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見目麗しい少女と思ったか?\俺だよ!/

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 はあ、とため息をつきたい気持ちをぐっと堪える。今日もまたこの部屋へやって来た見目麗しい青年は、目線を合わせくると殊更に甘く囁いた。目尻は下がり、蕩けそうな温度の瞳は好意を全く隠さない。
「ああ、白百合……いい加減、そなたの真名を俺に教えてはくれまいか」
「なりません」
「なぜそう頑なに拒むのだ? 決して悪いようにはせぬ。俺は……そなたを愛しているのだ。そなたの全てが欲しい。そなたの、愛が欲しいだけなのだ」
 底抜けに甘ったるい台詞にもそろそろ慣れた。抱きすくめられ、たくましい胸に頬を寄せると、以前好ましいと言った花の香りに包まれる。
 些細なことまで覚えている、こういうところは素直に好感が持てるのだが、
「……申し訳ございません」
 ここに連れて来られて一年。そろそろ十五歳になる。子はまだかという周囲の声や、目の前の男から向けられる熱っぽい目線や触れ合いから、まだ身体ができていないからと逃げ続けて随分経った。もうこの男から自分がどういう者なのか隠すのも難しい。
 ここらが潮時か。
 幸い、相手は上手く惚れてくれたようだし、せめて種明かしくらいは自分からやらないとな。その位の誠実さは持っているつもりだ。
「そなたの抱える『秘密』とやらの所為か?」
「はい。それが知られてしまえば、あなた様は酷くお怒りになるでしょう。なにより、傷つかれます。わたくしなど、塵も残さず消されましょう」
「構わぬ。申してみよ。そなたを害するなど考えられぬ」
「……そのお言葉が真実、あなた様の本心であることを願っております」
「俺が信用できぬか」
「いいえ。あなた様が清廉潔白な方であるからこそ、今まで申し上げられなかったのでございます」
 ま、本当のところは逆上されて殺されるのが嫌だったんだけど。これのせいで、すわ戦争か、いや世紀の大虐殺かってことも考えられたし。
「……そうか」
「はい」
「白百合。そなたの『秘密』を俺に明かすということは……そなたも俺を好いてくれていると思っていいのか」
「……殺されても仕方が無いほどのことをずっと、この胸の内に秘めてまいりました。それを白日の下に晒すことを恐れるばかりで、わたくしは、」
「もうよい。すまぬ、つまらぬことを言った」
 男の腕に力が篭り、互いの身体が密着する。……ああ、こういうのなら悪くないかなって、思い始めたのはいつからだったっけ。
 そっと厚い胸板に手を添え、押す。そこまで強い力ではなかったものの、男はそれに合わせて身体を離した。一歩下がり、男をひたと見据える。
 さて、年貢の納め時だ。
 身体を包んでいた服の帯に手をかけ、外す。しゅる、と音を立てて禁断パンドラの箱は開けられた。
「それでは恐れながら申し上げます。……わたくし、あなた様と同じく男の身でありますれば、あなた様の唯一の女となることも、御子を成すこともかないません」
 前閉じの服だったから、自分の手で大きく左右に開けて膨らむはずのない胸を見せる。
 顔を真っ赤にして硬直していた男は、俺の告白よりも身体の方に意識を向けていたらしい。初めは何の反応もなかったが、そのうち顔から赤みが引き、どちらかというと今度は血の気が引いたような顔色になって、俺の言葉を復唱した。
「お、とこ……?」
 そ。俺、男。ちなみに非処女な。
 男は可哀想なくらいに唖然としていて、俺はじっとその場に立って、その双眸が俺の身体を撫でて行くのを眺めた。

******

 さて、事の始まりってのはそもそもこの男だ。この男、こう見えて人外境に住まう物の怪の王。の、次男。まごうかたなき第二王子殿下だ。王位継承権は早々に放棄したらしいんだけど、それでもやんごとなき御仁であることに変わりない。
 真っ黒い髪は襟足こそ短めに整えられているが、その艶やかさが分かる程度には伸ばされ、品がある。
 瞳は綺麗な琥珀色。べっこう飴、俺結構好きなんだよね。間近で見るそれは蜂蜜にも見えて、舐めたいって言ったらどんな反応するのかちょっと気になる、美味しそうな目だ。
 身長は高く、俺よりも頭一つ分とちょっとある。ま、俺が結構なチビってのもあるかもだけど。体格もいい。軽装のせいで惜しげもなく晒された腹筋とか羨ましいくらいだ。手も大きいし、指も太い。けど、流石は王族だけあって手入れが行き届いた肌は綺麗なもんだ。
 さて、で、この元王子おとこ。厳密にはその信奉者。人間のさる国に脅しをかけた。
 曰く、「最も見目麗しい人間を寄越せ。さもなくば全員皆殺しだ」だそうで。横暴以外の何物でもないが、どんなに偉くとも人間にすぎない生き物が物の怪に立ち向かえるはずもなく、かくして要求は飲まれることとなった。
 後で分かったことだが、この男、見た目は人間にしか見えないのに龍らしいのだ。厳密には、人外境こつちの現王ってのは龍の血筋らしい。
 龍はこの世で最も強く、気高い生き物。だからかは知らないが、絶対数が少なく、しかも同種だと血が濃すぎて繁殖できないという有様。しかも龍の血統ってのは他の種族と混ざるにしてももう人間じゃないと子どもとか生まれないらしい。なんか人間ってその辺の適応力凄いんだってさ。人間の血ってのは特殊能力とかなさすぎて、人以外の種族から言わせれば真っ白で、なんにでも綺麗に染まるんだと。人外の誰かが言ってた。人間すげーって思ったよ。困った時の人間様だよもう。現王も人間の奥さん娶って子どもを産んだそうだ。一目惚れだったってよ。そん時は根回しもばっちりやったみたいだけど。
 で、だ。更に龍ってのは厄介で、これぞ! って相手じゃないと勃たねーそうだ。そんでもってこの元王子ときたら超面食いで、並みの、いや、並み以上のどんな女もお気に召さなかったらしい。女好きなわけじゃなく、女嫌いなんだそうな。昔から女という女にすげー群がられてウザったかったらしい。本人から聞いたわけじゃねえから全部伝聞だけど、継承権放棄したのもその辺が絡んでいるとかいないとか。人間じゃねーと子ども作れねえ、ピンと来た相手じゃねえとその気にもならねえってのに物の怪の世界でも女ってのは凄い。
 にしても龍なんて全くもってめんどくせえ生き物だよ。むしろこんな野郎早々に根絶やしにしろ。って思ったのは俺だけが知ってることだ。龍の血筋のヤツみんながここまで拗らせてるわけじゃないそうだが、そんなもんは知らねえ。
 まあ、そんなわけで、元王子が大好きな奴らがお節介どころか暴走しちまって、人間から綺麗ドコロ見繕ってこようぜ! ってことでの『お願い』だったんだそうな。人間の国ってのは結構な数があって、その上で一番を選ぶってのは難しい。しかし信奉者もその辺りは分かってたのか、美男美女が多く住むことで名高いさる国を指定してきたわけだ。
 指名された国からしたら最悪怒った人外どもと正面衝突だし、正味の話生贄選びだわな。百鬼夜行で国が滅ぶんだし、そりゃあもう慎重に、吟味に吟味を重ねたのさ。
 そんなわけでさる国から選ばれたのは、ここにいる時点でお察し、俺だった。国王陛下とかお偉いさんはいろいろ考えたらしいんだけど、その時花嫁がどうのとは言われなかったから本当に『一番見目麗しい人間』が選ばれちゃったわけだ。それがたまたま、 、 、 、男だった、というわけ。
 俺は身分としちゃ低い方だけど、容姿はべらぼうに良かった。マジで。美男美女大国の中でも名高い高級娼館のトップだったくらいには。俺がいたのは男娼館で、俺は男娼だったわけ。顔でランク付されるってわけじゃないけど、見た目がいいってのはそれだけである程度評価される。あとはまあテクニックだけど。
 手入れの欠かさない白金トウヘツドの髪は背中の中ほどまで伸ばしていて、後姿は完全に女と変わらない。瞳は雄の孔雀の羽のようだと言われたし、肌も白い方だ。体つきも男としては悔しいけどそんなに筋肉質じゃないし、胸と股間を隠して女を装えば、その気のない男だってころっと落ちてくる程度には男らしくない。すっげえ不本意だけど。
 その美しさでもって数多の女を抑えてトップに君臨していた俺だが、まあ、人並みに夢くらいはあった。稼いで稼いで稼ぎまくって、名誉と地位を得ることだ。そんで金をドブに捨てるみたいに遊んで楽しく暮らして、そんで落ちぶれる前には隠退してあちこち回ってみようかなとか思ってた。
 経済的に貢献してたし、俺くらいになると取る客も選べるし拒否もできるしで、男娼館の看板背負ってたから一応そこそこ一目置かれたりしてた。国王陛下には非公式ながら謝罪されたくらいには。あっちの王子様には贔屓にして貰ってたしな。伝家の宝刀抜きまくりだったし。殿下だけに。俺よりむしろ王子様を説き伏せるのに苦労したんじゃねえかな。
 ま、俺も含め人間の誰一人として物の怪の王の第二王子殿下の嫁さん探しとか知らなかったわけで、俺は生贄気分でこっちにきたわけだ。そしたらどっこい、元王子の結婚がどうのみたいな話になってるじゃねーの。こっちからすりゃどうしてそうなっただよ。男だってばれたら嫌な死に方しそうだったからすげー頑張って女の振りしてあの手この手で逃げ回ったよ。元王子が初見で
「まだ子どもではないか!」
 ってブチ切れなかったら即死だった。危なかったホントに。見女麗しい童顔の美少年でよかったよ。
 あ、勝手に脅しをかけてきた信奉者は俺を元王子に引き合わせたことで全てが露見して思い切り怒られてた。まあ人間の国とまともな交流がないとはいえ、人間側から英雄気取りの馬鹿が押し掛けてきても文句は言えないことをしたから当然だろうな。何かしら罰されたみたいだけど、直ぐに元王子のでっかい豪邸の客間に突っ込まれたからよくは知らない。それよりも、元王子がうっかり俺にその気になったことの方が大問題だった。
 お前、「まだ子どもではないか!」発言の舌の根の乾かぬうちからどうしたよ。俺の美貌の所為かよ。仮にも王族だろうが。ちょろすぎっぞ。
 龍ってのはやっぱりめんどっちいもんで、なんかこう、びびっと来る相手ってのは血で反応するものらしく、それに抗うのは不可能なんだそうだ。んで、いわば魂で感じるレベルのもんらしくて、その気持ちが褪めるとかもほぼないらしい。
 幸い元王子はカタブツだったので、いろいろと怖がったりさめざめと泣いてみたりと拒絶もとい回避を続けても無理強いはしてこなかった。人前で裸になるなど考えられません! とかなんとか嘘八百を並べ立てて侍従による入浴や着替えも突っぱねた。今まで下着も碌に穿かず全裸でくつろいでた奴の台詞じゃねーなとは思った。一緒の寝床に入るのもアウトにしといた。これも結構あっさり引いてくれた。
 ……どのツラ下げてってのは一応自覚しつつも、直ぐに俺の発言を受け入れてしまうあっち側に対してそれもどうなのと口を挟みそうになったもんだ。こっちは死にもの狂いとはいえ威厳とか考えなかったのか。俺の言いなりとか元王子こいつ、惚れた腫れたになると駄目になるタイプだと他人事ながら心配もした。
 今思えば脅しで来させた挙句に信奉者の独断で俺は知りませんでした、でも好きになっちゃったから帰せないよってんで客間にぶち込んだままにしたから引け目があったんだろうな。
 名前もそうだ。物の怪は自分の名前ってのをすげー大事にするらしくて、普段誰かに呼ばせる時は役職名とかあだ名とか、それ用の名前を用意してそっちを使う。自分の名前を誰かに明かすというのは、もう結婚どころか魂が融合するレベルのべったべたのでろでろにクソ甘い愛の告白らしい。
 俺は一番最初にそう言われたから、名乗らなかった。ぼろぼろにされて死ぬと思ってるんだから名乗りもクソもない。名を聞かれ、適当に呼んでくれるよう頼んだ頃には元王子は俺に転がり落ちてたもんだから『白百合』とかえらい清楚っぽい、しかも花の名前つけられて泡吹いて倒れそうになった。元王子曰く白百合の花言葉は『純潔・威厳・無垢・甘美・無邪気・清浄』だそうだ。……俺と真逆じゃねーか! かろうじて引っかかってんの甘美くらいのもんだよ!
 当然元王子の名前は聞かなかったし言わせなかった。
 で、そうやってどうにかこうにか一年過ごしてきたわけだが、まあ俺も男だし、欲求不満の野郎の気持ちも分かるし。声変わりもそろそろだしってんで種明かしをすることにした――とまあ、こういう塩梅だ。
 そうと知らねーで俺を一生懸命口説いてくる様子もそろそろ辛いしなあ。十分大事にしてもらったから、声変わりが始まっちまう、言い逃れの出来なくなる事態になるまでぐずぐず引っ張るつもりは端から無かった。もともと、不特定多数の物の怪の慰み者になるんだろうと思って、そういう覚悟で来たわけだし。
「……いかがですか? 失望されましたでしょう」
「いや……その、本当に男、なのか……?」
「お疑いでしたら下も御覧に入れましょうか。本来お見せするようなものではございませんが」
「っ! い、いや、よい」
 穿き物は巻きスカート状になっているから、下衣ごとたくし上げればすぐに見れる。が、元王子は俺の胸を見ても尚信じがたいらしく、咄嗟に顔を赤くして首を横に振った。
「……どうやら俺は、いくつかそなたに確認せねばならぬことがあるようだな」
「はい。わたくしにお答えできることでしたら、なんなりと」
 かなりショックを受けていたみたいだったが、腐っても王族か。怒鳴り散らされることはなかった。ただ、盛大なため息とともに部屋のソファに身を沈めた元王子は初めて見るレベルで疲れ切った様子だった。俺が男だということにまだ頭がついていけてないだろう元王子の隣に腰かけるのは避け、失礼ながらベッドに座る。
「なぜ男のそなたが俺の嫁にと?」
「わたくしが聞き及んでいる限りでは、例の方は『もっとも見目麗しい人間を』とおっしゃったそうです。あなた様の世継ぎのことなどはこちらに参るまで一切存じ上げませんでした」
 まあ、そんなこと言ってしまったら元王子の事情をあれもこれもと全部吐く羽目になるだろうしなあ。面食いなのに女嫌いって何様だよって話だよ。誰が聞いても嫁になんか来たくねえよ。多分元王子の名誉のために言わなかったんだろうな。
「……なぜそなたはそれを直ぐに申さなかったのだ……」
「元々乱暴に扱われると思っておりましたので。申し上げたところで虚偽だとしてご立腹され、わたくしは兎も角、国の方へその咎が及ぶのを避けるためでございました」
「そう、か……そうだな。そなたの境遇を考えれば尤もなことであった。赦せ」
 ふう、と頭を抱える元王子に、俺はベッドから降りて膝をつき、こうべを垂れた。
「とんでもございません。この一年、あなた様にはこの上なく重く扱っていただきました。わたくしには身に余る待遇でございました。わたくしの方こそ、あなた様に許しを請わねばなりません」
「よい。……今となっては詮無きことだ。面を上げよ。こちらへ参れ」
 言われるがまま立ち上がり、元王子が空けたスペースへと腰を落とす。
「思えばそなたのことはよく知らぬままここまで来た」
「はい」
 遅え。とは、言わない。勿論。龍的に言うと、血が騒いじゃったんだから仕方がない。うん。別にこいつ今まで顔しか見てなかったのかよとか思ってない。
「家族はいたのか」
「いいえ」
「そうか。……子を持つことは望むか?」
 何処か神妙な面持ちで訊ねられ、ふと考えた。子どもの面倒見るのは嫌いじゃないけど、俺の夢的にはそんなことは考えたことなかったな。身動きとれなそうだし。っていうか、俺まだ十五歳よ? 王侯貴族様でもないのに結婚とかないわ。あっても俺、男娼だしなあ。金持ちのお姉さまに侍る姿しか想像できねえ。種無しってことはないと思うけど。
「いいえ」
「……そうか」
 俺の答えに、元王子は少し複雑そうにはにかんだ。
 え? そこはにかむとこ? 俺のために世継ぎは諦めちゃう系? あんたの人生それでいいの??? そっちは元々独身希望だったからいいかもだけど、俺はせめてもうちょっと自由が欲しいんだけど?
「そなたは今までどう暮らしておったのだ?」
「どう、とは……」
「家族はおらぬと申したであろう?」
 来た! 核心来た! とぎくりとした俺は、動揺して目が泳がないように逆にじっと、元王子の顔を見つめた。
「その、……」
 ここで適当に誤魔化すのはよろしくない。俺にも矜持ってもんがある。ここまで騙すように立ち回ってきたんだ。これ以上、本当に嘘をつくわけにはいかない。
「なんだ? それも『秘密』の内か?」
「……はい」
「よいぞ。そなたが男と知っても怒りは湧いてこぬ。そも、そなたは俺に対して黙することはあっても嘘は申さなかったことだしな」
 それを言われると辛いんだが。まあ、元王子に対して直接的な嘘は言ってない……か? いやでも男だってことを隠すためについた嘘とか結構な数あるじゃねーか。それは嘘には入ってねーの? ノーカン?
「名前だ」
「え?」
「名を聞いたとき、そなたは好きに呼べと言って偽名を口にすることは無かったであろう?」
 元王子の口角が僅かに上がる。……そんなことで、と一瞬思うも、物の怪にとって名は大切なものだということを思い出した。それ程のことらしい。
 やれやれと息をついたのは胸中でだけ。どうやらこの一年で、馬鹿レベルに実直でクソ真面目なこの元王子に、俺は随分影響されたらしい。
「……わたくし、元々男娼でございまして」
「え」
「性については随分奔放に過ごしてまいりました。既に生娘でもなければ生息子でもございません……ああ、病気などは持っておりませんので、その点に関しましてはご安心頂ければと思います」
 再び固まった元王子を見ながら言葉を添える。元王子こいつちょっと潔癖入ってるからなあ。俺が性別を明かさなかったことと併せて、愚弄しているのかと激昂する可能性は高かった。まあ、俺への好意は十分感じているからこうして腹割ってるわけだけどさ。一番最初に躓いたのは物の怪側だし、元王子が俺にここまで惚れてるんだから国の方に抗議とかもないだろう。
「あ……、その、なんと言えばいいのか」
「はい」
 そういや今まで耳にしたことなかったけど、物の怪の国にも娼館ってあるんだろうか? なんか極端に愛が重そうなヤツと、まったくそういうのに興味関心がないのしか見てねえからわかんねーんだけど、もしかするとないのかもしれない。ましてや、男娼とか最早世界が違うレベルなのかもな。まあ嫌がられてもどうすることもできねえし、惚れたくせに四の五の言ってんじゃねえって感じだが。
「……そなたに拒絶される覚悟はあったが、正直、この手の覚悟など全く考慮に入れておらんかったのだ……」
 頭を抱えだした元王子の背を、そっと撫でて慰めてやる。触れる瞬間びくっ! と肩が跳ねたが、それ以降は大人しかったので俺も気にしなかった。
 男色そつちの気がない奴が街で俺を見かけて一目惚れみたいなことは実は割とあった。そういう奴は俺が男だと知ると逆ギレしたり、あるいは男色へのめくるめく扉を開け放ち飛び出していったり、俺に粘着したり、素直に失恋して意気消沈して去って行ったり、こんな風にどうしていいか分からなくて途方にくれたりしたもんだ。懐かしい。
「あなた様がそのように気に病む必要などございません。わたくしを女とお思いだったあなた様に、かようなお覚悟などできますまい。それを求める方がどうかしているのです」
「……そう思うか」
「ええ。皆が皆そのように申すかと」
 背を撫でていると、元王子は頭を抱えるのをやめて、少し上半身を起こした。手を放すと、元王子の手が俺のそれを掴む。その顔はまだどこか煩悶していながらも、俺への熱は消えてはいなかった。
「白百合」
「はい」
「これまでそなたを求めていたことは決して嘘ではない。今も尚、血はそなたを認めておる」
「はい」
「……しかし、だな。俺はその、いささか見聞が足りていなかったようでな」
 言いにくそうな表情から、大体の予想はついた。
「そなたが意を決し申してくれたことはよく分かった。それに報いるために、俺に時間をくれぬか」
「勿論でございます」
「そうか……。今日の所は、これで失礼しよう」
「はい」
 突然のカミングアウトからよく取り乱さなかったよ。俺は目一杯の拍手を送りたいよ。言われれば身体中にキスの雨だって降らせてやろうかと思えるほどだ。
 立ち上がりドアへ向かう元王子を見送るため、俺も後に続く。ドアを開ける前に俺を振り返った元王子はどこかぎょっとした様子で、ドアノブから手を放し俺に向き直った。
「白百合っ」
「はい?」
「そなた……っ 俺に真実を明かしたとて、そのようにみだりに衣服を脱いだりせぬように! 誰にも見られてはならぬ!」
「はい、それは勿論です」
 まあ一番伝えなければならない奴にはきちんと言えたし、まだ気は抜けないとはいえ俺に露出の趣味はない。
 何を言っているのかと顔に出てたんだろう、元王子はどこか怒ったような顔のままもどかしそうに頬を赤らめた。
「そなたは……その、男であっても、そなたのその魅力の前には性別など些末事だと思えてしまうのだ。それをもう少し意識しろ。他の者がそなたの肌を知るのは気分が悪い」
 最後は捲し立てると、元王子は自分の羽織を俺に着せて素早く廊下へと出て行った。
「……」
 つまり、なんだ? 色っぽくて襲いたくなるからくれぐれも自衛しろってことか? どこまで俺にずぶずぶなんだよ! そりゃあここにきて毛嫌いされるよりはマシだけどさあ! 俺高級男娼館のトップよ? はっきり言ってその手の機微には超聡いよ?? 元王子よりよっぽど百戦錬磨だよ???
 ……まあ、いいか。取り敢えず、しばらくは距離を置かれるだろうけど、死ぬことはなさそうだ。見聞がどうのとか言ってたし、改めて嫁さん探しすんなら連れてって欲しいよな。俺だってまだいろんなとこ行く夢捨てきれねえし。なんならその辺のどっかに置いてってくれてもいいんだし。
 ってか、普通に国に帰してもらってもいいんじゃね? 元王子が客として来りゃいいじゃん。見た目人間だしさあ。元王子ならベッドの上でも礼儀正しそうだから、俺も誠心誠意ちゃんと相手するしさ。駄目かなあ。……駄目だろうな、なんか最後独占欲出されてたし。うーん。

 あれこれ考えながらごろんとベッドの上にダイブすると、元王子の羽織から花のいい香りがした。あー、俺ほんと好かれてんなあ。あんだけくすぐったい感じなのってあんまなかったな。悪くない。それどころか結構良いもんだ。
 ウブそうな元王子の様子を思い出し、もし俺だけしか考えられないってんなら、あれに付き合ってやるのも楽しそうだと一人笑った。
 ちなみに名前を教えてやる気は、まだ全然ない。

 考え抜いた末に結局手放すことなど出来ないと結論付けた元王子が、俺にあてがわれた部屋に駆け込んで俺を求めてくるまで、あと数日。
「白百合! そなたを愛でぬことなど考えられぬ!」
 と意気込んで来た元王子ににじり寄られ、だというのに俺に指一本触れようとしない元王子にどうしたのかと首を傾げると「そなたに触れたいのだが、いいか?」と待てを命じられて健気に待つ犬のような眼で見つめられるわけだが――これは元王子の名誉のために、俺の胸の内に留めておいてやるべきだろう。
 俺も元王子の余りのその可愛さに耐えきれず一人大笑いしてしまい、化けの皮が剥がされることになったわけだが、その後の俺たちの関係は全くもって良好である、とだけ言っておく。
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