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3 運命のひと

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 その日の夕食は、大樹の希望通り……というか夢で見た希望だけど、生姜焼きを沢山作った。作りすぎたのを見ていた愛子が「これじゃあパーティーできるね」そう言って笑った。そこでこの量をどうしようという話になり、愛子が夫も呼んでみんなで食べようと言ってまとまる。

 隆太が仕事終わりに合流すると、僕はいつも通り大樹の分もテーブルセットをする。その姿を見ていた二人はしんみりした顔を一瞬見せた。同じ消防士であり大樹の親友でもある隆太は、「大樹は相変わらず愛されて幸せだな」そう言った。

 友人との楽しい食事ということもあり、少しテンションが上がり、久しぶりに夕食を完食できた。なんだか大樹が喜んでいる気がした。

 大樹がどうしても家にいて欲しいと言うからというのもあり、僕は大学を卒業してすぐに結婚したので働いた経験がない。僕は大樹の為だけに生きたいと願っていたから、それで良かった。彼が少しでも安らぐ家にするために、料理も洗濯も掃除も精一杯頑張った。大樹はいつも褒めてくれて、本当に幸せだった。

 彼が亡くなると、ありえないくらいの遺産が入った。

 彼は生前そういうことはしっかりしていた。僕を一人で残すことを考えていたのかと思うと辛かったけれど、危険と隣合わせの仕事をしていることもあるからと言われたことがある。まさか本当にそのお金を受け取る日がくるとは思いもしなかったが、そのお陰で一生働かずに暮らしていける資金はある。

 それに、こんな病弱な体では世間に出られる気がしない。気力もないし、お金も必要ないなら、もうどうやって生きて行けばいいのかわからなかったが、そこは友人や両親、大樹の両親までもが僕の身を案じてくれていたので、そこまで一人で過ごす時間もなく、誰かしらと会う日は続いている。

 僕は雪の降るクリスマスを待ちに待って、いつもよりも明るい気持ちで数日過ごしていた。最後に大樹の両親にも会っておこうと思い、あと四日でクリスマスを迎えるとき、大樹の実家に行くことにした。

 約束の日、けだるい体を起こして、身支度を済ませて家を出る。

 運転はできないので、普段はタクシーを使う。一人で電車に乗るなと、結婚前から大樹に言われていたことを、いまだに忠実に守っている。心配性の彼は極力自分がいない日は出かけないでほしいと言い、もし一人で出かけるなら近所の買い物くらい。実家に行く用事がある時だけは、タクシー移動ならと許してくれた。

 今考えたら結構な束縛夫だったのかもしれないが、それが嬉しかった僕も大概だ。

 でも、今日は少し歩きたい気分だった。

 義両親と会う時間までまだまだ余裕がある。クリスマス目前ということで、どこもイルミネーションで着飾られている。大樹と毎年来ていた思い出の場所に行ってみようとなぜか思った。この二年全く行かなかったのに、この人生最後になると思うと、急に見てみたくなるものだ。

 タクシーで繁華街に来ると、まだ昼間ということで街路樹のイルミネーションは見えないが、ビルの中に大きなツリーはある。それを見ているだけで、彼とデートをした日々を思い出しワクワクする。

 その時、ふと懐かしい香りがしてきた。なんだろう、懐かしいのはわかるけど、これが何の香りだったのだろうか。

 そう考えながらツリーの前で立ち止まっていると、見たことのある人が目の前にいた。

 ――この人……どうして、ここに。

「久しぶりだね、蓮君」

 僕を見た瞬間、心配そうな顔をした彼は良く知っている。いや、実際はあまり知らないかもしれない。出会ってすぐに、離れた人。僕のオメガ性を揺るがせた、大樹以外で初めてのアルファ。

「さ、笹塚ささづかさん」
「私のこと覚えていてくれていたのか」
「そりゃ……」

 運命のつがいだったんだから、忘れるわけがない。

 いや、忘れていた。大樹とつがいになったとき、彼との運命は切れたのだから。本当に忘れていたけれど、目の前に来た瞬間あの頃のことが脳裏によぎって記憶は鮮明になる。

「私は、君のことをひと時も忘れたことがなかった。君のいる日本にいることができなくて、今までニューヨークにいたんだ」
「そ、うなんですか……」

 日本を離れるとは聞いていたが、ニューヨークだったのかと思うも、たいして興味はなかった。それよりも、なぜ縁の切れたアルファが、いきなり現れて僕に話しかけるのかわからない。

「でも、君が独り身になったと、ある伝手から聞いて急遽日本に戻ってきた」
「え?」

 いったいどういうこと? 僕が独り身だから日本って、それって、まだ僕のことを?

「愛している。あの頃と何も変わらずに……」
「でも、僕は、あなたを選ばなかったのに」
「それは仕方ない。彼との間にはすでに強い絆があったから、私の入り込む余地はなかった。でも、蓮君が一人になったのなら、もう引き下がらない」

 強い瞳で僕を見てくる男性は、高身長、高学歴、高収入、家柄もいい上位アルファだ。五年前の記憶はそうだったし、今見ても美丈夫で仕立ての良いスーツを着こなしている姿を見ると、三十五歳になった彼は、きっと相当なキャリアを持っているに違いない。

 僕の夫だってアルファだけど、普通の一般家庭から生まれた人で、気さくでやんちゃな大きな男性だった。この人は、アルファのヒエラルキーがあるなら一番上だと思う。それでも、僕は大樹が好きだったから、そんな素敵な人でも、運命でも、選ばなかった。このことは、夫だった大樹は知らない。

 大樹と付き合っている最中に、偶然この人に出会った。

 それから凄いアピールをされ、僕の体もこの人が近くに来ると、運命の作用かいつも急にヒートを起こしていたけど、なんとか抗った。そして僕は大樹に縋り、つがいにしてと頼んだ。それは大樹と出会った一年後のクリスマスの日だった。

 僕との運命の絆が切れた笹塚が、辛そうにしていたのはよく覚えている。幸せになってと言われたのが最後、それから二度と会うことはなかった。そんな人が、今なぜ目の前にいるのだろうか。そしてなぜ、まだ愛しているなんていうのだろう。あんな風にこっぴどく振ったのに。

「僕は、死んだ夫を愛しています」
「それでも構わない。もうじき三年経つと聞いたよ。今まで知らずに申し訳なかった。こんなにやつれるまで、彼のことだけを想って生きてきたのは辛かったはずだ。少しでも私がそれを和らげることはできないか?」
「で、できません! 僕のつがいで夫は大樹だけだから。笹塚さんはどうかもう僕のことを忘れてっ、あっ!」

 急に抱きしめられた。

 強く抱きしめる大樹と違って、やわらかく包むようにふわっと導かれる。こういうところも違うと、瞬時に比較してしまう自分がいて嫌になった。それなのに、彼の温かみを感じると、忘れていたオメガの機能が反応しそうになる。慌てて彼の胸に手を置いて、離れようとすると、彼は僕の腕を取った。

「さ、笹塚さん、やめてください」
「君は、つがい欠乏症になっている。一時だけでも私の、アルファのフェロモンであなたに安らいでもらいたい」

 僕より背の高い笹塚が、僕を見下ろして必死な顔でそう言った。どうして笹塚がそんなことまで知っているのか疑問だが、大樹以外のフェロモンなんて欲しくなかった。

「僕は、大樹以外のフェロモンはもう感じないんです。そんなことしても無意味だから」
「本当に? 私には蓮君の可愛いラベンダーの香りが入ってくるよ」
「え?」

 僕の香りを感知できる? 

 大樹が死んでからフェロモンを出さなくなった。それは隣人のアルファである隆太も、僕から匂いはしないと言っているからそうなのだと思う。それなのに、笹塚には僕のフェロモンがわかるというの?

「蓮君は? 私の香りはしない?」
「え、わ、わかりません」
「そうか、それでもいい。でも抱擁をすると、少し体温が上がるし、私にはより強く君の香りが入ってくる。フェロモンが少し戻れば欠乏症の改善にも繋がると聞く」

 そしてまた包み込まれ、一瞬彼の香りを感じてしまい少しクラクラする。それはいけないと思い、慌てて抱擁を解く。

「や、やめて!」

 オメガがアルファに力で勝てるはずもないのに、簡単に彼の腕からは解かれた。それほど優しく抱きしめてくれていたのを知る。それでも、大樹以外に触れられたくない。大樹以外のアルファの抱擁を気持ちが良いと感じることが、罪悪感へ繋がる。

 ――そう、抱擁は気持ちが良かった。

 そしてわずかながら笹塚の香りを感知した。運命の糸は、もしかしてまた繋がった?

「急に悪かった。じゃあ、私はもう彼に変わるから。一つだけ覚えておいて」
「え?」

 何を急に言っているのか理解ができない。

「私は蓮君を愛している、だからこの体は自由に使っていい」
「あの、どういう意味ですか? 僕はもうあなたと会うことは……」
「クリスマスまでの約束だから。それまで、どうか悔いが無いように楽しんで」
「え、え?」

 出会ってまだ数分、そしてなんの話をしているのか全くわからない。それなのに、とても重要なことを話しているかのように、笹塚は真剣な顔をした。

「じゃあね、蓮君。目覚めたとき、君が最善の結末を迎えることを願ってる。どうか、彼の願いを叶えてあげて……」

 そう言うと、笹塚は僕の前から去って行った。

 全く理解できない再会だったけれど、そんなことをしている間にすっかり時間は経過していた。慌ててタクシーを拾い、僕は大樹の実家に向かった。



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