ローズゼラニウムの箱庭で

プロローグ

1、〜はじまりの日〜

「良太りょうた、今日からは一緒に暮らせないけど、良太が卒業して寮を出たら籍を入れて一緒に暮らすからね。それまでいい子にしているんだよ。卒業まで一年間は毎日電話すること、そして週末は必ず泊まりにくる。わかった？」

　桜さくらは優しく良太を胸に抱きしめながら、愛おしげに耳元で話した。そして腕を掴み少し引き離すと目の前から顔を覗き込み、しっかりと良太の目を見つめて。

「必ずだよ、お願いだ。約束して？」

　少し時間を置いて「はい……」良太は微笑みながらそう返事をした。

　桜はそんな良太の返答に満足したのか、返事を聞いたと同時に良太の唇にチュっと軽くキスをした。良太はビクっとしながらも、すぐさま目を閉じてそれに応じると、桜は了解を得たと貪むさぼるように唇、それから口内をくまなく堪能した。

　濃厚な時間が終わると、良太は少し息を切らして顔を赤くしながら俯いてしまった。何度しても恥ずかしくて慣れない、そんな態度に桜の欲はどんどん膨れていくのだった。

「良太……煽らないでくれ、離れたくなくなる。そんな可愛い顔は誰にも見せてはダメだよ、わかってる？」

　良太は赤い顔を上げて、桜に向かって少し困ったように伝える。

「可愛いなんて……そんなこというの、先輩だけです。僕なんて、真面目な優等生で面白みのない人間って思われていますよ？　だから安心してください」

　良太がそう言っているさなか、桜は良太をソファへ座らせて話に耳を傾けながらも大事そうに髪を触れる。良太は番つがいに触られる喜びを噛み締めながら、話を続けた。

「あの、貴重な先輩の高校生活を僕で終わらせてしまって申し訳ないと思っています。僕が……その、先輩を発情期で誘惑しちゃったから……。だから大学に行って好きな人ができたら、僕を忘れてくれても構いません。この二年間とても大切にしてもらえたから、僕はそれだけで満足で……んっんん……」

　言い切る前に言葉ごと桜は自分の唇で塞ぎ、良太の続く言葉を発することは許さなかった。

「あっ……ん…はぁっ、先輩っ、あっ」

　桜は形のいい良太の唇を乱暴に貪むさぼり、息継ぎさえ許さないキスを与えた。良太が飲み込めなかった唾液は、音を立てて吸いながらソファへと押し倒し、そのまま服の中に手を入れ片手は良太の敏感な場所を撫で回し始めた。

　前日に散々抱き潰された体はすぐさま快感を拾い集め、桜にされるがまま体を許した。

「あッ、んっ、もうっ、だめっ」
「良太、かわいい、愛している。忘れないで」

　コトが済んでしばらくすると桜は部屋から、いや学園から出ていった。抱き潰された良太は動くことができず、見送りはしなくていいと言われたので、いつの間にか移動していたベッドに寝たままの状態で桜を見送った。

　桜が出て行ったのを確認した良太は、少しぼぅっとしていたが、だんだんと笑いがこみ上げてきた。

「ふふ、あは　ははっ、先輩……さようなら」

――やっとだ、やっと解放される――

　この二年いろいろあったけど、一応、従順な恋人を演じてきた。発情をコントロールしていたにもかかわらず、アルファと同じ部屋にいたせいか、まさかの発情期を迎えてしまい、その場に最もいてはいけない相手と発情のままに番つがってしまった。

　その相手が、先程の上條桜かみじょうさくらである。

――可哀想なアルファ、本能に逆らえない哀れな人種、こんな出来損ないのオメガを番つがいにしちゃうなんて――

　そう心の中で思った良太は、動かない体をベッドに預け一人で笑い始めた。

　その痛みさえもが、解放された喜びへと変わっていく。

――さようなら――


　◆◆◆

　それから数日後、本来の婚約者が学園に迎えに来た。

　先輩はこれから連絡のつかなくなる俺をどう思うかな。捨てられたとか思う？　アルファは自分一番主義だから、俺が拐われたとかかな。まさか自分がフラれるとは思ってないだろう。こんなオメガに囚われて、この二年無駄なことをしてきて本当に可哀想な人だった。

　目の前の婚約者には上の空で、ずっと番つがいのことを考えてしまう。こんなんじゃだめだ、そう思って婚約者に向き合った途端、一気に今までの感情が押し寄せてきた。優しい婚約者は無言の俺をそっと車に乗せて、俺たちの住む場所へ向かった。

「ふっ、うっ、今までごめんねっ。俺が役に立てることは少ないけど、これからはがんばるね。こんな俺を待っていてくれてありがとう」

　家に着くと、少しだけ肩の荷が下りたような安心感と張り詰めていた数年間のことを思い、気が緩んでしまった。泣き出して隣に立つ優しい人に抱きついた。

「君さえいてくれればいいんだ、とても嬉しいよ。さあ家へ入ろう、これからは君の家にもなるんだから、お帰り」
「うん、ただいま……」

　婚約者は俺の二年間には少なすぎる荷物を軽々持って、家の中へと入る。これからは、ここが我が家になるのかという感情が込み上げてきた。

　先輩の前とまるで違う態度の自分、もうあの従順で可愛い後輩の俺はいない。ここでは、この人の前では遠慮なんかしない対等な自分が出せる。よくここまで演技し続けたなと思う、もちろんこっちが本当の俺。

　俺の悲しい十七年は番つがいとの別れで終わりを遂げられ、そして新たに始まる。
 
　これからはこの優しい空間で、混じり気のない俺だけの香りに包まれた場所を手に入れたんだ。今度こそ幸せを掴んでみせる。

　俺の人生は生まれた時からアルファの脅威にさらされてきたが、それももう終わり。今日からはこの人のもとで、この優しい箱庭で幸せになる。

　そう思い、また一筋の涙を流した。それはよく晴れた、春の始まりだった。


　　～ローズゼラニウムの箱庭で～