王太子専属閨係の見る夢は

riiko

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第四章 婚約者

65、逃げた心

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 朝早くから乗り込んだ馬車は、途中までは順調に進んでいた。それなのに、いきなり足を止めた。窓から外を見ると、前方には馬車が数台立ち往生していて通行を妨げられた。サッチーが異変に気が付き、御者に話しかけた。

「いったい何事だ?」
「すいません、この先のサフィール領に入るのに、騎士団による検問が始まったみたいです」
「検問? 珍しいね」

 サッチーが聞くと、そんな答えが返ってきた。サッチーも前方を見てから、俺に伝えた。

「馬車をひとつひとつ見ているみたいだぞ、これは時間がかかるな。昨夜は時間がなかったが、今なら少し余裕がある。この時間を有効活用して、俺達は愛でも確かめ合うか?」
「なんだ、それ。確かめる愛はないだろう。サッチーがいくらヤリチンだろうとも馬車はやめとけ。俺は未経験だから、初体験で馬車は遠慮願いたい」

 サッチーが驚いた顔をした。

「えっ、だって愛人にさせられるほど愛されていたんだろう。シンはその容姿で処女なのか?」
「容姿関係あるか? 知らないけど、最後まではされていないんだよ。何を考えている男なのか全く分からなかった」
「よっぽど大事にされていたんだな、俺なら馬車でするのに。さすがにそんな話を聞いたら暇つぶしに抱くわけにいかないな」
「配慮があって、助かるわ」

 何が悲しくて、俺は処女だとサッチーに言わなければならんのだろう。サッチーはそんな俺に興味が出てきたらしく、近寄ってきた。

「な、なんだよ、近いよ」
「そりゃそうだろう、未来の旦那様なんだから。シン、そいつとキスはしたか?」
「あ? ああしたよ」
「よし、じゃあキスしよう」
「ええ!?」

 いきなりサッチーがそんなことを言うから、まじで驚いてしまった。

「そんなにビビることないだろう、俺達結婚するんだから、キスくらいするだろ。処女だから、ヤルのはシンがその気になってからでもいいけど、キスくらいしてもいいだろう」
「う、まあ、そうだな。俺達は結婚するんだしな。キスくらいは……」

 そう言ったものの、したくない。完全にしたくない。サッチーはキスの許可待ちを楽しそうにしていた。待っている顔を見ても、ただの男だと思うだけでキスしたいとも思えない。

「どうした? シン、ほら、キスしようよ」
「う、そうだよな、キス、するべきだよな……」
「もしかしてキスもできない? それだと俺達結婚は難しいんじゃないか? 誓いのキスをしない夫婦なんて怪しいだけだぞ」
「そ、そんなことない。キスくらいできる!」

 結婚できないと言われたら困る。俺はやっとディーから離れる決意をしたのに、キスひとつで結婚を約束してくれるのなら、それならしなければならない。

「じゃあ、ほら、俺が待っていてやるから、シンからキスしてよ」
「ああ、ああ、してやるよ! 待ってろ!」

 そうは言うものの、言葉だけは勢いがつくが、行動に移す勇気が出てこなかった。目をつむって俺が動くのを待ってくれるサッチーだが、どうしてもこの男にキスをするのが嫌だった。普通に見たらレイと同じくらいにかっこいい男だと思う。モテるみたいだし? だけどこの唇はディーの唇と全然違う、どうしてもディーの面影を探してしまう。

 俺が動かずにいるとサッチーの瞳が開いた。

「ねえ、これがシンの答えじゃない? そんなにその男がいいなら、愛人でもいいから一緒にいたほうがいいんじゃないの」
「ええっ!」
「俺は結婚したら責任は果たすつもりだよ、遊ぶとしても本命を作るつもりはない。一応嫁であるシンが本命だ。だけどシンの好きな男は本命が別にいて、シンは愛人なんだろう。そんな誠意のない男なのに、お前は誠意のある俺とキスするよりもそっちの男とキスしたいんだよ。それが答えだ、シンは好きでもないやつとキスはできない、でも好きな男に本命がいてもキスができる。俺はどちらが正しいとか言うつもりはないけれど、愛人でも愛されているならそれがシンの幸せなんじゃないか?」
「……愛人なのに?」
「そんなどうしようもない男でも、シンは愛しているんだよ。家の事情で本妻を取らなくちゃいけない人だったら、愛人の方が優遇される可能性もあるしさ、世間の考えよりも、シンの心のほうが大切じゃない? 二股をかけるような俺が言っても説得力ないかもしれないけどさ」
「サッチー……」

 さすがレイの友達だ、二股をかけて女の子を怒らすようなゲスかもしれないけれども、無理強いはしないし、真理をついていた。俺の心を俺以上に理解し、言葉にした。呆然とする俺に笑いかけて、サッチーはまた向かいの席に座り直した。

「おっ、馬車が動き出したぞ」
「あ、ああ」
「シン、引き返すなら今だ。俺はすぐに嫁が必要なわけじゃない。シンが嫁として俺のそばに居られないと思うなら、ここで王都に帰ったほうがいい」
「でも……」
「いいじゃん、愛人! この際思いっきり贅沢させてもらいなよ。子供を作ってからでもそいつから逃げるのは遅くないだろう。そしたら俺が娶ってやるよ。これからの人生、好きな人の子供を産むべきだと俺は思うな」

 サッチーは俺が思うよりも断然大人で、さすがレイの友達だ。愛人として生きていけとは、レイは言わないだろうけれど、サッチーは愛人でも間違っていないと言ってくれた。俺はいまだにどうしていいか決められない。

 サッチーが俺の頭をなでた。

「シン、今まで辛かったな。もういいから、今は心を休ませるために、俺の友人としてうちに遊びに来い。そこで今後のことをゆっくり考えればいいさ。いつでも引き返せるよ」
「ごめん、俺、サッチーに失礼な提案した。俺自身が彼じゃなくちゃだめなのに、サッチーを利用して彼と離れようとした。彼と一緒にいられないのは、日陰の存在になるのが嫌なんじゃなくて、本妻に嫉妬して狂う俺を見られたくない、ただの強がりなんだ」
「ああ」
「俺は、彼に失望されたくない。俺ばかりが好きでいるのが辛くなって、逃げただけなんだ」
「そうだな」

 サッチーは俺を抱きしめた。これは多分友情の抱擁、そう思うと先程のキスの件で彼を気持ち悪いと思った心は、今はなかった。抱きしめられると俺を肯定してもらっているような気がして、安心して彼の胸で泣いた。

「シン、もういいから。今は何も考えず休むときだ」
「サッチー、うっ、うう」

 俺は弱い、とても弱い。強がって、王都に来て、領地のため、家族のため、そう思って閨係も受け入れたのに、それなのに、ただディーを好きになっただけで、何も持って帰ることはできずにサッチーを頼って逃げた。

 サッチーはそれでもいいと抱きしめてくれた。

 本当は、ただ誰かに認めてほしかっただけなのかもしれない。こんな人の道を外れてしまった俺を、それでも間違っていないよって言ってもらいたかっただけなのかもしれない。
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