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第六章 本心
118、本当の気持ち 5
しおりを挟む俺に気づいたジジイは話を始めた。
「薬の開発にはそれなりの治験が必要だ。ここでは、金で雇われたアルファとオメガが性行為をしている。人体実験無しに、安全な薬はできない」
俺と勇吾さんは部屋の入り口で、世間話をしているかの様な、安定した口調で話している老人をただ突っ立って見ているだけだった。
――コノヒトは何を淡々と話している?――
「望んでいるかはわからないが、皆、自分の仕事を理解してここにいる。中には親や番に売られて来た子もいるだろうが、生きるには金も場所も必要だ。人は時に金で自尊心も売る。君や絢香がいかに恵まれた環境に居るのか、わかるか?」
淡々と話していたジジイは、俺にやっと目線を合わせた。話した内容は至極真っ当なコトだと思った。俺は保護された身でありながら、それを裏切った。
ここまでで消耗しすぎた頭はもう抵抗する気力なんて出てこなかった。俺は乾く喉をひっつかせて、言葉を懸命に選びながら声を発した。
「……ここにいる人達は、俺の本来のあるべき姿」
聞きたい返答ではなかったのだろう。はぁ、とため息をついたジジイは目線を外してまた問いかけてきた。
「で、岩峰君に連れてこられたなら、良太は儂とまだ関係を持つつもりか? 自分にできることが何なのか、考えたか?」
何か考える時間なんかない、何が正解なのか。
「勝手な行動をして、申し訳ありませんでした。守られていたのに、僕はいい気になっていました。僕は、ここでその協力をすれば許してもらえますか? 番とももう会わないし、お爺様や勇吾さんの前から消えます。一生人体実験でもなんでもするので、絢香と華だけは、このまま保護を続けてもらえませんかっ」
俺の肩を支えていた、勇吾さんの手に力が入った。
「良太君……」
「そんな答えは求めてない。お前みたいなオメガ、見てわかる通りここには山ほどいる。セックスするだけならなんの役にも立たない。だから、儂の孫にしか務まらない仕事を与えたはずだった。それにお前よりも、一生番解除されない稀なオメガの方がここでは役に立つ。さて? お前はいったい何ができる?」
稀なオメガって絢香? 俺の失敗で絢香の未来が。
もう立っていられなくなって、その場に崩れ落ちた。そして地面に頭をついてジジイに縋った。
「お願いです! 絢香には手を出さないでっ! 僕ならなんでもいいから、セックスがだめなら、臓器でもなんでも使ってください。死んでもいいから……桐生である僕が必要なら、どんなアルファのもとへでも、性奴隷でも、従います。あなたの言うことなんでも聞きます、だからっ」
ジジイはふと笑った。きっと俺が服従するのを待っていたのだろう。そうなるのが分かっていたみたいに、自然に、ジジイのストーリーの結末が言い渡された。
「なら、このまま番に愛されて同じ生活を続けなさい。そしたら全て今まで通りだ」
「えっ?」
俺は顔を上げてジジイを見た。
「今のまま番を愛しなさい、ただし上條が卒業するその日までだ。お前の心は彼のモノ、お前に求めるのはこれだけだ。ただただ、好きだという本心だけをぶつけ愛されたまま、彼の卒業とともに別れ、一切の愛情を捨てて岩峰君を受け入れなさい。それが守れるのなら、絢香の未来も約束しよう」
これがジジイの最終的な目的…なのか? 別れるまで芝居をうって、最終的にただ先輩を傷つけろ、そんな風に聞こえる。彼はすでに俺を愛しているし、俺も今回初めて同じ気持ちになった。それにそんなことを続けるのは、勇吾さんへの裏切り行為だ。
最初から番であるアルファを捨てるのが決まっているなら、なぜこんな周りくどいやり方をするんだろう。
でも俺に選択権はない。問いかけることもできない。だから先輩への好きという気持ちはそのままであの日常に戻る、それが絢香を生かす方法。
「わかりました。お爺様の指示通りの生活をして、今後は失望させない様に努めます。チャンスをいただき、ありがとうございます」
「断じて儂を裏切るな。裏切った時点で、お前も絢香もそして華も、死ぬまで此処を出られないと覚悟しなさい、二度は無いと思え」
一つ涙を流して、俺は感情を殺した声でジジイの言葉に頷いた。
「それから、気付いたかもしれないが、お前には十歳の頃からずっと藤堂をつけていた。あのアルファと籠っていたのも、最初から知っている。お前は何をしても、どこへ行っても儂の管理下からは逃れられない。よく覚えているといい」
ここで俺はやっと解放された。
その後、勇吾さんとは会話もせず、そのまま俺だけ藤堂さんの車に乗せられて、先輩のマンションへと向かった。
車の中で一人になり、手が震えだした。ここには俺の震えた手を握ってくれる番も、未だ婚約者だと言う勇吾さんもいない。
藤堂さんは運転しながらも気配はほぼ消してくれるので、一人になったと実感した瞬間だった。そうなると思考はどんどんと巡らされ、先ほどまでのオメガ達の性行為の光景が頭に浮かんできて、気持ちが悪くなった。
――あんな獣染みた行為が、俺の行き着く先だなんて――
「藤堂さん、そこの公園で降ろしてください。トイレに行きたいです。ちょっと我慢できそうになくて」
「わかりました。もし限界なら、そこの袋にもどしても構いませんよ」
俺が吐きそうだと分かったのだろう。なんとか我慢をして、停車すると同時にすぐにトイレに駆け込み嘔吐した。もうほんとに限界だ。このまま意識を失いたいけど、嘔吐して倒れたなんてジジイに知られたくない。吐き出すだけ吐いてから、口を濯いで顔も洗った。
――桜、助けて……――
鏡に映る自分を見て、なんて弱いのだろうと思う。そしてそんな時に真っ先に思い浮かぶのが愛おしい番だった。
しかしすぐに思い直した。
ダメだ、俺はまだ弱気になっちゃダメだ。俺はただのオメガじゃない、絢香を守る一人の男だ。このまま番にすがって生きていく人生なんか、もう一生こないのだから強くならなくちゃ。
そう一人、暗示をかけてからトイレを出ると、そこには藤堂さんが立っていて、冷たいペットボトルの水と、タオルを渡してきた。
「どうぞ」
「すいません、ありがとうございます」
この人にだって弱みを見せたくなくて、気丈に振る舞い顔を拭き、水を思いっきり飲んだ。
「ここからはもう歩けるので、大丈夫です。今日はいろいろありがとうございました」
これ以上一緒にいて、万が一にも先輩が早く帰ってきて見られたらこの状況を今の俺には説明ができない。
「私はあなたの専属護衛ですので家までお送りします。上條ならまだ会社にいるので大丈夫です 」
俺の専属? さっきジジイが言っていた、十歳の頃から俺を監視していたと。護衛だったのか。全く感知できなかった。これまでも何度か見たことあったのは、ジジイと会う時必ずいたからであって、まさか俺の専属護衛だとは思わなかった。
それにしてもなんで? 先輩がまだ会社にいることまで知っているの? だって先輩が会社に行くなんて、今朝突然決まったのに。俺が不審がっていたらそれに気づいたようだった。
「あなた付きの護衛は私だけではありません。あなたを守るために、上條の行動も常に追っています」
俺付きの護衛が他にもいる? そんな規模で今まで俺は過ごしていたのか、本当に自分は知らないことばかりだった。
もう少し伝えておきたいこともあるので、車へ戻りましょうと言われた。それに従って車に戻ると、藤堂さんから衝撃的な内容を伝えられた。
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