運命の番は姉の婚約者

riiko

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第四章 揺れる心

50 運命

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「今の話……聞いてた?」

 姉がドアのところで立ちすくんでいる俺を見た。そしてすべて察したような、蒼白な顔をした。その向こうに、俺の運命の男が見えた。

「爽……どうしてつがいのいない状態で、俺の前に現れたんだ!」

 加賀美は初めて対面した俺を、蔑んだ目で見ていた。姉が言ったことは間違えている。好きではなく、恨まれているらしい。

 すると、俺の体が異変を起こした。体中からフェロモンが出てきている?

 どうして? どうして!

 妊娠したのに、まだフェロモンが出るの? オメガは不安になるとフェロモンコントロールができなくなると言うけれど、でも、妊娠していたら別。それなのに、俺の体は……俺は隆二に愛されていない? だから発情期に交わっても妊娠すらしないってこと? 

 俺は、俺は。

 ドアの前で全ての話を聞いていたので、もう嘘はつけないと思った。今の加賀美の言葉から、俺が加賀美のことを運命だと知っていたとばれている。妊娠したから運命に会っても大丈夫なんて、そんなことすら意味がないことなの? 運命は何がなんでも拒めないものなのだろうか。

「ご、ごめんなさいっ、俺、妊娠したから大丈夫だって、そう思って……」
「くそっ! ここまで耐えてきたのに、なんで今なんだ!」

 涙が出てきた。

 運命の男は俺の発情を迷惑行為として、不快感を表していた。運命にそんな風に言われて……そして、彼の香りに惹かれる自分にも本当に嫌気がさす。彼も俺と同じで、運命に気が付いていた。そして、姉の前で抗っていたんだ。彼のその顔を見てやっとそこに気が付いた。

 どうして自分だけが、運命に耐えていたなんて浅はかなことを考えていたのだろう。普通に考えて、恋人と会っている時に同居している弟がいることから、運命の相手が誰かだなんて、俺以上に想像ができていたこと。それでも彼は抗っていた。

 彼も抗って、俺も抗っていた。

 お互いが運命に気が付かないふりをしていた。お互いにたったひとりの大切な相手を想って……それが加賀美にとって俺の姉で、俺にとっては隆二だった。

 彼は姉を、ベータの姉を愛していて、それで姉を愛するために策略をした。俺は俺で、隆二と向き合うために運命を確かめに行った。俺たちは自分だけのことを考えて、運命の相手のことをお互いに何も考えていなかった。似た者同士だと思った。そう思うと、彼がどんな策略を張り巡らせていて、俺を陥れようとしていたとしても、憎めなかった。自分の愛の為に取った行動なら、俺にだって痛いほどわかるから。

「とにかく、うっ!」
「え、響也!」

 加賀美が言葉を発しようとした瞬間、苦しそうに、その場にうずくまった。きっと俺の……運命のオメガのフェロモンを感じたのだろう。姉が加賀美を支える。すべてがスローモーション、古いテレビでも見ているかのような感覚。

 そして俺は、やはり発情した。

「え、爽、爽!」

 俺が赤い顔して息を切らして姿を見て、婚約者を放置し俺に近寄った姉。婚約者に触った手で俺に触れると、むしろそれは逆効果で、息がどんどんと上がっていくだけだった。

「ごめんっ、ねぇちゃん……」

 俺はその場でうずくまった。もう止められない、それに俺の香りは確実に運命に届いている。彼も胸を押さえてうずくまっている。

 その異様な光景に、姉は固まる。すべてはもう遅かった。

「どうして、どうしてお前はまだ榊のつがいになっていないんだ!」
「え、どうしてあなたがっ、はぁっ、りゅ、隆二を……」

 姉が苦い顔をして、俺を抱えていた腕に力を込めた。

「爽、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「え? 姉ちゃん?」

 そこで、俺のポケットから姉が緊急抑制剤を取り出した。

「とにかく、爽は発情しているから、これを打つわ」
「だ、だ、め。俺のお腹の子に、影響が」

 運命に会うと、妊娠していても関係ないのかもしれない。運命とはそれほどのフェロモンなのかもしれない。妊娠していないなんて、やはり思いたくなかった。俺は、心から隆二を受け入れていたのは事実だから。だから発情期に妊娠しないわけがないし、それに隆二が策略で近づいたにしても、俺はそれでもいい。

 いとおしい男の遺伝子を流したくなくて必死だった。

「でも、妊娠していたら、発情なんてしないのよ! あなたは榊さんに騙されてるの!」
「え? でも」

 隆二の名前を聞いた途端、震えた。姉は騙されていると言った。いったい姉は隆二の何を知っていて、そんなことを言うのだろうか。でも、そんなことはもうどうだっていい。今発情しているのは、運命の力なのに、俺の心はいつも抱いてくれる優しい男を求めた。たとえ嘘でもいい。騙されていてもいい。俺が隆二を求めているなら、隆二がどういうつもりで俺を抱いてきたのかは、もう気にしない。

 俺と姉が話している間に、自分に緊急抑制剤を打った姉の婚約者が息を荒く声を荒立てた。

「くそっ、運命を前じゃ、こんなの効かないっ、くそっ、爽、抱かせろ! もう俺の体も限界なんだ」
「え? 響也、なに、言って……」

 姉が焦った声を出す。俺は意識が朦朧とする中、運命が抱かせろと言う。その声にまた体がうずいた。だめだ、だめだ、こんな罪深いことをしてはだめだ。だめだ。だめ、だめ。助けてっ、隆二!

「響也、あなたに爽は渡さないわ!」
「どけ!」

 姉は俺を抱きしめて、守ってくれている。自分の婚約者から、弟を守るって、結局俺は姉に辛い思いをさせている。

 ああ、ついに、はじまる。俺の罪深い断罪が。体はもう拒絶できない、心は隆二を求めていた。ああ俺は素直に、こないだの発情期につがいになっていればよかった。

 この男のつがいにされる。もう運命はそう決まっている。きっと姉の前で、よがり狂って、男を求めてうなじを差し出す。そんな恐怖の時間しか来ないことを俺は知っている。

 どうして、子供にこだわったのだろう。どうして、心は隆二を求めているのに、抗おうとしていたのだろう。彼が、好き。このフェロモンに囲まれても、やはり俺の好きな人は隆二だって、そうわかった。

 でも、もう遅い。

 ラットを起こしたアルファを止められるのは、緊急抑制剤だけ。それも聞かないなら、オメガと性交するしかない。そして、この部屋にいるオメガは俺だけ。

「響也、来ないで! この子は私の弟よ」
「ちがう、俺のオメガだ。麗香、すまない。お前を愛しているけど、運命の前ではどうにもならない」
「え、何言って」

 姉が恐怖に震えている。

「麗香、お前が悪い。俺と爽を引き寄せたのはお前だ。俺たちは散々合わないようにお互いに動いていた。それなのに、お前が俺たちの努力を無駄にした」
「や、やめてっ、お願い」

 姉が加賀美に縋りつく。俺は発情した状態でそれを見ていた。

「いまさら自分のオメガを他の奴にやれるほど、俺はアルファを捨てられなかったようだ。俺は、爽と対面するまでは耐えられると思ったんだ。だから、親友に、俺の運命をつがいにしてくれと頼んだ」

 俺は意識が朦朧とする中、その言葉に反応した。親友に、運命をつがいにしろと頼んだって。それって。

「親友って……」

 俺の言葉を拾った加賀美が俺を見た。欲望にぎらついた瞳に一瞬体が固まった。そして姉もすべてを知っているようで、涙しながら加賀美に縋っていた。

「榊……隆二だ」
「そ、んな」
「お前が俺の運命だと知ったとき、お前のことを榊に頼んだ。だから、すんなり就職できただろう?」

 え? 運命を知ったときっていつ? それに就職って……たしかに高卒ですぐに入社したのは隆二の家の会社。隆二と出会う前の入社の時点で、俺はすでに加賀美に知られていた? もしかして姉にも? それよりなにより、隆二は、俺が就職する前から、加賀美の運命だと知っていて近づいた? ただ恋に落ちたとかじゃなくて、目的があって、俺に。

「まさか、そんな前から、隆二は、俺、のこと……」

 息を切らしながら答えると、加賀美は俺の方に歩いてくる。

「俺と榊と相原、三人でお前のことを話し合った。お前は俺の筋書きどおりに、榊と出会い、付き合いを始めたんだ。それを、すぐにつがいになればいいものを!」

 え、相原さんも……? 

 俺の思考はもうすでに止まっていた。姉が震えながら必死に俺を抱きしめて守ろうとしてくれている。俺はいったい今まで何をしてきたのだろう。姉を大切にするために始めたことなのに、その姉が今俺を守りながら泣いている。俺はいったい何を……!

 今までのすべてがもう馬鹿らしくなった。

「いやぁ、やめて! 来ないで響也ぁ!」

 姉の声が部屋に鳴り響く、俺は絶望と発情のはざまにいた。



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