運命だなんて言うのなら

riiko

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記憶喪失編

7 深刻な問題ではない?

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「いや、すいません。エル君は、相談に来た時から深刻さを感じてなかったんで、なんだか納得しました。曲がりなりにもつがいがいることで、安心した状況だったのでしょうね。警視正の存在をエル君は受け入れているみたいだし、本当に変態ストーカーだと思っていたらそんなに気安い雰囲気をオメガは出せないよ、エル君」
「えっ」

 確かにエルの中で、深刻な問題ではない気がしていた。

「たとえ無理やりつがいにされても従うしかないから、普通は怯えてそんなに柔軟になれない。犯罪に巻き込まれたオメガの子は、エル君みたいな感じにはならないんだよ」
「ふーん。でも俺、恭一と一緒にいるつもりないよ」

 エルは三隅の言葉が悔しかったのと、本気で男とどうなるとはいまだに思えないでいた。

「じゃあ、エル君はどうしたいの? このままいくと病院で検査して、記憶がないままならオメガ施設に保護してもらうにしても、戸籍がないオメガでは仕事は見つからない。これからずっと国に保護されたまま最低限の生活をして、誰とも結婚もできず愛し合えず、それで一生を過ごすの?」
「そ、れは……」

 エルは、いきなり当たり前の現実を突きつけられて戸惑った。

「厳しい言い方をしているけど、これが身分も保護もないオメガの現実だよ。君は神谷警視正に愛されているようだし、そこまでの嫌悪感があるようには見えない。警視正のつがいとしてなら、生活だって普通のオメガができないような最高のものを保障される。何もない今の状況なら、彼のもとでゆっくり治療をして自分を思い出すのが最善じゃないかなと俺は思うんだけど、どう思う?」
「……」

 三隅の言うことはわかるし、どう考えても神谷の身分は真っ当なものだ。

 そんな相手が、オメガという身分にはもっとも大事だというつがいであり、権力的にもオメガを守るには最適な人物である。そして、エルはそっと隣の神谷を見た。確かにこの男なら安心だと本能がそう諭す。エルに見られて嬉しそうに笑う神谷に、いつの間にかエルの毒気は抜けてしまったようだ。

「エル、難しいことは考えないで。君は今、記憶がないんだ。無理に大変なことを選ぶ必要はないよ。僕のもとにいて、今の現実を受け入れながらエルのことを一緒に探していこう。僕は君を愛しているんだ」

 神谷はそっとエルの手を握った。

「でも、悪いけど俺は恭一のことを、そういう意味で思ってない。というか、男にこれ以上掘られるわけにはいかない。恭一の所に行くって、今の現実を受け入れるっていうのはそういうことなんだろう? だったら今は、そのオメガ施設とやらに行くのがいいと思う」
「エル、まだよくわかっていないようだから言うけど、つがいになったばかりの今、エルに選択肢はないよ。僕と離れたらどうなるか、身をもって知ってみる?」
「は? なんなの」

 神谷は不敵な笑いを浮かべながら、提案ではなくこれは決定なのだというように、エルの決断をくつがえそうとする。三隅に向かって神谷は話した。

「三隅君、悪いけどエルのうなじ触って」
「えっ、でも、そんなことしたら」

 三隅は突然の神谷の提案に驚いた。

「エルには言葉で説明してもわからないから、これが一番早い方法じゃない?」
「それでも、俺にはエル君が苦しむとわかっていて、そんなことできません」
「大丈夫。今ならつがいの僕が居るから対処できるよ。それこそ僕と離れている時に同じ状況になって、はじめて恐怖を覚えるほうが可哀想じゃない?」

 いったい何を二人が話しているのか、エルは全く理解ができていなかった。だが不穏な空気なのはわかった。エルは少し肌寒さを感じた。

「ねえ、二人とも俺のことを話しているなら、もうほっといて。わけのわからない恐怖体験をさせようとするなら、もうここを出るよ。警察は当てにならないから、外に出て誰かにそのオメガ施設とやらの話を聞くから。お世話になりました」

 その言葉を聞いた三隅は、渋い顔をしながら決断を下した。

「エル君、君はやっぱりダメだ。今までの話を聞いても一人で外に出ようとするなら、ごめんね……これはエル君のこれからのためだから」

 三隅はエルのうなじにそっと自分の手を触れた。

 大層なことを言った割に、エルは拍子抜けした。殴られるくらいのことをされるのかと思いきや、されたのはただうなじを優しく撫でられたことだけだった。しかし次の瞬間、本能がこれではないと叫ぶかのように、体に異変を覚えた。

「あっ、あっ、な、なにっ」
「エル君、気持ち悪い? でもそれだけじゃまだ足りない」
「あっ、やだ! こわぃ、はぁはぁ」

 エルは何が起こっているのか理解ができなかった。三隅がうなじを触った後、首元に近づいてきて、うなじの後ろに息がかかるくらいの場所で話しかけてきた。咄嗟に逃げようとすると、後ろから手を押さえられて身動きが取れなくなる。

「わかる? 俺が君を簡単に支配できるってことが。そして、それが耐えきれない苦痛を伴うことも」
「やだっ、やだっ、恭一、たすけて」

 吐きそうだった。

 そして腕を組んでじっと見守る神谷が、エルにとっては救いになる唯一の人であるとなぜか思った。涙を流し吐き気を感じながら、目の前にいる神谷に触りたい、抱きつきたい、うなじをすぐに触ってほしい。そういう思考しか生まれなかった。

「恭一!」

 腕を組んでこちらを見るだけの神谷が憎たらしかった。早くこっちに来て自分を匿え、そうとしか今は思えないエルがいた。そう思ったら神谷を大声で呼んでいた。エルと三隅のやり取りを腕を組んで見ていた神谷がその腕を解くと、ふぅっと息を吐き三隅に告げる。

「三隅君、やりすぎだよ。もういいから、離してあげて」
「あっ、すいませんでした。つい自分のつがいがこんなことを言い出したらと思ったら、感情が出てしまいました。エル君、ごめんね。もう神谷警視正のところに行っていいよ」

 エルは解放されても、体が恐怖に震えてその場にひざまずくしかなかった。早く恭一に触れたい。そう思うのに、思った以上の恐怖がエルの体を硬直させた。

「エル、自分が蒔いた種だ。反省するなら、自分から僕のところまで歩いてきなさい」
「恭一、恭一っ、足が動かないっ。お願い、来てよぉ」
「もう、仕方ないなぁ。僕も大概だな、つがいには甘くなっちゃうみたいだよ。ほら」

 泣きじゃくるエルの元に、神谷の手が差し出された。それに手を伸ばしたエルは、早く早くと急かす心と体は繋がらず、動くのも億劫だった。

「恭一、お願い」
「わかったから、ほら」

 恭一に抱き起こされて、エルはしがみつくように恭一胸に顔を埋めて腕を背中にまわし込んだ。涙を流しながらやっと落ち着くところに落ち着いたという感覚に安堵した。

「エル、これでわかった? 僕がいないとエルは生きていけないんだよ」
「うん……首、気持ち悪い、吐きそう」

 エルには、神谷の言っている言葉を理解する頭が今はなく、ひたすらうなじに違和感があるまま、神谷の匂いを嗅いでしのぐしかなかった。その間もまだ吐き気が少しあり、頭痛も止まらず涙が流れ続けている。背中をポンポンと揺すられる心地と、神谷が話す言葉で背中と耳が浄化されるようだった。でも足りない。

「神谷警視正、すいません。やりすぎたみたいですね、除菌シート使ってください」
「ああ、三隅君ありがとう。君にも嫌な役回りをさせたね」

 神谷と三隅が話している会話が聞こえるが、エルの耳には内容まで入ってこない。そっと首元に冷たい感触があたり、ビクッとすると神谷が消毒しているだけだからと声をかけられ、エルはそれに耐えた。


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