ローズゼラニウムの箱庭で

riiko

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第九章 運命の二人

195、番解除 1

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 あごを触って、首まで手を伸ばしてから、うなじに触る。この順番、そうこれは神聖な儀式の始まり。

「んっあっ、もっと、いつもみたいに唾液流して、飲ませてっ」

 勇吾さんの始まりの儀式、ここから俺が勇吾さんの唾液を飲み込むのが、いつもの二人だけの始まりの合図。あれ、キスが離れていく、俺は貪りつくも一向に唾をくれない。

「ゆうごさん? いつもみたいに飲ませて?」

 そういった瞬間、がばっと両腕を掴まれて力を入れられた。つむっていた目を思わず開けると、目を見開いている桜がいた。

 しまった!

 この一連の流れは、勇吾さんと俺のセックスの始まりそのものだったから、まさか桜がそれをしたとは思わなくて、条件反射で思わず勇吾さんとのコトだと思っていた。

「あっ、あっ、ごめんなさいっ、俺っ……寝ぼけた」

 上に桜がいる姿勢で固まったまま、すぐさま謝ったけど、その顔は狂気に満ちていた。久しぶりにこの表情を見て身震いした。

「寝ぼけた時こそ、本音がでるんじゃないか? お前はまだ岩峰を」

 失望に似た、その声音。

「ごめんなさいっ、もう言わないっ」

 泣きながら謝るも怒った顔は変わらない。そして腕は解かれ桜は部屋を出ていった。

 どうしよう、でも寝ぼけた時のことを責められても、どうしようもない。これで勇吾さんへ何か仕向けなければいいんだけど、無意識とはいえ、言ってしまった言葉は取り消されないだろう。

 あんなに拒絶されたのは、初めての経験だった。今までずっと追われ続けていたから、知らなかった、拒絶がこんなに苦しいなんて。

 それから桜は帰ってこなくなった。

 時間になると一日三回食事を運びにくる人を見るだけ。俺が風呂に入るとベッドメイクも着替えも用意されている。

 俺の世話は相変わらず、見てもらえている。

 この部屋は二十四時間体制で見られているって、こないだの発情期の後に教えてもらった。だから、今も誰かが俺を監視しているのだろう。

 ここに来てからは、ほぼ毎晩抱かれていたから、こんなに桜の匂いが自分から消えるのは初めてだった。そして、それを不安に思う自分にも驚いた。あんなに憎んでいたけど、やっぱり好きなんだと思う。

 そして一週間くらい経った後、一人のオメガ男性を抱えて桜が帰ってきた。


 ◆◆◆

「その人……発情している、の?」

 玄関先で桜が抱きかかえている男性は、俺よりも年上に見えるとても綺麗な人だった。そしてその人はオメガ特有の甘い香りもする。何よりも目がとろんとして桜にもたれかかって甘えていた。吐息も色っぽくて、誰が見てもオメガの発情にしか見えない。

「ああ、俺の恋人だ」
「こ……いびと?」

 恋人ってなんだけっけ?

 俺は、つがいで妻。

 じゃあこの人は? 愛人ってことか、アルファだから愛人を作るのは当たり前なんだ、なんで自分にだけそんな状況がこないなんて思っていたんだろう。俺と離れていた時期もあったし、桜の精力だったら、俺と離れていた間の半年間に相手がいないなんてわけがなかった。

「今、こいつの発情期でしばらく寝室にこもるから、良太は入ってこないでね」

 さも当たり前のように、恋人の存在を明かし、そして二人の家に連れてくる。一体何が起きているんだろう、言葉がうまく出せなかった。そしたらもたれかかっているその男性が、桜にキスをした。俺は目の前の光景にショックを感じた。

「さ、くら、はやく抱いて」

 くちゅくちゅっと、俺の前で二人は唾液を絡めたキスをしている。俺は、苦しくてたまらない、ここに居てはいけないんだと察して、そのまま家を出ようとドアに手をかけると、桜に手を握られた。

「どこへいく? お前は俺の妻だ。勝手に出ていったら世間体が悪いだろう」
「えっ、でも二人で、その、発情期を過ごすんでしょ? 俺がいたら迷惑だし」

 キスが強制的に終わったことに不満げな青年は、桜の首に腕を絡めて首の匂いをくんくんと嗅いでいた。俺もよくやる、発情期特有のオメガの行動だ。

 桜はその人の髪を撫でて、耳元で何か囁いてなだめている、青年は魅惑な微笑みとともに、耳元で好きだと言った、その言葉が聞こえてきて、俺の血液がさーっと、一瞬にして下へ下がったような感覚になった。青年に夢中な桜はそんな俺の変化に気が付かず、話を続けた。

「俺はこいつをつがいにしようと思っているんだが、どう思う?」

 俺は今、何を聞かれた?

「どう思うって……」

 なに? この状況。

 この青年は愛人ではなくて、本気で愛している人? つがいにする、だって?

「このまま俺がこいつをつがいにしてもいいかどうか良太の考えが知りたい、答えて。必ず良太の言う通りにするから。お前は今まで桐生、岩峰、俺に流され続けていただろう、最後くらい流されないでお前が決断しろ。つがいにした時は俺が決めた、つがい解除はお前の意思を尊重する」
「えっ」

 頭が、思考が追いつかない。

「一生俺のつがいでいるなら、こいつは捨てる。お前が解除したいというならこいつをつがいにする」

 俺は、どうしたい?

 出会った頃からつがい解除をお願いしてきた。そして今その願いが叶う。でも俺は桜を愛している。だが、桜は? 恋人がいて発情期を過ごしたいという桜は? こんな壊れた人形みたいな俺じゃきっとこの先も辛いだろう、寝言で他の男の名前を言う卑しいオメガだ。

 この人なら、桜を幸せにしてくれる?

「桜は、その人が 好き、なの?」
「それはお前には関係ない、もちろんお前のことは愛している。お前が妻だ、お前を尊重する、答えを間違えないで」

 桜に抱き抱えられて、ずっとしがみついている青年は……震えている?

 発情期に、好きな桜に噛んでもらえる。でも俺の答え次第では捨てられる。

 そんな人生の決断を、全く知らない俺に託されている。愛しい人のつがいだということだけでも悔しいだろうに、彼の、いやオメガの今後を左右する大きな決断を人任せだなんて。

 アルファの命令は絶対だからそれに従うんだろう、可哀想に運命の決断を震えながら待っているんだ。

 俺にはそれほどの価値があるのか? もう桐生でもない、そして、なんの財力も地位もない。十歳で両親を失ったただの貧しいオメガ。この人の方がよっぽど桜を幸せにしてくれるんじゃないだろうか。

「……わかった、その人とつがいになって」

 俺はあえて笑顔で言った。

 桜の幸せを願ってそう言ったんだ、でも桜はなんでこんな表情するのだろう、これから幸せになる人の顔を曇らせた。俺はその顔をさせたことに少し心が震えた。桜は俺のことを思ってくれているんだと感じることができた、でも涙は流さなかった。最後まで可愛げのないオメガ。

「それで、いいの? こいつをつがいにするということは、お前はつがい解除になる、よく考えた?」

 自分から俺に答えを求めたのに、俺にまた問う。どうして二度も自分の口から辛いことを言わなければいけないんだ。俺はもう、声を出すのが難しくて、ただ、頷いた。

「わかった。世間的に離婚はまだできないから、このままここで過ごして、今後のことはこいつの発情期が終わったら話すから」

 そう言って二人は寝室へとこもっていった。

 俺はそこで初めてその場に座り込んだ。今までよく立っていられたと思う。玄関に座り込み涙が溢れた。なんの涙だろう、なんの感情だろう、俺はここで、何を思う。

 やっと人生の終わりを掴んだ嬉しさ?

 母さんと同じ道をたどった悔しさ?

 桜を失った悲しみ?

 つがい解除という終止符に、俺は何を思うのか、自分でもその答えを探せずにいた。
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