異世界スロースターター

宇野 肇

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四章 清算

そして彼は決めた

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「う……もう無理……」
「ははっ 良い食べっぷりだったな」
 用意された食事を残すこともできず、とにかく満腹になるまで詰め込むようにして味わって、懐かしい日本食の美味さを噛み締めきった俺は偉いと思う。シズもギルも、俺が親しんだ料理であることに興味を示してよく食べていたと思う。アドルフも
 既に手続きを開始しているというクレメンテ卿が、役人と俺の顔つなぎをするというのでジンに連れられるがままに屋敷へ帰ってくると、ロゼオがまず飛び込んできた。
「ヒューイ!!! お前、お前ら、無事だったか!!!」
「ぐえっ」
 どん、とぶつかるように……否、ぶつかった上でしっかりと腕を回してあちこち確認され、俺はさっき食べたものがよほどでてくるかと思って思わず口を手で押さえた。
「大丈夫か? 裁判で気持ち悪くなったのか???」
「今のはお前が悪いぞ」
 ロゼオよりは冷静な様子のブルーノがロゼオを引き離してくれる。俺もブルーノの言葉に頷いた。
「そっちは大丈夫だし、昨日の件も大丈夫だよ。ありがとう」
 俺がブルーノとロゼオそれぞれの顔を順に見てしっかりと伝えると、ロゼオも落ち着いたらしかった。
「いや、うん。聞いてたけど。でもやっぱ、実際に見て確認しねえとさ」
「分かるよ。自分で確認するって大事だ……本当に」
 ロゼオの言葉にしみじみと感じる。俺が……俺が最初に逃げなかったら。戻っていたら。ギルとしっかり話ができていれば。
 少しでも違っていたら、今こうして立っていることはなかったかもしれない。
「歓談中悪いが、行こう。ロゼオたちも聞いてていいぜ」
 ジンに促され、全員で移動する。
「二人にはまだ話してないけど、一応関わることだからな。ただ静かにしてもらうけど」
 なんの話をするのか分からないロゼオとブルーノはお互いに顔を見合わせ、訝しんだ。それをジンが二人に関することではない、とだけ説明する。後は役人とクレメンテ卿に任せると言うことだろう。
 二人も『貴族はそういうもの』というある種の諦めがある様子で、特に何か言うでもなく了承して、ぞろぞろと歩き出した。
 部屋に入ると、そこには優雅に座る卿と、もう一人、男性が腰掛けていた。役人と言うだけあって、決して冒険者たちのような一種の指向性がある服装ではなく、シャツにベスト、スラックスという小綺麗な出で立ちだ。
 軽く会釈をすると、向こうからも同じように返された。
 全員が部屋に入り、促されて席へ着く。直ぐにテーブルの上に人数分の紅茶が出された。そこで、今までテーブルの上に何もなかったことに気づく。
 ……そういえば、案内で何も言われなかったとは言え、かなり上の立場の人を待たせてたんだよな……。
 俺を見てか、それとも他の面々を見てか、察したらしい卿は朗らかに笑った。
「気にすることはない。私の勝手で予定を組んだのだから。ジルクフリンドには予め伝えてあったが、伝えるタイミングは任せていた」
「タイミングって言っても、裁判終わった後っつったら実質そんなもんなかったけどな」
 ははは、とジンが乾いた笑いを発するものの、それに対して卿はにっこりと笑顔を浮かべるだけだ。
 まあ、卿から直接ギルの裁判の件は聞いたから、不満はない。今思えば俺達が裁判後に直ぐ王都を出て行かないようにするためだったんだろうけど。それでも、強制するわけではなかったし。ギルからの心証を良くするためかも知れないけど、まあ、ここまで来たら変に反発するのも疲れるだけだし。
「大丈夫です。予定は入れてませんし……それで、そちらの方がお役人の……」
「お初にお目にかかります。この王都、マグナ・グラエキアにて公僕を務めております、ユージーンと申します。本日は飽くまで顔合わせと言うことで、以後ヒューイ様とお話しする機会もございますから、顔と名前を覚えていただければと参った次第です」
「あ、丁寧にありがとうございます。ヒューイと申します。ギルの裁判について、改めて犯罪奴隷という身分が適切なのかどうかを判断するため審議があると伺ってます」
「その通りでございます。もう少し厳密に申し上げるのであれば、ギルローグ・クライムについての罪状の洗い出しが殆ど終わりましたので、改めて本人の弁明の場を設けつつ裁判をということです。今彼が奴隷となっているのは、ある意味で彼を守るための緊急措置という側面もありますから、弁明の場が今までありませんでしたので。本当に、ヒューイ様と出会われたのは幸いでした」
 ユージーンさんの言葉で、そういえばそうだったなと思い出す。ギルにとっても、ギルの件を知っている人にとっても良かったことだったと改めて感じる。
 あの時、ギルを手当てしたことは間違いじゃなかった。
「ギルローグ・クライムの身柄引き渡しについては、ヒューイ様の冒険者組合、生産組合におけるご依頼状況を加味した結果、明日にでも行いたいと思っております」
「明日?!」
 早っ! と声を上げると、ユージーンさんは眉尻を下げた。
「急ではありますが、彼がまともな裁判も受けず今の状況に置かれているというのが、元々良くない状態ですので……」
「それは……まあ、そうですね……」
「ですので、明日改めてお迎えに上がります。時間は……そうですね、朝の10時頃に。
 ヒューイ様におかれましては大変な状況の中、大変心苦しくはありますが……ご理解ください」
 正論で言われるとぐうの音も出ない。今回の手続きで俺に必要な『ギルの身柄を引き渡すこと』に関する書類とそのサインは明日らしいので、ユージーンさんは一通り流れを説明した後は『今日は顔合わせだけ』の言葉通り、部屋を出て行った。
 後に残ったのは、ギルに関する事情を知っている面々だけ。ブルーノとロゼオは困惑している。
 とは言え、勝手に話し出すのも憚られる場で、卿がまず口を開いた。
「……ギルくんの件について、ジルクフリンドから何か提案があると聞いている」
 目で促され、ジンが頷く。
「ギルの身柄を預かっている間、本来ならヒューイをここに留めておく義理や理由はない。だから、ロゼオやブルーノも明日以降は屋敷から『見送る』事になる。……遺恨がないようにもっと言葉を選ばずに言うなら、今ヒューイ達をここに泊めているのはギルの身柄を受け渡すまでの監視を兼ねてるって事だ」
「それは理解してます」
「そりゃ裏とまでは言わねえけど、オレたちだって何かあんのは分かってたよ」
「貴族が『ギルと縁がある』ってだけで俺達にまでこんな扱いするわけねえもんな」
 ロゼオもブルーノも動揺こそないものの、不満というか、そう言う圧力めいたものは感じていたのだろう。思ったよりも落ち着いていた。
 俺だって、ジンがマギに来たときからそれは感じていた。マレビト相手にへりくだる以上の破格の扱いは、『何かが起こる』と思うには十分な理由になる。
「正直、これからされる提案がなかったとしても、十分な誠意だと思ってますよ。勿論、昨晩のことはモルゲンシュテルン家から何かしていただくようなことではない事も分かってます」
 お詫び、なんておかしな話だ。ルートヴィヒ家からはなにかお詫びがあってもいいけど、それをモルゲンシュテルン家が肩代わり、ないし間に入るのもおかしいと思っている。
 だからジンの提案がそう言った、俺に対する申し訳ない気持ちから来るものであるなら、それは突っぱねるつもりだと示すと、ジンは苦笑した。
「話が早くて助かるんだけど、提案自体は謝罪でも謝礼でもない。アデルベルタ嬢の日記が見つかってな。希望すれば読めるけどって話だよ。諸々の事情を鑑みて、『ヒューイだけ』、『口外無用』の条件で閲覧が許可されてるんだ」
「え……いやでも、普通のことではないですよね?」
「まあな」
 少し返事に迷ったが、俺は直ぐに首を横に振った。
「いいのか?」
「はい。深入りしたところで気持ちが晴れるとは思いませんし、ギルが気にしてないので、俺も彼女にはこれ以上近づかないことにします」
「……そうか、分かった」
 少し考えて、ジンは頷いた。その後少しだけ間をおいて、卿もジンも、直ぐに話し出さないことを確認して口を開く。
「それより、俺としては何故その話をクレメンテ卿からではなくジンからされるのか気になりますね。言えないことだったら言わなくても大丈夫ですが」
「あー……いや、まああんまり広めるような話じゃないんだが……まあ、ヒューイには大体のことは話してるしな。簡単に言うとアデルベルタ嬢の『中身』の振る舞いの所為で、彼女にまつわる案件は冒険者組合の糾弾もあって貴族先行でやりにくいんだ。だから彼女にまつわる情報はかなり制限されてて、その日記も、そもそも日記自体がかなり本人のプライバシーに関わるってこともあって閲覧できるのはほんの僅からしい。俺も見てない。
 だから、兄貴からそう言う話はできないし、ばれるとまた突かれるんだよ」
 元々偉ぶってたわけじゃないけどな、とジンは付け加えた。
 なるほど。彼女の件で貴族のメンツが潰れてしまったというけど、話を聞く限りかなりの痛手っぽい。
「ま、お前が気にしないってんならいいや。そう伝えとく」
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
「じゃあ、俺から少し相談があるんですけど、いいですか? ジンでも、お時間があるなら卿でも。ただ……できればシズ以外は席を外して欲しいんだけど」
「ギルも?」
「はい。まあ、そんなに重たい話じゃないので」
 俺の言葉に、皆は先に部屋へ戻っていく。ギルも、黙って行ってくれた。安全面ではこの屋敷にいるのなら大丈夫だと思ってくれたんだろう。クレメンテ卿は休憩がてら話を聞くと言ってくれた。
 不思議そうにしているのはシズだ。
「ありがとうございます」
「いいや、君の相談には非常に興味がある。モルゲンシュテルン家としてではなくとも、私かジルクフリンドか、どちらかは何らかの形で力になれるといいのだが」
 ゆったりと足を組み直す卿を見つつ、俺は紅茶に手をつけた。口と喉を潤してから、卿とジンの二人を順番に見て、口を開く。
「明日以降俺達はモルゲンシュテルンのお屋敷は勿論、関連の施設でジンや卿のご厚意に甘えることはなくなるわけですが、俺としては王都や王国に留まる理由はなくなったと思っています。
 そこで少し考えがあるのですが――」



 慣れないことをした後は、肩が凝ったような気がする。
 それでもひとまず自分で決めたことを伝えられたし、次にやることも無事できそうだから、今日の所はゆっくりしたい。
 ……まあ、そうもいかないか。
 ドキドキする胸を押さえ込んで、俺は屋敷の使用人の案内で客室の前に来たところで、シズに一つ頼み事をした。
「シズ、ちょっとロゼオとブルーノの様子を見てきてくれないかな?」
「様子、ですか?」
「うん。……まあ、明日からはここを出て行くことになるし、そうなると色々と……繋がりも薄くなるだろうから……。ギルとも離れることになるしさ。俺抜きで話がしたいかもしれないし」
 俺がそう言うと、シズは少し口をつぐんで、それからおずおずと俺を窺い見た。
「……ヒューイさま……その、」
「?」
「まるで裁判が終わったらギルとは疎遠になるような言い方ですけど……」
 俺がギルから、そして王都周辺から離れたがっているように聞こえただろうか?
「さっき相談したときにも触れたけど、ギルの裁判がどうなるのかの予想はしてるよ。多分、そんなに間違ってないと思う。まあ、確かにちょっと思わせぶりな言い方だったかも」
 ただ、ロゼオはある種の発作を考えると、気持ちの整理が必要な気がしていた。前回はできなかったから余計に。
 シズはそれ以上何も言わなかった。
「……かしこまりました。少し時間をあけた方がいいでしょうか?」
「いや、大丈夫だよ」
 昨夜からシズを酷く不安にさせてしまっている気がする。
 苦笑して、多少気持ちの余裕があることを示すと、シズは使用人の案内でロゼオ達のいる部屋へ向かってくれた。俺達の部屋は念には念をと言うことで昨日とは違う部屋になっているらしく、俺にとあてがわれた部屋の位置は、明らかに昨日とは異なっていた。
 廊下を行くシズの背を少しの間見送って、部屋のドアを開ける。後ろ手に閉めると、がちゃん、と重たい音がした。

 ギルは、窓際に腰掛けていた。柔らかなソファに座り込むことはせず、肘置きに軽く尻を乗せて。
 俺が部屋に入ると、ギルはゆっくりと俺を振り返った。
 凪いだ目が、真っ直ぐに俺を見る。大きな窓が逆光になり、眩しくて目を細めた。
「ただいま。やっぱり貴族の人と話すのは緊張するよ」
「……そうか」
 明らかにギルの口数は減っている。
 それが不安や緊張からではないというのは分かったけど、何を考えているのかは分からない。
「……明日、ユージーンさんが来るまでロゼオ達とゆっくりしたらどうかな」
「いや、いい」
「じゃあ、どこかに出かける?」
「お前が出るなら出るし、出ないなら出ない」
 ギルが立ち上がる。窓の外は良い天気で、ギルの身体が黒いシルエットになって浮かび上がる。
 とん、とん、とギルの足音が響く。ラグ越しにも分かる軽い音だ。
 俺はギルが動くのをじっと追いかけていた。
 ギルが近づいてくる。見えにくかったギルの顔が見えるようになって、距離が近くなる。手を伸ばせばぎゅっと抱きしめられる位置まできて、ギルの顔が俺の顔へ寄ってくる。
 俺はギルの胸に手を当てて、それで、
「……ヒューイ」
 ふとギルの目が驚いたように見開かれた。掠れた声で名前を呼ばれる。ぎこちなくギルの手が俺の頬を滑った。
「あ、れ……?」
 ぬるり、と、ギルの指と俺の頬が滑る。……俺は、泣いていた。

 そのことに気づくと、もう止められなかった。
 どうしてこのタイミングで――数年前のことを鮮烈に思い出してしまったのだろう。
 フィズィに指摘されたから?
 ユーディスにアップデートの話を聞いたから?

 あの時、ギルは俺に近寄ってきて、俺を組み敷いた。
 やめてくれと言ってもやめてくれなかった。
 俺の意志は関係なかった。
 仄暗い悪意のようなものがあったと、今では知っている。

 でも、謝ってもらった。
 俺だって、もう蒸し返したりしないって、決めた。そうだろ?

 なのに……なんでこんなに悲しさが湧いてくるんだろう。
 あの時、ギルと穏やかに親しくなれたらと思っていた俺の気持ちは裏切られて、ギルとの関係を一から始めるにはあまりにも長く一緒に居すぎた。

 全部今更だ。
 だから――俺は諦めたのに。

「ヒューイ」
 ギルが俺を呼ぶ。心配そうな目線と、どこか名残惜しそうな声色。
 多分、俺が感じてきたギルの機微は間違っていないはずだ。
 だから目を合わせて、俺もギルを見返した。
「冬が明けるまでだ。……それで決めてくれ」
「え……?」
「お前は自分で何かを決めることは殆どなかったな。特に俺との関係では。だが、……お前が俺にとってどんなに理不尽で身勝手な判断をしても、俺はそれに従うと約束する」
 何かを決意したのか、ギルの表情は強張っているようにも見えた。
 冬が明けるまでと言うとほぼ半年。それで俺が決めることと言えば……アップデートに絡む、ギルの処遇だ。
 ユーディスは『今』の情報で話をしたけど、アップデートの頃にギルが奴隷身分から解放されていれば、ギルは少なからず今のギルではなくなる。
 そもそも、俺がアルカディアから帰ることだって有り得るのだ。
 そしてそれが可能であることは恐らく、あの時アルカディアの人たちには伝えられていないはず。
 なのに、何かを感じているらしいギルは俺にそう言った。
「お前に認めてもらえるよう、尽力する」
「……う、うん」
「お前の……気持ちを、……無視、しない。だから」
 ギルの声が震えた。そして、震える息で深呼吸を。
「俺から逃げないでくれ」
 俺の手を掴むこともなく、ギルは自分の手を握りしめた。その目は俺を静かに見つめていたが、まるで磨かれた石のように煌めきを放っていた。
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