運命の番は姉の婚約者

第二章 男を誘う

21 動き出す

　
　週末、ひとりで以前同僚に連れていってもらったバーに来た。

　一週間の仕事を終えて、少し疲れ切っていたけれど、もう休んでいられない。とにかくすぐにでも妊娠したい。早く安心して、姉の結婚式を待ちたい。

　待っているだけの男じゃない！　そう思って、近くで飲んでいる男に声を掛けた。少し野暮ったそうなおじさんだったけれど、それくらいの男の方がもしかしたらすぐに引っかかってくれるかもしれない。

「あの、おひとりですか？」
「え、ああ、そうだけど」
「良かったら、一緒にどうですか？」
「え、俺が、君と？」

　俺が、君と、とはどういう意味だろう。俺レベルでは、この野暮いおっさんすら捕まえられないとか？

「あ、ごめん。こんな若い子から声かけられると思っていなかったから、いいよ、飲もう」
「ありがとうございます」

　おお、これは好感触。

　そんな感じで隣に座り、相手は酒、俺はジュースを飲んでいた。一応、警戒はした。オメガの同僚から、トイレに行くなどで途中席を離れる時は、戻った時に残った飲み物を飲まないようにと言われた。席を離れた隙に飲み物に薬物を入れる男もたまにいるから気を付けろと。いったい、あの同僚はどんな世界で生きてきたのだろう。しかし、警戒心を持つのは悪くないし、むしろ自分はそれが少ないからいつも危ない目に合ってしまう。その助言はありがたく聞いた。

　注文した際も、他人任せに頼まずに、自分で注文して自分で飲み物を受け取る。そういう警戒をしつつ、おっさんと会話をしていた。しかし、楽しくない。ほんと、楽しくない。どうして俺は初対面のおっさんの仕事の愚痴を聞いているのだろうか。つまらない。早くホテルに……と思うも、どうにも、こうにも、この人ちょっと生理的に無理そうな気がしてきた。

　適当に話を切り上げて、違う男に行こうかな。

「ねぇ、君いくら？」
「え？」

　なんの前触れもなく、いきなりそんなことを聞かれた。話の綱がりも何もあったものじゃない。それに、俺はこのオッサンは範囲外認定してしまったので、そういう雰囲気にも持っていっていない。それなのになぜ、そういう下世話な話になるのだろうか。そもそも、人を金で買うって、どういうことだろう。

「いくらでヤラせてくれる？」
「……」

　また言ってきた。金なんて要らないし、ヤルのが目的だったけれど、この男の遺伝子は遠慮したい、それにやはり生理的にむり。

「俺、そういうのはちょっと……」
「やっぱりオメガはアルファがいいのかよ！　ベータだってオメガを孕ませてやれるんだ！」
「え、きもっ」
「キモイって、なんだコノヤロウ！　下等生物のくせに！」

　ヤバイ、オッサン酒が入ってなんだか怒りっぽくなってる。しかもオメガをバカにしてきた、もう無理だ。そこで、突然隣から誰かが声を掛けてきた。

「失礼、警察ですが、この子は事件に関わっているので、連行してもいいですか？」
「「え」」
「それとも、あなたもこの子の売春相手だろうか？」
「お前、やっぱりやってるんじゃねぇか！　ちがうっ、こいつが勝手に声かけてきただけで、俺は買ってない！　関係ないから失礼する！」

　驚く俺と焦るオッサン。そしてオッサンはすぐに逃げていった。残された相手は、あの時救ってくれたアルファ男性だった。

「あ、相原さん……なに、してるんですか」
「よう、爽。お前今から連行だ」
「え」
「お前、変なのに目付けられやすいんだな。今、いくらでできるとか言われてただろう。助けてやったんだ、ありがたく思え」

　呆れた声で、そう言葉を発する相原。優秀そうなアルファが、こんな底辺の場所に来ることに違和感があった。しかし、なぜ、ここに？　と聞けるような雰囲気でもなかった。

「ありがとう、ございます？」
「とにかく、こんな場所はお前の来る場所じゃないだろう」

　そして、文字通り相原に連行された。相原の車でどこかへ向かう。その道中、俺はお説教をされている。

「お前はどうして、こんなところにまた来てるんだよ、まじで」
「えっと、出会いを求めて？」
「だから俺が御影を紹介しただろう」
「だって、みかげさんのところは、俺なんかじゃ相手にならないようなスペックの高そうな大人ばかりだし」
「だからって、オメガを金で買うような男でいいのかよ？」
「それは……人選を間違えたと言いますか」
「とにかく、今日はお説教だ」
「……はい」

　そして、また来てしまった。バー御影に。

「いらっしゃい、あ、圭吾！」
「おお、こいつも連れてきた」

　バーの店主みかげが、夫を見て柔らかい笑顔を見せた。接客のときとまた違う雰囲気に少し驚いた。番つがい相手だとそういう顔になるのかと。そしてみかげは俺にも声を掛けてきた。

「良く来たね、こっちにおいで」
「すいません、お邪魔します」

　なんだか完全に保護者に連れてこられた子供のような立場だった。そしてカウンターに座るの男が目に入る。

「隆二……」

　そこに俺の初めてを捧げた男、隆二がいた。相変わらずのイケメンだった。よくこんな男と体を繋げることができたと、改めて不思議に思った。

　バー御影がやたらと似合う男。というか、ここに来る誘う側の人間は、皆そんなハイスペ感があったり、女の子やオメガ男性に関しては、セレブ感もあるような人種ばかりが揃っていた。一般庶民代表みたいな俺には、やはりここは似合わない。

　その中でも隆二は格別に男前だと思う。これは、俺が初めて寝た相手だからそう特別なフィルターでもかかって見えてしまうのだろうか？　そんな意味のないことを考えていると、隆二は優しい声で、諭すように言葉を発した。

「爽、イケない子だね。週末は僕とみかげ君のところで会う約束していたのに、どうしてあんなところで、どうしようもないオッサンに絡まれてるの？」

　え、事細かく知ってるって、どういうこと？

「なんで知ってるの」
「相原がメールで教えてくれた。だから君を連れてくるように頼んだんだ」
「相原さんと、知り合い？」

　相原が、そこで呆れた顔をした。

「俺とこいつは高校時代からのダチなんだ。で、お前を気に入ってると聞いたところだ」
「相原さん、なんであそこにいたの？」
「巡回中だ」
「頭が回らない」
「回すな、お前はもう回さない方がいい。とにかく危険行為はやめろ」
「……はい」

　そこでみかげが話す。

「もう、圭吾。あまり怒らないでよ、十代なんて遊びたい盛りなんだから、ねぇ？」
「みかげさん……」
「でも、僕としてはここにいる隆二さんはおすすめだよ、危険はないかな」
「危険な匂いしか感じないです」
「ははっ、それ、面白いね」

　なぜか相原と隆二、そしてみかげと四人で飲むことになった。みかげはなんだかおもしろそうと言い、店の看板を閉めてしまった。

「そういえばさぁ、みかげ君、爽に丈君紹介したでしょ？」
「え、ああ、だって爽君、隆二さんに興味なさそうだったからね。でも結局二人で消えていったじゃない、恋のエッセンス的な？」
「もう、これ以上ここで誰かを紹介しないでよ」
「はいはい、わかりました。でも、ここ以外なら僕の関与外だからねぇ」
「大丈夫。ここ意外でも、僕は誰も爽に近づかせないけどね」
「うわぁ、凄いセリフ！」

　隆二とみかげは、楽しそうにそんな怖い話をしていた。二人とも、とても仲が良さそうだった。その二人の様子を、いや、みかげの話す姿を微笑ましい顔で相原が見ている。番つがいに対して、そういう顔をするんだと驚いた。アルファとオメガとは、やはり特別なものがあるのだろう。

「隆二、暇なの？　ニートなの？」
「え、僕は働いてるよ」
「会社員なんて、嘘なんだろ。どうせお金持ちのおぼっちゃんかなにかでしょ」

　相原とみかげは声をあげて笑ってた。

「間違いない！　ははは」
「たしかにお金持ちのおぼっちゃんだったな、お前」
「うるさいなぁ」

　やはりお金持ちのおぼっちゃんらしい。

「とにかく、爽！」
「は、はい！」

　いきなり相原に呼ばれた。

「一度目で怖い思いしたはずだろう。それなのにまたあんな飲み屋で変な男に引っかかりやがって、親が泣くぞ」
「う、すいません」

　親のことを言われると、俺だって辛い。

　今から自分がやろうとしていることは、人としてどうかと思うことだし、それでも、姉のことを想うとどうしてもやらなければいけないこと。改めて人から正しいことを言われると、心が辛くなる。俺だって、わかっている。わかっているけど、これしか方法がわからないんだ。少ししゅんとしているのを察知したのか、みかげが肩をさすってきた。

「まぁまぁ、圭吾。爽君だってこれに懲りたはずだよ、ね？　あっ、僕、買い出しがあったんだ！　圭吾一緒に付き合って、夜のお外デートしよ」
「お、おう、お前らもう出てけ」
「えええ、いつもいきなりなんだから、まぁ、二人のデートの邪魔はできないしね。爽、そろそろ出ようか」
「う、うん」

　仲のいい夫夫ふうふの邪魔はできない、隆二に言われるままに外に出た。そして、隆二は自然に俺の手をとり、恋人繋ぎをして歩き出す。