめてしまったカミーユもすぐに我に返り、これまで戦っていた民たちのケアと周囲の被害確認を急いだ。


 その後の優人も鬼気迫る勢いで次々と魔物を封印していった。東側の対応が終われば、エリーが守ってくれていた西側へとまた走る。
 幸い、西側への侵攻は一度離れたときより増えていたということもなく、被害も僅かな怪我人を出したのみとなった。町の東側は不意打ちを喰らったこともありひどい怪我を負った者、半壊した家々も何軒かあった。
 一夜にしてジュジの町は、訪れたときのような穏やさを失い姿を変えてしまったものの、またいつものように静かな砂漠の夜を取り戻したのだった。

 夜も深まり、既に夜明けも近くなった頃、ようやく全てを終えた優人が宿へと戻ることができた。
「……!救世主様!」
 小さなエリーに支えられてやっとのことで歩いているその姿は、汗や血で汚れ、体に染み込み抜け出なくなった悪意に塗れ、目は虚ろでまさに満身創痍と呼べる状態だった。
「……っ!」
 その姿に、その場にいた全ての人が息を呑んだ。しかし騒ついたその中で、すぐに立ち上がり、今にも倒れそうな体を支えに行った人がいた。アイシャだった。自身もずっと怪我人の対処に追われてクタクタだというのに、彼女は汚れるのも厭わず優人の体を支えた。
「おかえりなさい。……本当に、ありがとう」
「アイシャさん……」
 震える声の理由は、今はまだわからない。けれど、その「おかえり」の一言を聞いてすっかり体の緊張が解けてしまった優人は、そのまま瞼を落として眠りについたのだった。
 今夜の眠りは、いつになく深く、長くなりそうだった。
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